第四十八話
宇宙暦四五一八年九月二日。
ヤシマ解放作戦、作戦名“ヤシマの夜明け――Operation Yashima Dawn――”、通称YD作戦参加部隊のうち、ジュンツェン進攻艦隊はキャメロット星系に帰還した。
同じYD作戦参加のヤシマ解放艦隊は未だにヤシマ星系から帰還していないが、キャメロットは戦勝ムード一色で、どのマスメディアもジュンツェン会戦の特集を組んでいた。
総司令官グレン・サクストン大将や総参謀長アデル・ハース中将、更に第九艦隊司令官ジークフリート・エルフィンストーン大将は多くのメディアの取材を受けていく。
彼らは軍の公式発表以上のことは発言しないが、地方のメディアに出演した下級士官や下士官兵たちは自分たちの思いを素直に表現した。
公式発表以上の情報が漏れ伝わってくると、ある事実が注目され始めた。それは第三艦隊の不自然な行動だった。
将官たちは軍機に関わるとして明言を避けたが、戦友や肉親を失った下士官兵たちは艦隊内で流れていた噂として多くの情報を伝えていく。
特にハワード・リンドグレーン提督が敵前逃亡を企てたという話はまことしやかに話され、リンドグレーンへの取材申し込みが殺到した。
リンドグレーンはすべての取材を断った。しかし、メディアは執拗だった。
得られた情報を元に退役軍人である軍事評論家たちが、リンドグレーンの行動を分析していく。
その結果、第三艦隊の不可解な行動により十万人以上の死者を出したという推測があたかも事実かのように報道された。
また、第二次ジュンツェン会戦で圧倒的な勝利を得られれば、そのままシアメン星系に移動し、ゾンファの輸送艦隊を拿捕することも可能だったと断定する。
もしそうなっていれば、ゾンファの兵站機能に大きなダメージを与え、アルビオンの恒久的な平和に寄与できたとメディアは強く主張した。
メディアはその推測が正しいかどうかに興味はなかった。彼らが欲したのはスキャンダルという“商品”だった。
“大勝利”という商品は様々なメディアで垂れ流され、すぐに陳腐化する。それに変わる商品として、大衆が求めるスキャンダルが必要だったのだ。
今回のリンドグレーンの行為は多くの死者を出しており、大衆が求める悪役としては最適だった。
遺族の涙や戦場での美談をスパイスにすれば、長期間にわたって商売になる。メディアはそう考え、徹底的にリンドグレーンの身辺を調査していく。
その調査の中である噂が浮かび上がってきた。
リンドグレーンには十年前の第三次ゾンファ戦争におけるハイフォン星系攻略作戦での疑惑、オーウェル大尉が士官候補生時代に死にかけた無謀な作戦での疑惑があった。メディアはその過去を暴くことで更なる商品となると歓喜する。
そして、彼らはある噂を聞きつけた。
それはリンドグレーンが“クリフエッジ”ことコリングウッド少佐を査問会議に掛けたという話だった。その話はすぐに事実として確認された。
クリフォードの活躍はアルビオン軍の広報官たちによって既に広められている。
お荷物といわれていた砲艦で敵駆逐艦を二隻も戦闘不能に陥らせた話は、艦隊戦で活躍したエルフィンストーン提督の武勲以上に注目され、レディバードの乗組員たちと共に多くのメディアに出演していた。
その若き英雄に対し、敵前逃亡の汚名を着せようとしたという話に多くのメディアが飛びついた。
報道合戦が激しくなると、各社は新たなスクープを見つけ出そうと必死になっていく。その過程で様々な事実が発見され、それが報道合戦を更に過熱させる。
その中で十年前のハイフォン攻略作戦でクリフォードの父リチャードが負傷したのは、リンドグレーンの無謀な命令が原因であったことが判明した。
メディアでは以下のようなやり取りが多く行われ、大衆たちを惹き付けていく。
『リンドグレーン提督の行為は常軌を逸していると思いますが』とキャスターが退役軍人であるコメンテーターに話を振る。
『確かに。コリングウッド少佐は上級士官養成コース、いわゆる艦長コースと呼ばれる教育で優秀な成績を残したにも関わらず、砲艦の艦長となったことは当時から異例中の異例と言われていました……私が独自に入手した情報ではこの件にもリンドグレーン提督が関与しているようです』
コメンテーターが訳知り顔でそういうとキャスターは大袈裟に驚く。
『そんなことが行われたのですか! 事実なら軍を私物化していると言われてもおかしくないですね』
コメンテーターは憂慮するように表情を曇らせ、
『こういった噂は以前からあります。ごく一部の将官だけだと信じたいのですが、伝統ある王国軍を汚す行為であり直ちに綱紀粛正に乗り出してもらいたいものです』
