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天使の述懐  作者: 多胡真白
第1章 1854年 秋
5/10

ロンドン・ブリッジ駅にて (5)

 彼女達から少し離れて、通勤客の妨げにならないように19名のシスターが壁際に集まって静かに列車を待っていました。全身を緩やかに覆う禁欲的な黒のケープを身に着け、首回りを覆う清楚な白のウィンプルの上に黒のベールを重ね、代々使い込まれた共用の旅行鞄を持参していました。

 うち6名はロンドン南西、英国南部のブランドフォードにある聖ジョンの家、8名は英国南西部のテイマー川沿いのデボンポートにあるセロン派の慈悲の聖母会のシスターでした。これらは国教会の高教会派に属する慈善団体です。プリシラ・リディア・セロン様が設立したセロン派慈善団体の看護婦は、1853年に発生したコレラの流行時、デボンポートやデボンポート東プリマスの貧民街でコレラ患者の看護にあたった貴重な経験を有していました。大お母様は同じくデボンポートにあるプロテスタントの慈善団体にも看護婦を要請しましたが、慈善団体の委員会は他人の監督下で看護婦を働かせることを拒否し、残念ながら断念されました。

 残りの5人はノーウッドの身体障害者施設で働く看護婦でした。さらにこの場には姿がありませんでしたが、テムズ川南岸部のバーモンジーにあるバーモンジー修道院の女子修道会から、メアリー・ムーア修道院長をはじめとする5人のシスターが参加されました。彼女達は一足早くロンドンを発っており、私達はパリで落ち合う予定でした。バーモンジー女子修道会とノーウッド身体障害者施設のシスター達は、遠征が決定してからすぐに大お母様に抜擢された方々です。彼女達はカトリックですが、大お母様はそれだけメアリー・ムーア修道院長を信頼しておられました。

 反カトリックが優勢の英国で、国教会とプロテスタントを差し置いてカトリックのシスター達を最初に採用した大お母様が強く批判されたのは想像に難くないでしょう。しかし、大お母様に対してカトリックからも批判が出たと言えば不思議に思われる方も少なくないのではありますまいか。英国において、宗派を超えた集団の統率がいかに困難であることか。いくらかでも英国に関心のあるお方なら、英国固有の複雑な事情について耳にされた経験がおありでしょう。

 英国国教会はローマ・カトリック法王庁と独立した組織です。ただし、カトリックと教義の解釈を異にして成り立った異端の教会ではありません。ヘンリー8世がカトリックの教義に反してでもキャサリン王妃と離婚したいがために、ローマ教皇庁と対立して袂を分かったのが始まりです。そのため、カトリックの司教ではなく英国国王が国教会の首長を務めることとなりました。しかし、ヘンリー8世はカトリックの信仰を持ち続け、国教会は独立後もカトリックに則った儀式を行っていました。その後、ヘンリー8世のご子息であられるエドワード6世の元で、プロテスタント化が進められました。ところが、エドワード6世の死後、九日間の女王レディ・ジェーン・グレイを経て、ブラッディ・メアリーとして知られるメアリー1世が御即位されますと、敬虔なカトリック教徒であらせられたメアリー1世は英国をプロテスタントからカトリックの手に取り戻そうとされ、陛下の政策に反対したプロテスタント教徒280人以上が焚刑に処されました。次に御即位された、英国を一等国家にのし上げ黄金時代を築いたエリザベス1世はメアリー1世のカトリック化政策を破棄し、国教会での儀式を正式にプロテスタント方式に改めました。この政策によりメアリー1世はローマ教皇ピウス5世に破門され、英国国教会とカトリック教会は完全に決裂しました。やがて国内のプロテスタントとカトリックの関係は悪化の一途をたどり、英国はカトリック教徒の弾圧を始めます。カトリック教徒は英国国教会の礼拝への参加の義務を課され、拒否した者には厳しい刑罰が待っていました。また、投票権や市民権を制限され、就ける職業にも限りがありました。異教徒刑罰法によって二百年以上続いた差別を撤廃するカトリック解放令が施行されたのは、あの戦争よりわずか24年前の1829年でした。しかし、人々の心の内にある壁まで法で撤廃できるものではありません。大お母様が初めて看護大お母様兼経営者として働き、物資調達ロジスティクス人的資源管理マネージメントの実務経験を積んだハーレー街の療養所でも宗教差別はなお根強く、カトリック教徒の入所を認めなかった委員会に対して大お母様は強く抗議しました。進退を賭けた交渉の結果、療養所はカトリック教徒でも、ユダヤ人でも、イスラム教徒でも、宗教や宗派を問わず患者を受け入れることになりましたが、これは戦争の前年の出来事です。

 カトリックに関しては、アイルランドについて触れないわけには参りません。


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