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もし乙女ゲームの世界にハードボイルドが転生していたら

作者: 墨江夢

【シルフィーナ視点】


 こうなることは、きっと初めから決まっていたんだと思う。

 

 どんなに恵まれた才能を持っていたって、どんなに血の滲むような努力をしたって、運命という言葉を前にしては、一切の価値がなくなってしまう。


 私『シルフィーナ・ハーレスト』は、婚約者の『アルフレッド・エスティア』王太子殿下に婚約破棄を突き付けられながら、一人そう思った。


 今夜、このパーティー会場で、私と殿下は婚約発表をする予定だった。


 エスティア王国の次期国王であるアルフレッド王太子殿下と、国王の懐刀・ハーレスト公爵の娘たる私の婚姻は、この国の更なる発展と栄華を約束させる。

 エスティア王家とハーレスト公爵家だけでなく、王国民の全てが私たちの婚約を心から喜んでいた。


 いつもより華やかに装飾された王宮も、この場に集まった名のある貴族たちも、豪勢な料理や一流の合奏団さえも、全て私と殿下の大切な瞬間を祝福する為に用意されたもので。

 だから今、殿下の隣に立っているのは、他ならぬ私である筈だった。なのに――


「……ミリアっ」


 殿下の横で、その腕に抱かれながらこちらを見下ろす貴族令嬢を、私は睨み付ける。

 この女が殿下を誑かし、私から全てを奪った元凶なのだ。


『ミリア・レビナン』。伯爵家の一人娘と生まれ、伯爵家の教育を叩き込まれた、私にとっては格下貴族である。

 私とミリアは子供の頃から一緒に遊んでいた、謂わば幼馴染の関係だ。


 殿下の婚約者という立場のせいで、私に寄ってくる人間は大人も子供も等しく下心丸出し。どいつもこいつも、二言目には「殿下に紹介して下さい」だ。

 そんな中、唯一私に友達らしく接してくれたのが、ミリアだった。


 殿下を交えた3人で一緒に遊んだあの日々は、本当に楽しかった。彼女の存在があったからこそ、幼少期の私は厳しい稽古や勉学を乗り切ることが出来たんだと思う。


 しかし――14歳になり、魔法学院に入学してすぐの頃、私は気が付く。ミリアは決して、私と仲良くなりたいわけじゃないのだと。


 最初に違和感を覚えたのは、クラスの委員長決めの時だった。


 将来王妃となる者が、たかが1クラス束ねられなくてどうする? そんな思いから、私は委員長に立候補した。


 するとミリアも対抗馬として手を挙げる。そして賄賂や脅迫を駆使して、見事当選を果たしたのだ。


 委員長に選ばれた時、ミリアが私に吐き捨てたセリフを今も覚えている。


「恥をかかせてしまってごめんなさいね、シルフィーナ。でも、私を恨まないで頂戴。あなたより私の方が委員長に相応しいと、皆さんが決めたのだから」


 ミリアの言葉を聞いて、私は確信した。

 彼女は学級委員になりたかったわけじゃない。ただ、私に恥をかかせたいだけだったのだ。


 その後もミリアの嫌がらせは続く。

 私が学年首席を目指して一生懸命勉強していれば、ミリアは事前に問題用紙を盗み見るといった不正を働き、そして首席の座を掻っ攫う。

 私が匿名で魔法学院に寄付をすれば、ミリアはその倍の金額を全校生徒の見ている前で寄付をする。


 決して証拠を残すことなく、或いは自らの手を汚すことなく、ミリアは私を陥れる。

 そんなミリアの本性を知っているのは、世界広しと言えど私だけ。


 しかし下手にミリアを除け者にしようものなら、殿下や周囲から「小さい女だ」と言われてしまう。それだけは、避けなくてはならない。


 気付いた時には、もう手遅れ。ミリアの毒は、既に私の周辺環境に巡ってしまっていた。


 そして今日――この婚約発表パーティーという最悪の場で、ミリアは私にチェックメイトを宣言したのだ。


 今回も、いつもと同じだ。

 ミリアは別に、殿下を愛してなんかいない。

 彼女が欲しいのは殿下の寵愛ではなく、私に勝ったという優越感だ。


 殿下はそのことにこれっぽっちも気付いておらず、また私がミリアの真の狙いを口にすることも出来ない。

 勿論そうなることを、ミリアは読んでいた。正真正銘詰みである。


 殿下がミリアを抱き寄せながら、私に言う。


「シルフィーナ。僕はミリアのことを愛している」

「……えぇ、そのようですわね。しかしそうならば、もっと早く言って下されば良いのに。なにもこんな公衆の面前で言わなくても……」

「何を言っているんだ、シルフィーナ?」


 殿下は首を傾げる。


「今日この日にミリアとの関係を公表したのは、他でもない。君を思ってのことなんだ」

「私を思って……ですか?」

「あぁ。君は僕のことを心底愛している。だからギリギリまで、僕の婚約者でいさせてあげようと考えた。……ミリアの優しさだよ」


 ……やはり、そうか。

 この場で婚約破棄を言い渡すのはミリアの計画で、殿下は彼女の口車に乗せられただけだった。


 私を思って? ミリアの優しさ? ……冗談も大概にして欲しい。


 殿下はミリアを溺愛するあまり、彼女の言葉を鵜呑みにしてしまう。

 故に、気付いていない。私を思ってのその行動が、私を最も傷付けているのだと。


 今回の婚約破棄を受けて、私は周囲から笑いものにされるだろう。実家からは勘当を申し渡されるかもしれない。

 何より私が長年募らせてきた殿下への気持ちは、一体どこへ持っていけば良いのだろうか?


