表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
キとラの間   作者: 海野みうみ
3/7

第三章 ピカッと・2030

本編に入ります。

新エネルギー開発者のハカセと、世界大戦の危機、娘との関係を描きました。

トンでもSFとして楽しんで頂きたいです。

 何しろ単純だった。やってみたらけっこう簡単だった。そんなバカな、と人々は言ったものだが、華麗に実現されるのを見るにつれ、世界はでんぐり返ったものだった。


 余計なことをしてくれた、と思った人は実は少なくなかった。何てことをしてくれた、と思った人もまあまあいた。議論は沸騰した。アツアツになったり、ゾクゾク寒気を感じたり、世界は随分忙しくなった。


 気の毒なのは、当の雪である。おいてきぼりを食わされ、爾後、人間がいる限り、地上に降り積もることができなくなったのだ。


 それは、ピカッとか、ちょっとキラッとする光線の発明に由来していた。その光は、人間の目には見えないキラキラで(実のところ光でもないらしい)、雪にしか見えないというか、雪にしか反応できない光線様のものだ。その存在は全く知られていなかったわけではない。それがなぜかミラクルな新エネルギー源に化けるなど、誰も信じる気にはなれなかったのだ。

 

 「雪力発電」…これを提唱したある学者は、学界中で冷ややかに受け流され、忘れ去られていた。しかし、豪雪地帯出身のその学者は、表向きは地味な大学教授として、東の端ッコにある国の二流大学のジメジメした地下の小部屋で、何十年もこっそり理論を練っていたのだ。何十年を経たにもかかわらず、まだまだ何百万何千万というパターンの実験を繰り返し、実現方法を見つける必要があった(と教授には思われた)。


 ある年、教授の助手としてフラッと沸いて出た青年が、出勤初日に初めて始めた一発目の実験で、出し抜けにすべてを解決させてしまうに至った。完全にまぐれ当たりだった。何となく仕方なく仕事をさせられた無知な男の手が、ジャンボな宝くじを当てるよりも、とにかく考えるだけで面倒で胸悪くなる様な確率を超越、あっさりのっぺりキメてしまった。定年間際の学者人生がいきなり春を迎えてしまい、驚いた教授が急死してしまったくらいだ。師弟関係を築く暇もなく、師は再び忘れ去られてしまい、弟子の方はたちまちにして(と彼の目には見えたのだが、実際は数年後に)地球の救世主として崇められる様になった。受賞やら名誉博士号やら名誉教授やら、特許許可でガッポリやらだ。


 彼の名は白井博士という。フルネームが「シライハカセ」であって、「ハカセ」とは称号ではなく、生まれついて母により付けられた個人名である。この事実は、ほほえましいハカセ的エピソード①として伝えられ、「ドクターハカセ」と、世界は彼を呼ぶようになった。



 何しろクリーンでクールなのだ。ただ雪が降ればいいのだ。もちろんちょっとした設備は必要だ。豪雪地帯の各地では、驚きの特需により、半年もの夏休みが取れるようになった。雪を見ない地域の人々は、その設備建造のため色々と忙しく作りまくった。見るも無残に衰退していた国力が激沸となった。


 それまで地中をドロドロに掘り返しては空気を真ッ黒にする趣味を持って稼ぎまくっていた国の人々は、今に大いなる神の裁きが下るであろう、発明者と実行者に破滅あれ、との趣旨の宣言を発した。それはある宗教的な指導者による、血も凍る永久の死刑宣告だった。執行者は信者でも何でもよく、いつどこで執行されても彼らの神に祝福されること間違いなしとの御墨付きなわけなのだ。


 人のことが言えるのかと、もっともな理論で返したところで、利害関係がこんがらがって信仰を勘違いしてしまった熱狂的な人々のアタマをカチ割ることはできそうもなかった。そういう古風な理論を本気に取った人々の国では雪はもちろん、雨もろくに降らないからだ。しかし、でんぐり返った世界では、妙な奇蹟が起こるものだ。


 どんどん降らせても、積もらせることができない悲しみ…。もっともっと降らせてみれば何とかなるかもしれないと、雪は大いに頑張った。ふんふん・ぷんぷん頑張っても、豪雪地帯の人々の笑いが止まらなくなるばかりであった。それでは、引き続き豪雪地帯の雪には頑張ってもらうとして、新たに積もらせる場所を開拓しようじゃないかということになった。へえ、地球って結構広いじゃん、と雪は思った。かくして、南半球の各地や、熱帯雨林などにも雪が降り出した。砂漠までが凍り付き、絶滅の危機に陥った。


