鼠の館と天才魔術師
早朝、俺は朝早く宿を出て街を疾走した。鼠どもを殺す為の材料を手に入れる為だ。必要なのは【ぬか】と【砂糖】、【玉ねぎ】そして【ホウ酸】だ
この内、前3つは比較的簡単に手に入ったが、問題はホウ酸だ。当然取り扱っている店はそうなく、裏一の麻薬関係の錬金術師に無理を言って譲って貰うことに成功した
「あの、旦那、それは?」
「対鼠用の秘匿兵器だ。食べると不味いから気をつけろよ?」
それらを少量の水で混ぜ合わせ、丸く固めていく。限りあるホウ酸が続く限り、大量に作り出すのだ
出来たそれを直射日光がよく当たる場所に置いて乾かせば……
「ホウ酸団子の完成だ!」
前の世界で1度お世話になった作り方を、偶然覚えていたのが幸いした。素人の作ったものだから既製品みたいな絶大な威力は期待しないが、それでもかなりの効果が現れる筈だ
「じゃ、ばら蒔いてくるわ」
「お、お気をつけて……」
作った団子はすぐに屋敷全体にばら蒔いておけば、後は鼠が食べて勝手に脱水症状で死んでいくことだろう。前の世界に比べて倍近く食欲のあるこの世界の鼠であれば、それこそ数時間でかなりの数が犠牲になってくれる筈だ
俺は意気揚々と屋敷を出て、男の元へ向かった
「ね、鼠は……!」
「今あの毒餌を蒔いてきたところだ。半日で効果が現れ始めるだろうから、夕方頃にまた来るよ」
「あ、有り難う御座います!」
「約束を果たしてくれるなら、なんだってやるさ」
下準備が整った後は、しばらく自由時間だ。取り敢えず鍛冶屋で装備を回収、ついでに微調整をして、飯に情報屋への接触、勇者様の手の早さの一端に遭遇と、結構忙しい1日となった
特に驚いたのは勇者の手の早さだよね……さっきトイレ入ろうとしたら中で勇者とあの宿屋の娘が営んでやがるのよ。あのお堅そうな人物がまさかと目を疑ったが、2度目チラ見してもやっぱ繋がってる訳で……まあ静かに扉閉めるよね
ちょっと軽くじゃないくらい勇者には引いたけど、さすがにあそこまで絶論で見境ないと却って清々しく思えてくるから不思議だよ
昨日浴場で「もう1日泊まるぞ」と延長アピしてきた理由はこれかと理解した瞬間だった。勇者は性欲の為なら救世の旅を延期させる……新しい事実を知れたと思っていい事案なのだろうか? 俺には知る由もないが、とにかく勇者に気に入られた女は皆数日内に陥落すると認識したほうが良さそうだ
まあ、そんなふざけたことを真剣に考察していると、早くも太陽が大きく傾きだした。効果を見るため、俺は屋敷に足を運ぶ
「アイツは来てないか……」
着いた屋敷に男は待っていなかった。まあ当然か。こんな薄気味悪い所に一人で入られる訳ないし、また酒場にでも行ったんだろう
「まあ、居ても邪魔なだけだし、いいか」
それより団子だ団子の成果だ。俺はまた扉を開け……そして、目の前の光景に一瞬怯んだ
扉を開けた先に、誰かが居たのだ。思わず声を上げる
「誰だ?」
「……」
俺の声に反応して、その人影が振り替える。そして、その姿を見た俺は……そのあまりの美しさに全身が麻痺した
普段の調子であれば俺はその人物を、ただ「白いブラウスに赤く短いケープとスカートで、小さな体に対して大きめの三角帽が印象的な童顔の美少女」としか形容しなかっただろう。だが、この時は少し気色が違った
少女のその容姿は美しくも愛らしい、美少女という表現を使うのに何の戸惑いも引っ掛かりもない見事なものだった。
少し青が入った銀色の髪は銀竜の如し美しさで、その伏し目がちな銀色の瞳は全てを見透かすような不思議な力を感じさせる……
なんてこった、俺もこのところ色んな女に出会ってきたが、ここまでの表現を持ち出した女が居ただろうか
普段女には「デカイ」「小さい」「エロい」「見たくない」程度の感想しか出なかった俺の頭に、次々に柄でもない歯の浮く表現が浮かんでくるのだ。
まあそれはどっかの女衆みたいな牛乳じゃない適度な膨らみで留まっているのと、あのキ○ン装備の服破れ版みたいな下着服でない全うな布面積の服を着ているからという因子もあるのだが、とにかく俺は目の前に現れた神秘的な美少女に、実に簡単に目を奪われてしまっていた
「……失礼、ボクと同じ依頼を受けた人ですか?」
まるで初恋の相手を前にして魂が抜けたようになる中学生のように動けない俺が、彼女から話し掛けられるのは当然の流れであった
彼女は感情の籠らない表情と起伏の感じられない声で俺にそう聞いてきた。と、ここで俺の意識が戻ってくる。そうだ、そういやこんなとこに人が彷徨いている時点で変だ。取り敢えず俺は経緯を簡単に話すことにした
「ああ、この館に沸きまくる鼠を根絶やしにするのが今の俺の仕事だ」
「おかしいですね。ボクもさっき話を聞いて案内されたんですが、先客が居るとは思いませんでした」
俺の言葉に、彼女は鈴の鳴るような、物腰の穏やかな声で答えた
うん、ていうか貴女まさかのボクッ娘ですか。てっきりそういうのは都市伝説みたいなのかと思っていたが、案外この世界もファンタジー色が強い
俺は、目の前の少女に完全に油断していた。だって、こんな若くて可愛らしい子がそう何か言ってくるとは思わなかったから……俺は、突如として露になる彼女の“武器“に、全く反応出来なかった
彼女は、控えめで可愛らしい仕草のまま、こんなことを言ったのだ
