ハイスの弟
お城の入り口横の鏡で私は前髪を整えた。
「本当に大丈夫ですか?」
鏡に映るハイスは心配そうな顔をしていた。
「もー。何度も大丈夫だって言ってるじゃない。心配しすぎよ」
振り返り腰に手を当てて言った。
「ですが、付き人も無しに外出など、あの日以来ですし」
「・・・もう猫を追いかけたりしないわよ。いつまでその話を持ち出してくるのかしら」
私はため息をついた。
「それに、付き人はいなくても、あなたの弟さんがいるのだからあなたが心配することは何もないでしょう」
するとハイスは少し考えたのち
「そうですね」
と頷いた。
(このやりとり、昨日の夜もやったのに・・・。ハイスったらいつまで私を子供あつかいするのかしら。二つしか変わらないんだからもう少し年齢を上げて見てほしいわ)
いつまでも尽きないこの悩みを誰か解決してほしい。
「では、ストラ様。くれぐれもお気を付けて行ってらっしゃいませ」
「ええ」
深々と頭を下げるハイスに背を向け、私は城から出た。
今日はなんと、レイスと街へ出かける予定なのだ。誘ったのは私。近々ハイスの誕生日なのでそのプレゼントを買いたくて街へ出かけることにした。プレゼントの事は当然ハイスには秘密である。今まではハイスの好みがわからず、仕方なくハイスの手伝いやハイスの仕事を減らしてもらうなどで済ませていた。しかし、今年は違う。今年はハイスの弟という存在がいる。私の気持ちもハイスのこともよく知っている。相談には持ってこいな人物だ。だから私は、レイスに買い物の付き添いとアドバイスを頼んだ。初めは断られたが、しつこく・・・いえ、熱心にお願いしたら渋々だけど引き受けてくれた。
「もう。ハイスがあまりにしつこいから待ち合わせより一分遅れちゃったじゃない」
心配してくれるのは正直嬉しいけれど、過保護すぎるのも問題だ。
(ハイスは過保護なのね。ハイス抜きで外に出るなんてほとんどなかったから、知らなかったわ。・・・いいえ。もしかすると、いつものようにからからかっていただけなのかしら・・・?)
さっきのハイスの表情を思い出しながら小首を捻った。
すると
「おい。どこまで行く気だ」
後ろから声をかけられた。
「え?」
振り返ると、壁にもたれ掛かる様にしてレイスが立っていた。
どうやら気付かぬうちにお城の門を抜けていたらしい。
「あっ。ごめんなさい」
慌てて戻ると、レイスは盛大にため息をついた。
「はぁ~ぁ。こっちは仕方なく承諾してやったってのに、時間に遅れるわ、来たと思ったら素通りするわ。何なんだよ。なぁ。お嬢様なら何やってもいいと思ってんのか?そんなやつに尚更兄さんは渡さねぇぞ」
会って早々に鋭い目つきで睨んでくるレイス。ハイスと顔が似ているため、ハイスに睨まれているようで少し傷付く。
「思ってないわよそんなこと。素通りしてしまったことは謝罪するわ。ごめんなさい。けれど、時間に関しては半分はハイスのせいよ。ギリギリまで本当に大丈夫ですかって聞いてきてなかなか出られなかったのよ」
「遅刻の言い分けに兄さんを使うな。確かに兄さんは心配性な所があっけどよ」
「うぅ・・・とにかく、行きましょう。いろいろと聞きたいことがあるの」
「俺もお前には聞きたいことが山のようにある。覚悟しとけ」