 地球の生態系を一体どうしてくれるのか、死刑大賛成の過激派の皆さんは、内心ほくそ笑みながら、それ見たことかと大きな声で訴えはじめた。対峙する人々は談話を発表、たとえ数千種の有用な生命や害虫や害獣が絶滅するとしても、どっちみちこのままドロドロをアツアツに燃やしたり、支離滅裂に危険な廃棄物を埋めて隠して何もなかったふりをし続ければ、地球丸ごと破滅でしょう、口開けてボサッと見てるよりは行動しましょうよ、とのことだった。


 そんな詭弁にだまされるものか、悪魔の手先どもめ、と、死刑反対派の人々がすっかり忘れかけていた「宣戦布告」が下された。昔懐かしい「ミサイル」が、例のハカセに照準を合わせようと右往左住しはじめ、まるであさっての方向の森や山をマメに潰しはじめた。


 死刑囚たるハカセの周辺の人々は、例のピカッとかちょっとキラッとさせる技術で、元砂漠をいかにも潤わせることができるんですと、秘密裏の交渉を始めた。どれくらいガッポリかと、宗教指導者の耳に数字をささやいてくすぐり、独裁者的に尊大な鼻ッ柱に配慮せんと、ハカセを人質に差し出して停戦に持ち込んだ。


 ハカセ以外の人々は怒濤の働きぶりを見せ、元砂漠をピカッとかちょっとキラッとさせて雪が積もらないようにしてみせたところ、ガチガチの元砂漠が緑の大地に大変身となったわけだ。頑強な宗教指導者は、敵国が夏休みに呆ける間に元砂漠でせっせと雪力発電に励み、濃縮電力棒を輸出することで繁栄を維持できると納得、大戦の恐怖は、各国が徴兵制を完全復活させる前に、めでたく消えてなくなった。元砂漠地帯をピカッとかちょっとキラッとさせる経費は、すべて負担してもらってのことである。


 ハカセは、救世主から死刑囚、地球滅亡の危機を招いた悪魔にまで落とされた後、目まぐるしく救世主に復活させられた。解放された偉大なるハカセは、原子力の永久追放、北極・南極の永久不可侵を停戦条約に盛り込ませたり、何かにつけ絶賛された。敗戦国が存在せず、全代表が仲良く満面の笑みを浮かべた終戦など、人類史上初であろう。


 そしてハカセは、雪の感触を知らない子供たちのためにもと、「積雪保護区」を各地に設けるために基金を設立、窓のマークの大企業を設立した人物を軽く超えた財力をポンと手放す太ッ腹な偉人ぶりを見せた。

 

 雪としては、ある程度の「積雪権」を認められたものの、これまで降り積もっていた総面積よりは断然狭い範囲での権利であって、断固として欲求不満であり、今後も保護区以外の地域でも戦い続ける旨を宣言した。つまり、エネルギー革命は当分安泰である。これほど喜ばしい宣戦布告を、人類はされたことがないだろう。


 世界の大部分の人々は、かつてないほど楽天家になった。人間はすっかり賢くなったと、人々は誇らしくもフトコロを膨らませて抱擁し合い、わっしょいとお祭り気分を楽しんだ。



 世界の救世主、21世紀の、いや、人類史上最上級の偉人が、怒濤の十数年を経た今最も苦慮している問題は、疎遠になっていた娘と話をしなければならないことだった。父親の言動については、ここ十数年華々しく報道されっ放しであるため、娘も見知ってくれてはいると思うが、父が娘について知ることは大変少ないのだ。細々と娘の年齢を数えるところから始めている。誕生日などはお手上げだ。


「おはようございます!2030年もあとわずか、12月24日火曜日、いよいよクリスマスイブです!!今日もお天気は一日中大雪でしょう!発電日和で何よりですね!降水予定は23時頃から3時間ほどということです。お帰りの遅い方は傘をお持ち下さい。さて、ホワイトクリスマスを体験してみたい方、あるいは懐かしくて久しぶりに体験したいという方にも、おすすめはやっぱりDSニーリゾートですよね!積雪保護区認定から2年目のクリスマスイベントは大盛り上がりのようです!中継呼んでみましょう!野村さーん、そちらどうですか!?」


「ハーイ、おはようございまーす!私はこちら東京DSニーランドの正面ゲートに来ています!見て下さい、この寒さの中朝から長蛇の列ができてますよ!あちらのゲート内にはきれいに積もった雪を見ることができます。そして、MッキーとMニーがかけつけてくれました!キャーありがとう、わーカワイイ!」…