「事情は多少理解しましたが、まあここはボクに任せて帰って下さい。報酬はボクがありがたく使わせて頂きます」
「はあ?」
開いた口が塞がらないとはこのことか。少女はその小さな口から……かなり馬鹿にしたことをのたまいやがった
「ボクであれば数時間でこの屋敷に巣くう害獣を皆殺しに出来ます。ああ、安心して下さい、見ての通りボク、天才ですから」
「いやいやいや待てや少女、いや待てや。えっと、待てや」
ちょっと予想外過ぎて語彙力が崩壊してしまった。しかし本人はそんなことなど知らぬ存ぜぬ、全く悪びれもしない顔のままナチュラルに見下す視線を送ってくる
「何ですか雀の涙を地でいくような魔力しかない剣士の分際で、天才魔術師たるボクと同じ仕事をするなんて厚かましいにも程があるじゃないですか」
「いや、俺はだな……」
「それではさらば、もう会うこともないでしょう」
「いや待たんかいっ!」
勝手に話を終わらせて奥に消えようとする少女の腕を掴んで止める。成る程、人は見掛けによらないってことも、この女がとんでもない人格破綻者だということもよ~く分かった。だがな、そう簡単にこの仕事を奪われる訳にはいかんのだ。何せこれからの俺の命運が掛かっているんだからな
「娘よ、よーく聞け。君は今すぐお家に還りなさい。任せるべきは私ではなく君なのだ」
「面白いことを言う三下ですね。では何か、ボクより貴方のほうがこの仕事を上手く片付けられると?」
通常時で既に伏し目がちな目を完全にジト目にして少女は牽制してくるが、その過剰な自信はここで芽を潰しておかなければならないだろう。だって、俺にはホウ酸団子があるから
「とっておきの毒餌を蒔いておいたんだ。残念だがお前の出番はないよ」
「……」ムッ
逆に自信満々にそう言い放ってやると、少女はむっとした顔で見上げてくる。それでも強がっているようだが、その頬を伝う一粒の汗が全てを物語っているぞ!? 馬鹿め、この勝負は俺の勝ちだ! ヌハハハハハハハハ!
「さあ着いてこい小娘! 格の違いと言うものを見せてやるわ!」
「……大して年齢変わらないでしょうに、絶対……」
「何か言ったか!?」
「何でもないです……」
少し鋭い所を突かれたので強引に誤魔化す。さすがに恐かったのか尻すぼみな声が後ろから聞こえた
「見よ、これが……!」
食堂の扉を開けた先には、大量の鼠の死骸が…………
「なん…だと…?」
……なかった。そこには鼠が確かに居たが、どれも健勝そうな動きでノソノソと歩き回っている。俺達人間が来たってのに、まるで気にしていないような素振りだ
「貴方のとっておき、小馬鹿にされてますよ」
「何!?」
更に驚くべきことに、ホウ酸団子は全部部屋の隅っこに集められ、糞でカピカピに汚されていた。近寄って見ても、ただの一粒としてかじられた痕跡が見当たらない……
「とっておき(笑)」
「う、うるせえ! 由緒正しき対鼠特化の毒餌なんだよ!
でも、まさかこんな……」
「まあ確かに、この組み合わせなら本来大量の鼠を殺せたでしょうね」
そうなのだ。このホウ酸団子は個人で作れる毒餌の中で最も手軽に最も効果を見込める罠として前の世界でも根強く使われていた画期的なものだった筈。それが何も手を付けられないで、こんな狼的な馬鹿の仕方をするなんて誰が想像できるというのか
いや待て、この女今「この組み合わせなら」って言ったか? 見た目では素材なんて分からない筈だ。さっきの魔力の見透かしだって、よく考えたら不自然だ
「不思議そうな顔してますね。まあボク【鑑定】持ちですから、大抵のものは分かりますよ。例えば貴方のその宴会芸みたいな内容のスキルとか」
「マジかよ……」
今度は俺の頬に汗が流れる番だった。異世界御用達の古参スキルとして有名な【鑑定】はこちらの世界でも存在するが、それはあくまで歴史上の人物に数人居ただけの超激レアスキルだ。まさかこんな近くに所有者が居るとは……何だろうこの女、一気に主人公臭がしてきた気がする
それに、見れる内容には個人差で制約があるスキルである筈だが、コイツは俺のスキル内容まで見透かしやがった。これは歴代でも上位に食い込むレベルと認めざるを得ない
俺が動揺したのが分かったコイツは、ニヤニヤと幼い笑顔を向けて俺に勝ち誇る。顔は物凄い可愛いはずなんだが、凄く殴りたい衝動が沸き上がる
「貴方のとっておきも無惨に破れ去ったことですから、やはりここはボクに任せたほうが賢明ですよ」
女は皮肉を交えて自らの優位性を宣言する
任せておけと言わんばかりに胸を片手でポンと叩いて、魔術師用の杖を掲げてみせた
「おい、少し待て。何をする気だ?」
「あそこでボク達を馬鹿にしている害獣達を殲滅するんです。まあそこで見ていればいいですよ、1匹ずつ潰していればその内居なくなるでしょう」
少女が杖を軽く一振りすれば、数匹の鼠が宙に浮き、そしてグシャリと潰れた。恐らくは無属性の低級魔法【サイコキネシス】なのだろうが、その安定性と力の強さは今まで見たこともない異質なものだ
本来のサイコキネシスは、蝋燭を1つ持ち上げ動かすのが関の山と言われる使えない魔法筆頭だった筈なのに、目の前の少女はまるで息をするような涼しげな顔で、次々に鼠を数匹ずつ捕まえ潰していく
そして当然のように詠唱を破棄しながら行っているのが更に底知れない。この女、ガチの天才なんじゃないか!?
