ロンドン・ブリッジ駅にて (2)
憂鬱に沈む私の隣に、人目も憚らずに別れを惜しむ若い男女がいました。甘い囁きに熱い吐息を漏らす彼と彼女には、貨物船が燻らす石炭の臭いは薔薇の香りに、サフラン・ヒルのイタリア人音楽師とは似ても似つかないアコーディオン弾きの、聞くに堪えない酔れた濁声が聖歌隊の歌声に聞こえているのでしょう。
私はソーン家の六人兄弟の末っ子で、上に一人の兄と四人の姉がいました。中産階級の末席を汚す一員ではあるものの、資産と言えるのはわずかな土地ばかりであり、既婚の兄と長姉を除く次女以下の娘に満足な持参金を与えられませんでした。これといった名声もないソーン家の末妹に求婚する男性が現れなかったのも当然です。平凡な容姿で気の利いた会話も得意ではない私は、女性としての魅力にも欠けていたのでしょう。
今回の遠征の一員に私が選ばれたとき、父は賛成とも反対ともつかないあやふやな反応を示しました。未婚の私が俸給目当てで、あろうことか看護などという下賤で無知な女どもの仕事に就くのか、と声を荒げたものの(私の仕事は看護婦でも雑役婦でもありません、と何度説明しても聞き入れて頂けませんでした)、その目は肩の重荷が降りたように晴れやかでした。未婚で生涯を終えそうな、奇妙な趣味に耽る末娘を扱いかねていたに違いありません。父はソーン家の名誉より精神の平穏を選びました。
母は猛反対しました。名誉を重んじる良き家庭婦人であった母は、私が結婚できないのは男性が私の魅力に気づいていないだけだと強く信じていました。急に決まった話で出発まで一週間もないと言うのに舞踏会の約束を取り付け、貧民と触れるような穢らわしい仕事はあなたに相応しくありません、と言って大お母様に直談判しようとしたところをすんでのことで止めました。屋敷で過ごす無為な時間と、男性から相手にされないパーティーで疲れ果てていた私の決意が固いと知っても、諦めさせるための説得を出発当日の朝になっても続けました。
人生を謳歌する彼女達の笑顔は眩し過ぎ、私はいたたまれなくなってその場を離れました。しかし、私は何食わぬ顔で戻る気になれませんでした。