第四十二話
宇宙暦四五一八年七月二十四日 標準時間〇九二〇。
アルビオン第三艦隊第四砲艦戦隊所属のレディバード125は敵駆逐艦と死闘を繰り広げていた。
クリフォードの的確な指揮により、初撃の一斉砲撃以外でも既に一隻の駆逐艦を沈め、もう一隻にも大きな損害を与え無力化していた。
しかし、その代償は大きかった。
直撃こそ免れているものの、擦過弾により超光速航行機関が破壊され、更に二系列ある対消滅炉のうち、一系統が機能を喪失している。
また、乗組員にも被害が出ていた。補修作業を行っていた二名の掌帆手が命を落としたのだ。
それでも人的損失は他の艦に比べ著しく少なかった。
それはクリフォードが予めハードシェルに着替えさせたためで、通常の簡易宇宙服に比べ、頑丈な外殻を持つ船外活動用防護服によって、艦内で爆発が起きても打撲程度で済んでいるためだ。
レディバードは加速器の冷却を無視する形で主砲を撃ち続ける。
戦闘指揮所では主機である対消滅炉だけでなく、冷却系補機の警報までもが絶え間なく鳴り響いている。
機関士用のコンソールには読み切れないほどの警告が映し出され、人工知能の音声警告が絶え間なく流れ続けていた。
既に非常用電源に切り替わっており、CIC内はオレンジ色の照明で照らされ、更に防御スクリーンを掠める衝撃が艦全体に伝わり、最も安全なCICでも激しい戦闘であることが分かる。
そんな中、クリフォードは指揮官用のコンソールで戦況を分析していた。
(まだ何とか戦える。しかし、いつやられるか分からない……退艦のタイミングを誤ると全滅する……)
クリフォードは機関制御室にいる副長バートラム・オーウェル大尉に通信を繋いだ。それもオープン回線ではなく、個人用回線での通信でCIC要員には気づかれていない。
応急処置に追われていたオーウェルは個人用情報端末での通信に一瞬怪訝な表情を浮かべる。
彼はその表情のまま通信に応答した。オーウェルが何か言おうとすると、クリフォードは機先を制して早口で指示を出していく。
「よく聞いてくれ。戦況は思わしくない。RCRから退去する準備をしてくれ」
オーウェルはクリフォードがPDAを使用した意味を理解し、すぐに「そこまで悪いんですか」と小声で聞き返した。
「ああ、すぐに退艦命令を出すことになるだろう。そっちはFデッキに向かえ。使えるならマグパイで脱出するんだ」
クリフォードはレディバード唯一の搭載艇、雑用艇のカササギで脱出するよう命じた。
ジョリーボートの定員は二十名程度。レディバードの定員の半数しか乗れない。残りは脱出用ポッドを使用することになる。
「よろしいのですか? マグパイの方が生存率は……」とオーウェルが言おうとしたが、クリフォードはそれを遮る。
「Eデッキにいる君たちの方が近い。それに全員乗れないなら、乗れる者が素早く乗って脱出する方が効率的だ」と言い、更に早口で付け加えた。
「これで通信は終わりだ。そちらは頼んだぞ、副長」
クリフォードは返事も聞かずに通信を切る。
その間にも突き上げるように艦体を揺らす衝撃が襲い続けていた。
通信を切った直後、掌砲長のジーン・コーエン兵曹長が「加速器損傷!」と鋭い声で報告する。
クリフォードは「了解」と静かに答え、素早くコンソールで損害を確認していく。
(加速器空洞が溶けている。加速コイルも三割以上使い物にならない。もう主砲は使えないな……潮時か……)
彼は艦を放棄することを決めた。
「総員、退艦準備! RCR要員は直ちに格納庫に向かえ! 待機中の掌砲手はAデッキの脱出ポッドに……」
命令を発していた時、更に大きな衝撃がレディバードを襲った。
人工重力が突然消え、オレンジ色の非常照明が点滅する。その直後、けたたましい警報音が鳴り響く。
クリフォードはその天地をひっくり返したような激しい衝撃に大きく揺さぶられた。
指揮官シートに座り、安全ハーネスをつけていたものの、一瞬気を失うほどの強い衝撃だった。
しかし、すぐに意識を戻し、素早く「損害の報告を!」と叫ぶ。
先任機関士であるレスリー・クーパー一等兵曹がコンソール画面を見ながら叫ぶように報告する。
「パワープラントエリアに直撃! 対消滅炉、両系統緊急停止! 現在動力は質量-熱量変換装置のみ! 人工重力装置再起動完了! リアクター緊急停止シーケンスに移行します!」
