眠り羊のドルミ
おばあさんは、ずっと眠れませんでした。
18歳の頃結婚して70年一緒に暮らしていたおじいさんが亡くなったときから、一切眠れなくなりました。
息子や孫たちが慰めても、お嫁さんが美味しい料理を作っても、ひ孫たちが足元によって遊ぼうと言っても、勧められた薬を飲んでも、ただ首を振るだけになってしまったのです。
日に日に元気をなくしていくおばあさんに、いよいよ「健やかな眠りを捧げる」という精霊の眠り羊の出番となりました。
眠り羊のドルミは、ふわふわしたミルク色の毛を震わせ、ピンク色のほっぺをぷくぷくさせながら、おばあさんを心配していました。
(ぼくが夢の中でおじいさんの手紙を渡すんだ)とやるべきことは分かっていても、おばあさんのあの深い悲しみを癒すことができるか不安で心臓がバクバクしました。
夜の帳がおりるころ、ドルミはおばあさんの息子さんの夢のなかへと飛び込んでいきました。
思った通り、おばあさんのことがよほど心配だったのでしょう。
夢の中におばあさんがいました。
ドルミは、息子さんの夢の中でおばあさんに語りかけます。
「おばあさん、おばあさん」
おばあさんはうつろな目でドルミをちらっと見て、また目線を下にしました。
ドルミはおばあさんの側にいって、耳元でささやきました。
「おばあさん、おじいさんが今どんな気持ちでいるか知りたい?」
おばあさんはその言葉を聞いて、はっとした顔をしました。
「おじいさん?おじいさんに会えるの?」
「ううん。過去のおじいさんには夢の中で会えることがあるけれど、今のおじいさんには会えないよ。今のおじいさんに会うには、月の満ち欠けとおじいさんの魂の力が最高になるのとおばあさんの想いが今までで一番強くならなきゃいけないとかいろいろ条件があって難しいの」
「ううっ、おじいさん」
「ぼくは今のおじいさんの気持ちが綴られた手紙をおばあさんに届けるのが仕事なの」
「おじいさんに会いたい。会いたいの」
ドルミの心がきゅうっと締め付けられます。
「ごめんね。ぼくの力ではそれは無理なんだ。お手紙、欲しくない?」
「ううっ。会えないのなら、お手紙、欲しい」
「お手紙もたった一度きりしか届けられない。しかもおばあさん自身の夢の中でしかお手紙は開けられないの。それでもいい?」
「たった一度……。でも今のおじいさんの気持ちが分かるのね。それでもいいわ。けれど……私、眠れないの……」
ドルミは、ちいさな粉袋を取り出しました。
「これを水に溶いて飲んだら、眠れるよ。これは眠りの小人たちが夜の星たちのささやきを集めて粉にしたものだから。今飲んでみて」
おばさんは粉を水に溶かしてみました。
すると、「ねむれ、ねむれ。天も大地も眠る時、人もまた眠れ眠れ。そして夢で愛しい人の面影を」と優しい星たちの子守唄が聞こえてきたのです。
その可愛らしい歌声に、おばあさんは久しぶりに優しい温かな気持ちになって、リラックスしました。
すると、急に眠くなってきました。
「こうしちゃいられない!」
ドルミはすぐに夜の女神さまを訪ねました。
「女神様!おばさんが眠りにつきました!僕を早くおじいさんの元へ」
「ドルミ。そう慌てなくても、まだ月は沈みませんよ。おじいさんの元へ行ったら、月の光のインクで、おばあさんを心から思って夜空に手紙を書いてもらってきてくださいね」
「はい。女神様」
「では。いってらっしゃい。夜は長いようで短いです。短いようで長くもある。それはあなた次第」
「はい!行ってきます!女神様!」
ドルミはおじいさんに会いに月へと行きました。
おじいさんはすぐに見つかりました。
やはりおじいさんもおばあさんの状態を月から見ていて、大変心配していたのです。