先に歩き出した私を追い抜いてレイスはサッサと前を歩いた。私はそれを追いかけるように早足でついていった。
「あなた、ハイスに敬意について怒られていなかったかしら?」
「兄さんを狙ってる以上、お前は敵だ。敵に敬意を払うやつがいると思うか?」
「敵って、私はただ純粋にハイスを想っているだけよ」
「純粋か不純かなんて関係ねぇ。兄さんに恋愛感情で近付くやつは全員敵だ。俺が認めるのは兄さんが認めたやつだけだ」
「どうしてそこまで・・・」
「たった一人の兄をほいほい他所様に差し出すと思うのか?ただでさえ兄さんは鈍いんだ。変なやつに付け入られてもそれに気付かない。裏のある好意を純粋な好意として受け取る。そういうやつだ。だったら俺が予防線張るしかねぇだろ」
「娘溺愛中のお父さんみたいね。それでも付き合ってくれているけど」
「うるせぇ。ったく。兄さんに頼まれなきゃこんな敵に塩を送るような事しねぇんだけどな」
「え?ハイスが?」
「なんだ?知らねぇのか?兄さんが連絡してきたんだよ。その時はまだ了承してなかったんだが、兄さんは了承してると勘違いしてて、ストラ様を頼んだって言われたんだよ。訂正しようとしたが、『レイスもストラ様と仲良くなってくれたらいいな』って弾んだ声で言われて詰んだ」
「そうだったの・・・。だから来てくれたのね」
(はぁ。また知らないうちにハイスに助けられちゃったわね・・・)
「で?兄さんにやるもんの候補はある程度決まってんのかよ」
「いえ。ハイスの好みをほとんど知らないから決められないの」
「お前、十年も片思いしてて好みの一つも知らねぇとかやばくねぇ?十年も片思いしてて」
「二回も言わなくていいでしょ!聞いても笑ってはぐらかされちゃうのよ。ハイスはお家でもそんな感じなの?」
「あー?・・・まぁあんま、自分のことは話さねぇな。城の庭師の事も親父にしか言ってなかったらしいし」
「そんな幼い頃からなの?!」
「ああ。秘密主義なだけならいいんだが、もしなんか抱えてる物があんなら少しくらい相談してくれてもいいと思うんだけどな」
その時、レイスの顔は少し悲しそうだった。
(レイスの事となると、本当に真っ直ぐね。私にも姉弟がいたらわかったのかしら)
「気持ちはわかるわ。私もハイスに相談してほいって思うもの」
「は?お前にわかってたまるか」
気遣いのつもりで言ったのだが、ジロリとレイスに睨まれた。
「ええ~っ」
「それより、さっさと何やるか決めろよ。じゃねぇとアドバイスもなんもねぇだろうが」
(本当に口が悪いわね・・・。ハイスに似た顔で言われると心にくるからやめてもらえないかしら)
少し前を行くレイスの背中をじーっと睨んだ。
「じゃ、じゃあ、ハイスの嫌いなものを教えてもらえるかしら」
そう聞くと、レイスは「は?」と眉をひそめて振り返った。
「好きな物じゃなくて嫌いな物聞くのかよ。何。兄さんの嫌いな物あげて嫌がらせでもすんのか?とんだサプライズだな。俺もびっくりだわ」
「違うわよ!好きな物を聞いちゃったら、なんとなくそれに固着して決めちゃうでしょ!だから嫌いな物を聞いておいてそれだけを避けようと思ったの!」
「ふーん・・・。まぁなんでもいいけどさ。兄さんの嫌いな物・・・」
レイスは歩きながら考え込んだ。
(えっ。そんな考えるほどハイスの嫌いな物ってないの?)
