第三十二話
宇宙暦四五二三年六月十五日。
ヤシマ星系ではゾンファの共和国軍を迎え撃つ準備が粛々と行われていた。
十日前の六月五日、アルビオン艦隊の総司令官であったオズワルド・フレッチャー大将が急病により入院したという情報が流れたが、アルビオン艦隊を含め、動揺はほとんど起きなかった。
アルビオン艦隊内では元々フレッチャーに対する評価は低く、下士官たちを中心にある笑い話が広がるほどだった。
『常識人のフレッチャー提督に、癖の強い四人の女は御せなかったということさ。もしできていたら、“全方向の後宮王”という称号を贈ってやったのにな』
『“賢者”に“女戦士”、“女主人”に“鉄の女”か。確かに全く違う性格だが、あの凡人のフレッチャーが相手にできるわけがないさ』
『確かにな。正直なところ、賢者が作戦を考えて女主人が全体指揮を執り、女戦士と鉄の女が前線に立っている方が生き残る可能性が高そうだ』
このようにフレッチャーではなく、アデル・ハースら四人の司令官に期待する意見が多かった。
また、同盟国であるヤシマも表面上は何もコメントしなかったが、司令官たちはフレッチャーではなく、先の帝国との戦いで老練な手腕を見せた“女主人”、ジャスティーナ・ユーイングが指揮を執ると聞き、安堵の表情を浮かべていた。
特に防衛艦隊司令長官であるサブロウ・オオサワ大将はイーグンジャンプポイント会戦でのフレッチャーの消極的な対応に不満を持っており、対帝国戦で活躍したユーイングが指揮を執ることを歓迎した。
「ユーイング提督に全艦隊の指揮を執っていただきたい。小官は軍事衛星から衛星群の指揮に専念しようと思っていますから」
ヤシマ防衛艦隊は八千隻以下にまで減少したため、三個艦隊で運用するより、二個艦隊に再編した方が戦術的に有利という判断をし、自らの第一艦隊を第二、第三艦隊に振り分けている。
ちなみに、フレッチャーがアルビオン艦隊の指揮を執り続けることになっていたら、オオサワは前線に立ち続けるつもりでいた。そうしなければ、フレッチャーが撤退すると考えたためだ。
ヤシマ艦隊の機雷敷設艦と輸送艦はスヴァローグ帝国側のチェルノボーグJPに配備されていたステルス機雷五十万基を回収し、首都星タカマガハラの周辺に再敷設していった。
クリフォードは旗艦インヴィンシブル89を含む、第一巡航戦艦戦隊の訓練に励んでいた。
訓練自体はシミュレータによるものだが、その厳しさに同僚の艦長たちも音を上げるほどだった。
今日も衛星軌道上での戦闘を想定し、複雑な機動を行う演習を行っていた。
「ロドニー76、加速の開始が遅いぞ! 旗艦の動きに注意しろ! レゾリューション157は前に出過ぎだ!」
戦隊に所属する巡航戦艦の名を上げて指摘する。
更にインヴィンシブル89の乗組員たちに対しても厳しい注文を付けていた。
「航法長はもっと先を読んで航路を設定してくれ! このままでは戦隊どころか艦隊全体の動きまで制限してしまうぞ!」
「戦術士は次の攻撃のタイミングを考えながら指示を出すんだ! これではカロネードのタイミングがずれてしまう! 今回の戦いでは戦闘宙域が限られる。僅かなずれでも大きな失敗につながることを認識してくれ」
普段より更に厳しいクリフォードに対し、既に二年近い付き合いのある戦術士、オスカー・ポートマン中佐も驚きを隠せなかった。
演習を終えた後、士官室に戻ったところで、副長のアンソニー・ブルーイット中佐に愚痴を零す。
「次の戦いが厳しいことは分かるんだが、艦長の要求は厳しすぎる。人工知能の支援を受けたとしても五秒でカロネードの発射設定なんてできっこない。そうは思わないか、アンソニー」
それに対し、ブルーイットは小さく頷くが、
「オスカーの言いたいことは分かるが、やらなくちゃならないんだ。それに艦長の方が大変な状況なのは分かっているんだろ」
「まあな」とポートマンが頷く。
「俺たちは演習が終われば、それで終わりだが、艦長はその後に艦隊司令部と戦術の検討を行っているんだ。いつ寝ているのかって不安に思うほど働き詰めだ」
ブルーイットが言う通り、クリフォードはハースの要請を受け、参謀たちと戦術の検討を行っていた。
その理由は彼が素案を考えたこともあるが、彼の戦術構想に参謀たちが付いていけないことが大きかった。
彼の考えは単に戦術に関するものではなく、政治体制や権力構造、更には敵の兵士の心理にまで踏み込んで考えられているためだ。
完全に理解しているのは司令官のハースと副参謀長のオーソン・スプリングス少将くらいで、参謀長のセオドア・ロックウェル中将や首席参謀のヒラリー・カートライト大佐ですら、部分的に理解できない部分があるほどだ。
旗艦艦長とは言え、一艦長に過ぎないクリフォードがここまで関与しているのは強い危機感からだった。
「得られた情報では、総司令官であるシオン・チョン上将は国家統一党の陰の支配者、ファ・シュンファ政治局長の歓心を買いたいようです。他の司令官や艦長たちも皆若く、今後のことを考え、シオン上将の方を向いて指揮を執っているようです」
クリフォードの説明に対し、カートライトが質問する。
