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キとラの間   作者: 海野みうみ
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第四章 ガタガタ・1999

1999年に戻ります。

ハカセと玲子の馴れ初めのお話です。

色々しつこい感にあふれたハカセのキャラをお楽しみ下さい。

 これだけ無意味に背が高いのだ。決死の覚悟で白旗を振っていると見えてもいいはずだ。風に揺れるニョロニョロ程度には、視界の端に映してもらって差し支えないだろう。なるほど人気のない講座ではある。まるっきり他人事として棚上げされっ放しの男が、どうにかこうにか草木でも電波塔でもなく生きた人間だと認識されるまで、二年半の空しい時がガタピシと過ぎていた。


 教養課程としての「エネルギー工学の未来」講座。これが歓迎されるとすれば、出席を一切取らず、レポートの年二回提出でA評価を保証している点だけだ。万年非常勤講師と言われた男は、それでも結構幸せだった。それもそのはず、極端に知られていないことに、ヒョロ長い体の前に焼け野原のように視界が開けていることが、彼にとっては全く意味を成さないという事実がある。


 幼少期、父親に「ヌケ作」と呼ばれた悲しい事実も然り、講義中の学生の反応が薄ボケた印象派の風景画としか見えない、ド近眼なのである。学生が居眠りを決め込んでいるのか、熱心にノートを取っているのか、全く持って判別できない。おかげで、世界で何が起こっていても、怒りを感じることもない。大学教授といえば、自説はまったく大したもんだと思っていて、誰もが血管を浮かせて議論したがる、世界を変える知識の宝庫であるとして、話を聞かない学生の重いまぶたを理解することはできないものだ。彼の場合は、


 …そんな、とんでもない、私などは若輩者ですから、まだまだ勉強させていただきますヨ、えぇいぇ、申し訳ありません…


 とでも釈明しながらモタモタと歩いている感じだ。西洋人が、いつも笑顔で頭を下げるいい人たちだと思った民俗的特徵がふんだんにあふれた顔つきで(メガネの圧倒的な存在感と争いながらも)、本気でニコニコしっ放しの男なのである。例えば、道端で知り合いにばったり出くわしても、それが知り合いのナニガシだと思い当たるまで、優に人の63倍の時を要する。その間を持たせるためにも、ニコニコは大変有効なのである。


 こうしてチキチキ情報分析が完了するまでは、過度な身振りを抑える必要もある。手を振るだけで人を吹ッ飛ばす恐れがあるのだ。その足が踏み出す一歩が、通り掛かりの猫を惨殺するやもしれぬ。想像を絶する無害な男なのである。かの有名な故ジャイアントババ氏でも、38%の共感でチョップであろう。


 ヤレヤレ、これほどの特徴ある白井博士と坂下玲子が互いの存在を認め合うまで、私はUFOとして、そんなものあるはずのない歯グキの裏がムズ痒いという経験をさせられた。玲子は、士気低迷に反比例して、すっかりケバくなった女子大生だった。ハカセの印象派的まなざしには、ピカソが描いた愛人の肖像のように新鮮に映ったほどだ。近くで見ると輪郭がクッキリ真ッ黒に確認でき、識別の際には非常にありがたいとも思われた。



 ハカセ講師は、前期日程修了試験に「私の好きなエネルギー」と題したレポートを提出させた。どんな切り口であろうが、何枚書こうが、たった一行であろうが構わないと、大きな声で宣伝された。自由に解放された学生が何を思うか、ハカセはワクワクと脇を鳴らして待っていたのだ。


 玲子は最も無精な学生らしく、簡単に単位を取るため、たった一度の出席で日々を呆けて過ごした。何の下調べもせずに書いたレポートの副題が「車輪の歴史的価値について」である。現代では子供も身近となった自転車と人力の関係を中心に、歴史を溯って文明発展に欠かせない発明としての車輪の重要性を、角張った文体でカクカクシカジカ説いた大作だ。これには受講生中最長最上のレポートとして、AAAAAとの評価がなされた。ハカセとしては、全夏休みを車輪についての考察に費やして充実した日々を送り、玲子に感謝を捧げたく熱望した。


 秋が訪れ、ハカセはレポートの評論として、車輪発展史の詳細な論考と、玲子の説への共感をつづった情熱的で膨大なる恋文を送った。ぜひ私の研究室に遊びに来てください、と結んだものだ。