お城から街までは少し離れているのだが、その街に着いた頃、ようやくレイスが口を開いた。
「ゴミ以外ならいいんじゃねぇか」
「っ?!ようやく口を開いたと思えば、すごく適当ね。いくらなんでもゴミなんて候補にあげないわよ」
「しゃーねぇだろ。兄さんの苦手な物が浮かばなかったんだから」
「そんなにないの?例えば・・・虫とかは?」
「昔、学校でいたずらされて兄さんの机の上に手のひらくらいの蜘蛛が置かれてたことがあったが、笑顔で逃がしてた」
「・・・おばけとか」
「おばけ屋敷入ったら、怖がるどころか俺の心配してたし、ちょっとミスで転んだ脅かし役の女に手ぇ差し伸べてた。顔血まみれの女だったんだが」
「・・・ねずみとか」
「蜘蛛と同様」
「・・・た、食べ物はどうかしら?!いくらハイスでも苦手な食べ物くらい」
「兄さんが食事中に笑顔絶やしたの見たことねぇよ」
「・・・。あーもう!どうすればいいのよ!」
「だぁからゴミとか常識ないやつ以外ならなんでもいいんじゃねぇの!」
「それじゃああなたに相談に乗ってもらう意味がないじゃない!」
「知るかよ、んなの」
フンッと不機嫌そうに顔をそらしたレイスに私もムッとした。
(ハイスと双子なのにどうしてこんなに性格に差があるのよ。全然優しくないわ!・・・いえ。買い物の付き添いに来てもらっているのだからそんなこと言ってはいけないわね。それにしても、ハイスにここまで苦手な物がなかっただなんて。今度ハイスに直接聞かないと)
新たな目標を見出しながらコホンと咳払いを一つした。
「じゃあ、ハイスの好きな物教えてもらえる?」
「結局そうなんのかよ」
「あなたがハイスの嫌いな物知らないからでしょ」
「ああ?!十年片思いなのに知らねぇお前もお前だろ!」
「片思いって何度も言わないで!」
「事実だろ」
私達は数秒睨み合った。それから私はハッと我に返った。
「と、とにかく、ハイスの好きな物よ。さすがにそれはわかるでしょう」
「それこそお前もだろ」
「いいから教えなさい」
ここで言い返すとまた睨み合いになりかねない。もう埒があかないので話を進める。
「そうだな・・・花」
「元庭師だものね。今も庭のお手入れをしてくれているし」
うんうんと頷いた。けれど、先ほどは打って変わってまだレイスの口は止まらない。
「小物、動物全般、料理、菓子作り、勉強、編み物、絵、読書、音楽鑑賞、運動、星・・・あとはお茶とかコーヒーにも関心ある感じだったな。他には・・・」
「ちょっ、ちょっと待って!」
「あ?何だよ」
「好きな物はすごくあるのね。でも、それだけあれば選ぶ材料としては申し分ないわ。だからそれくらいで結構よ」
好きな物、その一つ一つのエピソードをぜひ聞きたいところではあるが、このまま聞いていると永遠に出てきそうなのでさすがに止めた。
「そーかよ。じゃあ俺、帰っていいか?」
「いいわけないでしょ。これから選ぶんだから、ちゃんと最後までアドバイスしてちょうだい」
「はー?ったく。しゃあねぇなあ」
レイスは髪をクシャクシャと掻いて、ぶっきらぼうに言った。
「ってかよー、そんなに悩むんなら兄さんに直接聞きゃいいじゃねぇかよ。」
「本気で言っているのかしら?あのハイスにそんなこと聞いても『お気持ちだけで結構ですよ。ありがとうございます』って言われるに決まってるじゃない」
ハイスのマネをして言うと
「今の、兄さんのマネかよ。へったくそだな」
聞いてもない審査結果が返ってきた。
「そんなことはどうでもいいのよ」
「まぁでも確かに、兄さんは欲がねぇからなぁ。お前の考えはもっともだ」
「だからあなたに聞いてるのよ」
「そうは言っても俺は兄さんじゃねぇからな。兄さんの好みを完全に把握してるわけじゃねぇ」
「そんなこと百も承知よ。ただ、私が知っているのは城にいる間のハイスだけだから他の場所でのハイスを知りたかったの。私とハイスの立場ではわかる範囲が限られるもの」
隣を駆けていった男女の子供を目だけで追いながらその姿を私とハイスに重ねた。
「・・・青」
「へ?」