「それは分かります。ですが、そのことと今回の作戦の関係がよく分からないのです」
「上に目が向いているということは、下への配慮がおろそかになっているということです。戦争は士官だけではできません。そこを突きます」
「確かに准士官以下の乗組員と士官たちが反目しているという情報はありますが、兵士たちも戦いに負けたいわけではありません。どれほど反目しあっていても自らの命に危険があれば、士官の命令に従うのではないでしょうか」
クリフォードはその指摘に素直に頷いた。
「その通りです。ですので、指揮官と兵士の双方の心理をコントロールするのです。指揮官たちが功を焦るように誘導し、無理な戦闘を命じさせます。そうなった時、兵士たちはどう考えるかがポイントになると考えます」
「それが心を攻めるということですか……何となくですが理解しました。ですが、今回の作戦案はかなりきわどいものになると思います。特にヤシマは反発するのではないでしょうか」
その問いにハースが答える。
「概要を説明した際に反発はあったわ。でも、オオサワ提督は国自体が危ういのだからと即断されました。それにヤシマの将兵も次の戦いが正念場だと理解してくれています」
「では、ヤシマにもある程度は期待できますな」とロックウェルが頷く。
「そうですね。過大な期待はできませんが、作戦を台無しにするようなことはなさそうです」
ハースが笑顔でそう答えると、スプリングスが何かを思い出したかのように、「そう言えば、鹵獲した戦艦から面白い情報を見つけました」と言った。
イーグンJP会戦において、多くの艦が降伏しており、その中には下士官たちが士官を殺して降伏した艦もあり、本来消去されるはずの情報が手に入っている。
「どんな情報なのかしら」とハースが尋ねると、スプリングスはクリフォードを見ながら説明を始める。
「敵の司令官にフェイ・ツーロン上将という人物がいます。フー・シャオガン上将やマオ・チーガイ上将と言ったゾンファの名将の下で実績を積んだ人物なのですが、その人物はコリングウッド艦長と少しばかり縁があるようです」
「私と縁ですか?」とクリフォードが首を傾げながら聞く。
「ああ、フェイ上将は九年前、ターマガント星系で君に敗れた指揮官だったらしい」
「ターマガント? あのゾンファが謀略を仕掛けてきた時の……」とカートライトが呟く。
九年前、ゾンファ共和国は緩衝宙域であるターマガント星系を得るため、哨戒艦隊の司令を殺害の上、通信を封鎖するという謀略を仕掛けた。
当時、新任の中尉だったクリフォードが哨戒艦隊を率いて二倍の敵に勝利した。その時のゾンファ偵察戦隊の司令がフェイ・ツーロンだとスプリングスは説明する。
「あれほどの失敗をしたのに、艦隊司令官にまで上り詰めたの!」とハースが驚く。
その驚きにスプリングスも同意するように頷く。
「ええ、私も驚きました。ゾンファであれほどの失敗をして処刑されなかっただけでも奇跡なのに、僅か九年で大佐から上将にまで出世しています」
「それが本当の話だとすると、フェイ上将は侮れない人物ね。注意しておいた方がよさそうだわ」
ハースの言葉にクリフォードも「私も同感です」と同意する。
「合理的だけでなく、非情な指揮を執ったと記憶しています。今回もどのような手を打ってくるか分かりません」
クリフォードの言葉にスプリングスが首を横に振る。
「それは少し違うようだ」
スプリングスがそう言うと、全員が彼を見つめる。
「捕虜から得た情報では唯一まともな将官だという話です。他の士官たちが士官室で休む中、フェイ上将だけは下士官兵たちと同じ脱出ポッドの仮設寝台を使っていたと聞きました。それにことあるごとに総司令官であるシオン・チョン上将に兵たちの待遇改善を訴えていたそうです」
「それがポーズだとしても兵たちの信頼が篤い司令官というのは厄介ね。私たちの作戦に影響が出なければいいのだけど……」
ハースが愁いを含んだ表情でそう言うと、クリフォードも大きく頷いた。
その後、具体的な作戦案が検討されていった。
六月十八日、ロンバルディア連合から四個艦隊が到着する。
「これで何とか戦えそうですね」とクリフォードは言いながら、ハースに向かって安堵の表情を見せる。
「我々も一万七千隻にまで回復しましたし、ヤシマも何とか八千隻を超えています。不安があるとすればロンバルディア艦隊がどこまで戦力になるかですが、グリフィーニ提督がいらっしゃるからある程度は期待できるでしょう」
ロンバルディア艦隊の総司令官は指導力のあるファヴィオ・グリフィーニ大将だ。また、ロンバルディア艦隊も二度のスヴァローグ帝国との戦いで経験を積み、ダジボーグ星系会戦ではチェルノボーグJP会戦のような暴走を起こしていない。
「敵は十日以内に現れるわ。部下の管理をよろしく」とハースは笑顔で言い、クリフォードも「了解しました、提督」と笑顔で返した。
旗艦インヴィンシブル89の準備は整った。
「オールラウンドハーレムキング」……別の世界に似たような二つ名の主人公がいたような(笑)
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