 ふざけるな。

 私の意地が、殿下からの婚約破棄を黙って受け入れる気にはなれなかった。


「……殿下、一つお聞きしても?」

「何だい?」

「婚約発表の場で婚約者をフるなんて、それこそ相手を傷付けるだけだと思わないのですか?」

「どうしてそうなるんだい? ミリアに嫉妬するあまり、彼女を悪者にしてはいけないよ」


 その瞬間、私は嫌でも理解した。

 私は何を言っても悪者で、きっとどんな弁明をしようとも聞き入れられないのだろう。

 殿下の中ではミリアが絶対正しくて、彼女に楯突こうとする私は悪なのだから。


 ……ならば、それで良い。甘んじて「悪役」という立場を引き受けようじゃないか。

 もしここで彼女に手を出したり、権力を傘に潰してしまおうなどと考えれば、私は本物の「悪」に成り下がってしまう。

 悪役になったとしても、悪そのものにだけはなりたくない。


 私は殿下から、ミリアに視線を移す。

 彼女は……殿下が見ていないのを良いことに、私を嘲笑していた。


 きっとこの女は、私の悔しがる顔が見たいのだ。魔法学院時代から、いつだってそれだけを求めていた。


 だったら、絶対に泣いちゃダメだ。泣けば彼女の思う壺である。

 私はドレスの裾を軽く持ち上げて、丁寧にお辞儀をした。


「殿下の申し出、慎んでお受け致します。それでは、ご機嫌よう。殿下も新しい婚約者と、どうぞ幸せになって下さいませ」


 満面の笑みで、二人の幸せを願う。それが私の出来る、唯一の仕返しだった。





 パーティー会場を出た私は、小走りで中庭へ向かう。

 言い訳するつもりはない。私は逃げ出したのだ。


 全力疾走しようにも、思うようにスピードは出ない。

 綺麗なドレスが邪魔だ。高いヒールが邪魔だ。高価なネックレスが邪魔だ。

 己を包む何もかもを脱ぎ捨てて、一刻も早く一人になれる場所に行きたかった。


 ようやく中庭に辿り着いた私は、噴水に腰掛けて、涙を流す。


「うっ……うっ……」


 好きだった。本気で愛していた。

 殿下と結婚する為に、私は魔術も貴族としての礼儀作法も学んできた。

 なのに……この仕打ちはあんまりじゃないか。


 もういっそ、このままどこか遠くへ去ってしまいたい。『シルフィーナ・ハーレスト』の名前など誰も知らない土地で、自由気ままに生きていきたい。


 ……なんて、そんなこと出来るわけないわよね。私は次代のハーレスト家を担う女なのだから。


 私が失恋の悲しみに浸っていると、


「よく我慢したな」


 無精髭を生やし、タバコをふかした男がどことなく現れ、私に声をかけてきた。


 何なんだ、この男は? いつからここにいたのだろうか?


 使用人なら、こんなところでサボっているわけがない。となると、貴族ってことになるんだけど……それにしては、格好が小汚い。


 この男が何者なのか? それを考えるのは、後回しだ。

 正体が何であれ、ハーレスト家の人間として泣いている姿を見せるわけにはいかない。

 私は慌てて涙を拭った。


「王宮内は、禁煙ですよ」


 気丈に振る舞う私に男は一瞬ポカンとしながらも、なぜかすぐにフッと笑みをこぼす。……何がおかしいって言うのよ。


「そうなのか? それはすまなかったな。……既に火をつけてしまったことだし、この1本だけ見逃してくれ」

「……1本だけですよ」


「ありがとう」。感謝を述べると、男は私に近付いてくる。


「……何ですか?」

「いや、やっぱり綺麗な顔だと思ってな。今日の為に、毎日欠かさず手入れをしていたんだろう? 化粧だって、付け焼き刃で出来るものじゃない。沢山練習したんだろうな。それに何より、その心の強さ。お前以上に強い女を、俺はこの世界で見たことないぞ」

「それは……ありがとうございます」


 もしかしてこの男は、私を口説いているのだろうか?

 確かに今の私は殿下に婚約破棄されたから、謂わゆるフリーである。


 でも、普通フラれて泣いている女性を速攻口説いたりするか? そんなの、最低な男がすることじゃないか。


 私の中でこの男への不信感が、更に大きくなっていった。


「いや〜、本当に強い。良い女っていうのは、お前みたいな奴のことを言うんだろうな。手放した殿下がバカに思えてくる」

「! あなた、殿下に何て暴言を!」


 自分のクズさを棚に上げて殿下を悪く言うなんて、許せることじゃない。

 私が反論しようとすると……何を考えたのか、男はハーッと副流煙を吹きかけてきた。


「ゲホッ、ゲホッ! 何するんですか!?」

「煙いだろ? 目に染みるだろ? だから――今なら泣いても、勘違いされないと思うぞ?」

「!」


 泣いている女性がいたら、そっと抱き締めて涙を止めるのが殿方の役目だ。

 もしこの場にいるのが殿下ならば、私を抱きながらその耳元で「泣かないで」と囁いてくれるだろう。


 初めてだ。「思う存分泣けば良い」と、そう言われたのは。


『お前以上に強い女を、俺はこの世界で見たことないぞ』


 先程この男が言ってくれたセリフを、私は思い出す。


 私は悪者だ。パーティー会場にいる誰もがそう思う中で、この男だけが本当の私を見てくれていた。


 殿下と比べておっさんで、殿下よりもみずぼらしくて、殿下にはないヤニ臭さがあって、そして――殿下よりもずっと優しい、そんな男の人。


 私は自分の額を、彼の胸に当てる。


「……ちょっとだけ、胸をお借りしても良いですか?」

「構わないぞ。タバコも吸い始めたばかりだし、当分パーティー会場に戻れそうにないからな」


 何よ、その言い方は? 本当、素直じゃない人である。


 それから私はそのだらしない胸を借りて、わんわん泣いた。もしかしたら、一生分の涙を流してしまったのかもしれない。


 その間男は何も言わず、抱き締めたりもせず、ただタバコをふかし続けていた。

 それが何とも言えないくらい、ありがたくて。

 涙が枯れる頃には、私はようやく失恋の事実を受け入れることが出来ていた。


 さようなら、殿下。あなたのことを、愛していました。





【クロウ視点】


「いや、普通逆だろ」


 婚約者に婚約破棄を言い渡される悪役令嬢の姿を見ながら、俺は呟いた。


 俺の名は、『クロウ・アルマ』。アルマ伯爵家の長男として生まれ、そして今、こうして家を代表して王太子の婚約発表パーティーに出席している。


 ただ現状、婚約発表パーティーはその予定を大きく狂わし、あろうことか婚約破棄パーティーになってしまっていた。

 

 婚約破棄を言い渡されているのは、公爵家の娘・シルフィーナ。彼女が本当にアルフレッド殿下を愛していることを、俺はよく知っている。

 悪役令嬢と言われているものの、その実凄い健気で努力家で、誰よりも強い女性。それが俺の彼女に対する評価だ。


 一方アルフレッド殿下はというと、一言で言えば無能だ。ミリアを溺愛するあまり、彼女の言葉を微塵も疑いはしない。アルフレッド殿下の中では、ミリアの言うことは、常に絶対正義なのである。

