【異世界召喚ですか?】前編
私は今日で25歳、そして、明日から無職が決定した。
ただ今、“うつ病キャンペーン実施中”である。
そして、先ほど会社帰りに受診した心療内科で、薬の増量キャンペーンを申し込んだばかりである。
種類が増えなかったのが救いだ。
体調も悪く、実家に泣きつく事も考えている。
しかし、専門学校まで通わせて貰って、このザマとは言いづらい・・・。
やっとのこと希望の職種に転職したが、ハードワークからのうつ病となり、元々業績の悪かった部署で働いていた派遣社員の私は、体調不良が原因で更新は無しとなった、お約束パターンである。
「死んじゃおうかな・・・」
汗の滲みたブラウス、出勤最終日と言えど取引先からのクレーム電話に、頓服を片手に対応し続け、紺色のタイトスカートは横ジワだらけになった。
退職の挨拶?花束?
斬り捨て御免の派遣社員に、そんなものはない!
忙し過ぎて会えなかった恋人とは、昨日の夜、LINEの一通で終わった。
『ごめん、君とこんな関係は続けていけない』
泣いたよ、泣いた、そりゃ泣いた!
大大大好きだった・・・主にルックスが!
別に「妻とは別れる」とかの言葉なんか要らなかったし、体目的でも良かった。
だが、これは私が全面的に悪い。
(いや、この思考が既に“病んでる”っぽい、鬱キタコレ!)
せっかくの彼のお誘いも残業三昧の毎日で、キャンセルしてばかりだった。
そうよね?
だってあの人若い子大好きだもんね?
だから童顔で背が低めの私に近づいたんだもんね?
都合良い女じゃなくなった私なんて、用済みよね?
派遣社員は軽く付き合ってポイよね?
ええ、わかってて付き合っちゃいましたよ。
だって、ルックスが超タイプだったんだもの!
カモン! イケおじ!
ビバ! ちょいワルオヤジ!
誰か紹介してぇぇぇっ!!
「はあっ~、“生き甲斐”ってなんだろうなあ?」
息をするのさえも苦痛でたまらない。
なんでこんな奈落の底掘ってる気分なのに、私は生きているんだろう?
(やっぱ、この思考の片寄り具合が“病んでる”YO!)
フラフラと特急電車がやって来る線路側に一歩・・・また一歩と近づく。
そう、このマイナー駅には特急電車は止まらない。
ドンっ!と、お尻に衝撃を感じて慌てて振り向いた。
私のお尻に顔をうずめてる幼児がいた。
(なにやっとんじゃ、このガキは?)
辺りを見渡すとおしゃべりに夢中な若いお母さんの集団がいた。
近くにはもう1人の暇を持て余している幼児が、こちらに視線を向けつつ母親と手を繋いでいた。
私のお尻に顔をうずめる1人の幼児を引きはがし、その幼児の目線に合わせて屈んだ。
「ぼうやぁ、電車が来るから危ないよぉ? ほら、お母さんのところへ戻りなさい」
幼児はつまらなそうな顔をして、とぼとぼと母親のもとに帰った。
もう1人の幼児と一言二言、何やら話している。
でも、これでひと安心と思い、姿勢を正して電車の来るホームへと向き直す。
ふふっと、私は鼻から息を出した。
「ある意味感謝かな? 少し正気にもど・・・」
ドスン!
次の尻への衝撃は、先程とは比べものにならなかった。
私はバランスを崩し、そのまま特急電車の入ってきた線路へ落ちた。
落ちてゆく私の視界には、さっきのもう1人の幼児の姿が入った。
どうやら母親の手を離し、ふざけて友達の真似をして、私の尻をド突いたのだろう。
「なんでじゃぁぁぁっつぁっ!?」
電車の警笛が激しく何度も響き渡った。
――――終わった。私の人生が・・・
両親の顔が浮かび、両眼から涙が溢れて飛び散った。
(小六での初恋の人・・・当時32歳の先生に会いたかったなぁ、今は何歳になるんだろう?)
飛び散ったのは涙だけなのか、それとも・・・。
ぶわしゃーっっっ!
冷たい。
寝ぼけてプールに飛び込んだ覚えはないが、鼻から、口から水が入ったヲ!
「ぶはっ! な、なん・・・」
空気を求めて立ち上がると。
「お、足がついた?」
黒いビジネスバッグを斜めがけし、紺色のリクルートスーツを着た水浸しの私は、何やら室内の噴水の中にいるらしい。
美しい石像の女性が持った水瓶から、キラキラ光る水が絶え間なく自分の足元に流れ落ちていた。
「ご、ゴージャスだなあ・・・」
間近の噴水を見上げながら、あんぐりと口を開けたまま惚けていた私に、後ろから誰かが声を掛けた。
「あの・・・聖女様?」
「え? 聖女のコスプレ?どこにいんの? 」
(いかん、忙殺されててイベント行けてないから、夢にまでコスプレイベント願望が?)
