ロンドン・ブリッジ駅にて (9)
ダブリンの反応は芳しくありませんでした。アイルランドを長年に渡って虐げ、貧困と飢餓に無慈悲に追い討ちをかけた英国が始めた戦争への協力に強い抵抗感があり、カトリック教徒の使命感を都合のいいように弄ばれる可能性を懸念しました。しかし、あの戦争には経済的な事情から多数のアイルランド人の若者が志願していたのです(英国軍の兵士は徴募兵ではなく志願兵でした)。コーク南東部のホワイトゲートのような人口600人余りの小さな漁村からも、働き盛りの男手が三分の一以上海外に出兵していました。当時、これらの事情は大お母様の与り知らぬところでしたが、ダブリンは教会会議での議論の末、大お母様の要請に応じる決定を下しました。さらに、テムズ川南のノーウッドの身体障害者施設で奉仕を行う5人のシスター達にも協力して頂けることになりました。
ただし、カトリックを快く思わない英国政府は一つ条件を出しました。決して兵士に改宗を働き掛けないこと、それがカトリックのシスターを受け入れる条件でした。大お母様を知る人の中には意外に思われた方もいらっしゃったそうですが、大お母様はこの条件に反対されませんでした。患者の宗教に関わらず平等な看護を行うということは、患者の信仰を尊重することでもあります。たとえ患者が死の間際に改宗を求めたとしても、看護修道女の介入による洗礼は固く禁じられました。
風が吹いてホームを通り過ぎました。頬を撫でた秋の風は煙と油の臭いが染みつき肌寒く、遠く離れたロシアの地で寒さに耐え忍ぶ兵士達の姿を想像すると気が重くなりました。
ホームに通勤客が増えてにわかに活気づき、そろそろ戻らなければと振り返ったときです。馬の毛を縫い込んで広げたペチコートの裾が傍にあったベンチの端に引っ掛かり、こちらに背中を向けてお座りになられていたご婦人に硬いスカートをぶつけてしまったのです。ご婦人の手から厚い上製本が転げ落ち、私は衆目の中でみっともなく前のめりに転んでしまいました。石タイルの床に体を強かに打ちつけた痛みよりも本の行方が気にかかり、目だけで床を探していると、先程のご婦人が駆け付けられて、スカートの裾が汚れるのも構わず私の目の前で屈みました。悪いのは私なのに申し訳なく思い、ぶつかってしまったことを謝ろうとして体を起こそうとすると、ご婦人に制止されました。
「ミス・ソーン、動かないで。どこか痛むところはありますか?」
私の体を素早く真剣に観察するご婦人は、大お母様ーーフローレンス・ナイチンゲールその人でした。