 その上こうと決めたら曲げない猪突猛進な性格なわけだから、はっきり言って上に立つ者としてこれ程最悪な人間はいない。

 

 そしてアルフレッド殿下の新しい婚約者・ミリア。彼女はーー最早化け物だ。

 周囲に悟られることなく、時間をかけてゆっくりと、しかし着実にシルフィーナを陥れていき、そしてとうとう殿下の婚約者という地位まで奪い取った。

 頭はめちゃくちゃ良いのだろう。こういう女が君主になれば、国も円滑に回るのかもしれない。

 だけど……俺は正直ミリアが嫌いだ。たとえ王妃になったとしても、彼女にだけは仕えたくない。


 ……さて。

 誰も知らない筈のミリアの本性も含め、どうして俺がこんなにも3人のことを熟知しているのかというと……それはこの3人がとある乙女ゲームのキャラクターで、俺はそのゲームをよく知っているからだ。


 大人気乙女ゲーム『LOVE KINGDOM』。妹がこのゲームの大ファンで、よく俺の部屋のゲーム機を占領してプレイしていたから、ストーリーやキャラクターといった情報が頭の中に入っている。


 勿論妹というのは、この世界で生きるクロウ・アルマの妹じゃない。

 日本でサラリーマンをしていた、前世の俺の妹である。


 前世の俺は嫁どころか彼女すらいたことがなく、毎日家と会社を往復するだけの寂しい生活を送っていた。

 

 実家暮らしだったので幸いにも家族と会話する機会はあったのだが、妹には便利屋扱いされる始末。俺の金で買ったゲーム機だって、一度も使った試しがない。

 あくまで所有権が俺にあるだけだ。


 そんな特筆すべきことの何もない俺の前世だが、終わりは突然訪れる。

 見知らぬ女を通り魔から庇い、呆気なく死亡したのだ。


 未練はある。やりたいことだって、沢山あった。

 だけど、自分の死に方を後悔してはいない。

 誰かを見捨てて生き永らえても、俺はきっと明日を笑えないだろう。


 ……なんて、本当面倒くさい生き方をしていたと思う。

 だから来世では、もっと楽に生きよう。そう考えてると……気付いたら、この『LOVE KINGDOM』の世界に転生していたのだ。


 前世の知識と、今世の知識。全く異なる二つの知識を駆使して、俺は今日まで生きてきた。

 そして迎えた、婚約破棄イベント。ゲーム内さながらのシーンだったので、俺は思わず感嘆の声を漏らしてしまった。


 しかしながら、ふと思う。どうして俺は、こうして悪役令嬢・シルフィーナを眺めているのだろうか?


 転生したんだぞ? 普通なら、俺こそがシルフィーナ・ハーレストであるべきなんじゃないのか?

 悪役令嬢が破滅エンドを回避するべく、奮闘する。どうやら俺にそんな異世界転生は相応しくないらしい。


 折角よく知る乙女ゲームの世界に転生したというのに、見事なまでの蚊帳の外。モブキャラにも程がある。


 ……でもまぁ、それならそれで良いか。

 別に俺は、メインキャラになりたいわけじゃない。第二の人生を、平穏に生きられればそれで満足だ。

 そう思っていたのに――。

 

「……クソッ」


 今にも泣き出しそうなシルフィーナの顔が、頭から離れない。

 誰よりも知識がある分、俺は彼女に同情せずにはいられなかった。


 ……人間異世界に転生したくらいじゃ、そうそう変わるものじゃないな。

 俺はやっぱり、救える人間はこの手で救いたいのだ。


 皆が殿下とミリアの婚約を祝福する中、俺はタバコを取り出しながらシルフィーナを追いかけるのだった。





【シルフィーナ視点】


 クンクンクン。

 私は自分の体の匂いを嗅ぐ。


 毎日お風呂に入っているし、嗜みとして多少なりとは香水を付けているのだから、変な匂いはしない筈だ。

 でも、それがほんの少しだけ寂しくて。


 婚約破棄を言い渡されたあの夜、中庭で出会った男のヤニ臭さを、私は何故だか恋しく思っていた。


 残り香だけでも、感じることは出来ないかしら? そう思いながら、懲りずに何度も体の匂いを嗅ぐ。

 あれからもう数日経っているのだから、当然タバコの臭いなんて残っているわけがなかった。


「……あなたは一体何者なの? 本当にこの国の貴族なのかしら?」


 部屋の窓から外を眺めながら、私は呟く。


 あの男のことが気になって仕方のない私は、その正体について使用人に調べさせていた。


 ……気になっていると言っても、そういう意味じゃない。他意なんて、これっぽっちもない。

 探しているのだって、ただ一言、「あの時はありがとう」とお礼を言いたいだけなのだ。


「公爵家の力をもってしても、まだ正体が掴めないなんて。本当に、あなたは一体何者なの……?」


 誰にでもなく問い掛けると、それに応えるように部屋のドアがノックされた。

 訪ねてきたのは、男の捜索を命じていた使用人の一人だった。


「早速だけど、あの男の正体はわかったのかしら?」

「はい。男の名前は『クロウ・アルマ』。辺境を治めるアルマ伯爵家の跡取りのようです」

「あの身なりで伯爵家とはね。信じられないわ」


 伯爵家といえば、ミリアと同じ家柄である。……うん、やっぱり信じられないわね。


「因みにクロウの居場所は、わかっているのかしら?」

「現在は屋敷にこもっておられます。その……かなり煙いので、もしお会いになるならお気を付け下さい」


 どうやらあの男……クロウはまたタバコを吸っているらしい。それはなんとも好都合だ。


「馬車を出しなさい。アルマ伯爵の屋敷に向かうわよ」


 使用人に命じる私の声は、子供の頃殿下とミリアと3人で遊んでいた時と同じくらい、弾んでいた。





【クロウ視点】


「クロウ様、お客様です」


 メイドにそう言われて、俺は思わず「はぁ?」と返してしまった。


「俺に客? そんな物好きがこの世にいるとは思えないな。……もしかして、商人か何かか? 興味ないと言って、追い返してくれ」

「いえ。実は、その……お客様とは、ハーレスト公爵令嬢でありまして……」


 ……は? 

 どうしてシルフィーナが、俺を訪ねてくるんだ?