耳に水が入った感じだったので、頭を左右に振ってから、私は視野を広げ、周囲を確認した。
水色のアーチ状の天井は高く、大理石の白い壁、御影石を敷き詰めた広い室内に、おおよそ20名ほどが自分に向かって跪いていた・・・壁際で四方の扉の警備をしている騎士(風のコスプレ?をした)数名を残して。
「な・・・なにごとヲっ!」
これは一体なんのコスイベですかね?
(最近は“小杉湯の銭湯OFF風呂会”以外、参加申し込みをした覚えがないですわ)
「ぜえはあっ・・・」と、目の前に跪く4名の老人がよろけながら、肩を揺らしていた。
「え・・・ちょっ! 大丈夫ですか?」
大変だ! 4名のヨボヨボの“Gさんズ”が、死にそうだ!
私は無我夢中で噴水から飛び出し、駆け寄った。
「血圧は大丈夫ですか? 仰向けは負担がかかるので、片腕を枕にして今すぐ横向きになって下さい! 血流が安定するまで急に立ち上がっちゃダメですよ!」
本当は足の高さを少し上げるリクライニングチェアーが欲しいところだが、無さそうなので4名のご老体(Gさんズ)を次々と横向きにして介抱した。
「済みません、そこの人! この服の作りが良く分からないので、服を緩めるのを手伝ってもらえませんか?」
私はGさんズの傍にいた、某有名ゲームに出てくるような神官服の長髪のお姉さんに助けを求めた。
「は、はい! 喜んで!」
ナイスバディの美人さん、あなたはどこの居酒屋店員ですか?
4名の介抱がひと段落したところで、息の上がってないひとりの小さめの、やはり某有名ゲームの偉そうな服を着た老人が話しかけてきた。
「さすがは聖女様! 魔力が枯渇した召喚士に次々と回復補助をして下さるとは!」
「――――は?」
どっかの森に住んでそうな、妖精の小さいオッサンっぽい。
今一度、私は周囲を見渡した。
後ろには見たこともない豪華な室内噴水、前方には跪く、中世ファンタジーな服装の人々・・・これは!
(うん、夢だ!)
「はあ、死に際にこんな夢を見ましたか・・・私・・・」
(現在、昏睡状態ならば・・・きっと上半身と下半身はさようなら状態だろうなあ)
私があの時しっかりしていれば、あの親子に心の傷を負わせずに済んだろうに・・・と、後悔せざるを得なかった。
そこまで過敏に物事を考えてしまう自分が、完全な鬱状態だと気が付き、更に落ち込んだ。
「そうだ、薬!」
私は後生大事に持ち歩いてる薬を求め、愛用のB4判バッグの中身を確認した。
「あった! ・・・よかった、夢でも、薬の存在はありがたいなぁ」
(今日も通常運転で病んでます!)
「聖女様、到着したばかりで混乱していますでしょうが、お名前は憶えていますでしょうか?」
「え? なまえ・・・」
(名前?)
「ワタシノナマエ?」
(はて? 私は・・・誰だろう?)
「ああ、やはりそうですか・・・」
「え? やはりってどういう意味ですか?」
「いえ・・・ね? 異世界から召喚された者は、元の世界に自分を示す名前を置いてきてしまうそうです」
ぷつり・・と、私の中で何かが切れた。
「ヲぉい待てやぁ? あん? 異世界から召喚? あんたら何したんだあ?」
びくり、と、ミニマムサイズのGさんは答えた。
「いや・・・あのう・・・こちらの星を巡る“生命の水”が枯渇しまして・・・ね? 異世界からそのぅ、生命の水を循環させる“特殊能力”と“希なる才”を持つ聖女様をですね・・・お取り寄せ? した感じでしてね?」
「はあぁぁぁん? 何やらかしてんだぁ・・・それともソレは上司命令かぁあん?」
(いかん、夢の中でも仕事に気を使ってる!)
気が付いた時には、小さいGさんの襟首を締め上げていた。
「す・・・すみません! 本当にすみません! この国は正直弱小国家でして! 6つの国を統括している、皇帝陛下のご命令でして! 我が国の陛下もそれに逆らえず、国内東領地担当の宰相のワシめが新月の今宵に命を懸けて、召喚術を発動しましたっ!! 申し訳ございません! 聖女様の向こう側の転生を奪う結果となったのは、重々承知しておりますぅ!!」
はっと、私はその手を放し、小さなGさんは床に崩れ落ちた。
「宰相様!」
「マテオ様! ご無事ですか!」
(あ~アレだ、確か宰相って国王の命令で逆らう貴族を武力モロモロで黙らせるエライ人だ。大臣の代表? みたいな?)
ちっこいGさんに駆け寄ってくる若者を、冷めた眼で私は眺めながら、さっきまで光を放っていた不思議な噴水に振り向いた。
濡れていたはずの服が、乾いていた事に気が付き、試しに手を噴水の水に触れさせてみた。
流れゆく澄んだ水は輝き始め、金色の光を放ち始めた。
手を離すと、すうっとその光は消え去り、どう見ても普通の水に見えた。
だが、手は一向に濡れていない。
なんとなく・・・だが、私はその不思議な水を両手で掬い、腰を抜かしている小さなGさんの両膝に少しずつ均等にかけた。
かすかな光が、ちっこいGさんの両膝に滲み込んでいくのが見えた。
「ご・・・ごめんなさい・・・私が急に手を放したから、膝を打ってしまいましたよね?」
二人の若者に支えられながら、そのちっこいGさんは膝をさすりながら立ち上がった。
「痛く・・・ない!」
(どうか傷害罪で訴えられませんように!)