「……他人にそう本気で言われると、ちょっとだけ恥ずかしいですね」
「え、何が?」
「思いきり口に出してましたよ。褒められるのは慣れてないので、あまり顔を見ないで下さい。怒りますよ」
どうやら後半口が一緒に動いていたらしい。なんだこの辱しめ
だが意外にも少女のほうも照れてしまったらしく、横から見た頬がうっすらと赤みがかっていた
まあこんな毒舌家を好き好んで褒める物好きも居ないだろうからな。俺だって不本意だ
「だけど、油断するな。前の駆除業者は鼠に殺されている」
「……確かに、反応が普通の動物と違いますね。凄く不気味です」
少女が軽く身震いをするのも無理はない。部屋に居る鼠は皆此方を向いて、仲間が殺されていくのを黙って見ているのだから
およそ血の通った全うな生き物がする行動ではない。万が一を考えて、最終手段を行使する準備をするとしよう
「どこへ行くんですか?」
「ちょっとした禁じ手の用意だよ。何が起きるか分からないから、お前も無理をするなよ」
「……貴方こそ、鼠にかじられないように気をつけるといいですよ」
「有り難い忠告だ」
さて、俺がすべきことはとにかく、この屋敷を密閉状態にすることだ。まず食堂の流しを全部残飯や腐ってガチガチになった惣菜で詰まらせ、開いた窓を閉めきってしまう
ついでに穴らしきものを見つければそこには堆積した鼠の糞を捻じ込み対処する。なんか鼠にしては臭いがそこまでないが、今は有り難い限りだ
「次!」
食堂が終われば次は反対側の休憩室、居間で、更に2階の全部屋を見るのも忘れない。驚いたのは、2階の部屋にも相当数の鼠が居たことだ
「っ!……開かないな……」
だが、一番最後の部屋がなかなか開かない。僅かには開くので鍵が掛かっている訳ではなさそうだから立て付けの問題だろう
依頼主の家を壊すような行為は気が引けるんだが、まあこの際仕方ない。鼠を完全に駆除する為だ
俺は助走をつけて、その扉を蹴破った
「な、なんじゃこりゃァ!?」
そして、そのあまりの惨状に思わず叫び、恐怖した
「チチチ」
「チゥチゥ」
「チュチュッ」
「チッ」
辺り一面鼠鼠鼠鼠鼠! 床は勿論のこと、家具や窓の縁にまで、所狭しと鼠が犇めいていたのだ
「あ、ああ……」
おまけに、その鼠達は俺の存在に気付くとピタリと動きを止めて俺に向き直るのだ。無数の黒い眼球が一斉に自分に向けられる恐怖は、運悪くワイバーンに出くわした時とは違った、本能的な嫌悪感まで呼び覚まして恐怖を形作る
そして、床の鼠の隙間から見えるあの白いものは、きっと殺された業者の亡骸で間違いはない。この鼠達は、確かに人間を食い殺したのだ。俺だって、下手に動いたらどうなるか分からない…
俺は動けないまま、ただ黙って鼠達と睨めっこを続けるしかなかった
「…………」
どれだけ時間が経っただろうか。体感的にはもう一時間近く経過した気分だが、どうせ大した時間は経ってないだろう、経験的に
それより、これはどうするべきか。気持ち的には今すぐ扉を閉めて逃げてしまいたいところだが、果たしてあの女を連れて逃げるだけの時間がこの扉に稼げるか未知数だ
それに、俺がやろうとする作戦を成功させるには、この部屋こそ開けておかなければならない……
「………」
駄目だ、このふざけたおっかない連中相手に背中を見せる恐怖はヤバイ……。とてもじゃないが、この場を動くのは……
「キャア!」
「ッ!」
俺が恐怖に立ち竦んでいると、下の階から少女の悲鳴が聞こえてきた。何だ、何があったんだ!?
