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天使の述懐  作者: 多胡真白
第1章 1854年 秋
4/10

ロンドン・ブリッジ駅にて (4)

 一週間前に出征が正式に決定すると、大お母様は準備で忙しい間を縫って、ご友人達が急ぎ掻き集めた200人余りの経歴書に目を通しました。最も多かった応募者は中流階級以上の貴婦人方で、看護の経験は浅いものの、皆愛国心や博愛精神に溢れていました。ところが、大お母様は氏名や住所から階級を見て取ると、経歴に目を通すことなく「不採用」と綺麗な筆記体で書き込みました。最終的に、ガイ病院、聖トマス病院、ミドルセックス病院、王立施療病院などで看護の研修を受けたか、もしくは勤務経験のある14名の女性が採用されました。全員が貧しき労働者階級であり、私より一回りも二回りも歳が離れていました。

 落選の報を受け取って失望した貴婦人が少なくなかったのも無理はありません(もっとも、大お母様がご友人に一任した面接会場に足を運ばれた方は一握りでしたが……)。富める者の義務感と善意の現れとして教会や病院に多額の寄付を行い、奉仕活動に従ずる彼女達は、名前の読み書きもままならず酒浸りの下層の労働者に技術的にも精神的にも劣るはずがないと思っていらしたのでしょう。大お母様は自らも上流階級の一員であるにも関わらず、有閑な貴婦人方の善意を信用しないどころか軽蔑さえされていました。中流階級以上の女性と言えばーーこの私も末席を汚す一人ですがーー家柄に相応する以上の資産を持つ男性に良き妻として身を捧げるか、単身で働く住み込みの家庭教師ガヴァネスとして身分とは裏腹の憐れみの存在に甘んじるかの二つに一つの生涯があるのみでした。しかし、すべての女性が愚かしい因襲に手足を縛られた完全なる犠牲者だと断言するのは早計かもしれません。淑女たる慎ましさを美徳とし、無職の贅沢を享受する女性が普通でした。毎夜のように埃が舞う舞踏会に足を運ぶ衛生観念の欠如に加え、召使いの手を借りなければ着替えすら難しい貴婦人方が、本国から遠く離れた地で戦争という残酷で穢れた非日常に耐えられるとは思えません。もしも彼女達が看護団に迎えられていたならば、きっとスクタリに到着した翌日に帰国の途に就くか、傷病兵の看護は看護兵の役割だと強く抗議したことでしょう。息をつく暇もない戦地で、専門家足りうる知識も心構えもない彼女達の説得に限られた時間と労力を割く余裕はありません。

 温暖な気候のハンプシャーで育ち、ご実家であるエンブリ邸とロンドンのホテルを往復して華やかな社交界の生活を(不本意ながらも)送ってきた大お母様は、有閑階級の貴婦人を知り尽くしていらっしゃいました。必ず起こる反乱を見越して拒否したのです。大お母様はこうした強権的な判断を押し通すことで周りから疎まれがちでしたが、国家と万を超える人命に対して責任を負う立場からごく当然の仕事をしたに過ぎません。政府関係者に強い人脈を持ち、新聞で報じられた以上の現地の情報を得られた大お母様は、看護団の誰よりも、ときには軍人や政治家よりも事の深刻さを認識していた数少ない人物でした。


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