『おおおっ!』
部屋中が騒めくが、四方の扉の前の警備をしている(ような?)騎士コスプレの人は微動だにしない。
(プロだ! きっと会場警備の人が騎士のコスプレをしているんだ・・・て、コレ夢だよね?)
その騎士の中に、ひと際私の眼を引く人物がいた。
(はて? どっかで? ・・・いや、似てる。色的にちょっと違うけど、知り合いに似てる人がいる!)
そう、あれは――――。
「では、聖女様・・・この世界でのあなたに仕える世話係をこの4名の中から選んでください」
「世話係?」
「はい。どんな時もあなたのお傍にいて、支える存在となりましょう」
私はさっきの警備のプロの方に視線を戻そうとしたが・・・それを遮る男性達が私の前に立ちはだかった。
(ちっ! 邪魔だよ、見えないよ!)
そんな私をスルーして、アイドルグループみたいな4人組が何故か自己紹介を始めた。
エントリーナンバーいちばん!
「マクシムと申します。身長179センチ、年齢21歳、趣味は音楽です。聖女様に退屈させないように努力させて頂きます」
(ちょ・・・眩しいよ! なにこの美形は!)
ふんわりと天使のような笑顔、王道の甘いマスクの金髪碧眼の青年・・・て、このタイプは将来太ると悲惨なのだ。
エントリーナンバーにばーん!
「ナトンって言います!身長158センチ、年齢16歳、趣味は・・・投げナイフ? 友達からはお笑い担当って言われてます」
くるんとした茶髪に、黄緑色の瞳をキラキラさせ、半ズボンが似合う・・・私は“ショタ派”ではない。“イケおじ派”だ!
(・・・っていうか、投げナイフが趣味って物騒だな)
このタイプは老けると需要がなくて苦労するのだ。
エントリーナンバーさんばん!
「・・・ルベンでございます。身長183センチ、年齢25歳、趣味は薬草学と魔術、あなたに私の知識を捧げましょう」
長く美しい黒髪、赤い宝石のような瞳、超絶美形! ・・・ですが、このタイプの現実的観点に於いて、しょうもないポイントは熟知している。
エントリーナンバーよんばん! よかった、やっと終わる。
「イスマエルと申します。身長は185センチ、年齢23歳、趣味は読書と酒・・・聖女様の補佐をさせて頂ければ光栄です」
上品な灰色の髪をオールバックに決めて、黒縁メガネの奥には南国の海のような深く青い瞳があった。
(ねえこれグランブルー? グランブルーでしょ!)
他の三人よりもルックスは地味だけど、十年後が楽しみな逸材だな!
小さいGさんが最後に前に出てきて、私に言った。
「さ、みな家柄も才能も申し分ない者達です。この中から一人“世話係”を選んで下さい。そして、あなたのこの世界での新しい名を決めて下され」
「あの人じゃダメですか?」
私は最初に眼を付けた騎士を掌でそっと示した。
ざわり、と、部屋中が緊張した空気を醸し出した。
(いいじゃん、言うだけならタダでしょうが?)
本人も眉間に皺を寄せて、困惑しているようだ。
「え~と、いけません! あの者は騎士ですので、世話係の教育は受けていません」
「でもぅ・・・」
「絶対ダメです! あの騎士には資格が・・・」
「聖女様、発言をお許し下さい」
オールバックのメガネキャラがなんか言ってる。
イケメンボイスの小さな声で、周りに聞こえないように私にそっと耳打ちしたのだ。
「チャンスはあります。世話係は途中交代可能ですから・・・」
(ぐほっ! やるなインテリキャラ! あんたの将来がおねーさん楽しみだよ!)
「イスマエル! 抜け駆けはずるいぞ!」
マクシムと名乗っていた金髪のおにーちゃんがなんか言ってる。
でも、今は夢なんだから最短距離を狙おう。
「世話係は途中交代可能なんですよね?」
ちっこいGさんに念の為、確認しておく。
「あ・・・いや・・・はい、やむを得ない場合は可能です」
(よしゃ! 言質とったぜ! 覚悟はいいな? そこのインテリっぽいメガネ!)
「では、イスマエル様を世話係にお願いします。かなりの覚悟があってのご意見でしたので」
イスマエルはふっと、目を伏せる。
(この人、何者なんだろうか?)