 心当たりがあるとすれば、婚約発表パーティーでの一件だ。

 シルフィーナは柄にもなく大泣きしていたからな。もしかすると、そのことを口止めしに来たのかもしれない。


 こんな辺境の地までわざわざご足労をかけなくても、言いふらしたりしないのに。

 しかし念には念をということなのだろう。抜かりがないところは、流石は公爵家の娘である。


 目上の人間と会うのだから、一応最低限の身だしなみを整えてからシルフィーナを出迎えに行く。

 半ば信じられない話だったが、確かに屋敷の玄関には護衛を連れたシルフィーナが立っていた。


「公爵令嬢。このような僻地にまで足を運んでいただき、恐縮です。生憎当主は不在でして、代わりに私クロウがもてなさせていただきます」


 俺が頭を下げると、シルフィーナはなぜか俺の首元に顔を近づけて、スンスンと匂いを嗅いできた。

 さっきまで吸っていたので、タバコの臭いが残っているだろうけど、勘弁して欲しい。


「……どうかしましたか?」

「何でもありませんわ。……それより、その喋り方はやめて下さい。気持ち悪いです」


 気持ち悪いって……酷い言い草だな。似合わない自覚はあるけれど。


「あの時と同じ無礼講でいきましょう。だから頭を上げてください」

「そうか……それじゃあ、お言葉に甘えて」


 顔を上げた俺は、改めてシルフィーナを観察した。

 彼女とこうして会うのは、これで二度目。私服姿は初めて見るのだが、やはり公爵令嬢。着飾っていなくても、美しい。

 気を抜くと、うっかり見惚れてしまいそうになる。


 雑念を振り払う意味も兼ねて、俺はタバコに火をつけた。


「……それで、こんなところまで何しに来たんだ? 心配しなくても、あの時のことなら誰にも話してないぞ」

「そこは信頼しています。今日はその……クロウ様とお話でもしたいなぁと思いまして。勿論、お時間があればの話ですけど」

「特にやることもないし、話をするのは一向に構わないが……」


 口止めじゃないのだとしたら、シルフィーナが我が家を訪れた目的がさっぱりわからない。


 第一ゲームキャラクターとしてのシルフィーナは、婚約破棄を言い渡されて以降1週間自室に引きこもる筈だ。

 その間にアルフレッド殿下への想いと訣別し、新たな道を進もうと決意する。それが正規ルートで。


 ゲームのシナリオ通りなら、どんな言葉を掛けどんな行動を取るべきかある程度予測が出来る。

 しかしシナリオにはないイベントでは、対策のしようがない。

 乙女ゲーム転生者あるあるだ。


「……クロウ様?」


 色々考え込んでいる俺を不思議に思ったのか、シルフィーナが声をかけてくる。


「あの……やはり何かご予定があったとか? 公爵令嬢の誘いだからって、無理に受ける必要はないんですよ?」

「いいや、予定は本当にない。……取り敢えず、お茶を淹れるとしようか」


 公爵令嬢をいつまでも玄関で立たせているわけにもいかないので、俺はシルフィーナを応接室に案内した。


 紅茶を飲みながらのお話は、貴族社会によくある政治的なものでは断じてなく、言葉通りの雑談だった。


 シルフィーナは俺に好きな食べ物とか、休日は何しているのかを尋ねてくる。

 俺の私生活に、どんな価値があるのだろうか? 依然として、目的が見えてこない。


 シルフィーナの質問攻めがひと段落着いたところで、今度は俺から問いを投げかけてみる。


「……で、本当のところ、何をしに来たんだ? 単なるお喋りの為だけに訪ねるような場所でも相手でもないぞ?」

「……単なるお喋りをしたいが為に来ちゃいけないんですか?」

「いけなくはないが……他に理由があると考えるのが普通だろ?」

「クロウ様も貴族なんですから、そんなに謙虚にならなくて良いのに。……まぁ、他に目的があるのは事実ですけど」


 そう言うと、シルフィーナは深々と頭を下げてきた。


「今日はクロウ様に、お礼を言いに来たんです」

「お礼?」

「はい。……殿下に婚約破棄を突き付けられたあの夜、あなたにかけて貰った言葉のお陰で立ち直ることが出来ました。あなたの胸を借りたお陰で、前を向けました。だから、ありがとうございます」


 感謝を伝える為だけに、こんな辺境まで来たというのか? 義理堅い女である。


「勘違いするな。俺は何もしていない。立ち直ったのも、前を向けたのも、全てお前自身の強さがそうさせたんだ。だから、一つだけ覚えておけ。お前は殿下なんかには勿体ないくらい、強くて良い女だ。胸を張れ」

「……はい。ありがとうございます」


 もう一度、深くお辞儀をするシルフィーナ。褒められたからか、彼女は耳まで真っ赤になっていた。


「どうした? 顔が赤いぞ?」

「へっ!? それは、その……タバコ!」


 シルフィーナは取り繕うように、俺の吸っているタバコを指差す。


「それって、美味しいのかなーって思って」

「ん? タバコに興味があるのか? とんだ不良令嬢だな」

「不良だなんて、言わないで下さいまし! ……興味があるのは、タバコっていうか……」

「何だ? もう少し大きな声で言ってくれ」

「何でもありません!」


 突然声が小さくなったと思ったら、今度はこの大音量。女性というのは、よくわからない。


「美味しいというより、落ち着くって感じだな。俺にとっては、精神安定剤みたいなものだ」

「そうなんですか。……1本貰えたりします?」

「それは構わないが……知らないぞ? 体に良いものでもないし」

「何でも経験ですよ」


 シルフィーナは俺からタバコを受け取ると、吸い始める。


「! ゲホッゲホッ!」


 あっ、煙が気管に入ったな、これ。


「確かに、美味しくはないですね。でも……凄く落ち着きます」

「そうか?」

「えぇ。……泣いている女の子を元気付けてくれるような、そんな心地良さです」

 

 そう言って、シルフィーナは微笑みかける。


 ……本当に、お前は強い女だよ。

 だからこそ、この世界からシルフィーナが消えてしまうことが、残念でならない。


 前世の記憶と乙女ゲームの知識がある俺は、この先シルフィーナがどんな運命を辿るのか知っている。

 そう遠くない未来、シルフィーナは国王不在を利用して王太子を唆したミリアの手によって、処罰されるのだ。


 王太子の婚約者という地位を手に入れ、この王国の全てを手中に収めたと言っても過言ではないミリア。そんな彼女の唯一の懸念事項こそ、シルフィーナの存在だ。

 

 ひた隠しにしている自分の本性やこれまでの悪行を知っているのは、シルフィーナのみ。彼女を葬り去って初めて、ミリアの完全勝利となる。


 ミリアはシルフィーナに濡れ衣を着せるだろう。シルフィーナにとっては、全く身に覚えのない罪状を言い渡される筈だ。

 しかしミリアを溺愛しているアルフレッド殿下は、彼女の言葉を微塵も疑わない。


 あのパーティー会場で婚約破棄を突き付けられた時点で、シルフィーナの破滅は約束されているのだ。


 ……本当にそうなのか?