 

 というわけで失礼、もっと大いなるトコロの疑問が渦巻いている方も多いでしょうが、ピカッとかちょっとキラッとする技術…(話ベタだったハカセがついポロッとピカッとかキラッなどと学者らしからぬ用語で表現してしまったことから、この名が定着してしまった。それらしいかっこいい名前にと思い直したが時遅く、ほほえましいハカセ的エピソード②としてウケてしまい、ここから正式名が、白井式PTCK光線…ピカッとかちょっとキラッと…となったのであしからず)…の詳細につきましては、何しろ皆様から見ると未来の一大技術であるため、これ以上お教えできません。あと数年で実現となりますので、そのまま少々お待ち下さい。タイムマシン付きのUFOとしては、過去のことは幾らでもお話しできますので…。ここまでは未来の明るい話題をひとくさりさせていただきました。



 さて、ハカセの苦悩の主たる娘は、駅構内の大画面から積雪保護区のニュースを楽しむことなく、近眼的に職場に向かってカツカツと歩いている。必要なニュースは適切に都合良く仕入れるようバッチリ設定してあるのだ。揺れるバッグの中では、膨大な情報が蓄積されていく。何でもかんでもバッグに納め、小脇に抱えられる時代だ。そんなもの携帯する必要があるのかね、と問われても、アソビゴコロの経済学を盛んにまくし立てられて非常にうるさいだけなので、誰も何も考えなくなって久しいのだ。中でもこのバッグは最強だ。鳥籠から無事巣立った私ことUFOがこっそり搭載されているからだ。


 白井未央シライミオは、鉄の手を持っている。


 どうやら人間は、21世紀に入って新しい言語を完全行使するものとなったようである。分裂や混乱、格差は避けられない。ロではない、指である。これが語れなければどうにもならない。指物的言語が、機械の空虚な中心にぽぽぽぽ…、と注ぎ込まれて、はじめて世界は動くのである。ピカッとかちょっとキラッとする例の光線も、このテの機械と、難儀な言語を自在に操る手がなければ、ピカッともキラッともできないのだ。


 ちなみに偉大なるハカセの娘であるはずの白井未央は、「戦後」楽天家になれなかったごく少数の人間の一人で、年中モーレツに働く人種に属している。元砂漠の国々のような頑迷な宗教を持っているわけではない。未央にとっては、これら機械に対する「疑い」が教祖のようなものだった。かつての、与えられ、ただ信じさせられた宗教などはつゆ知らず、疑うことで人間自ら考え、自らの手で信じられるものを作り出せれば、世界は救われると信じている。人間が、生まれた者全員で作り、動かし、管理することが必要だ。それを、冬だけ働けば遊んで暮らせると思っている呑気な輩のなんと多いことか…。


 機械は、2030年になっても壊れるものだ。そしてその指令系統は何かの拍子に機嫌を損ね、世界を混乱に陥れる。機械なりの事情なりを理解しようとしない人間が多すぎる。機械を動かすのは人間の手でなければならない。人間が努力をやめればどうなるか。雪は好きに降り積もり、地球は氷河期に戻ればよかろうが、すべてが機械制御なのだ。その機械を人間が制御できないなど…!適度に消費してもらえるように初めから欠陥を忍ばせておいて、それをすっかり忘れたりして!


 エネルギー革命は破壊者でもあった。未央の世代は、生まれる前から不況にはまってウンザリだった。そのウンザリをロクに考えず、緩やかな下り坂を転がされたままウツウツと死ぬよりも、大変動を起こしても、新しく世界を作るべきなのだ。やるべき仕事にあふれる世界は瑞々しい。これまで寄生虫扱いされてきた若者に、アソビゴコロを後回しにして役に立てる喜びを知ってもらいたい。


 しかし現実の世界は、残念ながら力不足だ。未央は、静かなる情熱を秘め、愚者を導くシステム構築を夢に見る。金属的に冷たく堅い意志で、実現する力がその手にあると信じている。



 「ビルの42階を占める機械制御株式会社」…


 ここが未央の足繁く出動する職場である。ちなみにこれが会社名である。未来の人間は頭がおかしくなったかと思われるだろうが、2020年代、わざわざ外来語をハズした古風な言葉遣いが流行しただけのことなのだ。元来海の向こうから来た会社であり、そのままであればそれらしく聞こえる名である。「激震・液状化何のそのビルヂング壱番館」(これが正式な建物名。かの激甚災害の経験を生かした超最強技術で建てられたのが自慢とのこと)の53階にあり、そこを占めてはいないとなると、初めて訪れる人は面喰らうこともある。まあ、それで大変かっこいいと思われているわけなのでヨシとしようじゃありませんか。


