ダイオウイカ
私はすぐさま海底に戻っていって、地上で起きたことを祖母と姉、父にも話した。
船の上で盛大に行われていた王子様の誕生パーティー、あくせく働く水夫やきらびやかな衣装のダンサー、花火、突然の嵐、溺れた王子様、王子様を助けた後の出来事も。
「それはいいことしたわね、あなた。」
「でも、できるだけ人間に姿を見られないようにするのよ。」
「そうだよ、人間には私たちを見世物にしようとする者もいるらしいから。」
「食べてしまおうなんて考える者もいるそうよ。おお、なんて恐ろしい!」
「人間は人魚の肉を食べれば不老不死になれると思ってるそうよ。」
みんながみんな、それぞれ褒めてくれたり、心配もしてくれた。
そう、これでいいんだわ。
それから1ヶ月後、私はまた海面から顔を出して地上の世界を眺めていた。
小さな子どもたちが、波打ち際でパチャパチャ音を立てて遊んでいるのが見えた。
それをそばから両親らしき男女が見守っていた。
おそらく、この男女と子どもたちは家族なのだろう。
それを大岩の影から見ていた私は、家族のことを思い出して泣きたくなってしまった。
現世では今頃、私のお葬式をしているのだろうか。
前世の私は、生まれたときから足が不自由な寝たきり生活。
移動するときはいつも車椅子だった。
父は毎朝、私を抱きかかえて車椅子に乗せてくれて、学校まで送ってくれたっけ。
学校は特別支援学校に通っていて、先生や同級生もみんな優しかった。
母は家事や小さな妹の面倒が大変な最中、いつも私の入浴や食事の介助をしてくれた。
3つ上の兄はそんな父と母を一生懸命手伝った。
12歳下の妹のアキは寂しがっていないだろうか。
死を理解するには、アキはまだ幼い。
「ねえね、おはよー」「ねえね、えほんをよんで」と私を呼ぶ妹の姿が、今でも鮮明に思い出せる。
思わず、涙が出てしまった。
「ねえ、君」
聞き慣れない声が聞こえてきて、私は声のする方を振り返った。
「きゃあああああーー!!」
思わず驚いて、悲鳴をあげた。
声の主は、体長10メートルはくだらない白くて大きな生き物だった。
あまりの大きさに圧倒され、思わずその場から逃げ出してしまった。
「ねえ、待って!驚かせてゴメンよ、怖がらせる気は無かったんだ!!」
大きな生き物が後を追いかけてくる。
「えっ、あ…こっちこそ、ゴメン。」
バタつかせていた尾ひれを休め、泳ぎを止める。
振り返ってみると、大きな生き物の正体がわかった。
大きなイカだ。
こんなの、原作にいたっけ?
「えっと、あなた、イカ?」
大きな生き物の方へ泳ぎ寄り、おそるおそる話しかけてみる。
「うん、そうだよ。あの、きみ、何で泣いてたの?どこか痛い?」
大きな生き物はどうやら、私を心配して声をかけてくれたらしい。
「いや、あー、ちょっと、辛いこと思い出して…」
見られていたのか、と思うと少し恥ずかしい気持ちになる。
「そうかい、ボクもそういう気持ちになることがあるよ。」
大きな生き物は10本の脚をうねうね動かして話した。
私はしばらく、そのイカと話し込んだ。
見た目の大きさや奇怪さに反して気さくで話しやすく、結構に会話ははずんだ。
彼はジュールという名前のダイオウイカで、私と同じく、よく海面まで上がって地上の世界を眺めているのが好きらしい。
「ボクを見るとみんなして逃げていくから、お喋りに付き合ってくれて、とても嬉しいよ。ありがとうね、アナスン」
帰り際、彼からお礼を言われた。
「私も楽しかったわ。また会おうね!」
私もお礼を言って、その日は海中で別れた。
それからというもの、私たちはよく一緒に行動するようになった。
一緒に海面まで上がって海辺の街を眺めたり、イワシの大群を追いかけたり、海中でひたすらお喋りしたり。
サメに追いかけられたときには、ジュールは私をかばって守ってくれた。