 反応は迅速に現れた。玲子はその評論に大笑いであった。ご存じのように、笑いが止まるまで独自の時間尺を持つ玲子のことだ。迅速との評価はハカセ的時間尺においてである。


 寛大にもその大学では、非常勤請師にも個室の研究室が与えられている。それはハカセにとって、ノーベル賞受賞に匹敵する喜びだった(後に三度受賞するが、それに勝って) 。ぜひとも見せびらかしたい研究書や実験装置の模型を並べ、長いこと手足を畳んで学生を待っていたハカセに時が訪れた。ある日の講義から戻ると、自慢の合成皮革ソファー(三人掛、黒)で昏々と眠る女子を発見したのだ。それが誰であるか、いつもながら分析に手間取ったハカセは、日の出に驚いたヒツジのように、目をしばたたせて突っ立っていた。にわかに出現した感の玲子がいつになったら目を覚ますのか、それは創造主にも何にも予測できるものではない。


 日が暮れた。

 困った。

 そろそろ帰りたい。


 ウロウロする彼の様子は、テナガザルが無理をして地上を歩く様に似ていた。4時間31分03秒後、眠れる玲子を放っておくのは、ダイヤモンドを火にくべるようなものではないかと思い至った。その心は、もったいないということだ。また48分09秒かけて反芻し、納得した。モニタリングを開始し、若者のエネルギーを正しく誘導しなければならないのだ。


 ピリピリピリ!


 その音に玲子は跳ね起きた。ハカセはスズメの心臓に思いを馳せた。すなわち、人間に捕まったショックで死んでしまう程の纖細なドキドキに驚愕した。


「…あ、ベルですか?」


「は?」


 玲子は携帯していた小箱をまさぐった。「ショートメール」の呼び出し音だ。なるほど、そのテがあったか。


「帰ります!」


 ハカセがハカセなりに掛けてやった上着を投げつけた玲子は、ツカツカと消えて行った。印象派には対応できない過度な動きだ。


「…帰るか…。」


 玲子のようなケバい女子大生を、飢えた男どもが放っておけるはずもないということだ。一度モノにした獲物に対する当然の権利として、下半身の要求に従って呼び付けるのだ。玲子のような空っぽの女子大生には他にやることなどないのだから、どう扱われようが別に構わなかった。誰といようが、深淵を埋められないからだ。



「ちょっと、信じらんないんだけど!」


 玲子は笑った。停止できるものなのか、またいつ再発するかも分からない。ガス欠を待つしかないのだろうか。いや、根気良くモニタリングをして限界値を計るべきだ。それから、いくつかテストを試みることにより、起爆剤の種類を特定できるかどうか考察しよう…。


 ケタケタと笑いは続く。そして、ハカセの内はじわじわとバラ色に転じていた。何しろ厳格な家庭で育ったし、男ばかりの学問領域という水漏の一切ない世界しか知らなかった。他者を狂喜乱無させるエネルギー源など想定できないが、今の玲子は核分裂的に輝いている。随分楽しそうだ。喜んでもらって結構ではと思えて来た。


 単に玲子は、「シライヒロシ」だと思い込んでいたのだ。母親の夢を実現して博士号持ちの真のハカセになったというわけで、めでたしメデタシなのだからどうしても笑えたのだ。ハカセには合点が行かないが、アハ、と笑ってみた。なるほど、これは楽しい。


 アハ、アハ、アハ…

 さらに2分41秒、共に笑ってみた。

 アハハ…ハ…

 そろそろいいんじゃないかな…

 ハ…

 まだらしい…


 6分14秒後、ようやく学者生活で身につけた研究法を応用させようとしていたことを思い出した。いくつかのテストだ、そうだった。質問をして反応を観察してみよう。それで、具体例は…。


「んん(セキ払い) …、それで、その、自転車という視点は、どこから見つけられたんですか?」


 玲子は大きく息を吸った拍子に、舞踏病の躁状態から一転、足許から這い上がった麻痺に飲まれて停止した。舞踏病患者を止められるのは死のみである。ハカセほどの目の持ち主でも、その過程をつぶさに観察できてしまった。瞬間、計測不能に陥ったが、残念ながら機械ではないため、自動停止はできなかった。


「坂下さん?」


 言い終える前に、更なる恐慌が巻き起こった。エネルギーはマイナスに転じ、玲子は激しく泣き出した。お手上げだ。


 ハカセはゆっくりと両手を頭の脇まで上げた。もっとゆっくり指を広げた。慎重に動いたため、何かにぶっつけた気配はない。


 よかった。

 いや、違った。

 何だって?