「………」
「うう……」
下では何やらドタバタと一気に騒がしくなっていて、明らかにマズイ状況に少女が一人置かれているのは火を見るより明らかだ
助けに行かないと、取り返しのつかない事態になるだろう
だが、俺はそれでも動けない。数百匹の異常な目が俺を掴んで離さないのだ
「後ろを向いた瞬間狩る」それらの目からは、そうしたおよそ小型動物には似つかわしくない捕食者の感情が隠っている
だが、そうしている間にも下の騒動は一層激しくなる。遂にやむ無しと判断したのか、風魔法による攻撃も開始されている
そして、それより遥かに多い地を駆ける音も……
「て、手伝って下さい! 三下さん、来て下さい!」
「チィッ!」
悲鳴と呼んで差し支えないような、悲痛な声が館に響く
俺は、衝動的に自らが持つ唯一のスキルを発動させた
「仕方ねえなぁチクショオオオオオオオオオオオオ!!!」
結果的に、俺は鼠に背を向けなかったが、全力で逃げ出した
低級スキル【後ろ逃げ足】は、前を見たまま後ろに逃げることで、その間移動速度を80%跳ね上げるのだ
「ウオアアアアア!?」
しかし、所詮は後ろ走り。後ろが見えなかった俺は吹き抜けの手すりを盛大に破壊し、一階に転落した
「アアアアアアアアアよいしょォォォォ!!」
だが、鎧を着たままただで落ちるような馬鹿では断じてない
足、膝、下半身、上腕、肩と体を捻りながら回転して衝撃を分散させることで、落下時に体に掛かる負荷を軽減させる
これは軍隊で今は亡き軍曹殿に教わった着地術で、練習中3回捻挫した苦い経験の末に習得したものなのだ
「チチッ!」
「おっと勇敢だねお前」
着地した直後、どこからか出てきた鼠が牙を剥き出しにして飛び掛かってきたので、避けながら斬りつける。鼠は首を斬られたことで血を噴き出し、少しもがいて絶命した
あれ? 鼠ってこんなに流血するんだ……
「三下さん! 三下さん、やられちゃったんですか!?」
「今行く!」
少女はまだ戦闘を続けているようなので、急いで食堂に向かう
扉を開けた先では、無数の鼠に囲まれ、身体中に取りつかれながらも応戦する少女の姿があった
思ったより不味い状態だ。俺は盾を前面に構えて全速力で駆け出した
「三下さん!?」
「俺は三下じゃねえ!!」
剣で凪ぎ、足で踏み潰し、盾で殴り飛ばす
全身フルメタルプレートの鎧の前に、鼠の攻撃は無意味だ。あっという間に少女の元に着くと、その細い腰を掴み、有無を言わさず抱き上げる
「痛っ…な、何ですかいきなり!」
「窓から行くぞ! 体を縮めろ!!」
彼女が痛がる素振りを見せるが関係ない。俺は速力を落とさず走り、頭から窓に突っ込んだ。当然、少女に怪我が行かないよう、全身を呈して守りながら
ーガシャァァンッ!ー
「オブフッ!」
「ンクッ!」
頭から突っ込んだ俺は勿論頭から地面に落下した
だが、今は痛みなどにかまけている場合ではない
鈍い痛みが首に襲い掛かるのを我慢しつつ立ち上がり、窓の雨戸を思いきり閉める。抜けてきた鼠が不特定多数飛び掛かってきたのは、少女の力により弾かれ肉塊に変えられた
「や、やべえ連中だ……」
「同感です。やばいです」
窓という窓に貼り付き牙を向けてくる異常な鼠の群を見上げながら、俺達は「やばい」とばかり呟いた。衝撃過ぎてまともな言葉が見つからなかったと言うのもあるだろう
コイツらは完全にまともな鼠じゃない。どちらかと言うと、魔物の類いに近いと言わざるを得ないだろう
ーチョンチョンー
「ん…? どうした」
不意に兜をつつかれたので横を見ると、すぐ近くに少女の綺麗な顔が映った。服が結構破けてしまっているが、それでも胸のガードが鉄壁である所に淑女とはなんであるか理解させられる気がした
「えっと、有難う御座いました。三下さん」
まあ、淑女は人のことを三下呼ばわりはしないと思うがね
「あのな、俺にはジェードという親から貰った有り難~い名前があるんだ。人を三下三下と馬鹿にするのは止めなさい」
「……だって、キミの名前が分からなかったんですもの」
「三下は愛称にはなり得ません! よく覚えておくように!」
悪びれもなく自分を正当化しようとする少女の額を軽く小突く
しかしその指は見えない壁に阻まれ、逆にこっちが痛い目を見てしまった
……この女、ナチュラルに強化魔法張りやがったな……
道理で服の損傷の割に怪我がない訳だ。これなら最後は先にコイツぶん投げてその後安全に外に出れば良かった
「さすがにそんなことされたら傷付きますよ。最後のあれはガサツでしたが、良い判断だったと思います」
チッ、また口に出ていたか。ついでにスカート破けてパンツ見えそうなのも言ってしまおうかどうしようか
「【ヒール】」
「うっ!?」
ゲスな考えに支配されている俺を、淡い緑色の光が包んだ
兜に何を押し付けられているかと思えば彼女の杖で、体の痛みが無くなったことで漸く自分が回復してもらったことに気が付いた
「ボクはアルト。【アルト・タンザナイト】です。一応名乗っておきますので、その栄誉と幸運に深々と感謝して下さい」
無駄に偉そうな腕組み仁王立ちポーズで、少女は無駄に偉そうな自己紹介をしてきた
恐らくだが名乗ったのは彼女なりの敬意の表現なんだろうと察しが付くが、この子もう少し謙虚な姿勢を取れないもんかね? いや、取れないんだろうな。どことなく、この娘は無理をしているように見える。別に本当は俺ともっと仲良くしたいけど恥ずかしくて出来ない、みたいな臼惚れたことを言うんじゃなくて、もっと複雑で深刻な原因からこういった”常に他人より強い立場であらねばならない”という強迫概念にも似た圧力を加えてくるんだろう。この瞳の震えはそういう奴の特徴だ
だが、総じてそういう奴ほど、根は優しかったりするもんだ。まずは第一歩、仲良くなることから始めよう
「じゃあタンザナイト。同じ石の名前を持つ者同士、ここは協力するぞ」
俺はニカッと笑って握手を求める。兜で顔は見れないかも知れないが、気持ちは伝わる筈だ
「はい」
タンザナイトもその気持ちは伝わったらしく、ゆっくりとその手を伸ばして……引っ込める。何故だ
「何故だ」
「汚いです」
「ッッ!!」
たった一言、その一言で俺は撃沈した。何故だ…やはり俺じゃダメなのか…勇者でないとこういうのは無理なのか!