 俺は自身に問い掛ける。


 悪役令嬢・シルフィーナは罪人として処刑される。確かにそれは運命だ。

 でも、その運命は変えられる。

 シルフィーナがシナリオより早く立ち直り、ここを訪れたのが何よりの証拠だ。


 このままでは、処刑まっしぐらのシルフィーナ。彼女を救えるのは、前世の記憶とゲームの知識がある俺しかいない。


「……また女の為に、人生を棒に振るのか」


 この異世界でも、未練タラタラで生涯を終えることになるのかもしれない。

 でもそれも悪くないと思ってしまうのは、きっと性分なのだろう。


 無能殿下や外道ミリアに忠誠を誓うなんて、まっぴらごめんだ。俺の命、シルフィーナにこそ捧げたい。


 覚悟しろよ、運命とやら。

 正規ルートなんて書き換えて、必ずシルフィーナを破滅から救い出してやる。





 シルフィーナ断罪イベントにおけるキーパーソンは、国王だ。

 国王自体はシルフィーナを悪く思っておらず、寧ろ婚約発表パーティーでのことを謝罪したいと思っている。……ゲームのシナリオ通りなら。


 それがわかっているから、ミリアも国王が外遊で不在のこのタイミングを利用して仕掛けてくるわけで。

 ……だとしたら、シルフィーナを助ける方法は簡単だ。国王が帰国するまで、時間稼ぎをすれば良い。

 

 翌日。

 俺は剣を磨きながら、これからの行動を脳内でシミュレーションしていた。


「……クロウ様。本気で計画を実行されるおつもりですか?」


 俺付きのメイドが、隣で心配そうな顔をする。


 シルフィーナを救おうにも、一人では限界がある。かといって多勢ではミリアに気取られる恐れがあったので、俺は計画の一切を彼女にだけ話していた。


 勿論、俺が転生していることやここが乙女ゲームの世界でいることは話していない。そんなこと教えても、「医者に診てもらえ」と返されるのがオチだからな。


「他の貴族たちにも事情を話して、協力を仰ぐべきではないでしょうか?」


 俺は彼女に、首を横に振って応える。


「そんな時間はないし、計画を知る者が増えればそれだけミリアに漏れる可能性も高くなる。……公爵令嬢を救うには、この手しかない。大丈夫。絶対に成功させるから」

「しかし、計画が成功するということは、クロウ様は……」


 それ以上は言うな。俺はメイドに、視線で静止をかける。

 それでもメイドは止まらなかった。


「そんな風に助けられても、シルフィーナ様が喜ぶとは思えません。あの方は、恐らく――」

「命が助かるんだ。喜ばないわけないだろう?」


 磨き終わった剣を鞘に納めて、俺は立ち上がる。


「それじゃあ、行ってくる。手筈通りに頼んだぞ」

「……かしこまりました」


 メイドにこれからの一切を任せてから、俺はアルマ家の屋敷をあとにするのだった。





 王宮に到着した俺は、近衛兵にアルフレッド殿下に謁見したい旨を伝える。

 

 アポなしだ。当然近衛兵からは、不審がられた。

 しかし俺も伯爵家の跡取りである。近衛兵とて、無碍には出来る筈もない。


 アルフレッド殿下の自室の前まで案内されると、俺はその場で待たされる。

 俺と会うかどうか、殿下自身に聞いてくれるようだ。


 ドアを隔てているものの、殿下と近衛兵の会話はしっかりと俺の耳に入ってきた。


「アルフレッド殿下」

「何だ?」

「クロウ・アルマという貴族が、殿下に御目通りを願い出ているのですが、如何なさいましょう?」

「アルマ? 聞いたこともないな。……要件は?」

「それが、その……ミリア様の罪についてと言っております」

「すぐに通しなさい!」


 アルフレッド殿下が口を開く前に、ミリアが近衛兵に指示を出す。


 ……予想通りだ。

 この世界から自身の悪い過去を消し去りたいミリアは、必ず俺の誘いに乗ってくると思っていた。

 ミリアはさぞ焦っていることだろう。なにせシルフィーナだけだと思っていた不安材料が、もう一人いたのだから。


「しかしミリア……王太子たる僕が、無名の貴族に会う必要はないと思うんだが?」

「いいえ、殿下。会うべきです。それとも……私の言っていることが、信じられませんか?」


 殿下がミリアを信じないわけがない。

 ミリアに「会うべきだ」と言われて、殿下は俺の入室を許可する。

 計画通り、俺はアルフレッド殿下に謁見することが出来たのだ。


「どうぞ、お入り下さい」


 近衛兵に促され、俺は殿下の自室に入る。


「突然のお伺いを、お許し下さい。私、アルマ伯爵家嫡男『クロウ・アルマ』と申します」


 名乗ってから顔を上げると、アルフレッド殿下は明らかに困惑していた。

 対してミリアは、俺を睨み付けている。最大限の警戒心が、こちらにまで伝わってきた。


「クロウ・アルマ。君はミリアの罪について話があるそうだが……それは一体何だと言うんだ? そもそも、ミリアに罪なんてあるのか? もしデタラメを口にするようなら……ただでは済まさないぞ」


 婚約者にあらぬ疑いをかけられて、アルフレッド殿下は本気の怒りを滲ませた。

 ……何だよ。そんな顔も出来るんじゃないか。

 今ミリアに向けている愛情を、シルフィーナに抱き続けることが出来たのなら、彼女もきっと幸せになれただろうに。


 知ってます、殿下? あなたの隣にいる女は、目障りな人間を排除する為なら何でもする奴なんですよ? 

 シルフィーナを破滅させる為だったら、愛してもいない男と寝たり口付けを交わしたり、あまつさえ婚約したりすることだって出来るんですよ?