 リンコ…? (皆さんは第一章を参照のこと)


 ハカセは両足をどうにかして玲子の元へ運び、ガタピシと折り畳んでしゃがみ込んだ。自慢の合成皮革ソファー(三人掛、黒)を生ぬるくなでてみた。玲子の顔をのぞき込んだ。近すぎてちょっと身を引いた。呼吸のリズムを、玲子の泣きじゃくりに合わせてみた。酸欠と過呼吸に代わる代わる襲われた。推察が、まさにハカセ的に超越した世界を描きはじめた。


 女の涙駆動のエンジンは、恐怖を副生成物として排出する。悪夢だ。拷問だ。場合によってはチャンスだ。この対応が、ハカセの人生を決めることになる。


 ギクシャクと立ち上がり、電話をかけた。

 背中を向けて、二言三言。受話器を置く。

 またガクガクと玲子の元へ急ぐ。(ハカセ的時間尺の範囲内で可能な限り)…


 玲子は何かを切れ切れに語っている。その組み立てには苦渋の数日を要することを覚悟するしかない。その前に足がしびれそうだ。自慢の合成皮革ソファー(三人掛、黒)に座っても構わないだろうか。つまり玲子の隣にちょっとくっついても職務に反することにはならないだろうか。これは想定外の緊急事態であり、危機管理能力が試されている。こう言葉を挟むスキもないと、優しく肩に触れるなりの行為でしか慰めなりの行為を実行することはできない。これを、決定事項とすることとする。


 ミシッ、バキッと音を響かせ、ハカセは自慢の合成皮革ソファー(三人掛け、黒)に座った。途端に、襲われた。玲子は、ハカセの胸に飛び込んだ次第である。


 シマウマが見える。ここはアフリカのサバンナだろうか。乾燥地帯に多少の雨が降っても差し支えなかろうか。そうすると洪水でシマウマの群れも流されてしまうだろうか。いや、群れではないようだ。シマ模様のネクタイだった。シマウマではなく、一本のシマ模様のネクタイに過ぎないならば、安全確保は容易なはずだ。しかしここが白い平原ならば、北極とか南極の氷の上に着陸できたということだ。ただ、気温が高過ぎやしないか。氷を溶かしてしまうとシロクマなどの生息地が失われる恐れもある。世界中の潮位も上昇してしまう。さて、どうしたものか。…


 それはそれは広い胸なのだ。もちろん人間(男性)に可能な限りであり、その平均値より1.485倍の面積を有するものだ。ただし、筋肉の割合は平均以下である。従って、体積についても平均以下である。玲子の鼻水がハカセの白いワイシャツに浸透できる距離まで接近できる前に、広大な胸に先立って聳える肩(上着は脱いでいた)にブチ当たって弾き返されそうだった。


 ハカセ的時間尺において、永遠にも思える29分と34秒が過ぎた(玲子的エネルギーがマイナスに転じた時点より、UFO的計測) 。そしてハカセ自らの手で、終息を求めるべき時が来た。


 ガラガラッ、ガツッ…


「っちわぁ、おっそくなってしぃませぇんっしたぁ…」


 ハカセが電話で依頼した結果である。そのにいちゃんは、ハカセ的時間尺に見事に呼応していた。ただ慎重な扱いをせんとモタモタとしたわけではない。その証拠に、にいちゃんの親指は見事に無頓着にぶすりと食い込み、ざぶんと浸ってダシを抽出している。にいちゃんの親指にとっては、それが当たり前の経済活動なのだ。汁と粒が、ハカセの手にチャリンと返された。厳密に何物も残さずに手渡されるべき取引なのだ。


「っいどぉありっと~っざいやっすぅ~…」


 ぴしゃり!