レイスがボソッとつぶやいた。
「兄さんの好きな色。やるならその色の物でもやれば?」
「レイス・・・」
「別にお前のためじゃねぇからな。ただ、お前の立場を不憫に思っただけだ。情けだ情け」
ツンッと不機嫌そうにそっぽを向くレイスに私はクスッと笑った。
「今どき、少女漫画でもそんなベタなツンデレないわよ」
「は?つん、何?」
「あら、少女漫画は読んだことがないのね」
「そもそも漫画は読んだことねぇよ。んなもんに金を使ってらんねぇ」
「あっ。そ、そうよね。ごめんなさい」
レイスのお母様のことを思い出し反省した。
「でも、お友達から借りたりはしなかったのかしら?」
「・・・喧嘩売ってんのか。兄さんはともかく、俺はダチが出来るような性格じゃなかったから、物の貸し借りなんてなかったよ」
「あっ。これは重ねてごめんなさい」
「ってか、意外とお嬢様ってそこらのやつらと変わんねぇ暮らししてんだな。漫画とかゲームとか」
「私の歳ではまだまだ特別なことなんてほぼないわ。お見合い以外は・・・」
(そういえば、今度またハイスがお見合い相手を連れてくるって言っていたわね)
笑顔でそれを伝えてきたハイスを思い出し、フルフルと頭を振った。
「どうした?人酔いでもしたのか?」
「えっ?あ、いえ!その、む、虫がいたので」
レイスに見られていたのが恥ずかしく、顔の前で小さく手を振った。
「ふーん。倒れられたら運ぶの面倒だからその前に言えよ」
「え、ええ」
(心配してくれたのかしら?ふふっ。レイスも優しいところあるのね)
ハイスとは違う形の優しさに私は嬉しくなった。
「レイス!あのお店に行きましょう」
少し弾んだ気持ちで近くのアクセサリーショップを指差した。
「あ?・・・おう」
レイスは少しキョトンとしながらお店に足を向けた。
お店に入ってから、私は迷いなく初めに目についた物に手を伸ばした。
「レイス、レイス!これ、どうかしら?」
手に取ったのは、蒼い石のペンダント。装飾がほとんどなく、シンプルなデザインだがそれが逆にいい。
「・・・まあ、いいんじゃねぇの?兄さん装飾品とかあんま持ってねぇだろうし」
「レイスも特に何もつけてないわね」
レイスは赤いシャツの上に黒いジャケットを羽織った格好だ。アクセサリーなどは見当たらない。
「漫画と同様、そんなの買う金なんてねぇからな」
「そう。じゃあ、買ってくるわ」
私は蒼いペンダントともう一つ、商品を持ってお会計に行った。
支払いを済ませて戻ったが、レイスの姿が見当たらなかった。
お店の中を回っているのかと辺りを見回すもやっぱり見当たらない。
「ど、どこ行ったの?!」
慌ててお店の外に飛び出した。するとその時。
「終わったのか」
後ろから声がした。
振り返ると、お店の壁に寄りかかってレイスが立っていた。
私は安心すると同時に怒りも湧いてきた。
「外に出てるならそう言ってもらえるかしら!」
「置いてってねぇんだからいいだろ」
「よくないわよ!一言声を掛けるか見えるところで待っててくれないと焦るじゃない!危うくこんな街中で醜態をさらしてしまうところだったわ」
「はいはい。それはわるぅございました」
面倒くさそうに小指で耳を塞ぐレイスに頬を膨らませた。
「もぉ・・・」
「用事済んだんなら牛になってねぇで帰れよ。俺も帰るから」
「誰が牛よ!」
「じゃ、俺帰るわ」
「ちょっと!スルーしないでくれるかしら!?」
「・・・何だよしつけぇなあ。そんなに怒ってっと早死にすんぞ」
「誰のせいよ・・・。まあいいわ。それより、これ」
「あ?」
私は可愛らしい小さな袋を差し出した。
「んだよこれ。俺にそんな乙女チックな趣味はねぇぞ」
怪訝な顔をするレイスにツッコミながら突きつけた。
「袋あげるって言ってるんじゃないわよ。中身をあげるって言ってるの」
「中身?」
片眉を下げつつも受け取ってくれた。
「ってかこの袋、この店のだろ。兄さんにあげる物をなんで俺に・・・」
ぶつぶつ言いながら袋をあけたレイスの口が止まった。
「お前、これって」
