第四幕・三話
雪乃を抱えたまま、私は自分の家に着く。玄関を開け、自室のベッドに二人で倒れ込む。もう着替えるもの面倒で、スーツのまま布団を掛けて、眠る雪乃の髪を撫でる。
「相変わらずだなぁ……雪乃は」
私の前だと、そんな風に素直な姿ばかりを見せて。
「そらぁ……」
呼びかけた声に反応したのか、甘えた声で私を呼ぶ雪乃。
「ん……起きた?」
彼女は私にギューッと抱き着きながら、もぞもぞと動く。
「ん~」
もぞもぞが止まり、より強く体を抱きしめられる。
ひょこりと、雪乃は布団の中から顔を出した。
「ねえ、そら……」
「なに?」
「高校時代の夢、見たよ……」
「……懐かしいね」
雪乃が見た夢。それはきっと、帰り道の途中で見た夢。
ちょうど私も、あの頃のことを考えていた時間。
雪乃の頭を撫で続ける。元々の癖っ毛に、寝ぐせも相まってぴょこぴょこと跳ね続ける鳶色の髪の毛を。
「相談、覚えてる?」
雪乃はごろんと寝返りを打つ。彼女の行動が、最近よく布団に入ってくる遥の姿を思い出させた。もちろん違うところだって多い。
遥の方がわがままで、不器用で……けどどこか、言葉に出来ない所が、似ているんだ。
「どの、相談?」
「……告白受けたって、話」
雪乃からされた告白の相談は複数回ある。高校から今までの間に。けれど流石に、数年前の話ではないだろう。
「昨日の?」
雪乃は頷く。ただじっと、ひたすらに私の顔を見つめながら。
「告白ね、嬉しかった、けど……」
「けど?」
ここまで言って、口をつぐむ雪乃。ゆっくりと私は、次の言葉を待った。
「私、好きな人がいるの」
雪乃の言葉。なんとなく、予想はついていた。だからこそ、それ以降の言葉を聞くのが怖かった。それでも、聞く。
「……誰?」
「そら」
間髪入れずに雪乃は言った。
……分かっていた。わかって、いた。
「そらが、ずっと、好きだったんだよぉ」
「……ほんとに?」
それでもまだ、今ならまだ嘘だと言われても信じられるような気がして、そんな質問をしてしまう。返事は、ない。
代わりにギュッと、力強く抱きしめられる。ああ、そっか。やっぱり、そうだったんだ。
雪乃は私を抱きしめながら叫ぶ。雪乃の感情と言う大波に、心が塗りつぶされていく。
「ずっと、ずっと好きだった! 出会った頃は可愛いなって思って、しっかりしてるなって思って、その癖してちょっとお茶目で、優しくて、わたしの事、ずっと気にかけてくれて。……なんで空なんだろうって何度も思った! 気持ちだって、伝えたかった! けど、空を困らせるのが嫌で、この気持ちを忘れようって何度も思った! なのに、忘れられなくて、ずと、ずっと残ったままで! ずっと、言いたかった……!」
熱かった。抱きしめられた体も、頭も、心も。
雪乃が、ここまで私の事を想ってくれているとは思わなくて。
申し訳ない気持ちと、これだけ想われていたという喜びが、胸に広がった。
そしてだからこそ、これから告げる言葉が彼女にとってどれだけ残酷かも、分かってしまう。
「……ごめんね、雪乃」
私にとっての雪乃はもう、親友で。私は、雪乃みたいに想い続けることはできなくて。
代わりに脳裏に浮かぶのが、無邪気に笑う遥の顔で。
……雪乃に告白されて初めて、私が遥に抱く感情が雪乃と違うことに気が付いて。
「私も、好きだったよ」
ごめんね。思わずまた謝りそうになるのを堪えた。それはきっと、彼女のこれまでの想いを踏みにじってしまうから。
私はただ、彼女を抱きしめた。力を込めて、優しく。
「……ごめん、そら」
雪乃はそう言って、泣いた。
あの後、雪乃は泣き続けた。それに釣られて泣きそうになるのを私は、必死に堪えていた。
どれくらい、時間がたっただろうか。落ち着いた雪乃はようやく、私の顔を見た。
泣き腫らした真っ赤になった瞳を見て、心が締め付けられた。
「……そら」
優しく笑う彼女。そんな顔を、見せないでほしい。
「ありがとう」
お礼なんて言われる立場じゃない。
私は雪乃を傷つけて、貴女の気持ちに答えられなくて……
けれど、それでも受け止めなければいけないものだった。
「どういたしまして」
こうして私の……『あの頃の恋』は、終わった。
去り際に、小さく。雪乃の呟きが、聞こえた。