「手にう〇ち付いてますよ」
「……」
あー、そういや鼠の糞触りまくってたな…
俺はゆっくり手を下ろす。なんと基礎的なボンミスだろうか
俺は殆どヤケクソでポーションを御手洗いに使ってしまった
「それより、どうします?」
「…うん、どうしようかね」
タンザナイトは俺の傷心を無視して話を進めることにしたらしい。いや、別に問題はないよ? 事態の早期解決に私情は必要ないもの。う〇こ付いてたのを失念していた俺が悪いんだ
「もういっそ焼き払いますか」
「馬鹿止めろ、報酬どころか借金を背負いかねん」
スッと何気ない動作で館に向けられた杖をはたいて下げさせる。コイツの場合マジで全焼させられる力を持ってそうで冗談にもならない
「とにかく現状確認だ。あの鼠達は最初無抵抗だったよな? どういったタイミングで反撃してきたんだ?」
「それが…変なちょっと大きめの鼠を殺したらいきなり後ろから大群に群がられて、あんな状況になりまして」
「大きめの鼠か……」
増え続ける鼠、異常な行動、攻撃のキーになる特定の条件……それぞれのピースが頭の中でさ迷い、遂に1つへと合わさる
確定的ではないが、これなら十中八九間違いはないだろう
「この家に巣くっているのは鼠じゃないな。ゴーストだ」
「まさか……【ラータ・レディ】ですか?」
「まず間違いはないだろうな」
今まで俺は【鼠】という単語に囚われ過ぎていた。単に鼠の異常行動か、魔物による鼠への悪影響についてばかり考えていたのが悪かったのだ。事の真実はもっと違う……ラータ・レディと呼ばれる悪霊の使役する【小悪魔】を鼠だと認識させられていたのだ
「おい、これ嗅いでみな」
雑嚢から取り出した瓶を開封してタンザナイトの鼻先に持っていった
「ッ!!??」
警戒心もなくクンクンと臭いを嗅いだ彼女は目を見開いて引っくり返ってしまった。確かに刺激は強いが、まさか引っくり返るほど弱いとは思わなんだがな
「な、何ですかこれ!? ケホッケホッ!」
「気付け薬だ。良い刺激だろ」
「女性に嗅がせるものじゃありませんよ!」
彼女に嗅がせたものは、たっぷりのハッカ油を含んだアルコール液だ。酒の臭い+ハッカの刺激で、とても良い気付け薬になる
どれ、俺は一口だけ……おおう、酷い気分だ
だが、そのお陰で良いものが見れたぜ
「まあそう怒るなって。それより見ろよ、あの気持ち悪い顔をさ」
「げ……」
俺達がもう一度窓を見たとき、そこにはもう鼠の姿は1匹も見えなかった。変わりに見えたのは、爛れたゴブリンを更にグズグズにしたような化け物が、ニコニコと笑顔を浮かべながら牙を向いてくる恐怖映像だった
「ギュルギュー! ギュルギュー!」
「ギュギュギュギュギュ!」
「ギュキキキキキキ!」
叫びとも笑いとも取れない不気味な声で喚くそれは、鼠程度の大きさでありながら、とても狡猾な手段で獲物を深く侵入させ、もう逃げられなくなるような状況に誘導すると“ある条件“を以て獲物に襲い掛かると言う。恐らくは奴等にとっての条件は、タンザナイトの言う【大きな鼠】……いや、違うな。寧ろ俺とコイツが充分に離れて、俺が動けなくなったからだろう
そりゃあ、ホウ酸団子なんて効かない訳だ
「これがラータ・レディの使い魔……話で聞いたよりずっと醜いですね……」
コイツの性格にはそんな共感しないが、今だけは完全に同感だ
俺も冒険者の先輩から聞いた話と、ギルドの記録簿でしか知らないから、このショッキングな見た目には素直に吐き気がした
だが、正体が分かればやりようはある。元より最後の手段として使用を渋ってきたやり方ではあるが、相手がラータ・レディという大物なら最早出し惜しみするなんてする訳がない。全ての選択肢を以て全力で攻略させてもらう
「ラータ・レディは自らの苦痛を使用して半永続的に使い魔を産み出し続けます。どう倒しましょうね」
「正道が駄目なら邪道があるさ。思いっきり汚い手を使わせてもらう。端的に言えば、毒殺してやる」
使うのは、今日の為に用意した手投げ毒袋だ。鹿の膀胱に詰めた【カースアラクラン】の毒液は、多量の空気に触れると気化して猛烈な毒素を周囲に充満させる
なにぶん比較的近くに民家があるもんだからなるべく使いたくはなかったんだ
「正面から投げ入れる。着いてきてくれ」
「いいでしょう。ボクのアシスト能力に舌を巻いて下さい」
「落胆しない程度に期待してるよ」
裏庭から正面に回った俺達は、玄関前で震えている太ましい男に出くわした。言いたいことは尽きない男だが、今はそれどころじゃないから見逃してやろう。今はな
「な、何をしたんだ!? あんなに沢山の鼠は見たことないぞ!?」
「鼠……ね」
重ねて言うが、俺とタンザナイトから見ればそれは鼠なんて生易しいものじゃない。認識干渉系能力の恐ろしさが分かる状況だ
「あんたの家に間借りしてるのはもっと大物だ。本当に危ないから、門より向こうに下がってな」
「あ、危ない……? 鼠じゃないのか?」
「一万の鼠のほうが百倍マシだ」
男の浅黒い顔がみるみる変色して青くなる
足がすくんでしまったらしいのでおぶってやろうとすると、タンザナイトが先にサイコキネシスで門まで運んでくれた。うん、やっぱ魔法の力がパネェ
「さて、邪魔は消えました。溢れ出す鼠の処理は任せて下さい」
「助かる。じゃあ、行くぞ!」
扉をガチャリと開けると、早速鼠が群がってきた
「ギュブッ!」
だが、それは皆俺の目の前で全て弾かれ落ちていった。どうやら窓枠全てを防御魔法で固めてしまったようだ。馬鹿みたいな魔力に加えてこの繊細な手加減か……アイツも充分化物だ
こんなものを見せられたら、俺もしっかり仕事をしないとな
「喰らえオラァ!」
体を回し、手投げ毒袋を階段まで投擲する。更にもう一個、駄目元で手前に投げる
「よし、仕掛けた!」
ガチャリと扉を閉めた瞬間、今まで障壁に阻まれていた鼠が一斉に扉に激突した。「チューチュー」と実にうるさい奴等だ……ん、鼠!?