そう言ってレイスが取りだしたのは、紅いペンダント。ハイスのと色違いである。
「早めの誕生日プレゼントよ」
「は?」
「双子なんだから誕生日も同じでしょう?レイスには当日会えるかわからないから早めに渡しておくわ」
レイスはポカンとしてペンダントを見つめている。
「ハイスと色違いだから、兄弟でお揃いにして構わないわ」
「ハッ。ちょっ、ちょっと待て」
「何かしら?」
「なんで俺にこんなの」
「まあ。せっかく買ったのにこんなのとは失礼ね。あなたがいいって言ったからこれを選んだのに」
「そうじゃねぇ。そうじゃねぇけど、俺はあくまで、兄さんにいいって言ったんだ」
「わかっているわ。でも、それを尊敬する彼にいいと思ったのなら少なくともあなたのセンスにそのペンダントが当てはまったということでしょう?だったらあなたにも合っているのと同義のはずよ」
「そもそも、俺が言いたいのはそういうことじゃねぇんだよ。なんでダチでも好きな相手でもない俺にまでプレゼントなんてすんのかを聞いてんだ」
私はその問いに首をかしげた。
「人の生誕を祝うのに理由や関係が必要なの?」
「・・・!」
「私とレイスはもう出会ったのだから祝うのはおかしな事ではないでしょう。それに今日のお礼も兼ねているし。あなたが求める理由はこれで十分かしら?」
「・・・ああ」
レイスは頭を掻きながら小さな声で返事をした。そして、それよりもさらに小さな声で
「ありがとよ」
と言ったのが聞こえた。
そっぽを向いてしまっていて顔は見えないけど、耳がほんのり赤くなっていた。
(レイスも照れたりするのね。ハイスに顔が似ているから、なんだかこちらまで恥ずかしくなってしまうわ)
それでも私は毅然として振る舞った。
「なんて言ったのか聞こえなかったわ。もう一度お願いできるかしら?」
「は?!もう言わねぇよ!」
そう怒鳴るとレイスは歩き出してしまった。
しかし、数歩先まで言ったところでレイスは足を止めた。
「・・・?」
「何してんだ。行くぞ」
「え?どこへ?」
「そうだな・・・喫茶店とかでいいだろ」
それだけ言ってレイスはまた歩き出した。
私はわけがわからないままレイスの後を追った。
「どういうことなの?」
「時間管理も出来ねぇやつに兄さんをやると思うなよ」
「へ?」
そう言われ私は腕時計を見た。
時計の針は十二時半を指そうとしていた。
「もしかして、お昼ってことかしら?」
レイスは何も答えなかった。無言の肯定と捉えた私は大人しくレイスについていった。
近くのレストランに入ったのだが、お昼時なのもあり、中はそこそこ混んでいた。入り口付近の横長のソファには四人ほど人が座っていた。
「やっぱりこの時間帯は混んでいるわね」
「店変えるか?」
「けれど、どこのお店もきっと混んでいるわよ」
二人で話し合っていると、ススッと七三わけの男性店員が近付いてきた。
「いらっしゃいませ。お嬢様」
男性店員は深々と頭を下げ、何故か店内へ進めるかのように手で指し促した。
「何ですか?」
そう尋ねると、男性店員はにこやかに答えた。
「お席へご案内いたします。一国のお嬢様をお待たせするわけにはいきませんので」
「そう。お気遣い感謝します」
私は目を伏せ、言った。そして目を開くと
「けれど、結構です」
そう言い放った。
「え?」
男性店員は眉をひそめている。
「私をどういう人物だと思っているのかは知らないけれど、私は明らかに存在している先客の間に割って入るような人間ではありません。それと、私達よりも先に待っていた方々を差し置いて地位で優先順位を決めるというこのお店の方針は変えるべきだと思いますよ」
ニコリと微笑んで言うと、隣で「へぇ~」というレイスの声が聞こえた。
その時、他の店員とは制服が違う男性が慌てた様子で駆けてきた。
「申し訳ございません!ストラお嬢様!他のお客様方も大変失礼いたしました」
胸に店長と書かれたバッジをつけている男性が頭を下げて謝罪した。
「私は構いませんわ。そちらの方々はどうです?」
ソファに腰掛けていた四名に尋ねると、全員呆気にとられた表情で頷いた。