「では、“名呼び”を――――」
「名呼びって?」
「この世界での聖女様のお名前を、決めた世話係に呼んでもらうのです」
「は? この世界って・・・」
もう、何が何だかわからないが・・・私は、はた、と気が付き、床に放っていた鞄を開け、大慌てで財布を開いた。
「めめめめ、免許証ぉ! 私の名前!」
私の証明写真がぼやけ始め、印刷された氏名欄が薄くなっていくのが分かった。
「ダメ! 消えないで! 私はココにいるの! お願い!」
(呼んで! 誰か! 私の名前を――――)
部屋中を見渡し、跪くファンタジーな服装の人達と――――。
四方の大きな扉の前に立つ、4人の騎士達がいた。
私は思わず、その中の一人に駆け寄った。
「お願い! 私を認識して! そして、私の名前を・・・どうか私の名前を呼んで・・・」
元はきっと色白であったろう、日焼けした肌、短い煤けた金髪、刻まれた眉間の皺と、夕刻の深い青空色の瞳の横に、僅かな笑い皺のあと・・・鍛えられた無駄のない筋肉・・・。
ああ、この人だと思った。
「な、なんとお呼びすれば・・・」
「“ヒロコ”と、呼んで・・・先生ぃ」
「ヒロコ・・・大丈夫かい?」
(優しい、優しい・・・低く、甘く響くあなたの声・・・私はずっと・・・)
意識が遠退きそうだったが・・・それが私の全てを奪う現象だと察した。
全身の力が抜け、崩れゆく私の体を彼は支えてくれた。
その彼の両腕を、私は掴み返す。
「私は逆らう! “この星の意思”の全てに・・・この星が滅びの運命を迎えようとしていても、私が今この世界を見つめている限り・・・この星の命を繋げましょう! 私の全てと引き換えに!」
私は・・・鬱になんか負けない・・・いいえ、それと混じる。
跡形もなく“この星の憂鬱”を薄めるほどに、黒い一滴のしずくを千倍の真水で見えなくしてしまおう――――。
※ ※ ※ ※ ※
「――――で? 覚えてます? “聖女の宣言”をしたことを・・・ヒロコ様?」
高級ホテルのキングサイズレベルのベッドに腰かけ、目が覚めた私は美味な食事の後のフルーツティーを冷ましながら飲んでいた。
不安げな表情で、小さいGさんは椅子に腰かけながら私に上目遣いで意思確認をしている。
「さあ・・・? ぜんぜん覚えてないっスね?」
「えええええええっ!?」
「誰っスか? そんな大層なセリフ言ったひと」
「あんたでしょーがぁっっっ!!」
ロング白髪&ロング白髭の小さなGさんは力いっぱいツッコミを入れてくれた。
「で? その騎士様には私また会わせてもらえるんですよね?」
「・・・・・・・・・」
「・・・じゃ、寝ますね」
飲み干したフルーツティーのカップをサイドテーブルに戻し、ぽすん、と、私は高級羽根布団を被った。
「あぁ~~~、わかりましたよ・・・とりあえず、まだ色々と手続きが滞っていますので、あの騎士団長を聖女ヒロコ様の正式な騎士にするように陛下にちゃんと書面で申し伝えておきますから」
んんン? と、掛布団を被ったまま冷静に私は思考を巡らせた。
そして、小さいGさんしかいない部屋で、布団から這い出る。
「騎士団長?」
「ええ、貴方が“名呼び”に任命したのは、北の騎士団長ソラルですよ」
「騎士団長のソラルさま・・・でも、彼の担当業務に差し支えるなら、専属じゃなくていいです。たま~にすこぉ~し、遠くからでもチラ見できれば・・・」
「ふむ・・・そのご意見は東と北を担当する宰相としては大変助かりますな」
(はぁい! 脳内インプット完了です! 超どストライク、渋メン騎士団長ソラルさま!)
脳内の“気になるあの人!” ランキング第1位は決定したのだった。
「“名呼び”というのは、異世界から召喚した命ある者を引き留める儀式みたいなものです」
「え、じゃあ・・・呼ばなければ?」
「あなたは消滅する予定でした」
「刺そうか?」
サイドテーブルにある銀のナイフに視線を移した。
「ちょっ・・・ちゃんと“名呼び”する者は準備していましたよ!」
食事に使った銀の食器を、いそいそと部屋の扉近くのワゴンに移し、再びベッドの横の椅子に座り直した。
「そのですね、“名呼び”というのは、異世界から召喚した者の存在をこちら側に固定する大事な工程です。云わば、召喚術に於いて決して省いてはいけない作業なので、その辺は準備していたのですが・・・」
「ですが?」
「なんというか・・・“名呼び”を逆指名するなんて前代未聞で記録がないので、我々も困惑しています」
「はあ、そうなんですか」
「こんな規格外の聖女様、ワシ、初めてです」
「・・・召喚されたの、人生に於いて初めてですが? 召喚される側は作法でもあるんですかねえ? へえぇ、知らなかったあ! なんで前もって連絡くれなかったんでしょうねえ?」
「済みません。ごめんなさい。全てこちら側の手配ミスです・・・はい」
※ ※ ※ ※ ※
聖女の召喚を行うには、国王の任命の下、宰相の立ち合いによって実行されるらしい・・・「八十年に一度ぐらい、必要に応じて行う」とGさんが説明してくれた。
この国には宰相が二人いて、あのGさんは“東の宰相”と呼ばれ、もう一人は“西の宰相”と呼ばれているらしい。
ぶっちゃけ国王陛下が少々アレなんで(どんなんだよ?)政治業務が大変で、一昔前に宰相は二人必要だと判断して以来、東と北を担当、西と南を担当するように分けられたらしい。
そして、どちらか一方が事故ったら次世代が決定するまで、緊急対応としてすべての業務を片方が代行するという。
どこも才能ある人間は、苦労が絶えないと思う。
しかし、あの小さいGさんが宰相だなんて・・・宰相のイメージが違い過ぎると思った。
宰相ってのは戦略のプロというイメージがあったので、ぱっと見あれはないかな~?