「おっと危ない。また認識が誤魔化されるところだった」
俺は慌てて瓶を一口飲む。うん、不味い
そして、本気で嫌がるタンザナイトにも無理矢理臭いを嗅がせ、お互いラータ・レディの認識操作から逃れる。何せ認識から外れてないと奴を認識出来ないからな
「……人でなし」
「人でなし? 違うな、俺は悪魔だぁ」
尤もな悪口に、某伝説の超戦闘種族なセリフで返す
一度はやりたかっただけで、特に意味はない
だが、毒は確かに巻いた。すぐに化物の悲鳴が聞こえてくる
それは低く唸るようで甲高く、様々な言語を滅茶苦茶に混ぜ合わせたような気色の悪い断末魔だ。逃げ出そうとする化物が窓や壁に集まることで、家全体が凶悪なモンスターハウスに成り果てていく
「さて、次だな」
「次ですね」
これで今いる化物の殆どは死に絶えるだろうが、それで終わるなら苦労はしない。この怪異を終わらせるには、その根元を断たねばならないのだ
「手拭いは持ってるか?」
「もち」
「なら、これを中に入れて鼻と口を覆うんだ」
俺が渡したのは所謂炭だ。非常時に火を長持ちさせる燃料に出来る他、手拭いに包んで鼻と口を覆えば毒気を和らげることが出来る。カースアラクランの毒は一時的なものなので、これでも充分役に立つという寸法だ
「キミなんでも持ってますね」
「備えを大事にして活躍する偏屈冒険者の物語を昔見ててな。よし、じゃあ行くぞ」
化物の騒ぎが無くなったのを確認した後、俺達は再び館に侵入した。中は、化物の死体で溢れ帰っている
「ラータ・レディが現れたら、主力になるのはお前だ。俺はあくまでサポートしか出来ないから気を付けてくれ」
「剣士ではゴーストに攻撃が通りませんからね。でもキミのことなら、ゴーストに有効な【銀】でも持っているんじゃないですか?」
タンザナイトの言うことは尤もだが、俺は首を振って否定する
「確かに銀はあるが、あれは剣にまぶして斬ることで始めて有効打になるからな。戦闘中あの化物を出してくるなら、そっちを優先的に潰していったほうがいいだろ?」
「確かに、そのほうが建設的ではありますね」
要は役割分担である。彼女がラータ・レディとタイマンで勝負し、俺が横やりが入るのを防ぎ、彼女の火力を全て敵の本丸にぶつけ続ける……これが今考えられる中での必勝法だろう
だから俺はただ鼠を……おっとそろそろヤバい。気付けを一口
「嫌です! イヤァ!」
「ほーら、怖くない怖くない。ガツンと来るだけだ安心しろ」
「ひぃぃんっ……」
よし、敵はラータ・レディとその使い魔、間違いはないな
タンザナイトが涙を流して睨んできている気がするのは気のせいだ。そんなことよりさっさと先に進もう
食堂は今見たから、後考えられる場所は……
「……2階、か」
頭に浮かぶのは、大量の鼠が居たあの部屋だ
居るとしたら、あの部屋で間違いはないだろう
俺達は残党が居ないか注意しながら進み、そして、あの部屋にたどり着いた
「出たな……」
部屋に佇むは、長い黒髪の乙女
綺麗に着飾った、美しい乙女
身が震えるような叫びと共に、悪魔を出産し続ける哀れな乙女
敵に気付き振り返るその姿は、醜く崩れた悪霊の顔
『キェェェェェェェェェェェェェ!!』
「来るぞォ!」
異様に長い手足を用いて高速で這いずってきたそれに、タンザナイトの氷の刃がぶち当たる。だが、それは悪霊の動きを数秒止めただけに過ぎなかった
『ギュギュギュギギギー!!』
「氷や火じゃ意味がない! 光の魔法は使えるか!?」
「ちょっとばかり不得意ですがね……【シャイニング・アロー】!」
『ギエエエエエエエエ!!』
5本もの光の矢が悪霊の頭に全て直撃する。何が不得意だ、高級魔術師並の完成度じゃねえか
『アアアアア~…我ガ子ォォォ……』
妙な言葉を喋ったかと思うと、悪霊は着ているワンピースをたくしあげて怪物を産み出してきた。それも複数
「チッ! 邪魔だ! 土に還っちまえ!」
産む度産む度、俺は端からそれを斬り殺していく。食欲が減るようなサービスショット見せやがって!