「ということですので、謝罪はもう結構です。それよりも次の方をご案内してください。私達を案内しようとしたのですから、お席は空いているのでしょう?」
「は、はい!では、次のお客様こちらへどうぞ」
店長はそう声をかけ、待っていたお客さんは二人立ち上がった。
すれ違うとき、男性店員は店長に何か声をかけられると一礼して、こちらにも一礼すると店の奥へ去っていった。
「・・・さて、行きましょうレイス」
そう声をかけて、入り口のドアに手をかけた。
「は?」
「注意された相手に料理を提供するのは、きっと気が引けるでしょう」
フッと微笑んで私は店を出た。
店を出て、すぐそばの路地裏に入ると私はしゃがみ込んだ。
後を追ってきたレイスはそれを見て「うおっ」という声を漏らし一歩後ずさった。
「ちょうどいいわレイス。少しそこに立っててくれるかしら」
「は?」
「一分でいいわ。私を隠してて」
「お、おう?」
「ありがとう」
それを最後に私は膝に顔をうずめた。
(怖かったぁー!!大人の人に注意なんて家の外じゃしたことないわよー!それに何なのあの人は!いくらなんでもあんな堂々と私に横入りをさせようとするなんてありえないわ!いくら何でもできる私だってそんなこと出来るわけないじゃない!一国のお嬢様って言うんなら、お嬢様としてふさわしい行動をさせなさいよ!どうして私がハイスと話すとき以外に緊張しなきゃいけないのよ!ハイスへのドキドキは苦しいけど嬉しい。でも今のは苦しいだけでなんにも満たされないわ!そもそもあの人は大人ではないの!?学校でちゃんと学んだのかしら!家庭教師でしか勉強を教わっていな私でさえ知っていることなのに!・・・はぁ。こういう時、ハイスがいたら、もっと角が立たないように注意出来たのに。それに、今の私を見たとしても『さすがはストラ様ですね。はっきりと国民を糾弾なさるなんて』って言ってくれるのに。今はハイスのあのいまいち褒めてるのかわからない発言が恋しいわ)
チラッと腕の隙間からレイスを見た。しかし
(いないし!!?)
私は弾かれたように立ち上がって心の中でツッコんだ。
(レイスってばどこに行ったのよ。まさか、私を置いて帰ったんじゃ・・・)
ゼロじゃない可能性に私は路地裏から飛び出した。
「お嬢様が確認もせず急に飛び出してんじゃねぇよ」
その直後に左手側から聞こえた声に私は勢いよく顔を向けた。
そこには手に何か甘い匂いのする物を持ったレイスが立っていた。
「もう!だから黙って消えないでって言ってるでしょう!?」
「お前が一分でいいって言ったんだろ」
「隠すのはって話ですー!どこか行くなら声をかけるのが礼儀でしょ!」
「声かけたってどうせ気付かなかっただろ。あんだけ頭抱えてたんだからよ」
「そ、それはそうかもしれないけれど・・・」
「ほらよ」
「え?」
レイスが手に持っていた甘い匂いのする物を一つ突きつけてきた。
「頭使ったんなら甘いもんでも食えよ」
「食えって、これ、食べ物なの?」
それを受け取ってまじまじと見つめると、レイスは目を丸くした。
「は?お前、まさかそれ食ったことねぇの?」
「初めて見たわ。あっ。中にイチゴが見えるわ!確かに食べ物みたいね」
「・・・お嬢様ってのもつまんねぇもんだな」
「そんなことないわよ。それより、立ったまま食べるなんてお行儀が悪いわ。どこか座れる場所へ行きましょう」
「へぇ。曲がりなりにもお嬢様なんだな」
「誰が曲がりなりよ。私はちゃんとお嬢様よ」
「自分で言うあたりがなぁ~」
「自覚のない人間が後を継げるわけがないじゃない。自分が次期女王だという自覚を持って行動しないと誰もついてきてなどくれな・・・何なのその顔は」
レイスの顔を見ると、信じられない物を見たかのような表情を浮かべていた。
「いや・・・一ミリくらいはお前のこと見直した」
「それは褒めているのかしら?」
「受け取り方はお前に任せるわ」
「そう。じゃあ、褒め言葉として受け取っておくわ。それと、この近くに公園があったはずだからそこに行くわよ」