同じ日にもう一人の“聖女”を召喚しているという・・・あっちもいい迷惑なんじゃないか?
召喚当日に“名呼び”を逆指名して、ぶっ倒れたのは私の方だけらしい。
ま、しょうがないじゃん? 私はとりあえず、デプロメールとマイスリーと漢方薬と頓服を少々しか持ってないんだから、布団を被るしかないのだ。
「からだ、だるいな・・・クラクラする、召喚された昨日もメニエール寸前みたいな感じで天井が回ったし・・・」
“体が弱い!”宣言もしといたし、しばらくは楽ができそうだ。
ベッドの中でウトウトしていると、ベランダに続くガラス窓が開いた気がした。
ベッドの横に大きな人影が現れた。
「申し訳ない、女性の部屋に忍び込むのは不本意だったが、その・・・体が弱いと聞いて、様子を見にきたのと・・・あと、ヒロコの真意が聞きたくて」
(眠い・・・けど、このイケボは・・・)
「ソラルさま・・・?」
背の高いソラルさまがベッドの横に跪いたのが気配で分かった。
天蓋つきの私のベッドには薄いレースが掛けてあり、姿はお互いにはっきりとは見えない。
「ああ、眠っていたのだな? 出直そうか?」
「いいえ、私はいつも体が言う事を聞かなくて、寝てばかりで・・・お役に立てず申し訳ありません。向こう側の世界でも、あまり働けずお恥ずかしい限りです」
(ウソです。うつ病キャンペーン実施中だから回復に時間がかかっているだけです)
前職はフルタイム+60時間残業付きで、土日祝日寝込んで3年近く勤務し続けたブラック企業勤めの前科持ちであった。
最終的に職場でオーバードーズ(薬剤過剰摂取)やらかして、正社員の職を逃した。
救急搬送での胃洗浄はある意味“羞恥プレイ”だった。
(ここでは寝ているだけで、三食昼寝付きの上、美味しいおやつももらえるし、今のうちに心の栄養も貯蓄しとかなきゃ)
・・・とは、誰にも言えない。
「なぜ私に“名呼び”を?」
「見た目が・・・超ド級のストライクで心臓が撃ち抜かれました」
「え?」
(しまった! つい声に出してしもうたっ!)
シャッ、と、天蓋から下がるレースのカーテンが開いた。
(ああ、やっぱ麗しいイケおじ!)
“グッ!”と布団の中でグッジョブポーズをした。
ソラルさまがググっと私の顔を覗き込む。
すっと、彼の大きな手が私の頬を撫でる。
「耳まで真っ赤にして・・・大人をからかうものではないぞ?」
「ん?」
なんかビミョーな反応だった。
「あのう・・・私、もしかして子供だと思われています?」
「ああ、どう見ても13歳ぐらいの少女だろう?」
「へ? あの、ちなみにソラルさまのお歳は?」
「今年で43だが・・・見た目通りだろう?」
「いやいやいや・・・はい、見た目通りです」
「うん? ヒロコはいくつなんだ?」
「25歳ですが」
「・・・・・・ああ、ヒロコの世界では星回りが違うのだな?」
「はい?」
「きっとこちらの世界標準では15歳ぐらいかな、私の子供よりどう見ても幼いしな」
(ああああああああっ・・・ですよね! そうですよね! こんなイケおじが独身なワケないですよねええええええっ!)
私が一目惚れ直後、一日で失恋決定したことはなかった事にしよう。
お互いに生活があるんだから、ここは大人にならなければと心を強く持った。
こっち方面のメンタルは柔軟性があるのだ。
私のメンタルは主に豆腐でできている。
「こ・・・こちらの世界の事はまだ全然わからなくて、私、怖くて不安で・・・」
(はい、ここで震えたか弱い少女のフリ!)
そして、ソラルさまの方向に起き上がり、下からウルウルして見上げる。
「ヒロコ・・・そうだろう、こんな幼いそなたが聖女という重圧に耐えられるだろうか・・・、体も弱いというし」
「ソラルさまは、私の初恋の先生にそっくりで、つい“名呼び”をお願いしてしまいました」
「なるほど・・・先生か、ならば年上の私に興味を抱いても仕方がないか」
ソラルさまは私の頭を撫で、そっと逞しい胸に引き寄せた。
(やっぱ、中年は庇護欲をくすぐるに限る! 結構使えるんだぜ? “初恋の人に似てる”という破壊力抜群のセリフがな!)
