王子様のところへ
彼女は海辺で倒れていた王子様を助けて、それをきっかけに王子様と結婚することになった。
それはよかったけれど、肝心の王子様はいつも心ここにあらずで、別の女性の影を追っているのだという。
「王子様は…ぐすっ…波に攫われて、沈みそうになってたのを、助けてくれた女性が他にいるって言うの。ううっ、私のことなんかまともに見てはくれてなくて、これからを考えると、その、辛くて…」
女性は涙ながらに話した。
王子様の言っている女性は、おそらく私だ。
マズい。
このままじゃ、婚約者の女性がかわいそうだ。
何とかしなきゃ。
でも、どうしたら?
女性をなんとか慰めて、そのまま海へ帰って行くと、私はこの一部始終をジュールに話してみた。
「どうしよう?私、そんなつもりで王子様を助けたわけじゃないのに…」
ジュールがくれたネックレスをいじりながら、私は悩んで悩んで悩み続けた。
「婚約者を泣かせるなんて、罪な王子様だね。」
「ホントよ!泣きたくなるのもわかるわ。あの婚約者の女の子は隣の国のお姫様らしいんだけど。お姫様なだけに世継ぎを産むことを期待されるから責任の重圧すごいだろうし、その上で婚約者が他の女を追いかけてるんだもん。それも、どこの誰ともわからない女を。」
私は言葉を交わしたこともない王子様に呆れてしまった。
婚約者をほったらかして、見つかる見込みもない相手を探すなんてどうかしている。
「君は…どうしたいの?王子様が君を気に入ったら結婚するの?」
ジュールが不安げに尋ねる。
せっかくできた友達が地上に行ってしまうかもしれない、と思うと耐えられないのだろう。
「ううん、私の気持ちは変わらないわ!ずっと海の底で楽しく暮らすの!!だから、王子様には私のことを諦めて貰わなきゃね。」
「どうやって?」
「うーん…そういえば、私、王子様がどこにいるのかすら知らないのよね…」
思えば、私は王子様の名前も年齢も知らない。
「ボク、王子様のお城を知ってるよ。」
ジュールが脚を1本、ピンと伸ばした。
「ホント⁈教えてくれる?」
私は思わずジュールに飛びついた。
「いいけど、行ってどうするの?王子様に会えるかわからないし、何て話すの?」
ジュールが怪訝な顔をする。
「面と向かって、単刀直入に「私のことは諦めて」と言うのよ。無理なら「他に好きな人がいる」とでも言うわ。」
「うまくいくかな?」
「やってみなきゃ、わからないわ!お城はどこ?」
私はジュールからお城の場所を聞き出すと、すぐさまお城のあるところへ急いで泳いでいった。
ジュールが教えてくれた場所に向かうと、王子様は意外と簡単に見つかった。
お城の近くの岩場で、王子様が望遠鏡を持って歩き回っているのが見えた。
婚約者の女性に近づいたときと同じように、尾ひれを海中に隠して上半身だけ海面に出した状態で、私は王子様に近づいていった。
「ねえ、何かお探しなの?」
声をかけると、王子様が私の顔を見て驚いた顔をした。
「君は…ぼくを助けてくれた娘だろう?会いにきてくれたんだろう?嬉しいよ、ずっと君を探していたんだ。さあ、こちらに来て、海から上がってくれ。君を僕のところへ迎え入れたい。この城で、ぼくと一緒に暮らそう!!」
王子様が私に向かって手を伸ばした。
王子様は私を覚えていたらしい。
忘れてくれたら良かったのに。
そしたら、万事解決だったのに。
それにしても、最後の言葉が引っかかる。
今、彼はなんて言った?
「ぼくと一緒に暮らそう」って言ったわよね?