私はスタスタとかつ優雅に歩き出した。
表面こそ冷静だが、裏側は
(見直したって何よ!今まで見下してたの?!それに一ミリってほぼ直ってないじゃない!ほんっと兄弟揃って普通に褒められないのかしら!ハイスもからかってばかりで普通に褒めてくれないし、レイスは褒める気が元よりないわ!まったく。女性を何だと思っているの!それ以前に私を何だと思っているのよ!・・・はぁ~。勉強や運動が出来ても、人の感情というものは難しいわね。教科書が欲しいくらいだわ)
「お前、情緒不安定だな」
突然、ヒョッとレイスが私の顔を覗き込んだ。
「きゃっ。な、何なのレイス。驚くじゃない」
「一人で百面相してるから不信に思っただけだ」
「ひゃ、百面相?」
「気付いてなかったのか?表情が怒ったり、緩んだりヘコんだりしてたぞ。雰囲気もなんか、怒気になったり朗らかになったりどんよりしたり。お嬢様ってのは感情も忙しいみたいだな」
「そ、そう。それは失礼しましたわ」
隠せていたつもりだったため、無性に恥ずかしくなりうつむいた。
「急にかしこまっても気持ち悪いだけだぞ」
それだけ言うとレイスは見えてきた公園へさっさと言ってしまった。
「なっ。女性に向かって気持ち悪いだなんて・・・」
怒りでぷるぷると肩を震わせていると、レイスが遠くで手を振った。
「遅ぇよ!早く来い!」
「誰のせいよ誰の・・・」
その場でぼやきながらも、私は俊歩の速さでレイスの元へ歩いた。
公園のベンチに座り、改めて手元の食べ物を見つめた。
「それで、これは何なのかしら?」
「マジで知らねぇんだな・・・。クレープだよ」
「えっ?」
「名前くらい聞いたことあんだろ」
馬鹿にしたように鼻で笑うレイスに私はニマッと笑って返した。
「嘘はよくないわよ、レイス」
「は?」
「クレープっていうのは、四角くて、中にクリームなどが包まれているもののことでしょ。いくら私でもそれくらい知っているわ。だからこれはクレープではないわ」
ふふんっと鼻を鳴らすと、レイスはポカンとした後、押し殺したような声でクツクツと笑った。
「な、何よ」
「いやー?さすがはいいとこのお嬢様だなと思っただけだ」
「どういうこと?」
「お前が言ってるのは確かにクレープだ。けど、これもクレープだし、むしろ街じゃこっちのクレープの方が主流なんだよ。俺達凡人はクレープをナイフで切って食べたりはしねぇよ」
「へ?!しないの!?」
「そっ。だからそれ、がぶっといっちまえ。今は公園に人いねぇから人目気にせず食えんだろ」
そう言うとレイスは自分で言ったとおり、直接口からがぶっとクレープ(仮)にかぶりついた。
(アクセサリーとかは買わなかったのに、お菓子は買ったのね)
そんなことを思いながら、私は目の前のクレープ(仮)にゴクリと息を飲んだ。
(これがクレープだなんて信じられないわ・・・でも、試しもしないで決めつけるなんてあってはいけない!行くのよストラ!ここで引いては女が廃るわ!)
グッと決心して、思いっきりクレープにかぷっとかぶりついた。
すると、口に入れた瞬間、生クリームの甘さとイチゴの酸味が鼻の奥にまで広がった。
途端に目の前がキラキラと輝いて見えた。
(な、何よこれ!すっごくおいしいわ!)
生地は確かに食べたことのあるクレープのそれだった。
いつもより多く咀嚼し飲み込んだ。
私が初めて食べたわけではない物の初めて食べる味の余韻に浸っていると、隣から「ぶっ」と吹き出す音が聞こえた。
私はキョトンとして音の主を見た。
「お前、わかりやすすぎ・・・!」
レイスは笑いを堪えているようだった。
「え?」
「ぜ、全部顔に出てんぞ。目ぇキラッキラしてるしよぉ。あー、腹痛ぇ」
「えっ、そ、そんなに顔に出てたかしら?」
私は恥ずかしくなり頬に手を添えた。
「はぁ。店員の前ではあんなに憮然としてたのにな。そりゃ兄さんにも相手にされねぇわけだ」
(ま、まさか今まで思ったこと全部顔に出ていたの?!ハイスの前でも?!ハイスが子供あつかいをやたらするのはそのせい・・・?)
