第42話 影と光のカノン 人参味覚度 80%
<ラルゴ>
「おのれっ! どうやったのかはわからんがなぜ消滅のアリアが」
殺し屋は、バイオリンを投げ捨てるように構え直し、懐から取り出したニンジンを乱暴にかじる。苛立った表情で僕らを睨んでいる。どうやら、反転魔法を使ったことには気づいていないようだ。
「本当にどうやって僕を救出したんだい?」
テヌートが尋ねるが、その目は戦局を冷静に見極める鋭さを宿している。僕は手首をくるりとひねるジェスチャーだけで答えた。
「なるほど、そういうことか」
どうやら伝わったらしい。だが、殺し屋はまだ反転魔法の存在には気づいていないようだ。
「まあいい。影のカノンと死のプレリュードで葬ればいいだけのこと」
再び弓を構え、短調の旋律を紡ぎ出す。突き刺すような鋭い音が空気を震わせた途端、僕の視界がグラグラと揺れ、目から光が失われていく。
(視力を奪う魔法…っ!)
恐ろしい魔力がバイオリンから溢れ出し、辺りが真っ暗に染まっていく。まるで奈落に吸い込まれるような錯覚を覚えた。
テヌートの冷静な声が小さく聞こえる。そこへ、ポロン、ポロン……と、どこか優しげなピアノの音。
まさか……。
ほんの一瞬にして、ピアノの伴奏が短調の世界を包み込み、別の色彩へと塗り替えていく。
「ならば、即興で長調にピアノアレンジするだけのことさ。名付けて光のカノン!」
テヌートが高らかにそう宣言すると、眩しい音の連なりが視界をこじ開けていく。まぶたを開くと、薄暗かった景色が徐々に光を取り戻していった。
「そうか! わかったぞ! 貴様ら反転魔法を使ったんだな。即興でやるとは油断ならないやつらだ」
右殺義が悔しそうに今度はセロリをかじる。ニンジンとはまた違う香りが辺りに漂い、そのイラ立ちを感じさせた。
「今さら気づいても遅いっ!」
テヌートと僕は同時にセッションを始める。楽譜なんて必要ない。息を合わせ、一気に太陽光線の魔法を奏で上げるのだ。
「ぐああああああ!」
眩い光の奔流が、右殺義の身体を襲う。高温と強烈な閃光が重なり、右殺義がたまらず絶叫する。
なかなかのダメージが与えられているようだ。
「やむをえん! 最終兵器だ。死のプレリュード! ふひひひひ。これで貴様らもそろって終わりだ! これには反転魔法がないはず!」
声が闇に沈み込んでいくような邪悪さを帯びる。悪意が形を成して迫ってくるのを、肌で感じ取れた。右殺義の演奏がどす黒いオーラをまとい、今にも僕らを引き裂こうと手ぐすね引いている。
このまま奴に好き勝手やられれば、一巻の終わりだ!
僕はテヌートに目配せすると、テヌートは鼓動を高鳴らせながら叫んだ。
「再生のブルースだ!」
「OK!」
さんざん地下室で練習したセッション!
二人の楽器から立ち昇る音が互いに混ざり合い、力強いリフを生み出していく。Aパートは順調だ。重厚なリズムとメロディが一体となり、死神の爪のようなバイオリンの音色を抑え込もうとする。
しかし、Bパートに差し掛かった瞬間。
「しまった!」
本来なら渋く響くはずの低音が、高く裏返ってしまったのだ。地下室での練習不足がここで響くとは……。
その隙を逃すまいと、右殺義のバイオリンがかき鳴らされる。死の旋律が最高潮に達しようとしたそのとき。
プツン。
「G線が切れただと?」
右殺義が驚愕した顔でバイオリンを睨む。そこには、だらりと力なく垂れ下がる弦の姿。
「予備の弦は、アキラとの戦いで使ってしまった。エリーゼとの演奏を終えた後も1本交換した。思えば今日は激しい戦闘ばかりだったからな」
くぐもった声で負け惜しみのような独り言をこぼすと、右殺義は獰猛な笑みを浮かべた。
「やむを得ん。今日は退いておいてやる。だが、忘れるな! 貴様らはこの右殺義の獲物であることを!」
殺し屋は耳をピンと張り、切れてない弦を使って瞬間移動魔法を演奏しようとしている。
「まてっ! 逃げさせるか! エリーゼさんたちの居場所を教えろっ!」
僕が追いすがろうとするのを、テヌートが腕を掴んで制する。
「深追いするな! 気持ちはわかるが、ここはいったん体制を整えるんだ!」
その一瞬のためらいの間に、右殺義の姿は瞬間移動でかき消えていた。静寂が地下に戻る。
なんとか、助かった。
死闘をくぐり抜けた脱力感が全身を支配する。
☆ ☆ ☆
そこへアキラさんの知り合いだという夫婦が迎えにやってきた。
冒険者風の服装に身を包んだ男女。
「はじめまして。俺はアレグロ。そしてこいつは」
「ソナタと言います。ふふっ」
にこやかに笑うソナタの視線は、僕たちの疲弊具合を気遣うようだ。
「俺たち、アキラと同じエリート校出身なんだよ。大半の同級生は官僚や大企業に勤めてて、エッジホープ社やエッジガード社に関わることが多い。そういう社会のしがらみってのは、なかなか厄介なもんだ」
肩をすくめながらも、アレグロは憎めない笑みを浮かべる。
「でも俺たちは、卒業生の中でも珍しい無頼なトレジャーハンター。そんなわけで、君の身元保証人や保護者代理を引き受けられるって寸法さ。ま、気軽に頼ってくれ」
「自信満々に言うことじゃなーい! 私がどれだけあなたの後始末していると思ってるの!」
ソナタが呆れ顔でアレグロを窘める。その二人の気軽なやり取りが、沈みがちな僕たちの心をほんの少しだけ和ませてくれるのだった。