『他にもおかしなことがあったと聞きましたが?』とキャスターが話を振る。
『ええ、コリングウッド艦長を監視させるため、ある人物に秘かに命じていたそうです。大将たる提督が少壮の艦長のあらを探させるなど、常軌を逸しているどころではないでしょう』
レディバードの戦術士マリカ・ヒュアード中尉はリンドグレーンの指示を受け、クリフォードの行動を逐一報告していた。ごく小さなことでも軍規に反することを見つけたら、即座に処分しようと考えていたためだ。
しかし、どれほど調べても軍規に違反するような事実は発見されない。リンドグレーンはヒュアードが無能だと考え、その後は放置していた。しかし、その事実はヒュアードによって公表された。
『私は脅されたのです。逆らえば勤務評定を下げ、退役勧奨の対象となるようにすると……』
勤務評定云々については確認されなかったが、彼女が送った報告書の写しが見つかり、リンドグレーンの悪評を更に強めることとなった。
このような報道が続いたが、リンドグレーンは一切反論しなかった。
その代わり、縁戚関係にある野党民主党の副代表ヴィンセント・シェイファー連邦上院議員に面会を申し込んだ。
シェイファーは伯爵位を持ち、与党保守党のノースブルック伯爵のライバルといわれる人物だ。革新的な政策と歯切れのいい演説で若年層や低所得者層に人気があるが、クリフォードを巧みに利用するノースブルックに大きく水を開けられていた。
シェイファーは従兄であるリンドグレーンの訪問を喜ばなかった。既にリンドグレーンの失態が彼の耳にも充分に入っており、縁戚関係にあるという事実すら否定したいと考えているほどだった。
シェイファーはリンドグレーンを自室に招き入れると、不機嫌そうな顔を隠そうともしなかった。そして、他人行儀な口調で用件を尋ねる。
「何用ですかな? 提督」
それまでであればファーストネームで“ハワード”と呼んでいたが、あえて“提督”という役職名を使った。
その口調にリンドグレーンはシェイファーも自分を見限っていると感じたが、自分が復権するためには彼の力が必要であると考え、愛想笑いを浮かべて話しかける。
「久しぶりに会って“提督”はないだろう、ヴィンセント」
そういいながら握手を求めるが、シェイファーは「すまないが忙しい身でね。用件を言ってくれないか」とそっけない態度で右手を取ろうともしない。
リンドグレーンはそれでも笑みを浮かべたまま、話を続けていく。
「今回の作戦で与党を攻撃する情報を入手したのだよ。それを伝えようと思ってね」
リンドグレーンはそう言うとシェイファーの答えを聞くことなく、話し始める。
「サクストンは凱旋したが、奴は自らの武勲とするため、無用な会戦を引き起こしている……」
リンドグレーンの主張は以下のようなものだった。
第一次ジュンツェン会戦でゾンファ艦隊にダメージを与え、食糧供給基地を破壊している。この情報はヤシマに侵攻したホアン上将に伝わり、彼はヤシマから撤退した。
第一次ジュンツェン会戦後、アルビオン艦隊はホアン艦隊が戻ってくるシアメン星系側ジャンプポイントに布陣せず、ハイフォン星系側JPに布陣すべきだった。
ホアン艦隊がジュンツェンに戻れば、必然的にヤシマは解放されることになるため、作戦の目的は達成されるから二度目の戦闘は不要となる。
「……第二次ジュンツェン会戦は始まる前から敵戦力が優位であると分かっていたのだ。当然、艦隊に大きな損害が出る。つまり、奴は戦略に関係なく無為に戦闘を引き起こし、多くの将兵を死なせたのだ。その理由が存在するかも分からないアルビオン政府関係者の救出だ。当時はその情報が確実であるという保証はなかった。奴は自らの武勲のために戦端を開いたのだ」
興奮気味にそう言い切るとシェイファーの顔を凝視した。リンドグレーンはシェイファーが“与党の失策をよく知らせてくれた”と言うことを期待していた。
しかし、シェイファーは苦虫を噛み潰したような表情のまま無言で立ち尽くしていた。
数秒後、シェイファーが口を開いた。
「そのようなことを言うために私のところに来たのか? 私に多大な迷惑が掛かると分かっているのか!」
リンドグレーンは彼の怒りが信じられず、「与党を攻撃する絶好の材料ではないか」と反論するが、シェイファーは「馬鹿馬鹿しい!」と吐き捨て、
「サクストン提督の行いは賞賛こそすれ非難などできん。市民を守ることが軍の使命だ。それをここまで忠実に実行した提督を非難できるはずがなかろう!」
リンドグレーンは愕然とした表情で立ち尽くす。シェイファーは彼に対し、更に言葉を叩きつける。
