ダイオウイカの過去と決意
前世の私だったら、こんなの気持ち悪いと言って、指1本触れられなかっただろう。
けれど今は違う。
今の私にだって、ヌルヌルした尾ひれがついてるもの。
気持ち悪がって嫌う理由なんてあるわけない。
「うん、ボクも同じ気持ちだよ。」
ジュールが10本の脚を私の肩や背中に回す。
途端、ジュールの体が金色に輝き始めた。
その輝きがあまりに眩しくて、私はとっさに腕で顔を覆い、その場から数歩離れた。
薄目を開けてみると、ジュールの大きな体が、金色の光を放って、うねうね動き始めていた。
一体、何が起こったの?
ジュールは大丈夫なの?
輝きが止むと、腕をどかしてジュールを見た。
しかし、そこにジュールはいなくて、代わりに、知らない男の人魚がいた。
「アレ?あなた、誰?ジュールはどこ?」
辺りをキョロキョロ見回してみる。
私をからかうためにイタズラで隠れるにしても、あんな大きな体、そう簡単に隠れられるはずもない。
ジュールはどこに行ったのだろう?
そもそも、この人は誰?
こんなキレイな顔をした男の人魚、見たことがない。
こんなのがいたら、海底中の人魚たちの話題になっているはずだもの。
「アナスン、あのね、ボクはジュールだよ。ボク、海の魔女に人魚にしてもらうよう頼んたんだ。君に見合う男になるために!」
男の人魚に変身したジュールが、こちらに微笑んでみせた。
ダイオウイカのジュールは、いつもひとりぼっちだった。
10メートルもの巨大な体軀は見るものを怖がらせ、うねうねと動き回る10本もの長い脚は、出くわしたものに気味が悪いと思わせる。
ツノダシやキイロハギなんかの小さな魚たちはもちろんのこと、イルカもウミガメもクジラも、ジュールが1歩近づいただけで逃げていってしまう。
害意など微塵も無いし、仲良くなりたいのに。
「友達が欲しいなあ……」
それがジュールの一番の望みだった。
しかし、その望みは案外簡単に叶った。
初めて友達になってくれたのは、海底を治める王の6番目の娘のアナスンだった。
まさか王族と友達になれるなんて!
ジュールは大いに喜んだ。
ジュールが声をかけたとき、彼女は怖がって逃げたりはしたが、振り返って口を聞いてくれた。
アナスンは見ず知らずの王子様を助けたり、その婚約者の心配までするような心優しいお姫様だった。
ジュールが貝殻と真珠で作ったネックレスを渡すと大喜びして、毎日のようにそれをつけて会いに来てくれた。
彼女と過ごす毎日は楽しかった。
こんな日々がずっと続くといいのに。
しかし、そう願うだけでは済まない出来事が起きた。
「ねえ、ジュール。うちに来てくれない?姉さんやお父様や、おばあさまにも、あなたのことを紹介したいの!」
アナスンがそう言って、王宮にジュールを招いてくれたのだ。
しかし、アナスンの家族はジュールを気味悪がり、アナスンは父王からジュールに近づかないよう叱責されたという。
それでもアナスンは、変わらずジュールと友達でいてくれた。
その優しさが、ジュールには痛かった。
それをきっかけにジュールの中で、ある大きな願望が生まれた。
アナスンに見合う男になりたい。
アナスンの家族にも認められるような、素晴らしい男に。
そのためにジュールは、海の魔女のところへ向かった。
「ワタシは何故お前さんがここに来たのか知っているよ。お前さん、アナスン王女のことを好きになったんだろう?」
海の魔女がニヤリと笑いながら尋ねる。
「そうです。お願いです!ボクを、アナスンに見合う男にしてください!」
「それは難しいねえ。相手は王族だよ?王族の女性に見合う男というと、それはどんな男だい?シャチかな?それともクジラ?いや、ウミガメ?」
「男の人魚です!ハンサムでたくましくて、力も強い、ボクを、そんな男の人魚にしてください!」
「ああ、いいとも。なあに、そんな難しいことじゃない。これを飲むのさ。」
海の魔女は、小さな瓶をジュールに差し出した。
「これを飲めば、人魚になれるのですか?」
ジュールが瓶を受け取る。
透明な瓶の中には緑色のドロドロした液体が入っていて、見るからに苦そうだ。
「いいや違う。これを飲んでもお前はイカのままさ。人魚になるには、これを飲んだ上でアナスン王女に心から信頼されること。そして、信頼された上で、熱い抱擁を受けることさ。そうすれば、お前は誰もが見惚れる男の人魚になれる。でも、アナスン王女に見放されることがあったら、お前は海の藻屑に成り下がる。それでもいいのかい?」
「構いません!」
即決だった。
魔女からの申し出を断る理由など、ジュールには無かった。
「では、お前の体の中にある墨という墨を全ておくれ。アレは薬の材料になるのさ。」
「お安い御用です!」
イカの墨は本来、敵に襲われたとき身を隠して逃げるためのものだ。
墨を吐けなくなった状態で、サメに襲われでもしたら、今度は脚の一部を失うくらいでは済まないだろう。
しかし、今のジュールにはそれぐらいなんてことはない。
海の藻屑になる覚悟だって、とうの昔にできている。
全てはアナスンに見合う男になるために。




