第二十話
宇宙暦四五二二年七月十七日
ロンバルディア艦隊逃走の情報は、半月後にダジボーグ星系にもたらされた。
一報を聞いた皇帝アレクサンドル二十二世は持っていたゴブレットを投げつけ激怒する。
「ニコライは何をしておるのだ!」
彼の傍らにいたダジボーグ艦隊司令官ユーリ・メトネル上級大将も皇帝の怒りに同調する。
「全くもって本作戦の目的すら理解しておらぬとは!」
メトネルは僅か四十五歳でダジボーグ艦隊の総司令官に任命されるほどアレクサンドルに信頼されており、今回の作戦の立案にも深く関わっている。
そのため、戦略目的を無視したような行動に怒りを覚えた。
「これでヤシマ侵攻作戦が難しくなりました」
メトネルの言葉にアレクサンドルは憮然とした表情のまま黙っている。
アレクサンドルも今回のロンバルディア艦隊の撤退が計画されたものであり、その陰にはアルビオン王国がいることを感じ取っている。
そうであるなら、帝国が次に狙うのはヤシマであることを看破されていると考えるべきで、当然ロンバルディア艦隊はヤシマに向かう。
現在ヤシマにはヤシマ艦隊四個、アルビオン王国艦隊三個の七個艦隊があるが、帝国はヤシマ艦隊の増強を把握しておらず、六個艦隊が存在していると認識している。
そこにロンバルディア艦隊六個とヒンド艦隊二個が合流すれば、十四個艦隊七万隻の大艦隊となり、帝国軍が当初計画していた十個艦隊五万隻を大きく凌駕することになる。
「作戦の変更を検討いたしますか?」
「うむ。テーバイ方面艦隊の帰還を待ってダジボーグより八個艦隊でヤシマに侵攻する。これで数的には互角だ」
その案にメトネルが懸念を示す。
「アルビオンがテーバイ星系からダジボーグに向かう可能性があります。そうなれば、ゾンファの二の舞となることは必定」
「分かっておる。だが、その可能性は低い」
アレクサンドルの言葉にメトネルも頷く。懸念を示したものの、ロンバルディアでの状況を掴む前にアルビオンがダジボーグ侵攻作戦を行う可能性が低いとメトネルも考えていた。
しかし、更に危険性について指摘を行う。
「我が軍は二方向からの分進合撃となります。敵が両方に分散して待ち構えてくれればよいですが、一方に戦力を集中させた場合、二倍近い戦力とステルス機雷原で戦うことになります」
「敵は烏合の衆だ。アルビオンだけに注意しておけばよいが、僅か三個艦隊では大したことはできぬ。それに待ち伏せるならロンバルディア側であろう。一定以上の損害を与えた上で追撃し、ロンバルディアを解放することができるからな」
「おっしゃる通りですが、それでもヤシマ侵攻作戦は失敗に終わります」
「ニコライも無能ではない。ストリボーグ艦隊であれば、烏合の衆である自由星系国家連合軍が主力の艦隊に対して時間稼ぎくらいはできよう。あのJPには機雷を敷設する時間も資源もないだろうからな」
ヤシマ星系のロンバルディア側、すなわちツクシノJPは同盟国との接続JPということでステルス機雷は敷設されていなかった。
予備の機雷を敷設することは可能だが、ロンバルディア方面艦隊四万隻に脅威を与えるほどの数を短期間で揃えることは工業国ヤシマであっても難しい。
メトネルはそれでも更に注意を促した。
「敵は我々の戦略を看破している可能性があります。ヤシマを確実に攻略するのであれば、一時的にロンバルディアを放棄し、ダジボーグから十六個艦隊で攻め込むべきでしょう」
メトネルの提案は戦力の集中の原則から言えば、妥当なものだ。しかし、アレクサンドルは即座にそれを否定した。
「それはできぬ」
「ニコライ藩王閣下への配慮でしょうか」とメトネルが聞くが、アレクサンドルはそれに明確には答えず、
「一度手に入れた星系を手放すことは軍の士気に関わる。ロンバルディアに戦力を集めることも同様だ」
メトネルが懸念した通り、アレクサンドルは政治的な配慮からロンバルディアを放棄することができなかった。
ニコライに植民星系とすることを約束したこともあるが、弱兵の集まりである自由星系国家連合軍に対し、必要以上に恐れているような行動を示すことは皇帝の権威を揺るがすことにもなりかねない。
また、補給の面でも不安があった。
テーバイ星系に向かったスヴァローグ艦隊は当初、テーバイ星系から帰還後はダジボーグ星系の防衛に当たることになっていた。
つまり、ダジボーグ星系からは三個艦隊しか侵攻しない計画であり、八個艦隊になるだけでも補給計画が破綻しかねない。
それが更に倍の十六個艦隊となれば、エネルギーの補給だけでも混乱が生じ、ヤシマ星系への移動すら難しいと考えられた。
そのため、当初の計画を破棄し、ロンバルディアに戦力を集中させるという作戦も放棄せざるを得なかった。
アレクサンドルは心の中で再びニコライに悪態をついた後、作戦の変更を参謀に命じた。
■■■
自国から撤退したロンバルディア艦隊は七月十七日に無事ラメリク・ラティーヌ星系に辿り着いた。
司令長官ファヴィオ・グリフィーニ大将の卓越した指導力と不屈の意志により、不満を漏らしていた士官や兵士たちも今では現実を受け入れている。
グリフィーニはラメリク・ラティーヌ星系到着後、燃料の補給のみでヒンド星系に向けて出発した。
同盟国であるとはいえ、他国の星系での移動は航路情報が完璧でも気を使う。それが三万隻の大艦隊ということで、航法担当士官たちは神経を使いすぎ、胃を痛める者が続出するほどだった。
しかし、グリフィーニは機関の不調などがない限り、停止することを認めなかった。
「帝国が早期にヤシマに侵攻する可能性は否定できない。ロンバルディア併合の混乱を無視してヤシマに侵攻する場合、我が艦隊が間に合わなくなるのだ。それでは祖国を見捨ててまで戦力を温存した意味がなくなる……」
その言葉に将兵は納得し、不平を言うことがなくなった。
実際、グリフィーニは焦っていた。
アデル・ハースらが考えた作戦は千尋の谷の上で綱渡りをするような際どいものだ。
帝国が電撃的な侵攻を企てた場合、ヤシマ、ヒンド、ラメリク・ラティーヌと連続して陥落することもあり得ると考えていた。
(皇帝と藩王の権力争いがどの程度かにもよるが、帝国人とて愚かではない。一時の不満に目を瞑り、手を結ぶことは充分にあり得るのだ……)
グリフィーニはその思いを表に出すことなく、黙々と指揮を執っていた。
感想、レビュー、ブックマーク及び評価(広告下の【☆☆☆☆☆】)をいただけましたら幸いです。