 ……などと言ったところで、殿下は信じない。戯言だと吐き捨ててから、侮辱罪で俺を捕らえるよう近衛兵に命じることだろう。


 そんなこと、わかりきっている。だから俺は初めから、本気でミリアの悪事を暴くつもりなんてなかった。


「ミリアの罪について話がある」というのは、殿下に謁見する為についた嘘。まぁ嘘ではないから、すんなり殿下に近付けたんだけど。


 俺の真の目的、それは――


「殿下……失礼します!」


 俺は前世で高校生をしていた頃、柔道部に所属していた。

 運動不足解消として嗜む程度だったけど、それでも基本的な投げ技くらいは習得している。


 そして前世の記憶を有している俺は、この異世界には存在しない柔術を扱うことが出来た。

 

 俺は殿下に急接近する。彼の胸元を掴み、力の限りで背負い投げをした。

 受け身など取れず、背中から地面に打ち付けられる殿下。そんな彼の喉元に、俺は剣の鋒を突き付けた。


「動くな!」


 俺を捕らえるべく抜剣しかけた近衛兵に、俺は告げる。


「動けば殿下の喉に、剣を突き刺すぞ」


 俺の真の目的、それは――殿下に危害を加えることだった。


 殿下を人質に取られて、近衛兵はその場で動けずにいる。

 ミリアは顔を真っ青にして、後退りしていた。……この女、万が一の時は殿下を見捨てて逃げ出すつもりだな。


 殿下本人はというと、みっともなく喚いている。


「おい、貴様! 自分が今誰に剣を向けているのか、わかっているのか!? 僕は王太子だぞ!」

「うるせーよ」


 俺はアルフレッド殿下の顔の真横に、剣を突き刺す。

 それから「ひっ!」と声を上げる殿下に、グイッと顔を近付けた。


「なっ、何でこんなことを……」

「何で、だと? 本当にわからないのか?」


 俺は殿下の頬に刃を当てる。

 ツーっと、彼の頬から血が流れ出した。


「それがわからないから、お前は無能だと言われるんだ。お前みたいな男が次期国王なんて、たまったもんじゃない。取り返しのつかない事態になる前に、俺がこの手で国を治療してやっているんだよ。多少荒療治だが……ここは剣と魔法の世界だ。許してくれよ」

「そんなの、許せるわけないだろうが!」


 ……あぁ、許さなくて良いよ。

 俺が剣を振り上げた瞬間、部屋のドアが勢い良く開く。

 

 俺という大罪人を捕らえる為に、ようやく加勢が来たか。

 ったく、王太子の一大事に揃いも揃って何やってるんだ。遅いくらいだよ。


 処刑だろうが何だろうが、覚悟の上だ。

 俺はドアの方へ振り返る。すると、


「もう、やめて下さいませ!」


 声を張り上げて現れたのは――シルフィーナだった。





【シルフィーナ視点】



 わざと作り過ぎたクッキーをバスケットに詰めながら、私は鼻歌を歌う。

 

 朝食の後家族に試食して貰ったところ、今回のクッキーは不評だった。

「美味しいけど、甘さが足りない」、と。


 でも、それで良いのだ。昨日だって彼は紅茶に砂糖もミルクも入れていなかったし、多分甘いのが苦手なんだと思う。


 使用人に命じて、私は馬車で二日続けてアルマ家の屋敷へ向かう。

 屋敷に到着すると、昨日と同じ若いメイドが出迎えてくれた。


「いらっしゃいませ、シルフィーナ様。本日はいかがなさいましたか?」

「えーと、その……クロウ様はあるかしら?」


 緊張して思わず声が上ずってしまった。メイドに変に思われていないだろうか?


 クロウ様のことだ。どうせ今日だって、屋敷のどこかでタバコをふかしているのだろう。そんな予想を立てていたのだが……


「クロウ様は、生憎外出しております。申し訳ございません」

「あら、そうなの」


 珍しいこともあるものだ。


「お戻りはいつ? そんなに遅くならないようなら、待たせてくれるとありがたいのだけど……」

「……お戻りの予定はありません」


 ……え?

 自分の住む屋敷に戻る予定がないとは、どういうことだろうか?


 可能性があるとしたら、どこかの家に婿入りするとか?

 ……いや、それはないわね。

 クロウ様は伯爵家の子息。そんな身分の者が結婚するとなれば、噂程度でも私の耳に入ってこなければおかしい。

 だったら、どうして帰ってこないというの?


「それでは、失礼します」


 思考を巡らせている私を他所に、メイドは屋敷のドアを閉めようとする。

 どこか、急いた様子で。


 メイドの言動に違和感を覚えた私は、慌てて閉まりかけのドアを掴んだ。


「待ちなさい!」


 ビクッとなるメイド。その顔に、一瞬「ヤバい」という文字が浮かんだのを私は見逃さなかった、。

 この反応……間違いない。彼女は何かを隠している。


 その隠し事は、クロウ様が屋敷に戻らないことと関係しているのだろう。そしてクロウ様は、メイドに何を尋ねられても口を噤むよう命令している。


 でもね、クロウ様。

 伯爵家の嫡男よりも、公爵家の令嬢の方がずっと偉いんですわよ。


 私は権力を振りかざし、笑顔という名の圧をかけながら、メイドに言う。


「公爵令嬢として、命じます。クロウ様が今どこで何をなさっているのか、洗いざらい吐きなさい」

「……はい」


 私の全力の脅しに、メイドはすぐに屈服した。

 

「他言無用でお願いしたいのですが……クロウ様は、シルフィーナ様を守る為に死ぬつもりなのです」

「……どういうこと?」


 どうしてクロウ様が帰らないことと、私を守ることが関係するのだろうか? それに死ぬつもりって……。


「詳しく説明して」


 メイドは大きく頷く。


「近くミリア様が、シルフィーナ様をあらぬ罪で捕らえます。そして殿下を唆し、処刑に追い込むでしょう。クロウ様は、その情報をいち早く掴んでおられました」

「嘘……」


 ミリアが私を疎ましく思っているのは知っている。でも、まさかそこまで企んでいたなんて。


 そしてそんな彼女の計画すらお見通しのクロウ・アルマ。あなたは本当に、一体何者なの?