どうやら私の豆腐メンタルの中心部は、今流行りのハードグミで出来ているようだ。
「聖女の重圧から、私がヒロコを護ってやらねばな・・・」
(ぐふふっ・・・よしよし、オーライオーライ、結果オーライ?)
『ちょっと待ったーーーーっ!』
ズダーン、と、部屋のドアが勢いよく開いた。
「だれ?」
何故か、アイドルグループみたいなのが・・・いる?
その美形男子の三名の後ろで小さいGさんが“ワシ、ここ!”と主張していた。
「ソラル様! そこをどいて下さい!」
一番前に立っていた、金髪碧眼の美青年がずんずんと歩み寄り、ソラルさまに下がるように促した。
「やっ!」
私はソラルさまの服の袖をぎゅっと握った。
(この金髪ヤンキーめ! せっかくのいいところを邪魔しやがって)
「ヒロコ様・・・俺じゃ、あなたの騎士になれませんか?」
(ああ、そういえば昨日いたな、こんな金髪青年が、名前はえ~とぉ・・・)
「マクシム様、私は今、この状況が良く分かりません」
そう言いながら、ちょっとソラルさまにスリスリする私。
(一昨日来やがれってんだ! 若造め)
「う・・・」
マクシムが後退りをし、いきなりかしずいた。
「え? どうしたの?」
「申し訳ありません。冷静さを失いました・・・」
金髪美形ヤンキーが頭を下げた。
(なにごと!)
その隣に、ショタ系美少年・・・基、ナトンがかしずき、当然のような顔をして、オールバックメガネのイスマエルが私のベッド側に立ち、ふたりを見下ろした。
その中間に小さいGさんが立った。
「父上、私もこの状況を説明願いたいですね?」
(ち、ち、ち、ちちうえぇ? え? コレ、あなたのお父さん?)
私はソラルさまの袖を・・・諦めてそっと離した。
(ああ、よく見ると似てますよね。私の好みって不思議とブレないわ)
「すまない、イスマエル。“名呼び”などという名誉が、この武骨な私に与えられた事が理解しがたくてな・・・どうしてもヒロコに、真意を確認したくなってしまったのだ」
「はあ?」
イスマエルのキリリとした顔が、一瞬いちゃもんを付けるヤクザに見えた。
(あれ? イスマエルさん、どうしたの? ガン飛ばしました?)
「父上、聖女様の前だからって猫をかぶらなくても結構ですよ、いずれ私があなたの本性をヒロコ様に密告する予定でしたから」
(あれ? 本性? なにそれ?)
すすっと、ソラルさまが立ち上がった。
「・・・そうか、では、ヒロコに正式に自己紹介しよう」
「じこ、しょうかい?」
「私の名前はソラル、北の騎士団長をしている。身長187センチ、年齢は43歳、趣味は散歩しながら猫を眺める事、領地管理はしていないので、結構身軽だ」
(猫を・・・あれですか、猫好きだけど家族に反対されて飼えないヤツですか?)
「ええ、妻の管理もしていませんよね?」
「あんなすぐにどこか飛んで行ってしまう妻をどうしろと?」
「父上がそんなだから、若い愛人のところへ行ってしまうんです」
「だが、私が家を空けるのは仕事で・・・」
「おや? おかしいですね? 今ここにいるのは仕事でしたっけ?」
(なんだこの親子喧嘩? あ、ダメじゃん止めなきゃ!)
「あ、すいません。私がソラルさまに“名呼び”をお願いしてしまった事の説明なので、これは仕事の一部です」
私がそう言った途端、イスマエルはブスっと、膨れっ面になった。
(なんだ、父親にかまってほしかったのか・・・て、イスマエルさんや? キャラ崩壊してまっせ?)
「ふん! お優しいヒロコ様に感謝するんですね。普通だったら不敬罪ですよ!」
「ああ、すまんなイスマエル、心配をかけてしまって」
(はい、ちゃん・ちゃん!っと・・・小さいGさん、ココ占めて!)
小さいGさんに一気に注目が集まり、「え? ワシ?」みたいな顔をしている。
「コホン、え~・・・マテオ、73歳、この国の二人いる宰相の一人じゃ! 身長は昔測定した時は156センチあったが、今は分からんな。趣味は温室での植物栽培じゃ」
「違う! そうじゃない! この状況を教えて!」
「あ、すまん。ではとりあえずヒロコ様も自己紹介を・・・」
「え? 私?」
何故か、みんなが「うんうん」と頷いている。
(部屋着姿だけど・・・ま、いっか)
ベッドから降りて、室内履きでベッドの前に立つと、Gさん以外全員跪いた。
(うひょ! マジか?)
