第三幕・三話
「相変わらずだなぁ……雪乃は」
空の声が上からする。何やらふわふわしたものに体が包まれて、暖かくて気持ちがいい。
「そらぁ……」
お日様の匂い、お布団の匂い。心地よくて、思わず甘えてしまう。
「ん……起きた?」
安心する声だった。気がどんどん緩んでいくのを感じる。
「ん~」
懐かしい夢を見た。心が揺らぎ、胸の奥に沈めた後悔という名の氷がゆっくりと溶けていく。
「ねえ、そら……」
「なに?」
「高校時代の夢、見たよ……」
「……懐かしいね」
途切れる会話。撫でられ続ける頭。まるで、あの頃に帰ったかの様。
「相談、覚えてる?」
ごろりと寝返りを打って、空の顔が見えるようにする。もちろん全く変わってない訳じゃない。あの頃から数年が経って、互いに少しは成長した。けれど大きく変わるわけもなくて、空の雰囲気はどこまでもそのままだった。
「どの相談?」
「……告白受けたって、話」
「昨日の?」
頷く。空の、藍色の瞳が揺れる。
「告白ね、嬉しかった、けど……」
「けど?」
ここまで言って、言う事を躊躇う自分がいた。
大人になった今なら分かる。きっと空は、わたしの言葉を聞いて何かを変える事は無いだろうと。けれど胸に残り続けた想いの塊は錆び、固着し、もはやそれを動かして消すことすら難しい。
脳裏に浮かぶ。空の顔と、氷室さんの顔が。
……まだ、わたしが氷室さんのために何を出来るかが分からなかった。
それでも、彼女の真剣な気持ちをないがしろには出来ない。
彼女に一歩踏み出すように言ったのは、他の誰でもないわたし。
だからこそ彼女のために、そして自分のために今一歩踏み出さなきゃいけなかった。
口が乾く。声を出そうとして、喉から出る音は声にならない。
それでもわたしは、空に言った。
「わたし、好きな人がいるの」
一度口に出してしまうと、一気に思いが溢れて止まらなくなる。
胸の奥に溜め込んだ想いを堰き止める物が無くなった今、間欠泉のように感情が湧き出てくる。
「……誰?」
「そら」
間髪入れずに答える。返ってくる声は無くて、答えを聞くことは怖くて。
ただただ、溢れるままに言葉を紡ぐ。塗り潰すように、消していくように。
「そらが、ずっと、好きだったんだよぉ」
「……ほんとに?」
返事の代わりに、傍に会った体を力いっぱい抱きしめる。彼女はわたしを振り払うことなく、ただ抱きしめ返してくれた。
「ずっと、ずっと好きだった! 出会った頃は可愛いなって思って、しっかりしてるなって思って……その癖してちょっとお茶目で、優しくて、わたしの事、ずっと気にかけてくれて……」
涙が滲む。もう、止まらない。
「なんで空なんだろうって何度も思った! 気持ちだって、伝えたかった! けど、空を困らせるのが嫌で、この気持ちを忘れようって何度も思った! なのに、忘れられなくて、ずと、ずっと残ったままで! ずっと、言いたかった……!」
空の体を強く、強く抱きしめる。頭は真っ白になって、もう何も、分からなかった。
無言の時間。それを破るのは空の、どこまでも優しくて落ち着いた声。
「ごめんね、雪乃。私も、好きだったよ」
分かっていた。分かっていた事だった。彼女を見続けてきたわたしだから。
今、貴女がわたしを好きではないという事も、貴女の瞳にはわたしではない誰かが映っているという事も。
「……ごめん、そら」
答える声の代わりに空は、わたしの頭を撫で続けてくれた。
その後、涙が枯れるまで泣き続けた。
情けない、恥ずかしい。そんな感情に混じって、それでもわたしを世話してくれた『友人』がありがたかった。
「……そら」
「ん?」
「ありがと」
「……どういたしまして」
こうして、わたしの恋は、終わった。
「……がんばれ、そら」