第五幕・二話
「で、僕に話しかけたってこと?」
雪乃という人物を追いかけていくうちに、ぱっと見少年と勘違いしそうな少女に行き当たった。
氷室美冬と名乗ったその女子生徒は、あたしのいきなりの訪問にも快く応じてくれた。
放課後、高校近くのカフェ。美冬はコーヒーを頼んで、あたしはココアを頼んだ。
注文を終え、向き直す。
「そう。雪乃……冬原先生の事、教えてほしくて」
切り出すと、美冬の濃紺の目が細くなる。
「教えるのはいいけど……なんで、先生のことを知りたいの」
警戒心がにじみ出ていた。けれどあたしは、雪乃という女性のことを『先生』と親しげに呼ぶ彼女に、少しだけ親近感を覚えていた。
……どこまで誤魔化して、どこまでを話せばいいだろうか。
嘘を吐くことも考えた。けれど、目の前の彼女のどこまでも真剣な濃紺の瞳を見て、思う。
あたしも真剣に話さなきゃいけないと。何があって、なぜ探っているのかを。
「あたし今……とある人と、一緒に住んでるの」
「とある人?」
「そう。その人がね……家に、連れてきたんだ。その、雪乃って人を」
「……え?」
言うと彼女は一度呆けた声を出した後、ぐっと身を乗り出して聞いてくる。
「詳しく、教えて」
そこから、色々なことを話した。
初めは、先生が雪乃という女性を連れ込んだという『事実』を。
次は、あたしと先生の間にあった出来事を。
最後に、美冬という少女と雪乃という女性の間に何があったのかを。
「……似てる。僕たち」
話し終えて、美冬はそう言った。確かに、あたしと彼女は似ていると思った。けれどなんだか、美冬の抱く想いは、私の思いよりも綺麗に見えた。
「そう、だね」
きっと彼女も今、自分のことを考えている。
「えっと、遥、さん」
「遥で、いいよ~……あたしも、美冬って呼んでいい?」
「いいよ。それで一つ、相談なんだけど」
一度息をのんだ後、美冬は切り出した。自らの胸の奥に残る、しがらみを。
「……先生は、僕を見てくれない」
そう語る美冬の顔はどこまでも悲しそうで、言葉を返すまでに多大な時間をかけた。
「そっ……か」
詰まったような返事。美冬は、語る。
「……先生のことが、好きなんだ。僕の心の悩みを取り払ってくれた先生が。僕は、先生に告白をして……待ってほしいって、言った」
「素敵、だね」
素直にそう思えた。彼女の想いが眩しくて、思わず目を逸らしたくなるくらいには。
「……ありがとう。けど、そんな素敵なものじゃない」
美冬は笑う。寂しそうに。彼女の濃紺の瞳には、涙が滲んでいた。
「待ってほしいとは言ったけど、先生と話す機会が消えたわけじゃないし、変わらず話していたつもりなんだ……二か月、前までは」
言葉が途切れる。揺れる瞳は、彼女の悲しさを物語っていた。
そして、二か月前という言葉。あたしが、先生の家に住み始めたその瞬間。
「あの日から、どこか遠かった。まるで僕を挟んで、何かを見ているかのように」
あたしのせいなのかなと、少しだけ思った。けれど何かを言うことは出来なくて。
ただただ、黙って聞いていた。
「きっと、先生は……僕の向こうに、春待先生を見てたんだ」
何も言葉を返せなかった。きっと、『辛いね』という言葉でも、『ひどいね』という言葉でもなく……簡単に言葉で言い表していいような感情では、無かった。苦悩は、続く。
「僕は……どうすれば、いいんだろうな」
その問いを聞いて、あたしは考える。もし、自分が彼女の立場だったらどうするかを。
「あたしだったら……あたしだったら、言うよ」
「……なに、を?」
はっきりと、美冬の目を見て答えた。これが、あたしにとっての真剣。
「先生、あたしをちゃんと見て、って」
その言葉を聞いて考え始める美冬。今のあたしに言える言葉は、これが精いっぱい。
「けど、先生に相応しい自分になってからって」
「そんなこと言ってたら、取られちゃうよ?」
美冬から雪乃先生を取るとしたら、間違いなく空先生だから。
打算と本心が混じっているけど、それでも彼女と雪乃先生は結ばれてほしかった。
「……取られるのは、やだな」
美冬は何度か頷いた後、納得したかのように大きく一度頷いた。そして、憑き物が落ちたかのような顔であたしに笑う。
「ありがとう。ちゃんと、言うよ」
その笑顔を見て、本当に良かったと思えた。彼女の悩みの助けになれて。
「うん。よかった」
笑いあう。あたしの中で、彼女はもはや大切な友人にまでなっていた。
温くなったココアを口に運ぶ。飲んで、ほっと息を吐いて、呟いた。
「けど、いいなぁ……そういう、恋」
「いいって、何さ。というか」
美冬は一度言葉を切って、じっとあたしのことを見つめた。どうやら、今度はあたしの番らしい。
「遥に悩みは……無いの?」