更に操舵長のレイ・トリンブル一等兵曹が「通常空間航行用機関反応なし! 現在慣性航行中!」と報告する。
クリフォードはそれに応えることなく、「総員、直ちに退艦せよ!」と命じた。
そしてCIC要員に「すぐにAデッキに向かえ!」と命じながら、AIの初期化と起動用核融合炉の自爆回路の設定を行っていく。
(すまない。レディバード……私の最初の指揮艦……)
絶えず衝撃が襲う中、指揮官用情報端末で乗組員の脱出状況を確認していく。
生命反応がある乗組員は自分を入れて三十五名。新たに三名の戦死者が出たことになる。死亡した三名はNSD区画にいた技術兵だった。
対消滅炉があるパワープラントエリアに直撃したが、幸いなことに頑丈な遮蔽区画であり、漏れ出た陽電子で断続的な爆発が起きたものの艦の崩壊には至らなかった。
(今ならまだ間に合う……)
CIC要員が敬礼しながら退出していく。クリフォードは答礼しながら、乗組員たちが脱出に向かうことを確認していた。
確認していく中、一人だけ動かない乗員がいた。それは機関制御室にいる機関長ラッセル・ダルトン機関少尉だった。PDAの情報では血圧が低下し心拍数も不安定だった。
すぐに副長であるオーウェルを呼び出す。
「機関長はどうした。まだ、RCRにいるぞ!」
オーウェルは「どういうことですか、艦長」と聞き直し、
「チーフは対消滅炉の始末をつけたら出ると言っていたのですが」と焦りを含んだ声で説明する。
機関長は機関に関するデータの消去を行っているうちに、断続的な爆発に巻き込まれ怪我を負っていた。
クリフォードはすぐにCICを飛び出した。
秩序を保っていたCICとは対照的に、狭い通路には天井パネルが何枚も落ち、腹を食いちぎられた獣の臓物のように何本ものケーブルが垂れ下がっている。
非常照明のオレンジ色の光も不安定に揺らめき、突き上げるような爆発が足元を激しく揺らす。
クリフォードはハードシェルを狭い通路の壁に何度もぶつけながら、RCRに急いだ。PDAでダルトンの状況を確認すると、危険な状況にあることが分かってきた。
(機関長のバイタルが下がっている。まだ、ハードシェルの動力は生きている。間に合ってくれ……)
一度は回復した人工重力が再び消えた。
クリフォードは悲鳴を上げる三半規管を無視し、飛ぶように進む。BデッキにあるCICからEデッキにあるRCRまで僅か五分で到着すると、そこには機関長と彼を助けようとしているオーウェルの姿があった。
「副長! 君にはマグパイの指揮を命じたはずだ!」
オーウェルはその言葉に答えることなく、
「機関長の右脚が制御盤に挟まれています! そっちから盤を押してください!」と叫んだ。
クリフォードは議論する間を惜しみ、
「三、二、一で押すぞ! 三! 二! 一! それ!」と掛け声と共にハードシェルのパワーアシスト機能を全開にした。
ミシミシという音と共に制御盤が変形していく。
「もう少しです! もう少し! 押して!」
オーウェルの言葉に無言で制御盤を押していく。
周りでは断続的だった爆発音が徐々に連続的になり、非常照明すら消えていた。まだ生きているコンソールが放つ光だけが、狭いRCRを照らしていく。
十秒ほど経った時、「よし! いける!」というオーウェルの声が響く。その直後、オーウェルはダルトン機関長を抱えたまま後ろに倒れこむように飛んでいった。
「機関長、無事か! バート、どうだ!」
クリフォードの問い掛けにオーウェルが荒い息で答える。
「はぁはぁ……意識はないようです。バイタルは低下していますが、自動応急処置システムがうまく作動したみたいです……はぁはぁ……」
「よし、脱出するぞ! バート、チーフを私の背中に乗せてくれ! 君は脱出ポットに向かえ!」
オーウェルは「最後までご一緒させてください」と静かにいい、「Fデッキに脱出ポットがまだあったはずです」と先導し始める。
クリフォードはダルトンを背中に載せながら、「明らかな命令違反だぞ!」と凄んだ後、「だが、今は助かる」と明るい声で感謝していることを伝える。
オーウェルはそれには答えず、自分のハードシェルとクリフォードのハードシェルをロープで結んだ。
「ちょっと手荒な移動になりますが、チーフを頼みます」
