第17話 女子寮生活の始まり 友情度 70%
<ラルゴ>
「私はララ! 寮であなたの同室よ。よろしくね」
澄んだ空気を切り裂くような、元気な声が耳に届く。振り返ると、リザードマンとのハーフだという緑色の肌を持つ少女が、ニコニコと笑顔を浮かべながら手を差し出していた。その瞳は大きく、金色の輝きが星のように瞬いている。彼女の全身は、日の光を受けて淡い緑色の光沢を放ち、鱗の模様が見え隠れしているが、その表情は人間以上に豊かで親しみやすいものだった。
僕は少し戸惑いながらも、その手を取った。見た目とは裏腹に、彼女の手は驚くほど柔らかく、人間らしい感触があった。指先は少しひんやりとしていて、まるで新鮮な草のような爽やかな香りが漂う。
「あなた、アキラ・スズキさんの娘ですって?」
突然の質問に驚いて、僕は思わず周囲を見回した。寮のエントランスホールは、午後の柔らかな日差しが窓から差し込み、温かみのある光で満たされている。淡いクリーム色の壁と木製の床が心地よい空間を演出している中で、ララの声はひときわ響いていた。
「え、ええ。あんまり大きな声で言わないで」
僕は声をひそめて答えた。ララの瞳は興味津々で、まるで珍しいものを見るようにこちらをじっと見つめている。
「あら、あんまり言われたくないことだった? ごめんなさい。アキラさんは私にとって、ううん、女の子たちみんなにとってあこがれの人なのよ」
彼女の言葉が、まるで水の波紋のように心に広がる。アキラさんは、楽器魔法の発明者だ。かつて、歌声による魔法が主流であり、男声魔法の使い手が社会の中心を担い、女声魔法の使い手は男性の補助に徹していた。だが、アキラさんが男女どちらでも様々な魔法を扱える楽器魔法を発明した。女性であれど、男性のような役割をこなすことができることにより、女性の社会進出が進んだと言われている。彼自身がどこまで女権について真剣に考えているのかはわからないが、結果として世の女性たちにとって英雄のような存在となっている。
「アキラさん、改めてすごいな」
僕は小さな声で呟いた。その言葉は、自分の中に湧き上がる感情を整理するように、そっと零れ落ちた。
エリーゼさんは、アキラさんの開拓した道を広げて、数々の声楽魔法を楽器向けに編曲し、膨大な知的財産を無料で提供している。だから、エリーゼ・スズキは義務教育を受けた生徒ならば一度は教科書で目にしている名前なのだ。それが、この片田舎に住んでいると知っている人まではなかなかいない。知られるとかえってちやほやされると面倒くさいことが増えるかもしれない。
特に、僕たちが暮らすこの街のような保守的な地域では、女性の解放を表面上は良いこととして歓迎しつつも、内心煙たく思っている人も居るのは確かだ。あまり、人に両親の正体を知られるといやがらせされることも増える……というのはフォルテの弁だ。この体の本来の持ち主である彼女もきっと人生のどこかで嫌な思いをしてきた過去があるのだろう。
ララと一緒に寮の中庭を歩いていると、緑の芝生が心地よい踏み心地を伝えてくる。庭に植えられた花々が色とりどりに咲き誇り、蝶や小鳥が飛び交っていた。木陰に座って本を読んでいる生徒たちの姿も見える。そんな穏やかな情景の中で、ララが何かを見つけたように指をさした。
「あれ? あそこにうろうろしている子がいるよ。なにしてるんだろ」
彼女の指の先には、赤毛の女の子がひとり、重そうなタンスを持ち上げようと奮闘しているのが見えた。彼女の額には汗が滲み、その姿勢からは疲労感が漂っている。僕は一瞬、彼女が何をしているのか理解できなかったが、ララの言葉にハッと気づいた。
「ねえねえ。どこの部屋に運びたいの?」
ララがその女の子に軽い口調で問いかけた。女の子は僕たちに気づき、少し驚いた様子で顔を上げた。赤毛が夕陽に照らされて輝いて見える。
「503号室だけど、男性を呼ばないと無理だよ。でも、ここ、男子禁制だからねぇ。男の体力か男声魔法が使えればいいのに……」
彼女の言葉が心に重く響く。男子禁制という言葉に、僕の中でかすかな痛みが走った。けれど、表情には出さないように努めた。
「男声魔法ねえ。わかった。やってみるよ」
僕は、亜空間からテナーサックスを取り出した。金属の輝きが夕日を受けて眩しい。軽く息を吸い込み、楽器を構えた。全音符と二分音符を多用した、穏やかなト長調の旋律を奏でる。音の波はゆっくりと空気を震わせ、魔法が空間に染み渡っていくようだった。
「す、すごい。楽器魔法使えるんだ。いいなあ」
「ねー」
赤毛の女の子とララが驚いた表情で僕を見つめる。その視線を背に、タンスはゆっくりと浮き上がり、階段をひとつずつ登っていく。僕は集中力を切らさないように、指を滑らせ続けた。503号室までたどり着いた時、女の子は嬉しそうに微笑んでいた。
「ありがとう! 助かったよ」
彼女が握手を求めてきたので、僕もその手を握り返した。冷たい感触だが心が温まり、僕は初めてこの寮での生活が楽しくなりそうだと思えた。