サメの牙が私の尾ひれに届くまで、あと一瞬というまさにそのときに、ジュールは大量の墨を吐き、サメの目をくらませた。
しかし、サメがヤケクソでジュールの脚にガブリと噛みついてきた。
結果、彼の脚が一部欠けてしまった。
「ごめんねジュール、大丈夫?」
とても痛かっただろうに、そんなときでも、ジュールは私を心配させまいと「これぐらい大丈夫!」と笑って返してきてくれた。
彼は本当に優しくて頼もしい。
そんな彼を家族に会わせたくて、一度だけ私たちの住む王宮に、彼を連れてきたことがある。
しかし、姉も祖母も奇怪な見た目のジュールを怖がってしまって、一目散に逃げていってしまった。
父に至っては、「あんな恐ろしい化け物と関わるんじゃない」と怒り出した。
仕方なく私たちは、外でこっそり会うようになり、ときどきはジュールの住処にお邪魔して、彼のコレクションを見せて貰った。
大小さまざまな色かたちをした瓶に、どこかの誰かが落とした指輪やイヤリング、小さな貝殻、真っ白に輝く真珠。
ジュールはその真珠と貝殻でネックレスを作ってくれて、私にプレゼントしてくれた。
こんなに優しい彼なのに、家族がわかってくれないのが、本当に残念でならない。
「君は「ハナビ」って知ってるかい?」
ある日、海面を揺蕩いながらお喋りしていると、ジュールがそんな話題を振ってきた。
「知ってるわ、パンパン音を鳴らしながら空に上がるものでしょ?すごくキレイよね。」
花火なんて、前世から今に至るまで何度も見てるしね。
「ボク、こないだそれを見たんだ。お船の上で王子様の婚約のお祝いしてたみたい。すごく面白かったよ。」
ジュールが10本の脚を嬉しそうにバタつかせた。
「ああ、王子様、結婚するのね。」
ああ良かった。
王子様も女性も無事にハッピーエンドを迎えられたのね。
「王子様のこと知ってるの?」
「ええ、私ね、王子様の誕生祝いの日にたまたま出くわしたの。花火もそこで見たわ。」
「そうなのかい、でもね、女の子の方はなんだか悲しそうな顔してたよ。しばらくしてから地上を見に行ったら、その女の子が海辺で泣いてたところを見たんだ。それこそ、毎日泣いてるみたい。」
ジュールの声に元気が無くなる。
「どうして?王子様と結婚できるのに。」
「わからない。ねえ、アナスン。君はハンサムな人間の王子様と結婚できたら嬉しいと思うの?」
「ううん、思わないわ。ずっと海の中で家族と過ごしたい!」
ジュールはなぜそんなことを聞くのだろう?
いや、それよりも「女性が泣いていた」というのが気になる。
後日、海面から顔を出して海辺の方を見やると、ジュールの言う通り、あの女性が岩場でうずくまって泣いていた。
どうして泣いてるのかしら?
見たところ嬉し泣きでは無さそうだし。
マリッジブルーってやつ?
その悲しそうな様子がどうしても気になって、近づいてみることにした。
大きな賭けではあるけれど、尾ひれが見えないように近づけば人魚だとバレないわ。きっと大丈夫。
海辺にゆっくりゆっくり近づいて、女性の目の前までたどり着いた。
「ねえ、あなた、どうして泣いてるの?」
尾ひれを海中に沈めて、上半身だけ出した状態のまま、話しかけてみる。
「ぐすっ、うっ…あなた、だれ?」
膝に顔をうずめていた女性が顔を上げ、こちらを見た。
キレイな人だ。
こんな美人を泣かせるなんて、王子様は一体何をしたのだろう。
「私は…この辺に住んでる漁師の娘よ。貝とかを拾ってたの。どうしたの?良かったら、お話を聞くわ。」
とっさに取り繕って答える。
「私、もうすぐ結婚するのだけど…」
女性は泣いている理由を教えてくれた。
海辺で倒れていた王子様を助けて、それをきっかけに王子様と結婚することになった。
しかし、肝心の王子様というのが……