『我ガ子ォォ……アカチャンンンンン……』
「【ホーリーカッター】!」
『アアアアアアアアアア……!』
光の刃により悪霊の手が吹き飛んだ。ここまでは順調だ
しかし……
「うっ……悪霊の姿が…」
早くも気付け薬の効果が切れてきたのか、悪霊の姿が薄れてきた
俺は素早く薬を飲んで化物迎撃に復帰するが、タンザナイトは……
「す、姿が……見えない…!」
『アアアアアアアアアア!』
「避けろ!」
再び認識干渉を受けたタンザナイトは悪霊の掴みかかりが見えないでいた。このままでは不味い! 俺は彼女の後ろに飛び退き、後ろから羽交い締めにして持ち上げる
そして次に行うのは、あのスキルの発動だ
「さっきと同じ使い方だな! だが、今度はちょっと違うぞ!」
俺は【後ろ逃げ足】を発動させたが、今度は下に落ちることなく、階段を駆け降りることに成功した。結果的にこれで随分と戦いやすくなっただろう
「ほら、嗅げ」
「や、やっぱりそれ必要なんですね……ぐぇぇ、気持ち悪い」
タンザナイトにも臭いを嗅がせ、第2ラウンド開始だ。先行は勿論俺達から
「【ホーリーカッター】!」
タンザナイトの攻撃が下を覗き込んでいた悪霊の顔と肩を斬りつける。ついでに俺も火力支援にと砂銀をまぶしたナイフを投げつけてやる
『ギャアアアアア! アアアアアアアアアア!!』
ナイフが刺さりのたうち回っている内に手すりが壊され、悪霊は下へと落下した。これは好都合だ。上からタンザナイトを狙おうとしていた化物に投げナイフを食らわしてから、銀をまぶした剣で悪霊を斬りつける
『ギュギェェェェェェ!』
「うぐっ!」
斬りつけたところを、長い足の凪ぎ払いで壁に叩き付けられる。しかし幸い防具が怪我を最低限防いでくれたのですぐに復帰する
「【シャイニングジャベリン】!」
復帰してすぐ、タンザナイトが仇討ちとばかりに中型の魔法を叩き込んでくれた。弓などとは大きさが違う光の槍は悪霊の腹を直撃し、深々と突き刺さる。後少しだ!
「トドメです……もう一度【シャイニングジャベリン】!」
『キャアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』
二の手の槍が悪霊の胸を貫き、その霊体を浄化させる
完全に、勝負ありだ
『アアアアア……我ガ子……アカチャン……アア…』
「やりました……かね?」
「ああ、完全にやった。後はもう、消えるのを待つだけだろう」
長い長い戦いは、ポッと出の天才魔術師アルト・タンザナイトの手によって幕を下ろされた。戦いは、終わったのだ
「はふぅ……」
「ど、どうした?」
「……とても疲れました。震えが止まるまで待っていて下さい」
へなへなとその場に座り込むタンザナイトの膝は、僅かに震えていた。確かに、年頃の娘が挑む敵じゃなかったとは思う
それより、今は……
『…アカチャン…アカチャン…』
「………」
槍の突き刺さった部分から消えていく悪霊は、うわ言のようにそればかり呟いている
「お前の赤ん坊は、どうしてる…?」
『アアアアア……』
悪霊が此方に醜い顔を向けて、ゆっくりとある方向を指差す
それは彼女が潜んでいたあの部屋だ
『…オ花…壺…アア、可愛ソウ…』
「花と壺……その中に居るんだな」
『アアアアア……』
「安心して、今度こそ逝け。お前の赤ん坊は、後から送ってやる」
悪霊の体が、完全に崩れる。その際一瞬だが、痩せ細りながらも器量の良い少女が微笑んだ気がした
「フィニッシュです。報酬を頂きに行きましょう」
タンザナイトが俺の腕を掴み催促をするのに、俺は「待った」を掛ける
「その前に、あの女の気掛かりを無くしていこうじゃないか」
俺はタンザナイトを連れてあの部屋に戻る。そこには、確かにあの女が言っていた花の柄が入った小さな壺が置かれていた
それは蓋をして密封されていたので、開けるのは困難だ
「開封しましょうか」
「頼む」
タンザナイトが杖を向けて何か呟くと、蓋が縁を残してフワリと浮いた。風の魔法で固まった蓋を切り抜いた訳だ
すると中からあの化物みたいな風貌の赤子が這い出てきた
『アアア~! アアアアア~!』
しゃがれた声で、赤子は普通の赤ん坊のように振る舞う
しかし、これを殺さない限りは、この怪異は終わらない
この怪異はの中心はあの女だが、そもそもの発端はこの赤子だったのだ
「何ですか、これ……」
「事の発端だな」
その異様な姿の存在に、タンザナイトは顔をしかめる
男の俺からしても気味が悪いのだから、彼女にしてみたらもっと気分が悪くなる存在だろう
「あの男は、随分な恨みを買っていたみたいだな」
「恨み……ですか?」
「ああ、しかし酷いことをするな」
俺は、タンザナイトに【ラータ・レディの呪い】という逸話を話して聞かせた
*************
その昔、貴族の男が街を歩いていて美しい乙女に一目惚れをしてしまった。乙女には街人の婚約者が居たが、貴族の男は強引だった。
「ならばせめて一晩の思い出を」
そう言って乙女と一晩だけ愛し合ったのだが、乙女はその貴族の子供を身籠ってしまう。それが出産で街人の男に気付かれてしまう
