ロンドン・ブリッジ駅にて (7)
バーモンジー修道院は、ロンドンの中でもとりわけ貧しい、大飢饉から逃れて来た大勢のアイルランド人が住まうバーモンジーにありました。バーモンジーに限らないことではありますが、産業革命による工業化は資本家達が英国の黄金期を築き上げ支えた反面で、労働者は賃金と引き換えに自らの健康と生命を捧げざるを得なくなりました。工場から吐き出された煤煙が街を覆う太陽のない街で、湿気とかびで汚れた極めて不潔な空気に満ち、陽が射さない裏路地や地下室に彼らは詰め込まれました。当時のロンドンは著しい人口の増加に上水道の設備が間に合わず、テムズ川は工場の廃棄物や生活排水が流れ込む下水溝に成り果てていました。住民の生活用水であるテムズ川は悪臭に満ち、汚物で汚染された井戸水は1852年に発生したコレラを始めとする疫病の温床となって住民の衛生状態を脅かしていました。低い賃金で満足な栄養が摂れるはずもなく、過酷な長時間労働が祟り、若くして結核で死亡する人が後を断ちませんでした。貧困地区の惨状に心を痛めた市民病院の医師達や、キリスト教精神による隣人愛に基づき活動するプロテスタントの慈善団体やカトリックの修道女達は彼らの救済に乗り出しました。最初に活動を始めたのがカトリックの修道女達ーーバーモンジー修道院の看護修道女達です。
バーモンジー修道院は、アイルランドのダブリンにある女子修道会である慈悲の聖母童貞会がカトリック解放令施行後に設立した女子修道院です。1695年に制定された異教徒刑罰法が撤廃されてから初めて設立されたカトリックの修道院であり、カトリック教徒は特有の厳かで荘厳な儀式を取り戻しました。特にヘンリー8世がカトリックの修道院を解散させてから300年余りを経て復活した誓願式は多くの若い女性を魅了し、新聞でも大きく報じられました。誓願を立てた修道女には、国教会派の貴婦人や伯爵令嬢まで混じっていました。彼女達は美しい絹の黒いベールと宝石がちりばめられたティアラを被り、さながら上流階級の結婚式だったようです。この誓願式が呼び水となり、中産階級の若い貴婦人が我も我もと国教会の教えを捨て、カトリック教徒として神への奉献を誓いました。いたずらに歳を重ねて寄る辺無い女家庭教師として生きるくらいならいっそ、と改宗を決意された方もいらっしゃったに違いありません。
しかし、果たして、彼女達の覚悟はいかほどのものだったのでしょうか。