第六幕・二話
「で、僕に話しかけたってこと?」
放課後立ち寄ったカフェの中。僕はコーヒーを頼み、目の前の彼女はココアを頼む。
机を挟んで向かい合い、口を開く彼女。
「そう。雪乃……冬原先生の事、教えてほしくて」
「いいけど……なんで、先生の事を知りたいの」
彼女はすぐに言葉を返さない。互いに目を逸らさず、睨みあう。
一度、風見さんは目を閉じて息を吐き出した。そして目を開き、言葉を紡ぐ。
「あたし今……とある人と、一緒に住んでるの」
「とある人?」
誰とは、まだ言わなかった。彼女は言葉を続ける。
「そう。その人がね……家に、連れてきたんだ。その、雪乃って人を」
「……え?」
何を言っているのか理解するのに、数秒かかった。
そして、言葉の意味を理解した瞬間に、感情の波が僕を襲う。
「詳しく、教えて」
思わず身を乗り出してしまった僕の事を、彼女は諫めなかった。静かに頷いて、語り始める。
初めは、先生が連れ込まれたという事実を話していた。次第に話は、遥と同居人である春待先生の事へと移り変わっていった。そして最後に、僕と雪乃先生の話を、した。
立場も、起きた出来事も違う。けれど、先生に恋をするという滅多に無い共通項は、僕たちの距離を詰めるには十分だった。
「似てる、僕たち」
互いに近況を話し終えて、僕は言う。遥の恋はとても可愛らしくて、少しだけ羨ましく思えた。
「そう、だね」
目の前の少女は今きっと、自分の恋を考えている……僕と、同じように。
「えっと、遥、さん」
「遥で、いいよ~……あたしも、美冬って呼んでいい?」
「いいよ。それで一つ、相談なんだけど」
これから彼女に言う言葉を想像して、息を飲んだ。
きっと彼女ならば、僕の抱えるこの思いに何かしらの意見をくれると、思ったから。
思い浮かべる。雪乃先生の顔を。そして、どこか遠くを見るあの瞳を。
あの目を思い出すたびに悔しさと、切なさが募る。
そして、自分はなんて無力なのだろうと自らを責めたくなる。
「……先生は、僕を見てくれない」
言葉を聞いて遥は、苦いものを飲みこんだかのような顔をした後、言う。
「そっ……か」
困った顔をする彼女を見て、この先を話していいのかと少しだけ思えた。けれど、想いと共に自分の内から溢れる言葉を、僕は止められなかった。
「……先生の事が、好きなんだ。僕の心の悩みを取り払ってくれた先生が。僕は、先生に告白をして……待って欲しいって、言ったんだ」
「素敵、だね」
憧れるように言う遥。けど違う。違うんだ。
「……ありがとう。けど、そんな綺麗なものじゃない」
思わず、笑ってしまう。胸に抱えているものを自覚して……なんで頬が、濡れてるんだろう。
「待っていてほしいとは言ったけど、先生と話す機会が消えたわけじゃないし、変わらず話していたつもりなんだ……二か月、前までは」
二か月前という単語を聞いて、遥の瞳が揺らぐ。ああ、彼女と春待先生が出会ったのはちょうどその頃だった。そういう、事なのか。
「あの日から、どこか遠かった。まるで、僕を挟んだ向こう側にいる誰かを見るように」
春待先生は、遥と出会い、問題を解決し……そして、学校を去った。
先生にとっては、大切な人だったんだ。その……春待空という人物は。
「きっと、先生は……春待先生を、見てたんだ」
目の前の彼女は何も言わない。僕の心の中には、ただただ悲しいという気持ちが溢れていた。
大切な人の、代わりとして見られる事。僕の事を見てくれていると、そう思っていたのに。
……分からない。自分の気持ちも、雪乃先生の気持ちも。
「僕は……どうすれば、いいんだろうな」
真っ暗な雲が、心を覆う。遥は、僕の嘆きを聞いて考え始め……そして、口を開いた。
「あたしだったら……あたしだったら、言うよ」
「……なに、を?」
聞くと、じっと遥は僕の目を見た。決意に満ちた栗色の瞳が、僕を射抜く。
「先生、あたしをちゃんと見て、って」
その言葉を聞いて、考える。言えるのならば言いたい。
けど……その言葉を、今の僕が言ってもいいの?
「……先生に、相応しい自分になってからって」
「そんなこと言ってたら、取られちゃうよ?」
言われて、気付く。
相応しい自分になるまでに先生を誰かに取られてしまったら、意味がない。
待っていると、先生は言っていた。だから、いつまでも待たせる訳にはいかないんだ。
僕は……逃げていたんだ。相応しい自分になるって言って、自分の気持ちを言うことに。
「……取られるのは、やだな」
暗雲立ち込める道の先に光明が差した。すっと心が、胸の中が軽くなる。
「ありがとう、ちゃんと、言うよ」
彼女に話してよかったと、心の底から思えた。
「うん、よかった」
微笑む遥の姿を見て、思う。遥とは今日会ったばかりのはずなのに、数年間共にいた友人のようだと。遥はココアを一口飲んだ後、息を吐きながら呟く。
「けど、いいなぁ……そういう、恋」
「いいって、何さ。というか」
彼女に恩返しをしたかった。この恩を一方的に受け取ったまま帰るわけには、いかない。
そして、分かるんだ。彼女自身が、僕と同じような悩みを抱えていることは。
じっと、見つめる。遥の栗色の瞳が揺れる。
「遥に悩みは……無いの?」