 自慢の合成皮革ソファー(三人掛、黒)の前に、いまいち曇ったガラステーブルが寝そべっている。玲子が来る前からずっとそこに寝そべっている。従ってこの瞬間も同じく寝そべっている。ただし、ハカセがガタピシとしゃがんだために、21度の角度で斜めにされたが、構わずに寝そべっている。そして、


 ポーン…


 …ここでUF0からのお知らせです。さっさと話を進めろとお怒りの方もいらっしゃるようですが、ただいま、登場人物の時間尺と皆様の平均的時間尺との間にズレが生じております。これは、タイムマシンの故障によるものではございません。ご了承の上、今しばらく宇宙酔体験お楽しみいただきますよう、お願い申し上げます。


 …ピッピッピッ…


 ハカセは、にいちゃんの時間尺を有り難く共有し、苦行僧がつつましく使役を行うよりも厳しく自身の筋肉に鞭打って、いまいち曇ったガラステーブルが寝そべっている上へそれを運んだ。


 いまいち曇ったガラステーブルのガラスをおとなしくさせる作業には、慎重には慎重を要する。作業に集中するため、21度の角度については手を触れないこととする。もちろん玲子は引き続き二年六か月と二日分精力的に泣きじゃくっている。ハカセはなるべく膝を曲げないようにして顔を伏せて小さく歩き、作業を続けに戻った。


 ハカセ的時間尺による想定より、空気中に漂い始めた粒子の拡散は遥かに早く進められていた。玲子の鼻を通して飛び込んだ粒子が臭覚を正常化するまでに、ハカセのお茶酌みは完了できなかった。ハカセ的にお茶酌みに集中していると、泣きじゃくりの騒音停止にも気づかない。玲子が鼻をかむ破裂音が続いたことも。


 ハカセは、自慢の合成皮革ソファー(三人掛、黒)に向かって、いまいち曇ったガラステーブルが寝そべっているスペースを挟んで置かれた自慢の合成皮革ソファー(一人掛、黒)にようやくのことで腰を下ろした。放心の玲子は、何事かとハカセをまじまじ眺める。ハカセ的まなざしには、その機微を感知できない。騒音を忘れ、その不在に構わず予定の準備を完了した。


 お茶を一口すすった。

 安心した。

 にいちゃんの指跡付きのそれを持ち上げる。

 口を開け、もう一手順あったことを思い出す。


「あ、そろそろお疲れでお腹がすいたかと思いまして。どうぞ遠慮せずしっかり食べてください。」


 ハカセは、にいちゃんの指跡ごとカツ丼を頬張った。きつねソバを吸入した。しばらくモグモグやっていた。(玲子的時間尺における評価においての間では結構長いこと)


「セットだと安いんですよ、どうぞ、食べ切れなければ私が引き受けますから。」


 確信に満ちていた。にいちゃんの指跡に象徵される経済効果は、新たなエネルギー源となるに違いない。ハカセの喰いっぷりは子育て中のペンギンのように力強かった。玲子はしばらくメイク落ち顔でぱちくりし(ハカセ的時間尺では納得の早さで)催眠術的に、にいちゃんの指跡付きカツ丼に食らいついた。


「ウマ… 」


 と、わずかに玲子は唸った。


「んふ、知ってまふ。」


「ウマ…」


「ハイ。」


(中略。玲子の一口ごとにくりかえし)


「…リンコが死んじゃってから泣いたのって初めてで…」


「ご家族の方ですか?」


「友だち…ズルズル(きつねソバ音) …」


 完食した。大した達成感だった。ようやく二人の時間尺は一致した。摂取量までもが、にいちゃんの指についた米一粒差でシンクロした。ハカセは、墜落の危機にあった翼竜から、一気にペンギンに進化して海に飛び込んだ気分だった。地上ではボテボテのペンギンは、海中ではすばらしい泳ぎっぷりだ。しかも氷上に飛び上がってボテ腹でビュッと滑ることもできる。ピギャーッと叫びたいくらい、ハカセはうれしかった。実際には何らかの破壊行為を伴う危険があるため、いつものニコニコしか選択肢はないのだが。



 玲子は、「ぜひ私の研究室に遊びに来てください」とのお誘いを超絶し、天文学的倍率で入りびたしになった。特に午前中は、自慢の合成皮革ソファー(三人掛、黒)に同化し続けた。午後には例のにいちゃんをビビらせ(ケバい女子大生もカツ丼をセットで食う女もここでは非常に珍しい) 、工学部の男子をはべらかせ、何名かのカレシとの共同作業の詳細など、ハカセにはアゴが外れる世界観を多岐に渡り披露した。ハカセにだけは「見えない友だち」がいたことまで話せた。かつて私に何でも話してくれたように。