「一緒に暮らそう…って、あなたには婚約者がいらっしゃるんでしょう?」
「ああ、だから、君はぼくの側室として、城に来て欲しいんだ。」
「側室?」
「ああ、婚約者は王女さまなんだ。王子としての義務もあるから、きみとは結婚できない。でも、側室としてなら、きみはお城に入れるんだ。来てくれるね?」
王子様は白くて並びの良い歯を見せつけて、ニカリと笑った。
「ねえ、私、婚約者の女の子を知っているわ。あなたがそんなだから、毎日泣いているそうよ。それについては、どう思っているの?側室なんて、納得すると思うの?」
「それは、マリッジブルーってヤツだよ側室を迎え入れることなんて、王族ではごく当たり前のことだ。きっとわかってくれるよ!」
私はカーッと頭に血が上るのを感じた。
何の気無しにこんなセリフを吐くような男、そりゃ婚約者も泣きたくなるわ。
側室を迎えることなんて、王族なら当たり前なのだろうけど、冗談じゃない!と思った。
どうして男というのは、「向こうは遊びで、本気で愛してるのはきみだよ!」という理屈を女が理解して受け入れてくれるものと思うのだろう?
その「遊び」を嫌がっているのだと何故わからないのだろう?
「ふざけないで!!」
私はありったけの力をこめて、思い切り尾ひれを振り、これでもかと思うほどの大量の海水を、王子様の顔面めがけて飛ばした。
「な、何をッ、って、うわっ!」
驚いた王子様は、足場の悪い岩場でバランスを崩して、海に落っこちた。
死ぬような高さでは無いし、悲鳴を聞いた誰かが助けに来るだろう。
私はさっさとその場を離れて海中へ泳いで帰っていった。
考えてみれば、おとぎ話なんてみんなイカれてる。
シンデレラや白雪姫がブスだったり、オバさんだったら王子様は素通りするだろう。
そもそも、お姫様はみんな美人設定でないと話にならない。
シンデレラや白雪姫って結婚した後は幸せだったのかしら?
生まれも育ちも、まるっきり違う男性と結婚して、価値観の相違や、離縁される不安や、他の女の影に苦しむことはなかったのかしら?
あんな話をロマンチックだと言える人の気持ちがわからない。
おとぎ話に現実を持ち込むのはバカバカしいけれど、そう考えずにはいられない。
「アナスン、どうだった?」
怒りにかられながら海中を泳いでいると、ジュールが心配して近づいてきた。
「断ったわよ!ホントに信じれない!」
私は王子様に言われたことや、自分がしたことをジュールに話した。
ジュールは王子様の愚痴をこぼし続ける私に、ずっと付き合ってくれた。
「やっぱり、私には海底の生活が性に合ってるわ。」
王子様と対面して、私は改めて実感した。
あんなヤツ、欲しい人にくれてやるのが一番だ。
「そっか…君の気が変わってしまって、やっぱり王子様と結婚するって言い出したらどうしようと思ってたから、嬉しいよ。」
ジュールが10本の脚を交互にバタつかせて嬉しそうに笑った。
改めて、ジュールの姿をしっかりと見つめてみる。
ジュールは体が大きいし、10本もの長い脚がクネクネ動く様子は、はっきり言って気持ちが悪くて、とてつもなく怖い。
彼の姿を見た途端に、みんなが逃げていくのもわかる気がする。
多くのファンタジー映画やマンガ作品に登場する恐ろしい海の巨大生物クラーケンは、ダイオウイカがモデルだという。
これをモデルに、あんな生き物を想像した人の気持ちもわかる。
でも、ジュールは誰より優しいし、一緒にいるととても楽しい。
見てくれだけの自分勝手な王子様より、はるかに誠実で頼もしい。
こんなに頼もしくて素晴らしい友達を差し置いて、王子様と結婚して地上で暮らすなんて、とても考えられないわ。
「そんなの絶対ありえないわ。ねえ、ジュール。私たち、これからもずっと友達よ?これからも一緒に地上の世界を見に行ったり、イワシの群れと追いかけっこして、ずっと楽しく過ごしましょう!お祖母さんや姉さんたちがあなたを怖がっても、お父さんがどんなに怒っても、ずっとずっと一緒よ!」
私はジュールの大きな体にしがみつくようにして抱きついた。
ジュールの体を覆う表皮の、ヌルリとした感触が肌に伝わった。