歓迎される刺客
何の前触れもなく背後から腹に回された腕が、ぐいっと後ろへ引っ張る。
私は「ぐぇっ」とカエルが潰されるような声をあげながら背後へ倒れこむのと同時に、それまで自分がいた位置を短剣が薙いでいったことに気づいた。
「無事か、シェルビィ」
私を片腕で抱き上げた男が、短剣で襲い掛かってきた刺客を足で蹴り飛ばしながら平然と声をかけてくる。
重たげな軍靴で蹴り飛ばされた際、ドゴシャッ! というものすごい音がして刺客の胴体が半分砕けたように見えたが、それをやった男はまるで気にするふうもない。
「ぶ、ぶじ、です」
太い腕でいきなり腹を圧迫され、そのまま抱え上げられた私は昼食を吐きそうになるのをかろうじて耐えながら、必死で返事をする。
ここで返事をしないと、刺客からの救出が間に合わなかったと判断されて医務室に強制連行されたあげく、夕食が消化の良いスープだけになってしまうことは過去の経験から学習済みである。
実際に無事だし、私はまともなご飯が食べたい。
「そうか。なら、そのまま掴まってろ」
彼はそう言うと、一人ではなかったらしい刺客を剣も抜かずに次々と倒していった。
その際いちいちメキャアッ! とかズゴシャァッ! とか、人体が発していい音じゃないものが響きながら刺客たちが路上に沈んでいく。
相変わらず、味方ながら空恐ろしい戦闘能力の持ち主であると思う。
おそらく『戦神将軍』と呼ばれる彼の部下である私が一人の時を狙ったのだろうが、近くにその将軍がいて、わざわざ彼自身が助けに入るとは思わなかったのだろう。
自分が殺されかけたことに対する怒りよりも、彼に遭遇してしまったことに憐れみを覚える。
戦神将軍は敵とみなしたものに容赦しないのだ。
しかしその反面、一度懐に入れたものは大事にする。
今も部下である私は彼の腕の中で安全に守られ、ちょっと昼食を吐き戻しそうになる危機を迎えているが、刺客に襲われたわりにかすり傷一つ無いのだからありがたいことだ。
「よし、これで終わりだな。……おい、お前たち、こいつらを縛り上げて牢へ放り込んでおけ」
「はい、閣下!」
近くにいた兵士達が将軍に敬礼して、路上に沈んでピクピク痙攣している刺客たちを手際よく捕縛していく。
彼はそれを見て「うむ」と頷くと、なぜか私を片腕に抱いたまま城塞へと戻り始めた。
えっ。
私、休憩もらったんで城下町に買い物に行くところだったんですが。
城塞に逆戻りなの?
いや、まあ、買い物は急ぎじゃないから、それはいいとして。
「閣下、助けていただいてありがとうございます。もう、下ろしていただいて大丈夫です。歩けます」
大股で歩いていく彼の肩にしがみついたまま、私は慌てて言った。
周りの兵たちから「そこのチビ」とか「おいガキ」とか「お嬢ちゃん」と呼ばれることもある、年齢的に幼い私だが、さすがに上官に子ども抱っこされたまま運ばれるのは遠慮したいのである。
数少ない軍属の魔法使いとして、将軍が私を戦場で重用してくれるのはありがたいが、こんなところを見られて無駄に「閣下に可愛がられているからって調子に乗るなよ」とか反感買いたくない。
桁違いの戦闘能力を持ち、指揮官としても優秀な戦神将軍は、どうも自分が人気者であるという認識が無いらしいのだが、当代随一の英雄でとんでもない有名人なのである。
刺客から守ってもらって、保護してもらえるのはありがたいのだが、危機が去った後までこんなふうに構われると後が怖い。
「遠慮するな。顔色が悪いぞ、シェルビィ。襲われて怖かったんだろう? もう大丈夫だからな。このまま俺の執務室まで連れてってやる。茶でも飲んで、しばらく休んでいろ」
空いている方の手であやすように背中をぽんぽんされて、違うそうじゃない、とげっそりした。
顔色が悪いのは腹部を圧迫された時の吐き気がまだちょっと残っているせいだ。
それに、気遣いはありがたいが、現在進行形で将軍閣下を崇拝する兵士たちからの刺すような視線がとんでもないことになっているので、頭が痛い。
刺客に急襲される部下の危機を察知し、かすり傷一つ負わせずに救出してくれる有能さでそのあたりのことも察知してくれないだろうか。
無理かなぁ。
私はすごい注目されていたたまれないんだけど、彼はそういうの慣れてるから気づくの難しいのかなぁ……
上官の言葉に逆らうこともできず、ため息をつきたいのを我慢して、私はおとなしく頷いた。
ここで無理やり逃げようとしても、結局は何だかんだ言いくるめられて連れていかれる、というのも、過去の経験から学習済みだ。
「……お気遣い、ありがとうございます、閣下」
「気にしなくていい。シェルビィはうちの大事な魔法使いだからな。俺がお前を守るのは当然のことだ」