「君は自分の立場が分かっているのか。君は総司令部の命令に反し、十万人以上の将兵を殺した。それだけじゃない。敵前逃亡の疑いすらかけられているのだ。それだけならまだいい。君は私怨を晴らすためにコリングウッド少佐を弾劾したそうではないか。少佐はメディアの寵児だ。そんな人物を敵に回すほど愚かなのか、君は。君が縁者であるという事実が私にとってどれだけ障害になっているのか分からぬのか。これ以上迷惑を掛けることなく、大人しく退役してくれ」
シェイファーはメディアを敵に回すリンドグレーンを鬱陶しく思っていた。すべてを胸に秘めたまま自殺してくれればとさえ考えている。
さすがにそれは言葉にしなかったが、メディアに反論することなく、静かに退役し領地に篭ってほしいと依頼したのだ。
唯一の味方だと思っていた従弟に明確に拒絶され、リンドグレーンは失意のうちに要塞衛星アロンダイトにある官舎に戻った。
彼は過熱する報道に酒に溺れ始める。家族は酒に溺れるだけの彼に愛想を尽かし、領地に引き篭もった。リンドグレーンは誰にも相手にされることなく、要塞内にある将官用のバーで酒を呷っていく。
そんなある日、官舎に戻る途中、彼は複数の暴漢に襲われた。
その暴漢たちは第八艦隊の戦艦に乗り組んでいた下士官たちだった。第八艦隊は第二次ジュンツェン会戦で第三艦隊の横に配置されており、第三艦隊が離脱したためホアン艦隊の圧力を最も受けていた。
彼らの乗り組んでいた戦艦はホアン艦隊の最後の突撃で大破し、艦長を初め多くの乗組員が戦死した。生き残った彼らは戦友を見捨てたリンドグレーンに報復するため待ち伏せていたのだ。
「貴様が逃げなけりゃ、うちの連中は死なずに済んだんだ!」と大柄な一等兵曹がハンマーのような拳でリンドグレーンの鳩尾を打ち抜く。
リンドグレーンは息が止まるほどの衝撃を受けて蹲り、胃の中に残っている酒を吐き出す。
更に小柄な二等兵曹が吐き続けるリンドグレーンの脇腹を軍用ブーツで蹴り、
「提督の癖に臆病風に吹かれやがって。お前のせいで俺の弟は死んじまったんだ!」と泣きながら叫ぶ。
リンドグレーンは彼らの叫び声に対し、「やめろ……」と弱々しく訴えるが、更に数人の下士官が暴行を加えていった。
五分ほど殴る蹴るの暴行を加えていると、鋭い警笛の音と共に軍警察の車両が近づいてくる。下士官たちはそれでも暴行を止めない。
MPの士官が「そこまでだ! 酔っ払っての喧嘩は営倉入りだぞ!」と言って間に入る。MPたちは地面に転がる人物の軍服が将官のものであると気づき、慌て始める。
下士官たちはMPが乱暴に止めに入り、下士官たちを羽交い絞めにした。取り押さえられた下士官たちは大人しくなるが、年嵩の兵曹長がぼそりと呟いた。
「こいつは喧嘩じゃねぇ。敵討ちなんだ……」
MPはボロボロになった被害者の顔を見て、彼が誰なのか気づいた。
「リンドグレーン提督……」とMPの兵士の一人が呟くと、羽交い絞めにしていた下士官たちを放す。
解放された下士官たちはその場にへたり込んだ。
「気持ちは分かるが、これは軍規違反だ。全員大人しくついてきてくれ」
MPの士官は同情を示しながらも全員を拘束した。リンドグレーンは肋骨と右腕を骨折し、更に内臓に損傷が見られたが命に別状はなかった。
この事件は大きく報道された。軍から公式には発表されていないが、付近に住んでいた酒場の経営者である民間人が報道機関に連絡したのだ。
本来であれば要塞内であり、酒場の経営者も軍属に準ずるため情報漏洩は処罰の対象となるのだが、今回はなぜか当局も不問に付した。
下士官たちは戦友を失ったことによる一時的な精神障害と診断され、三十日間の追加勤務という非常に軽い処分とされた。
リンドグレーンはこの一件で自分が軍からどう見られているか悟った。
彼は失意のうちに退役し、領地に篭ることになる。
しかし、失意の彼に更なる追い討ちが掛けられた。
第三艦隊の司令部が作成した報告書により第二次ジュンツェン会戦の彼の行動は不合理であり、友軍を危険に曝す行為と認定された。
更に彼の過去の功績についても疑義が呈され調査が行われた。
その結果、過去の功績についても誤りだったと認定された。
リンドグレーンは今回の不名誉な行為により、伯爵位から子爵に降爵された。更に過去の功績が無効になったため、次代に継承する際には更に降爵することが決定的となった。
領地に篭ったリンドグレーンは執筆活動を開始し、その著作で自らの正当性を訴えた。しかし、彼に対する評価は終生変わらず、次第に忘れ去られていった。
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