「宇佐美 ヒロコ、身長154センチ、年齢・・・私の世界では25歳です。成人もしています。趣味は・・・銭湯巡りです」
ナトンが顔を上げ、手を挙げた。
「はい、ナトン君! ご質問ですか?」
「ヒロコ様は戦場を巡っている戦士なのですか?」
「ああ・・・セントウね、違います。銭湯というのはお金を払ってお風呂に入る施設のことです」
「お風呂?」
「お金を払って入る銭湯は、一度に10人以上が入れる大きなお風呂です。色んな種類のお風呂があって、各地の色々な銭湯を巡るのが私は好きなのです」
(まあ、本当は人数が基準じゃなくて、一人当たりの広さが基準なんだけどね)
黒縁メガネのイスマエルがまじめな顔をして挙手をした。
「はい、イスマエル君、どうぞ」
「色んな種類の風呂とは例えばどんな?」
「お湯が流れ落ちる滝があります」
『滝!?』
室内に不思議などよめきが起こる。
(ああ、御徒町の燕湯・・・もう行けないのかなぁ)
「他にはどのような?」
「蒸し風呂、ミルク風呂、七色風呂、電気、炭酸泉、ジェットバス、寝風呂、黒湯、どんぶり湯、薬湯、浴室の壁が水槽で魚が泳いでたり・・・楽しいんです。行くところ行くところ、みんな特色があって・・・」
ざわざわと男子達が興味を抱いたのか、跪きながらも前後左右で話し始めた。
「浴室の壁が水槽だと? なんて贅沢な」
「き・・・聞いたことないぞ?」
「いや、ヒロコ様の世界の話だからな」
金髪碧眼のマクシムが我慢しきれず、手を挙げた。
「はい、マクシム君! どうぞ」
「あの・・・ヒロコ様の世界では混浴が一般的なのですか?」
そこだよそこ! みたいな男子の盛り上がりが半端ない。
「いいえ、私の居た国では公共施設である銭湯は、すべて男女別に風呂場が設計されています」
(1791年「寛政の改革」で、ごわす・・・ま、山奥の無料の温泉は関係ないけど)
「ああ~、やっぱりぃ」というナトンの残念そうな溜め息が聞こえた。
(きゃぴキャラでもやはり、男の子だな!)
マテオGが、咳払いをし、全員に向かって声を出した。
「皆の者、聖女ヒロコ様はこちらの世界に来たばかりでお疲れである、手短に用件を伝えるのじゃ・・・マクシム、お主が言い出したのだぞ? ちゃんとヒロコ様に説明せえ」
マクシムは苦しそうな表情をして、跪いたまま視線を床に落とした。
「あの・・・マテオ様、皆さんに普通に立ち上がって貰えませんか?」
「ヒロコ様・・・聖女様の前で頭を垂れるのは礼儀でして・・・」
「今は、公けの場ではないのでしょう? ずっとこのままの姿勢じゃ、みんな足が痺れちゃって、健康に悪いですよ」
「健康に悪い?」
マテオGが目を丸くした。
「わ、わかりました。ヒロコ様がそうおっしゃるなら・・・ホレ、皆の者、お許しが出たぞ! 立ち上がってヒロコ様に話しかけてよいぞ」
なんだか不思議そうな顔をして、男子達は体を起こし立ち上がった。
マテオGとナトン以外、全員背が高くて私は首が痛くなりそうだ。
(うん、やめればよかったかも)
「そう言えば、あの4人のGさんズ・・・じゃなくて召喚士様達はご体調いかがでした?」
「おおっ、一時間後にはすっかり回復して、通常の職務に戻れましたぞ!」
「良かったぁ」
あのGさんズ4人とも同時に倒れられたら、寝覚めが悪いと思っていたところだ。
「ヒロコ様は不思議ですな・・・自分を強制転移させた召喚士を心配するなど・・・」
「え、なんで? 目の前で苦しんでいる人がいるのに放っておけるワケないじゃない?」
「いや、そのう・・・」
マテオGの歯切れの悪い言葉に、マクシムが続けた。
「ヒロコ様、強制転移させた召喚士達を恨まないのですか?」
ハニーブロンドの長い前髪から覗く、澄んだ青空色の瞳が真っ直ぐと私を見つめた。
「え? だってそれが彼らの仕事だったんでしょう? きちんと業務を遂行した人を恨むのはお門違いだわ、大事なことは不愉快な思いをした、本当の原因追及でしょう」
ぽか~ん、と、全員が言葉を失った。
(あれ? なんか間違った事を言ったかな?)
「ぷはっ! あぁはっはっはっはっはっ!!」
豪快な笑い声をあげたのはソラルさまだった。
次に間入れず吹き出したのはナトンだ。
「ぷひぃっ! すっごいこの娘! 初めて会うタイプだわ!!」
ナトンが、右手でおなかを抑えつつ、左手でとりあえず口に手を当てて笑い声を上げ続けた。
「こりゃ! ナトン、失礼だぞ!?」
マクシムも顔をくしゃりとして笑い、イスマエルは口の端を歪めて我慢しているように見えた。
「え? え? え? 私って変?」
「そんなことは・・・」
マテオGが苦笑している。
「ああ、変かもしれないな?」
右側の斜め上から、低くて甘い声が降ってくる。
「ソラルさま、私、そんな変なこと言ったつもりは・・・」
「この聖女様は、幼くて、か弱くて、あわてんぼうで、優しくて、しかも我々の仕事に理解があるらしい」
(ソラルさまの少年のような笑顔サイコー! 腰が砕ける・・・)
イスマエルが、再び私の前に跪き、私の手の甲にそっとキスをした。
(えええええっ!)