そう言って、私を抱えたまま堂々と城塞に入っていく戦神将軍閣下は、なぜか上機嫌である。
しばらく戦場に出ていないから、刺客との戦い (かなり一方的なものだったが)でストレス発散できたのが良かったのだろうか。
この人は戦闘狂の傾向があるよなぁ、と思いながら、解放してもらうのを諦めた私は遠い目をしたまま彼の執務室へと連れられて行った。
「あー、良かった。ここんとこ和平に向けての交渉ばっかで体動かせなくて、閣下、だいぶイラついてたんだよね。唯一の癒しのシェルビィちゃんも戦場じゃないなら傍にいる必要ないだろう、って、ぜんぜん執務室に寄り付いてくれないし。あと一日遅かったら閣下のイライラが爆発して、訓練場で兵たちがしごかれて死屍累々になってただろうからなぁ」
お前らよくやったな、来てくれてありがとうな、歓迎するぞ、と戦神将軍の副官が捕縛された刺客たちに爽やかな笑顔で言った。
将軍に命じられて刺客たちを捕縛し、連行してきた兵たちの中で、この城塞に来たばかりの新米がこそっと先輩に聞く。
「あの、先輩。もしかして将軍閣下が救出された女の子、噂の『守護天使』だったんですか?」
「ああ。そういやお前、まだ王都から来たばっかだったな。そう、彼女が将軍閣下の守護天使だ。その噂、王都で聞いたのか?」
「はい、守護天使がいる戦場では、うちの軍の独壇場になるとか。戦神将軍の行くところ守護天使あり、とも聞きました。ただ、閣下は上流貴族の方で、守護天使の女の子は庶民ですよね? なので、同じ軍内にいる普通の上官と部下なのかと思っていましたが。ずいぶんと仲が良いんですね」
仲が良いどころか。
貴重な宝物のように少女を抱えて歩く戦神将軍の眼差しはとろけるように甘く、彼女にかける声はこの上なく穏やかで優しく、彼女を脅かす刺客には一片の慈悲もない。
そして守護天使と呼ばれる魔法使いの彼女の方も、そんな将軍をまったく拒否することなく、信頼しきった様子でその腕に身を預けている。
あれで恋人関係じゃないというのだから、意味が分からない、というのが周囲の一致した見解である。
しかも。
「いや、普通の上官と部下だ。少なくとも本人たちはそうだと思ってる。……つまり、どっちも無自覚なんだよ」
とてつもなく面倒くさそうな顔をして先輩は新米に教えた。
「とくに閣下の方がまったくの無自覚なのに、独占欲と嫉妬心だけはすさまじいって状態からな。うかつに閣下の守護天使に声かけると、後でとんでもないことになるから、気をつけろよ」
「えっ、声かけただけでダメなんですか?」
「前に、ちょっと話しかけて守護天使どのを笑わせた奴がいたんだけどな……、うん、あいつはいい奴だけど馬鹿だったよ……」
「なんですかそれ。すげぇ怖いんですけど。なにがあったんですか……」
「詳しくは聞くな。あ、あと、たまにさっきみたいな刺客が来るけど、近くに閣下がいる時は手出ししないようにするんだぞ。わざと守護天使の警護を通過させて、閣下の見せ場を作るのも俺らの仕事だ」
「守護天使に刺客を近づける仕事……」
自分が新米であるせいなのか、ちょっとよく意味が分からない。
「閣下が近くにいる時限定だけどな。俺たちにとってそういう時に来る刺客は歓迎客なんだ。副官どのもさっき言ってただろ、お前らよくやったな、って。今日のこいつらはホントいい仕事してくたよ。おかげで天使どのを執務室に連れ込める口実のできた閣下は素晴らしくご機嫌だ。これでしばらく訓練場が地獄絵図になることはないはず。いやぁ、まったく、ありがたいこった」
まあ、それでもうちの守護天使を襲った刺客たちに対する尋問は容赦なく行われるんだけどな。
笑顔でそう言う先輩を、引きつった顔で新米は見上げた。
どうもおかしな人々のいる拠点に配属されてしまったらしい自分の未来がこの上なく心配ではあるが、とりあえず直近の危機はこの刺客たちのおかげで回避されたらしい。
もし彼らが守護天使を襲わず、戦神将軍閣下のイライラが爆発していたら、訓練場で彼にしごかれる兵たちの中に間違いなく自分も含まれていただろう。
「歓迎される刺客……」
つぶやいて、世にも奇妙なものを眺めた後、新米はふと顔を上げて城塞の方を見た。
どこか遠い目をした華奢な少女を片腕で抱きかかえた逞しい体躯の男が、門番たちの敬礼を受けながら悠然とした足取りで進んでいく。
将軍と守護天使というより、獰猛な肉食獣と捕獲された野ウサギのように見えるのは気のせいだろうか……
思わず神に幸運を祈る印を切った新米は、それ以上できることもないので、副官の指示に従って捕縛した刺客たちを尋問室へと連行した。