「でもどうしてクロウ様が死ぬなんて話になるの? 私の処刑を阻止する為なら、死ぬ必要なんてないんじゃなくて?」

「クロウ様曰く、ミリア様は説得や交渉程度じゃ意見を変えないみたいです。ミリア様にとってシルフィーナ様は、その……何が何でも消し去りたい人間だから」


 確かに。完全無欠で、殿下だけでなく今や国民全員から愛されているミリアの本当の顔は、私しか知らない。

 ミリアの本性や過去の悪事を闇に葬る最も簡単な方法は、唯一真実を知る私を消すことである。

 ミリアは殿下を言いくるめて、是が非でも私の処刑を断行するだろう。


「シルフィーナ様を処罰しようというのは、謂わばミリア様の独断です。国王陛下さえ帰って来れば、その事態は防げる。そう考えたクロウ様は、シルフィーナ様の前にご自身が罪人となることで、時を稼ぐと仰っておりました」


 メイドの話を聞き終えた私は、最初にこう思った。


 ふざけんなって。


 何なのよ、それ? 

 勿論理不尽に命を狙ってくるミリアにも腹が立つけれど、それ以上に私はクロウ様にムカついていた。

 あなたが私なんかの為に命を投げ出す理由が、どこにあるって言うのよ?


 私が公爵令嬢だからとか、きっとあの男はそんな打算的なこと考えていない。

 私に取り入ろうとする人間が、出会っていきなり副流煙を吹きかけるなんてバカな真似する筈ないもの。


 だからクロウ様は純粋に、私の為に死のうとしているわけであって。

 そんな彼の考えが、気に食わなくて仕方ない。

 だけどその一方で、そんな彼の優しさが嬉しくてたまらなかった。


「シルフィーナ様、これを」


 メイドが差し出してきたのは……1本のタバコだった。


「「自分が死んだら、これを墓前に備えて欲しい。他ならぬ、シルフィーナ様に」。……クロウ様からの言伝です」


「ですが……」。メイドは涙を流しながら続ける。


「こんなの、間違ってる! シルフィーナ様を救う為に、どうしてクロウ様が犠牲にならなくてはならないのですか!? 二人とも幸せになる道は残されていないのですか!?」


 私はメイドの両手を、優しく包み込んだ。


「そんなことないわ。二人とも……いいえ、二人で幸せになる道はちゃんと残されている。私が絶対に、彼を死なせたりなんてしない」

「シルフィーナ様……」

「火、あるかしら?」

「火ですか? マッチで良ければ、ございますが……」


 私は受け取ったマッチで、タバコに火をつける。……残念でしたわね。あなたの墓前に供える1本、なくなってしまいましてよ。


 婚約破棄を突き付けられたあの夜、クロウ様は私を救ってくれた。そして今度もまた、私の知らないところで私を助けようとしてくれている。

 だったら、今度は私の番だ。


 何があっても、あなたを死なせやしない。私が必ず、あなたを救い出してみせる。





【クロウ視点】


「シルフィーナ……どうして……」


 予期せず現れたシルフィーナに、俺は驚きを禁じ得ない。

 シルフィーナは不敵な笑みを浮かべながら、ゆっくりと俺に近づいてきた。


「アルマ家の使用人を問い詰めましたら、全部吐きましたよ。あなたが……私の為に、こんなことをしているんだって」

「……っ」


 あれ程誰にも漏らすなと言っておいたのに、一番知られたくない人間に告げ口しやがって。

 俺は内心舌打ちをした。


「状況は把握していますわ。このままだと私は罪人として捕まり、やがて処刑される。王太子殿下の婚約者の計略でね。それを阻止する為には……私以上の大罪人が現れるしかない。それこそ、王太子殺害未遂などという蛮行をした、大罪人とか」


 メイドから全て聞いているのなら、俺が殿下の命を本気で奪う気がないことも……シルフィーナの代わりに死のうとしていることもお見通しなのだろう。

 その証拠に、シルフィーナは殿下が人質に取られた現状でも躊躇なく俺に接近している。


「私がそんなことをされて、喜ぶとでもお思いですか?」


 睨み付けながら、シルフィーナは俺に問う。

 

 お前が喜ぶかどうかなんて、関係ないんだよ。俺はただ、お前に生きてて欲しいだけなんだ。

 その為に、勝手にこんな真似をした。だからこれは、正義とか自己犠牲みたいな格好良いものじゃない。単なる自己満足である。


「そんなの、嬉しいに決まっているじゃないですか!」

「!?」


 ……聞き間違いか?

 これから罵詈雑言のオンパレードが始まるのかと思ったら……まさかの「嬉しい」?


「正直に言います! 私の為に汚名を着ようとしてくれたこと、凄く嬉しいです! そこのボンクラ王太子に恥をかかせてくれたことも、ありがとうございます! スカッとしましたわ! あとミリア、ザマァみろ!」


 本当、正直に言いやがるな。俺は思わず吹き出してしまった。

 王太子のやつ、元婚約者に「ボンクラ」と言われてかなりショックを受けているぞ?


「だけど、だけど――」


 不意に、シルフィーナは俺に抱き着く。


「どんなに嬉しくたって、クロウ様がいなくなってしまっては意味がないんです。100の嬉しさも、1000の悲しさでかき消されてしまうんです。カッコ付ける必要なんてない。カッコ悪くたって良いから、ずっと私のそばにいて下さい」

「シルフィーナ……」


 彼女は強い女だ。そんなこと、初めて会ったあの夜から……いいや。それよりずっと前に、それこそ転生する前からわかっていた筈なのに。

 シルフィーナの強さを見誤り、傲慢にも彼女を守ろうなどと考えた。それこそが、俺のミスだった。


 俺は剣を捨てる。

 一目散に俺から離れていく殿下なんて、視界にすら入っていない。


「俺は殿下じゃない。権力なんて大してない、田舎貴族の跡取りでも良いのか?」

「あなたは伯爵家の嫡男ですよ? そんなに卑屈にならないで下さい」

「見ての通り色男とは程遠い身なりをしているが、そんな俺でも良いのか?」

「そこのところは、貴族として相応しくなるようきちんと私が面倒見てあげます。髭も……お洒落程度なら、許してあげましょう」

「タバコ臭いが、それでも良いのか?」

「はい。だってこの匂い、好きだから」


 俺の胸に頬を寄せるシルフィーナを、そっと抱き締める。

 