クリフォードが答える間もなく、狭い通路に出たところでジェットパックを作動させた。宇宙空間で使用する移動用ジェットパックを狭い艦内で吹かすことは非常に危険な行為だ。クリフォードもオーウェルの行動に一瞬驚愕するが、人工重力が切れ、今にも爆発する状況では致し方ないと腹を括る。
Fデッキにある格納庫は奇跡的に損傷を免れていた。そこには雑用艇であるマグパイが後部ハッチを開けて待ち構えていた。
「艦長! 副長! 早く!」
彼らの姿を確認した掌帆長のフレディ・ドレイパー兵曹長が大きく腕を上げてクリフォードたちを急かす。
「航行機関起動! 格納庫メインハッチ開け!」
マグパイのコクピットから操舵長のレイ・トリンブル一等兵曹の焦った声が聞こえている。
クリフォードたちがマグパイの後部ハッチに飛び込んだ瞬間、一際大きな爆発がレディバードを襲った。
クリフォードは振り返ることなく、「発進! 緊急発進せよ!」と叫んでいた。
格納庫のメインハッチが完全に開く前にマグパイは宇宙に躍り出ていく。その直後、レディバードの艦体が大きく膨らみ、眩い光を放って四散した。
マグパイはその衝撃波に翻弄されながら宇宙を滑るように進んでいく。
短い加速を終え、慣性航行に切り替えると動力を落とす。敵に発見されないための処置だ。
クリフォードは雑用艇のカーゴスペースで漂いながら、ハードシェルのヘルメットモニターに映る情報を見つめていた。
(宇宙暦四五一八年七月二十四日標準時間〇九二五、HMS-N1103125レディバード125喪失……初めての指揮艦……すまなかった。そして、ありがとう……)
心の中で愛艦に別れの言葉を掛けるが、すぐに状況を確認していく。
「副長、状況を報告してくれ。掌帆長、機関長を頼む」
ドレイバーが「了解しました、艦長」と凄みのある顔に笑みを浮かべて敬礼する。
オーウェルは事務的とも言える口調で報告していく。
「マグパイには艦長を含め、十六名が搭乗しています。負傷者は機関長のみです」
クリフォードはそれに「了解」と短く答えると、指揮官用のPDAを操作していった。
確認できる範囲では戦死者五名、射出された脱出ポットは十九で、少なくとも戦死者以外は艦から脱出していることが確認できた。
既に戦闘はほぼ終了し、敵駆逐艦の生き残りは本隊に向けて加速を開始していた。
砲艦戦隊の状況は酷いものだった。
第三艦隊所属の砲艦百隻のうち、九十三隻が喪失、残り七隻も大破しており、宇宙空間を漂っている。各戦隊の旗艦である砲艦支援艦ですら五隻中三隻が沈められていた。
生き残った砲艦支援艦の一隻は第四戦隊の旗艦グレイローバー05だった。左舷を大きく損傷しながらも脱出ポットや雑用艇を回収している。
「操舵長、旗艦に進路を向けてくれ」
クリフォードの命令にトリンブルはいつもの飄々とした感じで、
「了解しました、艦長」と応え、すぐに主機関を始動した。
クリフォードはそこである疑問が浮かんだ。
「しかし、なぜ操舵長がここにいるんだ? Aデッキから脱出するよう命じたはずだが?」
「脱出ポットは性に合わんのですよ。それに腕のいい操縦士がいた方がよいと思ったんです。艦長」といつもの口調でさらりと答える。
クリフォードは苦笑いを浮かべながら首を横に振る。
「副長といい、操舵長といい、命令を守れない者が多すぎる」
そこで突然「フフフ」と込み上げてきた笑いが漏れる。そして、「それを認める私も同罪だな」と言って笑い声を上げた。
マグパイは見つけた脱出ポットを拾いながら、グレイローバーに向かった。
HMS-N1103125インセクト級砲艦レディバード125は、第二次ジュンツェン会戦で喪失した。
第三艦隊砲艦戦隊の人的損害は戦死者及び未帰還者が七十パーセントに達していた。そんな中、レディバードの乗組員は九十パーセント近い帰還率を誇っていた。
これは早期に艦を放棄した結果ではない。
レディバード125は初期の一斉砲撃後、二隻の駆逐艦を戦闘不能にし、砲艦戦隊で最も高い戦果を挙げていた。それだけではなく、敵が撤退する直前まで戦闘を続け、味方の全滅を防ぐ要因を作ったのだ。
だが、後にこの高い生存率が問題となる。
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