普段、私を見てクスクス笑っていたハイスを思い出し一層顔が熱くなった。
「顔、イチゴみてぇになってんぞ」
「今はちょっと放っておいてもらえるかしら・・・」
「そんなに落ち込むことか?」
「乙女にはいろいろあるのよ・・・」
「お前が乙女ねぇ」
「・・・」
私は何も言い返さず下を向いていた。
「おい」
何か気遣いの言葉でもかけてくれるのかと顔をあげると、レイスの手がこちらに伸びてきていた。
(え、え?)
戸惑っている間に、レイスの指が口元に触れた。
「なっ、なっ・・・」
顔がハイスに似ているため、ハイスに触れられている様な錯覚を起こしてしまいそうになる。
(こ、この人はレイスこの人はレイスこの人はレイスこの人はレイス・・・)
念仏のようにそう唱えていると
「お嬢様が口にクリーム付けてんなよ」
「へ・・・?」
レイスは指に付いたクリームをポケットから取り出したハンカチで拭いた。
「・・・?なんだよ?」
ポカンとレイスを見つめていた私に怪訝な顔で問いかけてきた。
「・・・な、何でもないわ」
一瞬でもドキッとしてしまい、穴に入りたくなる。
「そ、そうだわ。クレープのお代を払っていなかったわね。おいくらかしら」
「いい。いらねぇ。金持ちでも金は大事にしろ。いつ何があるかわかんねぇからな」
ムスッとした顔で言われ、私は懐に入れかけた手を引っ込めた。
「あなたが言うと説得力があるわね。でも、それはあなたにも言えることじゃない?お金の重要さをわかっているのなら、そんなに他人に使っているのは不自然よ。今日は私の買い物に付き合ってもらっているんだから自分の飲食代くらい払わせて頂戴」
「・・・これもらった釣り銭だ」
そう言ってレイスが見せてきたのはさっき私がプレゼントした赤いペンダントだった。
「でも」
「さて、俺は食い終わったし帰るわ」
「あっ、ちょっと!」
私が呼び止めるのも聞かず、レイスは本当に去っていってしまった。
「・・・お嬢様お嬢様言う割りに、置いてけぼりにするのね」
小さくなった背中を見つめ、ため息をついた。
誰もいない公園で一人、クレープを食べ終わり、のどかな風に吹かれていた。
「外でのんびりするのもいいものね」
心地よい風に少しウトウトしてきて、瞼が下りかけたその時。
「あれ?ストラ様?」
目覚まし時計よりも私を起こすのに十分な声が聞こえた。
バッと勢いよく顔を上げると、青いティーシャツに白いジャケットを羽織ったレイスが目を丸くして立っていた。似たような格好をしているのは双子のテレパシーか何かなのだろうか。
そんなことよりもこんなところに何故ハイスがいるのかの方が重要だ。
「ハイス!どうしてここに?」
思わず立ち上がって聞くと、ハイスは優しく笑った。
「ストラ様が外出されたので、今日のうちに私物でも揃えて来なさいと王女様に言われまして。それと、料理長に聞いて食料の調達もついでに」
「そうだったの」
そう言ったハイスの手には食材の入った袋が二つしかなかった。
(また自分の物は買わなかったのね。おつかいまでプラスしちゃって)
「ストラ様はどうされたんですか?レイスはご一緒では?」
「先に帰っちゃたわ」
「えっ。・・・まったくレイスは。すみませんストラ様」
「あなたが謝ることではないわ。それに、楽しかったからいいのよ」
私はニコッと笑った。
「・・・!そうですか。それは兄として誇らしいです。今度レイスに伝えておきますね」
ハイスも吹いている風のように穏やかに笑った。
「い、いいわよ!きっと彼も恥ずかしがるでしょうし。ちゃんとお礼は渡してあるから」
「そうですか?ストラ様はお優しいですね。ではせっかくですので一緒に帰りましょうか」
「っ!ええ!」
予期せぬ好機に私は満面の笑みで頷いた。
ココロです!読んでくださりありがとうございます!マイペースな作者で申し訳ないですが、楽しみにしていただけると幸いです。これからもよろしくお願いします!




