第五幕・三話
目の前に座る美冬からの問いに、あたしは考える。
悩み、直接的に聞かれたその言葉を考える。悩み、悩み……
雪乃先生の件はきっと、美冬が何とかしてくれるから。他には……
「そう、だなぁ……どうやって、距離を詰めればいいんだろう」
美冬の話を聞く前は、自分が先生に抱いている感情が何なのかを、はっきりと言えなかった。
けれど、恋をする美冬の話を聞いて、気が付いた。
――あたしは、空先生のことが好きなんだって。
けど、気付いたからと言って何をすればいいのかが全く分からなかった。
むしろ、これまでしていた行動がしづらくなるんじゃないかとすら思えた。
「距離、詰めたいの?」
美冬の質問に頷く。今ははっきりと、そう思えたから。
「もっと、先生と一緒に居たい。もっと、先生の傍に居たい……もっと、先生の大切な人に、なりたい」
口に出すたびに、胸の奥が熱くなっていく。
そして、先生のことが好きなんだと再実感していく。
……だからこそ、胸がはち切れそうなくらいに苦しかった。
「……けど、そうしたらいいのか、分かんないよ」
言うと、美冬は笑った。悩むあたしがおかしいと言わんばかりに。
「ふふっ……おかしい」
「なにが、おかしいの」
「だって」
鼻先に突き付けられる指。自信の戻った彼女の濃紺の瞳は、あたしをまっすぐと射抜いた。
「さっき、言ってたじゃん。『あたしだったら、言うよ』って」
確かに、彼女の言うとおりだった。けど……
「言ったよ……言った、けどさ。それを、先生に伝えてもいいのかな? 困らないかな……?」
重たくて、自分一人では持てないような悩みを美冬は簡単に吹き飛ばす。
「いいじゃん。好きって言われて、嫌な人はいないよ」
背中を押すようなその言葉。それですっと、何かつかえが取れた気がした。
「……いい、のかな。告白、しても」
力いっぱいに頷く美冬。彼女を見て、あたしも決心できた。
「ありがとう、美冬。あたし……先生に、告白する」
「僕こそ、ありがとう。聞く勇気が、持てたよ」
笑いあう。今ここにいるのは、決意を固めた二人の雌豹。
「じゃあ、こんなことしてる場合じゃないね」
「そうだね」
どちらからともなく立ち上がって、二人で店を出る。
行く先は違う。けれど互いに目指すのは、幸福というゴール。
「健闘を祈るよ」
やけにかっこつけながら言う美冬。けれどその後ろ姿は、確かに様になっていて。
「そっちこそ」
言葉を返すと、にやりと、美冬は笑う。もう、これ以上言うことはない。
「「じゃあ、また」」
駆け出す。家に向かって。後ろからは同じように走り出す音。
……告白がうまくいって、色々片付いたら。
また美冬と、話せたらいいな。
バスに乗ったほうが、きっと早かったと思う。
それでも、待つ時間がまどろっこしくて、内側から溢れ出る想いに抑えが効かなくて。
懸命に走った。すぐ息は上がるし、足は痛くなるし、目がちかちかする。
こんなんだったら、普段からちゃんと走ってれば良かった。
駆けながら、流れてくるのは出会いから今までの、思い出。
……先生には、本当に、本当によくしてもらった。
あたしに、帰る場所をくれた。仕事だって忙しいはずなのに、あたしを気にかけて、やさしくしてくれて……ベッドに潜り込んでも怒らずに、優しく頭を撫でてくれるんだ。
いつか、先生に聞いたことがあった。
「なんで、あたしを助けたんですか」
って。そしたら先生はあたしの髪をぐしゃっと撫でて、穏やかに言ったんだ。
「なんとなく……けど」
じっと、先生はあたしの目を見た。心臓が、うるさかった。
「後悔は、してないよ」
その言葉で、思わず泣きそうになった。一生、忘れることはないであろう言葉。
先生は、沢山のものをくれた。幸福も、愛情も……それこそ色んなものを、沢山。
だから、言うんだ。好きだという想いを伝えて、先生にもらった沢山のものを、返したいって。
「はぁっ……はぁっ……」
家にたどり着く。息を整えることもなく、鍵を開けて家の中に入った。
「遅かったね、おかえりなさい」
「せんせい、こそ、早いじゃん」
先生はあたしの様子を見て、心配そうに近づいてくる。
喉はカラカラで、頭の中は真っ白で。
それでも、言うべき言葉は見えていて。だから勢いのまま、言葉を紡ぐ。
「先生。大切な、話が、あるの!」