第52話 ニューオリンズの風 バベルの塔 創世記11章
<ラルゴ>
晴れ渡った空、メキシコ湾から吹く風に髪は乱れる。たなびく髪は僕が女であることを示していた。麦わら被っているがまぶしい。そして、係船柱に片足を乗せる、いわゆる船乗りのポーズを決める無精髭の男。日本では、石原裕次郎というスターが広めたポーズとされているらしい。かっこつけているつもりだが、ちょっと3枚目なのが否めない。
「似合ってないですよ」
「やっぱり」
アレグロさんは、とほほとおどけた顔で返事する。
フォルテに聞くところよるとこの人は、見かけによらずの実力者で、とある声楽エリート校の卒業レースなるもので、アキラさんエリーゼさんペアと争いながらも、1位でゴールした実力者だという。
そんなすごい人なのに、自由で生きることを好み、エッジガード社ともエッジホープ社とも手を組まず、トレジャーハンターとして過ごしてきたとか。
「大人になってしがらみができるっていうのはいいことばかりじゃないのさ。まあ、時代だよ。俺たちの暮らす世界も長年、同じような政治体制とイデオロギーを続けてきた。できた頃は最先端だった思想も、建物のようにいずれ老朽化する。保守もリベラルも新しい思想だった頃は、どちらも市民を幸せにしようという熱意に燃えていた。だが、今はどちらの陣営も、バベルの塔とやらの屋上で神々の世界に閉じこもって、カードゲームに興じているだけだ。ゲームの攻略に夢中になるあまり、生身の人間が生きる姿を見ていないのさ。聖書の小ネタを引用して、教養を競い合う気取った連中も、古代人が悲劇の寓話を通して伝えたかった本当の教訓をすっかり忘れている。俺たちの住む世界も。そして、この異世界アメリカでも。だが、それは、近年の科学や魔法の発達の速度にあまりの速さに、人文・社会科学が追い付いていないだけのことだ。もうちょっと、時代も過ぎれば、これからの時代の人間が生きることに着目した新しいイデオロギーの対立軸が来て復活するかもしれないな。この国も。俺たちの故郷も。冬も過ぎれば、やがて、若いやつらが希望を持てる時代が来る」
アレグロさんは、遠くを見つめる。
「そんなこと言うために、異世界まで連れてきたんですか?」
「まさか。ここ、ニューオリンズって何の街か知ってるか?」
「ジャズの発祥の街……ですか?」
「そう。そして、ブルースの発祥の街でもある。再生のブルース。完成させたいんだろ?」
「はいっ!」
「ここは、再生の街だ。他の大陸から連れてこられた連中が、自分たちの音楽を編み出した街でもあり、ハリケーン被害から立ち直った街でもある」
そう言いながら、昔からあるであろう、ジャズバーに案内される。
僕たちが住む世界のように魔法ではなく、娯楽としての楽曲がプロの演奏によって披露される。アレグロさんは言う。
「なるべくスタンダードなナンバーばかり演奏されるところ選んだんだ。ヒントを得られると思うんだ」
ドラム、サックス、キーボード、ギターなどなど、バンドのメンバーが揃い、演奏がはじまる。As time goes byからはじまり、数々の楽曲が演奏される。息を呑むようなうまさだ。これが、魔法の効果のない娯楽でしか音楽が演奏されない世界の演奏だというのか。
演奏の合間にアレグロさんは告白する。
「俺さ。実は、中退ぎりぎりで卒業した劣等生だったんだ。アキラ&エリーゼペアには遠く及ばない。だけど、地球と俺たちの世界がつながった記念に、アキラにウィーンって街に旅行に連れて行ってもらった。音楽の都で俺は、多くのクラシック音楽を吸収し、感性を磨いていった。そして、帰ったら、いきなり声楽スキルが爆伸びしてさ。自分でも信じられなかったよ。まさか、卒業記念でアキラを越えるなんて、あはは」
意外な過去を告白する。
「人間なんて、才能が伸びるきっかけなんてどこに転がっているかわからんのさ。だから、俺も今日、こうして、お前さんをこの街に連れてきた。もし、スランプに陥っているのだとしたら、何かのきっかけになるかもしれない」
「アレグロさん……」
しんみりしていると、舞台の上から声がかかる。
「Hey!フォルテ!」
瞬時には、自分の名前が呼ばれていると思わなかったが、じわじわと自分の置かれている状況を理解する。セッションしようと言っているのだ。
「そ、そんな。何を演奏すれば」
そう思って、ちらりと譜面台を見ると、そこには『再生のブルース』と書かれてあった。
「まさか」
「ただの観光旅行のために連れてきたと思ったか? 色んなバンドとセッションするために決まってるだろ。ここが終わったら夜の部は、別の店に行く。スケジュールみっちりだよん」
この世界では、演奏を成功させたとしても魔法の効果は働かない。だが、その分、純粋に音の良し悪しがフィードバックされる。
愛用のサックスを持つ手が震える。優しい目で周囲のメンバーは見つめ、そして、演奏ははじまった。
すごい。こんなバックバンドが居る中、演奏できるだなんて。僕の込めた感情に合わせて、他のメンバーも情熱をこめた演奏をしていく。運指をなぞるだけじゃない魂のこもった演奏をする。
聞くところによると、ブルースのルーツの一つは労働歌だという。鬱屈した社会に対して、深い魂が込められている。だから、ブルースは魂が叫ぶように演奏する。理屈では分かっていたことだが、それがどういうことか、このセッションでつかめるかもしれない。
頭の中でうずまいていた理屈と実践が一つに結びつこうとしていた。あと少し、あと少しでコツがつかめる。
コツをつかんだらハイスクールに戻るんだ。そして、シャープの魂、エリーゼさんとアキラさん、みんなを救い出すんだ。




