第九話
クリフォードは第九艦隊旗艦インヴィンシブル89で自らの居場所を確立しつつあった。
元々司令官であるアデル・ハース大将とはよい関係を築いていたが、参謀長であるセオドア・ロックウェル中将との関係も徐々によくなっている。
それを面白くないと思ったのがレオノーラ・リンステッド大佐ら参謀たちだった。
司令官と参謀長の二人ともがクリフォードを重用しているように見え、自分たちの存在価値を否定されたように感じたのだ。
特にリンステッドは大きくプライドを傷つけられた。
(どうやって籠絡したのかは知らないけど、参謀長まで引き入れるとは……このままでは参謀の地位が下がってしまう。統合作戦本部のゴールドスミス少将に動いてもらった方がよさそうね……)
リンステッドは統合作戦本部の作戦部長ルシアンナ・ゴールドスミス少将に連絡を入れた。
ゴールドスミスは統合作戦本部で戦略を担当する作戦部の責任者だ。士官学校を首席で卒業した後、順調に出世を重ね、三十代で少将に昇進したエリートだ。
そのゴールドスミスだが、彼女は今、強い挫折感を味わっている。
彼女自身、計画立案能力は高く、ジュンツェン星系会戦後のヤシマ支援作戦では政略を含めた観点で艦隊を派遣する意義を訴え、ゾンファ共和国とスヴァローグ帝国の侵攻を防ぐことに貢献していた。
しかし、統合作戦本部に席を置くことが多かったため艦隊勤務が短く、実務を知らなすぎると、艦隊の指揮官やたたき上げの参謀たちと意見を衝突させることが頻繁に起きていた。
また、性格にも難があり、気に入った者しか重用せず、統合作戦本部内でも人望があるとはいえなかった。
そして重要なことは彼女自身の能力だった。
ゴールドスミスは官僚的で、兵站や予算といったところまで気が回る。そのため命令通りに計画を立案する能力は高いが、彼女自身が思っているほど戦略的なセンスはなかった。
実際、現在行われているヤシマ支援作戦に対する評価は低かった。
三個艦隊を派遣することでスヴァローグ帝国の侵攻を防いでいると言われているが、単に帝国内の内戦が長引いただけで、どのような計画であろうと侵攻はなかったという者もいるほどだ。
そのゴールドスミスが一方的にライバル視するハースは艦隊内外からの人望もあり、戦死さえしなければ、制服組のトップである統合作戦本部長に登り詰めると言われている。
強力なライバルがいるため、ゴールドスミスは自分への評価が低いと考えていた。そのため、軍での出世を諦め、近い将来、政界に進出すると噂されている。
しかし、与党保守党では軍出身のコパーウィートが軍務次官を務めており、そのコパーウィートとゴールドスミスは性格的に合わず、野党民主党に接近するしかない。
リンステッドはそのことを思い出した。
ハースが旗艦艦長を参謀代わりにしているという事実だけでなく、クリフォードの義父、保守党の重鎮であるノースブルック伯を追い落とす材料になると言って接触すれば、ゴールドスミスも話を聞いてくれるのではないかと考えたのだ。
(統合作戦本部の作戦部が問題視すれば、提督も考え直すしかないわ。本当なら人事を司る軍務省を動かせればよかったのだけど、あそこはコパーウィート派が牛耳っているから無理だし……次善の策ではあるけど、この手でいくべきね)
リンステッドはそう考え、誰にも相談することなく、ゴールドスミスに話を持ち込んだ。
ゴールドスミスはお気に入りの後輩ということでリンステッドの話を聞いたが、話自体には興味を示さなかった。
「……あなたが言いたいことは分かったわ。でも、ハース提督は元々破天荒な方よ。艦長会議で宙兵隊や工廠の意見を聞くくらいなのだから。今更、その程度のことで問題視することはできないわ。特に参謀長まで認めているのであれば、一参謀であるあなたが何を言っても軍が動くことはないわね」
リンステッドはそれでも食い下がった。
「しかし、それでは参謀が軽んじられることになります。作戦部長である閣下はそれでよろしいのですか」
「あなたは思い違いをしているわね。ハース提督は参謀上がりの司令官なのよ。あの方が軍の重要ポストに就くということは参謀の地位が上がったということ」
そう言って諭した後、
「もし、コリングウッド大佐が本当に権限を逸脱しているなら、確固たる証拠を持ってきなさい。どのような手段を用いてもいいから」
そこで更に強めに警告を発した。
「でも注意しなさい。彼は政府に伝手があるだけでなく、王室にも国民にも愛されているわ。そんな人物に不用意に手を出せば、リンドグレーン提督の二の舞になるだけよ。あなたにその覚悟はあって?」
その問いにリンステッドは沈黙するしかなかった。
「残念だけど、私にはそんな覚悟はないわ。コリングウッド大佐は王太子殿下を始め、多くの力を持つ人物に気に入られている。でも、彼はそのことで増長していない。信じがたいことだけど、あの若さでそれだけの用心深さを持っているということよ。そんな人物にあえて敵対する気は私にはないわ」
リンステッドは反論することができなかった。しかし、ゴールドスミスも心の中では別のことを考えていた。
(この愚かな女を使えば、ハースの評判を落とすことができるわ。そうなれば私の評価も相対的に上がるはず。実際、ハースが提案している作戦と私が考える作戦には大きな差はないのだから。ハースが退場した後に帝国の野望を打ち砕けば、作戦部長である私の功績になる。後はリンステッドがハースの邪魔をしてくれたら……)
そこまで考えたところで、リンステッドに優しく微笑みかける。
「コリングウッド大佐と敵対するのではなく、仲間に引き入れるようにしなさい。そうすればあなたも提督に信頼されるでしょう」
その言葉にリンステッドは「はい」と答えるものの、その表情からは不満が垣間見えた。
「ではできることからやりなさい。まずは司令部を掌握するのです。部下の参謀たちの信頼を勝ち取れば、あなたという存在を提督も認めざるを得ないわ。そうなれば、コリングウッド大佐との関係は逆転するでしょう」
リンステッドはすべてに納得はいかなかったものの、ゴールドスミスが自分を評価していることに満足し、艦に戻っていった。
ゴールドスミスはリンステッドの性格を知った上で提案を行った。
プライドが高いリンステッドは幸運に恵まれただけと思っているクリフォードに歩み寄ることはできない。そして、自分以外に相談すべき相手もいないだろうから、第九艦隊の司令部で孤立する。
それを避けるため、部下の参謀たちを自分の方に引き込むことを考える。幸いなことに参謀長は参謀出身ではなく、副参謀長も人の機微に敏感というタイプではない。
リンステッドが暴走することで第九艦隊の司令部が二つに割れれば、ハースの将としての器量に疑問が持たれ、今の地位より上がることはなくなる。
もし、リンステッドが上手くやれなくても、彼女が暴走しないように助言しただけであり、自分の評判が落ちることはなく、リスクを負うことはほとんどないと考えていた。
感想、レビュー、ブックマーク及び評価(広告下の【☆☆☆☆☆】)をいただけましたら幸いです。