「なんで俺とお前の子が金髪なんだ!? さてはお前あの男と……」
激怒した男は乙女を殴り付け、子供もろとも乙女を鼠の沸く物置に閉じ込めてしまい、間もなく子供は生き絶えた。更に男は半狂乱の乙女から鼠の取り付く骸を取り上げて壺に詰め、貴族の家に贈り物として届けてしまった。彼は狂気に支配されてしまったのだ
だが、その時ソレは生まれた。子供を鼠に食われ奪われた恨みが、乙女を醜い怪物に変えてしまった。怪異は街人の男を食い殺すと、子供を求めて貴族の家に向かう。貴族の館はたちまち鼠に埋め尽くされてしまったが、貴族は偶然変わり果てた子供を見つけた
「お前はあの娘の子か。可愛そうに、せめて殺される前に私が弔おう」
子供を火に掛け弔ってやると、怪物と鼠は消えてしまい、貴族は無事助かったという
*************
「と、まあこんな話だ。ラータ・レディは人工的に作り出すことが出来る怪物なんだよ」
俺の話を、タンザナイトは黙って聞いていた。彼女が何を考えているかは分からないが、きっと気持ちの良い気分ではないだろう
その証拠に、彼女は難しい顔をしながら、杖を赤子に向けた
「今は……この子を終わらせてあげるのが、一番ですよね」
「ああ、頼む」
赤子の体が光に包まれ、消えていく。彼女は赤子の弔いを火ではなく、浄化の魔法で行うことを選択したらしい
赤子が消えると、部屋に残っていた化物の死体も無くなっていった。今度こそ完全に終了だ
「……終わったな」
「…………」
俺とタンザナイトは、お互い何も言わずに屋敷を出た。俺はともかく、彼女には少しだけ考える時間を与えたかったのだ
屋敷を出ると、そんな俺達の心境など知らぬ依頼主が走ってきた
「ど、どうなりました!? 鼠は……」
男はしきりにそればかり聞いてくる。本当はもっと根本的な原因があるんだが……まあこれ以上は依頼の範囲外だな
「鼠の正体を突き止め、根元も全て絶やしてきた。汚いから普通の鼠は残っているかも知れないが、これからは鼠が無条件に増えたり、人を襲うようなことはなくなるだろう」
「ほ、本当に退治……出来たんですか…!」
男は涙を流し崩れ落ちる。本当の原因はコイツなんだが、これだけ痛い目に遭えば少しは人間も変わるだろう
さて、大事なのはそんなことじゃない。俺はズイッと前に出る
「という訳で、はい50金貨」
ニッコリとした営業スマイルで報酬を要求する。何枚かはあの情報屋に渡るが、それでも素晴らしい大金が手に入るのが約束されているんだ。さあ、勿体ぶらずに渡したまえYOU!
「………」
「……ん? どうしたかね?」
「………」
しかし、男は何も言わない。それどころか、身動ぎすらしない……どうしたんだ? まさか今更過去の過ちかなんかを自覚し始めたとか?
「おい、大丈夫か?」
「……ません…」
「ん?」
すると、男は突然土下座をし始めたではないか
更に男は頭を地面に擦り付けてとんでもないことを口走り始める
「すみません! き、金貨50枚なんて払えないんですぅぅぅ!!」
「ハアアアアアア!?」
条件反射で大声出してしまった。それは当然だ。こちとら約束された報酬の為に命を掛けて挑んだって言うのに、いざ全ての問題を解決したら「実はお金ないんです」で収まる筈がない
「お、おまっ! ふざけんなよ! 確かに金額吊り上げたのは俺だがお前二つ返事で了承したよな!? 今更払えねえじゃ済まさねえぞオイ!」
「し、ししし仕方なかったんです! あのままだったら私は破産してしまうところだったんだ!」
「んなこと言い訳になるかっ!」
土下座で済ませようとする男の胸ぐらを掴んで持ち上げる
男は顔面真っ赤でジタバタともがくが、そんなもので俺は離したりしない
「……あの、ボクが約束してもらった20金貨なら払えるんですよね? それだけ貰えればボクはこのまま帰りますけど」
「あ、お前汚いぞタンザナイト! 自分だけ持ち逃げか!?」
したたかに勝ち逃げしようとするタンザナイトも片手で掴まえて逃がさないようにする。そうだコイツも性格ひねくれてるのを忘れてたぜファッ○ン!
クソッ、まさか依頼主が口から出任せを言ってるなんて想像してなかった……これがギルドと個人の違いか!
「き、金貨18……いや、15枚までなら出せます」
は? 少な! それでよく50枚なんて了承したな
「何値切った上にまた値切ろうとしてるんですか。本来45枚のところを半額以下にまで下げてあげたんですよ? それ以上まける訳ないじゃないですか」
腕越しにタンザナイトの魔力が溢れ出したのが分かる。取り敢えずはよし、勝ち逃げは免れた
「ひぃぃぃっ!」
「「あっ!」」
タンザナイトに気を取られて力を抜いた直後、男は俺に灯火のスクロールをぶつけて逃げ出した
クソッ! 貴重なスクロールをなんて勿体ない使い方しやがるんだ! これ売れば金貨5枚にはなったろうに!
……と、今はそれどころじゃねえ! 俺とタンザナイトは同時に駆け出した
「待てやコラァァァァァァァァァ!」
「絶対に許さない、絶対に……」
夕暮れの街で始まった情けない鬼ごっこは、日が暮れるまで続くのであった