「私は、ヒロコ様の“世話係”に選ばれて光栄です。あなたに忠誠を誓います。どんな時も、あなたのお力になりたいです」
「イスマエル、ヒロコは・・・“世話係”の意味がわかってないみたいだぞ?」
しゅん、と、イスマエルは眉尻を下げた。
「え、意味?」
マテオGが補足した。
「ヒロコ様、召喚した聖女の世話係とは・・・“この世界で一生あなたをお世話する任務”の事なのじゃ」
「そ・・・それを早く言ってよーーーーっ!」
(ああ、だから既婚者のソラルさまには“資格”がないって言ってたのね・・・)
ナトンが次に私の前に立ち、右手を挙げて、親切にこう言った。
「あ、ちなみに世話係の候補はメイン含めて3人まで選べます。ってゆーか? ぶっちゃけぇ、ほぼ一生? 3人キープできるよ!」
そう言い終わると、すっと私の指先に、跪いたナトンが唇をつけた。
既に私の脳内は情報処理能力が追い付いていない。
「い、い、い、い、一生!? しかも3人!」
(重い! 重すぎる! 病んでる私にはそんな心の余裕はなーい!!)
はわわわわ、と、驚きすぎて震えが走っている私の前に、マクシムが駆け寄る。
「ずるいぞナトン! お前はまだヒロコ様の承認を頂いてないじゃないか!」
「しょ・・・承認って・・・」
「もう契約しちゃったもんね?」
耳元にシュッパっと、風がかすった。
「あ、本当だ」
ソラルさまが私の顔を覗いた。
「え? なに?」
「ヒロコ様! 俺は・・・西の宰相の聖女様より、あなたにお仕えしたいんです!」
背の高いマクシムは何故か屈んで、私の顔に金髪が触れる距離に顔を近づけた。
『あああああーーーっ!!』
マクシム以外の全員がドン引きして、一歩下がった。
耳をかまれた――――。
「ひゃうっ!」
変な声を出してしまった。
「貴様ぁ!! なんて事をっ」
インテリ眼鏡のイスマエルが、金髪美青年のマクシムを私から引きはがし、彼の胸倉を掴んだ。
今度は前髪にシュパっと何かが掠った。
「あ~あぁ・・・早すぎる展開じゃのぉ」
マテオGが難しい顔をしつつ、ため息をこぼした。
「え? なになに? なにが起きたの?」
「ヒロコ様・・・大変言いにくいのじゃが・・・」
「マテオG! 早く言って」
慌てすぎて、つい心の中のあだ名を言ってしまった。
「は~い、ヒロコ様、鏡みて?」
ナトンが室内にあった、銀細工の大きめの手鏡を私の顔の前に出した。
私の髪にいつの間にかメッシュが入っている。
鏡で自分の髪色を確認していたら、ナトンが補足した。
「右側の灰色のメッシュは、イスマエルの“忠誠の証”、その後ろの茶色のメッシュは僕の“敬愛の証”・・・で、問題の前髪に入っている金色のメッシュが・・・」
「え? これ魔法なの? 意味があるの?」
右側からソラルさまのショックな言葉が私を刺した。
「前髪のメッシュは“夫候補の証”だ」
「・・・え? なんですって? 夫候補って」
マクシムの胸倉を掴んだまま、イスマエルが私の方に顔を向けた。
「つまり、聖女ヒロコ様の婚約者はマクシムとなります・・・」
「う、うぎゃぁ~っ!! なんでじゃぁあぁあっ!?」
私の手から滑り落ちた銀の手鏡を、ソラルさまが長い腕で落下を防いだ。
さすが騎士! 動体視力もいいらしい。
「え~? そんなに嫌がらなくてもいいじゃん? 俺の婚約者、ヒ・ロ・コ!」
マクシムが余裕の笑みで、右手で口元を押さえて声を拡張した。
「イスマエル、仕方がない。やり方はどうであれ、決まり事じゃ。放してやれ“仮予約”であれ、マクシムはそれなりの権利を得た」
「くそ! いくらあちら側の聖女の世話係候補を断る手段とはいえ、強引すぎるぞ!」
イスマエルがスパン、と勢いよくマクシムの胸倉を放したので、ボタンの一つがどこかへと飛んでいった。
私の脳は既に情報過多になり、頭から煙が出るかと思えた。
「す・・・すみません、休ませて下さい・・・もう、今日のところは勘弁して・・・」
体が震え、指先が冷たくなっていく・・・何も考えたくない・・・夢なのに、なんでこんな体が重いのだろうか。
前に夢を見た時は、あんなに体が軽くて動き回れたのに、この夢の中でのだるさは、まるでいつもの鬱状態と変わらなかった。
(それとも私、本当に死んだのかな? おかしいな? じゃあこの夢は一体なんなのかな?)