「おじいさん。おじいさんの気持ちをおばあさんに届けます。お手紙を書いてくださいますね?」
「もちろん。そうしよう」
おじいさんは右手を宙に向けて、大きく振りかざしました。
指先に光が集まります。
「ばあさん。わしは元気じゃ。天国は月にあってのう。いつも素敵な音楽が流れ、美味しいものに溢れ、人々は皆優しい。そういう所じゃ。しかも体が生きておった時よりも何倍も軽くてな。わしは毎日大好きだったサッカーをしておる。幸せじゃ。でもばあさんといた時も幸せだった。病気だった時、看病してくれてありがとう。大好物のパンやシチューを毎日ありがとう。わしと一緒に人生を生きてくれてありがとう。ばあさんが恋しくて……」
ここまで書いて、おじいさんの手は止まりました。
「なぁ、眠り羊さん。恋しいと書いていしまったら、ばあさん、天国に早く来たくなってしまうじゃろうか?」
ドルミは迷いました。
おばあさんはおじいさんに会いたがっていて、恋しいと書けば確かに天国へ早く来たいと思うかもしれません。
「おばあさんのことは僕よりおじいさんが一番知っていると思います。おじいさんの心のまま書いてください。お手紙とはそういうものです」
おじいさんはしばし考えて、また宙に手を振りかざします。
「ばあさんが恋しくて恋しくてたまらない。わしも会いたい。本当に会いたい。会って食べ物を食べられるように、夜ぐっすり眠れるように、そばにいていあげたい。いつも月から見ているだけでなく、その手を握ってやりたい。ばあさん、ごめんな、先に死んでしもうて。ばあさんを残していてしまって本当にすまん」
おじいさんの目からぽろぽろと涙。
その涙が手紙の切手となります。
「おじいさん。もう時間がありません。最後の一文を」
おじいさんは涙を拭いて、最後の一番をきらめく月の光で書きました。
「この世でもあの世でも一番大切な人はばあさんじゃ、元気になっとくれ」
ドルミはおじいさんの手紙を持って、急いでおばあさんの夢に飛び込みます。
もう月も西の空にいたからです。
おばさんは夢の中で首を長くして待っていました。
「おばあさん、どうぞ」
おばあさんが封を開けると、一面にきらきらと光があふれ出ました。
そして、おじいさんの言葉が、想いが流れます。
まるでおじいさんの魂がおばあさんを包み込んだかのようです。
「うわぁぁぁん、おじいさん!!」
おばあさんは、声を張り上げて泣きだしました。
ドルミはおばあさんに背中を貸しています。
ミルク色のふわふわした背中は涙でぐっしょりです。
ドルミはおばあさんに優しく言いました。
「もっともっと長生きしてくださいね。おばあさん」
おばあさんはうるんだままの瞳で、ドルミの背中から顔を上げました。
「おじいさんの手紙を届けてくれてありがとう、眠り羊さん。やっと泣くことができました。生き返った気分よ」
「それは良かったです」
「おじいさんの想いを知って、心から幸せだと思ったわ。私もうすこし頑張って長生きするわね」
ドルミもやっと笑顔になりました。
夜明けはすぐそこです。
「じゃあ、これでおばあさん。きっと今日の朝は幸せな気持ちで目覚めるよ」
おばあさんはまた泣きましたが、お礼の言葉をしっかり言ってくれました。
「ありがとう。本当にありがとう。眠り羊さんのおかげよ」
ドルミも幸せな気持ちでした。
夢の中からでて、おばあさんを見ると、ベッドの中で微笑みながら眠っています。
ドルミは朝日と入れ替わりに、空へと昇っていきました。
太陽にミルク色の毛がきらきらと輝いて、明るい日の始まりを告げるかのようでした。
おわり
最後までお読みくださり、ありがとうございました!
何か感じたことがございましたら、感想などで教えてくださると嬉しいです。
宜しくお願いいたします。