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第一幕・三話

 夜道を、一人で歩いていた。

 酔った、ふらつく頭で午前中の事を考える。

 結局あの後、チャイムが鳴って話は終わってしまった。

 彼女の悩みが、わたしの話で解決に向かってくれればいいと思う。

 

……問題は、それで過去を思い出してしまって思わずやけ酒してしまった事だ。

 学校が終わり、帰り道。

 思わず過去に戻りたくなって、居酒屋に立ち寄ってしまったのがいけなかった。

 思いっきり飲んでしまい、気が付けばふらふらとした頭で夜道を歩くことになっていた。


「そこのお姉さん~?」


 ふと、声をかけられる。ぱっと見二十代くらいの男性……が、三人いる。


「ねえ、今暇?」


 肩に手をかけながら馴れ馴れしく声をかけてくる。こっちはもうお酒飲んで帰る途中なんですが。


「あはは……もう帰るんで」


 言って、手を振りほどいて立ち去ろうとするががっちりと腕を掴まれてしまう。


「いいじゃんいいじゃん、一緒に飲もうよ~」


 へらへらと笑いながら話す男。体にまとわりつく視線が不愉快だった。


「やめて、くださいっ……!」


 腕をほどこうとするが、ほどけない。強い力で腕は掴まれたまま。

 どれほどそうやって押し問答をしただろうか。ふと、後ろで笑っていた男が言う。


「なあ、面倒だしやっちまおうぜ。どうせ女一人だ」


 その言葉を皮切りに、力の入り方が変わる。目の色が変わり、ぐっと距離をつまされる。

 恐怖という感情が全身に広がり、少しずつ力が抜けていく。


「やめてっ!」


 叫ぶ。けれどここは深夜の住宅街。誰かが反応する訳がなく。


「うるせぇ!」


 力に乱暴に押しつぶされる。もはや自分では何もできない。

(……誰か、たすけて)

 そう思った瞬間に、光で照らされる。

 それは懐中電灯の光だった。誰かが、助けに来てくれた……?


「何してる!」


 けれど、光の方から聞こえた声を聞いてまずいと思った。

 余りにも聞き覚えのある声。今日も保健室で聞いた、あの声。


「……ダメ! 氷室さん!」


 思わず叫ぶ。勝てるわけがない。けれど叫ぶという行為は、逆効果だった。


「先生……?」


 何かがぷつりと、切れた音が聞こえた気がした。


「へへ、誰かと思ったら女一人か……一緒に」


 男は言葉を言い切る前に吹き飛ばされていた。


「先生に、何してるんだ?」


 今までで一度の聞いた事の無いような声。腹の底から響くような、ドスの聞いた声。


「お、おい、どうしっ――」


 もう一人も、何かを言い切る前に蹲る。倒れる二人。座り込むわたし。


「す、すいませんでした!」


 残った一人は、二人を置いて叫び泣き帰ってしまう。氷室さんは、わたしに手を差し伸べてくれる。


「先生、大丈夫ですか?」

「……うん、ありがと」


 かっこよかった。それこそヒーローのように。

 緊張の糸が切れる。視界が暗くなっていき、意識が離れていく。


「……先生? 先生!?」


 叫ぶ声を最後に、わたしは意識を手放していた。


***


 気が付けば知らない場所。美しい木目の天井に暖かな布団。頭が痛む。昨日は確か……


「先生、目を覚ましましたか!」


 私服姿の氷室さんが、慌てて駆け寄ってくる。その顔を見て昨日、何があったかを思い出す。


「……ここは?」

「僕の、家です」


 やってしまった。思わず頭を抱える。酔って帰り、生徒に助けてもらった挙句に意識を失い介抱してもらうとは。考えれば考えるほど教師失格だった。


「大丈夫、ですか?」

 

心配そうな声で近寄る氷室さん。申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


「ごめん、大丈夫……」


 言いながら自分の携帯で時間を確認して……そしてまた、やってしまった時が付く。

 だって今の時間、十一時。しかも平日。終わった……


「というか氷室さん、学校は?」

「休みました」


 間髪入れずに答える彼女。休みましたじゃないと言いたいけど、ほとんどわたしのせいだから何も言えなかった。

 ともかく学校に連絡だけする。謝りたおして、今日は休みにしてもらう。

 電話が終わり、これからどうしようか考え始めた時、ふと声がかけられた。


「先生」


 彼女はやけに真剣な表情をしていた。目が、離せない。


「なに?」


 緊張していた。彼女からいったい何を言われるのかが想像できなくて。


「先生、相談の続き、してもいいですか?」

「……いい、ですよ」


 こんな状況のわたしに相談するなんて、いったい何だろうか。


「僕、昨日……昨日初めて、空手を習っていてよかったって、そう思えたんです」


 自らの拳を握り締めながら笑う彼女。


「どうして?」

「だって、好きな人を守ることが出来たから。他の誰でもない、自分自身で」


 聞き捨てならない言葉が出てくる。待って。


「……好きな人?」


 聞き返すと、コクリと頷いてわたしの事をじっと見つめる。


「僕はあの日……入学式の時、優しく声をかけてくれた先生の事が、忘れられませんでした。それで、ずっと悩んでいた。けど、昨日、気付いたんです」


 布団の上に置いた手を握られる。自分の顔が熱くなるのが分かった。


「僕は……先生が、好きです」


 向けられた好意。嬉しいという感情は嘘じゃない。けれど、胸中にある古傷が疼く。


「今すぐは、答えられない」


 今のわたしじゃ、彼女の希望を叶えることは出来ない。きっとどこまでも不誠実な交際になってしまうから。目の前の彼女は、そんなわたしの答えを予想していたかのように儚げに笑う。


「いいんです。今は、まだ」


 今はまだ。その言葉が意味することは。


「ただいつか……いつか、先生に相応しい人になります。だから、その時まで待っていてください」


 そう言って笑う彼女の顔をまっすぐ見つめることが、出来なかった。


「ごめん」


 待っている、だなんていうことは出来なかった。今のわたしはただ小さく、謝るのが精いっぱいだった。


 この日以降、氷室美冬という生徒は授業中に保健室に来ることは無くなった。

 わたしは、ほんの少しだけ変わった日常へと戻ったのだ。

 それでも、胸の奥に小さな炎は残り続ける。氷室さんの顔と共に思い浮かぶのは一人の同僚の顔。


「久々に、飲みに誘おうか」


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