 カンボー長官とかソーリとか何様かのお偉方に発表してもらえると有り難かった。番組の途中ですが、とすべてのチャンネルが生中継で会見を大写しにしてくれたり何度もしつこく再放送してくれたり、特別討論番組とかで議員のおっちゃんたちがカンカンガクガクしていてくれたり、緊急速報メールをいちいちけたたましく送ってくれたり、スポーツ新聞が劇的な大見出しにしてくれたり、電車の車体とか中刷り広告に書いておいてくれれば、へえ、ぐらいの感銘は受けられただろう。


 かつての経済大国に林立していた終身雇用株式会社は重量オーバーによって次々沈没、世紀末のモクズと消えたこと、「あなたの色に染まります」とか「一生幸せにしますから」とか「お帰りなさいあなた、お風呂にしますかお夕飯にしますか」とか何とかは、性別を超越してあっちの方に飛んで行ったこと、色々なコトやモノが、銀行とか郵便局のボールペンのようにいつの間にか消えてしまったこと、しょせん銀行とか郵便局のボールペンは、鎖につながれていてもあるべきところにあってくれないという現実を目に、世界中を何とかしなきゃ、とか何とか言いながらも、歌を唄うことくらいしか人間にできることはないのだということなどだ。そういうモロモロをハカセはもちろんよく知らなかったため、一生をかけてウロチョ口し、チビリチビリと気づかされるしかなかったわけである。


「わかりました、結婚しましょう。」


 確かにそう言ってしまったのだ。玲子的時間尺ではソッコーでマジっすかであり、ほぼキチガイ沙汰である。ハカセ的時間尺においても同等の計測値が観測されたため、一方はさっそくニッコリした。


 そうなのだ。ハカセには、何事も重ね重ね結構だった。玲子には、いつも大口開けてゲラゲラ元気に笑っていて欲しかった。ハカセ的栄養摂取によって健康的になっただけではなかったとか、どうもこうも妊娠したのは確実だとか、父親はアイツだろうとか、育てられるはずがないとか卒業すらできないとかは、ハカセにはガッテン承知之助であった。


 研究室で、二人して酒盛りをして正体を失ったことは何度かあった。その時にナニかあったかなかったか、玲子は自慢の合成皮革ソファー(三人掛、黒)をたっぷり塞いで眠り、ハカセは自慢の合成皮革ソファー(一人掛、黒)でクネクネとうたた寝をして朝を迎えただけではなかったのかもしれない。記憶がないからナニもなかったとは限らない。それはそれで、そうであってもちょっと違ってもまあよろしかろう値が観測された。ハカセ的にも確かに存在する人間的愛着心と合わせ、事実はつわりと共にトイレに流してしまった方が玲子のためとの結論が下されたのだ。


「どうでしょう、婚約指輪は跪いて箱ごと掲げた方がいいですか、シャンパングラスに落として乾杯しましょうか。それとも一茶庵のカツ丼の中に隠して食べてもらった方が面白いですか?」


「 …センセ…、アタマだいじょーぶ?」


「何ですか、私は坂下さんのことが大好きなんですよ、知ってるでしょ?」



 雪が降った。積もった。当時としてはけっこう珍しかった。10センチでも積もってしまうといちいち大騒ぎだった。えっ雪かきって何でやんの?とか、わぁ電車が止まった遅刻じゃん~とか、うっそ雪だるまチョーデカくない?とか。


 だが玲子はぬるい南国へ連れられ、ニョロニョロの群れを見た。その一族は、ハカセ的身長のすぐ下に林立して生息しているのだ。うっかりというか、ハカセ的一族は皆アタマが温かく、目は甘く(幸運というか、ハカセの父は既に亡く)、都会の人間を想像できず、妊娠期間の計算も大ざっぱで、どういうことか誰も気にしないことにかこつけて、玲子はいいヨメになると認定されてしまった。幸せな人々である。


 かくして、雪降って地ガタガタのまま固まることとなる。棚ボタ的に、コトは決定してしまった。落ちてきたモチは、銀河系を一周して来たような代物だった。フリーズドライにされて化石よりもカチンカチンになっており、二人でカリカリポリポリ食べ切れるようなモノではなかったのだ。


 何よりの問題は、十数年後に明らかになるべく真実が、今はまだハカセの下ッ腹の奥に眠っていることである。ハカセが、一度も玲子に欲情したことがないと気づくその日まで…。

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