ロンドン・ブリッジ駅にて (3)
日々の厳しい労働で擦り切れた衣服を身に纏う中年の14人の女性達が言葉少なに列車を待って佇んでいました。長い苦労を示すいくつもの大きな皺が深く刻み込まれた顔は日々の辛い労働で積み重なった煤と油の滓で黒く汚れ、手入れを知らない手の平はひび割れ、肉体労働で得た肩は骨太で大きく、袖から覗く贅肉と無縁の腕は女性にそぐわない筋肉で盛り上がっていました。比較的痛みの少ないショールやヴェールが唯一のおめかしである彼女達は、それぞれ色褪せた傷だらけの旅行鞄を一つずつ持参しました。 旅行鞄の中身は、看護婦の制服、下着類と木綿の就寝帽が4着、木綿の古傘が1本、と規則で決められていました。初めて戦地へ赴く兵士は新品の下着を穿くと聞きますが、貧する彼女達に清潔な木綿が用意できようはずもしようはずもありません。残念ながら、下着に割くシリングがあったならビール代に消えるでしょう。
そんな彼女達の旅先がまさかパリだとは、周りの通勤客は誰も想像だにしなかったに違いありません。まして200人以上の貴婦人の応募者を押し退けて選抜された看護婦だとは、例え陸軍省との間に交わされた署名入りの合意覚書を見せても信じる人は皆無だったでしょう。彼女達は看護婦として働いた経験がある貴重な人材でした。
英国政府は看護団員の雇用にあたり、彼女達に26の規則を課しました。衣服や装飾品の指定に始まり、給与の支払いや看護以外の仕事についてなどの一般的な事柄が主でしたが、特に飲酒と贈与に関しては厳格に定められました。仕事中の飲酒の厳禁はもちろんのこと、食事における飲酒も制限されました。夕食時の飲酒は黒ビール及びエールを1パイント(約600ml)まで、夜食時は黒ビール1/2パイント(約300ml)及びワイングラス半分のワイン、ブランデーなら1オンス(約28cc)までといったように、酒の種類に加えて量までが指定されました。
なぜ飲酒についてこうも神経質だったのか、腑に落ちない方もございましょう。当時はまだ、看護婦は世間から見下げ果てられた存在でした。安いブランデーを瓶から直に飲み、酒臭い息で口汚く周りを罵る下品な印象が強く、看護は無知でもできる単純労働だと思われても無理はありませんでした。貧しき者はすなわち下品であるとは偏見に過ぎませんが、看護婦の酒癖の悪さは否定しかねました。立場を利用して患者から物品や金銭を巻き上げる行為も、看護婦の評判を貶める原因の一つでした。よって、いかなる理由であろうと、看護団の看護婦は他人から物品を受け取ってはなりませんでした。規則に違反した人物には即座に解雇相当の処罰が下されるという方針は非常に厳しいものでしたが、本国から遠く離れた非日常の空間で多数の労働者を管理するには必要な措置であり、さらに、看護婦への偏見を是正する狙いがありました。看護婦は高度な知識と技術を身につけた専門的職業の一つであり、そうあるべきだと大お母様はお考えでした。
大お母様の名誉のために一つ付け加えて申し上げますと、大お母様は自己陶酔に陥りがちな禁欲主義に否定的であり、適度な飲酒は人生に必要だと考えておられでした。時には逆に、当時流行し始めたサン=テミリオンの赤ワインを、ユーゴーがワインを讃えた詩を引用した手紙を添えて、ご友人のシスターに贈られることもあったのです。