 前世の記憶と乙女ゲームの知識があるからとか、俺にしか救えないからとか。そんな理由付けは、要らなかったんだな。

 愛しているから。彼女の強さと気高さに、心底惚れ込んでしまったから。

 シルフィーナを救う理由なんて、それだけで十分だったのだ。


 婚約破棄を言い渡され、破滅を迎える筈の悪役令嬢は、こうして田舎貴族と結ばれましたとさ。めでたしめでたし。

 ……とはいかないのが、現実というものである。


「処刑よ!」


 俺たちの良い雰囲気をぶち壊すように、ミリアが叫ぶ。


「殿下に剣を向けたのよ? その男もそいつを庇うシルフィーナも、二人とも処刑にするべきだわ!」


 外道もここまでいけば、いっそ清々しいな。

 ここぞとばかりにミリアは、シルフィーナを消しにかかってきた。


「殿下もそう思いますよね? ねっ!」

「あっ、あぁ……」


 ミリアに念押しされては、殿下も首を縦に振るしかない。


 実際問題俺が殿下に剣を向けたのは事実だし、そんな俺をシルフィーナが庇ったのもまた事実。ミリアの言っていることは、あながち的外れではないのだ。


 ……ここまでか。


 折角シルフィーナと人生を歩いていこうと決心したところだったんだけどな。

 

 一度転生したんだし、二度目があったっておかしくない。

 そして次の転生先でこそ、シルフィーナと幸せになるとしよう。


 俺がそんなことを考えていると、


「オホン」


 部屋の入り口から、やけに低い咳払いが聞こえる。咳払いの主は――国王だった。


「父上……お帰りはまだの筈では?」


 驚きながら、殿下は尋ねる。

 ミリアはというと、「マジかよ……」と漏らしながら、真っ青になっていた。思わず素が出ちまってるぞ。


「シルフィーナを処断するなどという、不穏な噂を耳にしたものでな。急いで戻ってきた」


 どうして国王がその話を知っている? 前世の知識がある俺しか知り得ない情報の筈なのに。


 ……そういえば、国王が外遊する際、アルマ家の所領を通って出入国するんだっけ。その時に、メイドが国王にミリアの計画を伝えておいたのか。


 俺はそんなこと命じていないぞ? シルフィーナをここに来させたことと言い、全く出来たメイドである。


「ところでアルフレッドよ。今シルフィーナを処刑すると聞こえたのだが……私の聞き間違いだよな?」

「もっ、勿論ですとも! シルフィーナを処刑する理由なんて、どこにもないじゃないですか!」 

「それならば良い。……アルフレッド、そしてミリアよ。国王として命じる。今後一切、シルフィーナに手を出すな。その周囲の者に手を出すことも禁じる」


 ギリッと、ミリアは歯軋りをして悔しさを滲ませる。


 今のミリアは、王太子の婚約者に過ぎない。どんなに絶大な権力を手に入れようと、国王の命令に逆らえる道理などなく。

 俺たちを追い込んだつもりが、瞬く間に形勢逆転。国王の一言で、ミリアは未来永劫シルフィーナの処刑を実行することが出来なくなった。


「シルフィーナ」


 国王はシルフィーナを見る。


「私はずっとお前に謝罪をしたいと思っていた。婚約発表パーティーの夜、本当に申し訳ないことをした。心より謝罪しよう」

「いえ、そんな。謝罪だなんて……」

「お前に恥をかかせ、傷付けた償いはきちんとするつもりだ。望みを言え。私に出来る範囲ならば、何でも叶えてやろう」

「私の望み、ですか」


 シルフィーナは少し考える。

 具体的には、2、3秒程。彼女はすぐに望みを思い付いたみたいだ。


「でしたらーークロウ・アルマが殿下に剣を向けたことを、不問にしていただきたい」

「良いだろう。……ここでは何も起こらなかった。そうだな?」


 国王は殿下に確認する。


「父上がそう言うのなら……」


 被害者である殿下が「何もなかった」と公言する以上、それが事実となる。俺は晴れて、無罪放免となったのだ。


 国王の言質により、今後シルフィーナがミリアの策略で処刑される心配はなくなった。

 俺の犯した「王太子殿下殺害未遂」も、不問となる。

 つまり……俺とシルフィーナの幸せを阻むものは、何一つなくなったのだ。


 国王はシルフィーナと……俺を見て、優しく微笑む。


「シルフィーナ。私が言えた義理ではないのかもしれないが、それでも敢えて言わせて欲しい。……今度こそ、幸せになりなさい」

「……はい。必ずや、幸せになってみせます」


 幸せな未来が約束されているかのように、シルフィーナは力強く答える。

 そして俺自身もまた、彼女との未来が明るいものになると確信していた。





 数年後。

 俺とシルフィーナは、めでたく結婚していた。

 

 ハーレスト家とアルマ家では前者の方が爵位が上なので、俺はハーレスト家に婿入りした形になる。

 アルマ家なら問題ない。弟が、俺の代わりに跡を継ぐことになった。

 弟は俺なんかよりずっとしっかりしているからな。アルマ家の繁栄の為にも、こうなって良かったのかもしれない。


 シルフィーナが公爵令嬢ということもあり、一部では俺は「嫁の尻に敷かれている」と専ら噂されている。

 だけど、そんなことはない。シルフィーナはいつも俺に、優しくしてくれる。


 屋敷のバルコニーにて。

 俺とシルフィーナは、二人仲良く満月を眺めていた。


 特別でも何でもない日に、こうして並んで夜空を見上げる。そんな時間が、何よりも幸せだと感じた。


 こういう時にこそ、一服しないでどうする? 

 俺はタバコを2本取り出すと、その内の1本をシルフィーナに差し出す。


「吸うか?」

「いえ。体に障るといけないので」


 シルフィーナの返事は、まさかの「NO」だった。


「何だ? 体調でも悪いのか?」

「体調が悪いというわけではないんですけど……」


 答えながらシルフィーナは、愛おしそうに自身の腹部に手を当てる。

 思い当たる節のあった俺は、つい持っていたタバコを落としてしまった。


「お前、もしかして……」


 シルフィーナは幸せそうな笑みを浮かべながら、ゆっくり頷く。


 前世では孤高を気取っていた俺が、まさか異世界に来て妻だけでなく子供まで持つことになるとはな。いやはや、人生とは何が起こるかわからないものだ。


 子育てなんてしたことがないし、何をすれば良いのかもわからない。

 だけど取り敢えずは、当面の間、禁煙に勤しむことにするとしよう。

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