 不本意ながら未央は、「積雪保護区」管理システム担当副主任に抜擢された。ハカセの娘と宣伝したことはないが、人事担当機械によって適性を見込まれてしまったとなれば仕方ない。近隣の保護区として最大の例のテーマパークと、ガッツリ組まされてしまったのだ。残念ながら生産性はなく、鋼鉄の娘としては、その虚構の世界観に完全に馴染めるものでもない。ところが、鉄の意志を発揮すべき理由は別のところにあったのだ。


 積雪保護区1年目の去年、関係者はシステム不具合に汗だくにさせられた。粉雪よりはボタン雪がボタボタ降る方がよく、みぞれなどは以ての外、このエリアはドカ雪で3メートル積もらせたいし、あのエリアは50センチにしたい、城の頂上はうっすらな感じであまり積もったら困るし、でも一日中降り続いて欲しいし、閉園後にはすっきり何ごともなかったことにできるとうれしいんですけどね、とかなんとか言われて、やってみましょう、と安請け合いしたためだ。


 前主任は気概ある脳天気者だった。たちまちの内に雪はこんこん降り積もり、パーク周辺までが豪雪地帯と化したのだ。お詫びの行脚は若者にはいい経験になるってもんだが、「42階」の担当社員は総動員で雪かきに駆り出された。客は計算ミスに大喜びで跳ね回り、パーク関係者には、熱心な会社と好印象を持たれた。


 しかし今年は、新アトラクションの成功がかかっていた。その名も「雪んこ千鶴ランド」である。レトロでエキゾチックな雪国の少女が、タンチョウ鶴を相棒に、カラテやらカンフーやらを駆使して世界を救うというアニメ映画を元にしている。ちなみにこの映画は、興業成績の新記録を更新し続けている。


 うまく行けば、「絶滅危惧種ランド」と称して、豪雪地帯に生息する動植物を展示する計画もある。とにかくデカイ仕事だ。金に糸目を付けず、例のピカッとかちょっとキラッとするミニ光線を導入し、降雪量を制御、降り過ぎにはピカッとかちょっとキラッとさせ、雪をイラッとさせることにした。晴天時のために人工雪作成機もおつけして大変お買い得、ということで、今のところは、ちょっとした冷や汗が関係者の脇をしめらせたくらいで、大きな問題はないようだ。



 姿を見ることができないのは、分かっていた。現場でピカッとかちょっとキラッとさせる装置その他を、人間が監視する必要がある。ここ数日は顔を合わせてないが、明日でイベントは終了だ。閉園後はたいそう盛り上がるだろう。


 その男は、主任である未央の上司である。現場でピカッとかちょっとキラッとさせる装置その他を物理的に設置、接続し、工学的にガチャガチャいわせるハカセとして、初めから主任として雇われた男だ。留守を預かる未央は、気象衛星と指物的会話を交わし、上空の雲を監視している。時々ピッとかプッとかの返事が返ってくると満たされた気分に浸れるのだ。そこに上司の背中があれば完璧だった。そしてあの指が美しく響いてくれれば尚。


 私を見る未央は、当たり前の機械を見る目で見てくれる。手のひらサイズの機械にぎゅうぎゅうに詰め込まれた情報の中で、何を優先させるべきかをさりげなくそれとなく押し出しておくのが今の私の仕事である。ベッドにポイッと放られたりはするが、自転車のように雨雪に晒されることもない。鳥籠も悪くはなかったが、私にとっては機械的な鉄分に包まれるのが、最も自然に反しながら自然なのだ。よく磨かれてつるっとしてキラッと輝いて、冷たい心をも魅了できるのは、UFO冥利に尽きるというものだ。


 閉園後、一息付いた未央は、溜まっていた伝言を読んだ。まずはこちらから。


 …プロポーズされたー!!!


 未央は笑った。学生時代からつながり続ける唯一の親友は、自らの恋愛叙情詩を逐一送ってくれていた。


 …妊娠を喜んでくれたの!!!


 …だから心配すんなって言ったでしょ…


 未央は極めて愛想よく、幸せ者の盲目を称えた。


 …さすが!ミオの言うことに間違いはないね! (長いので中略)ミオもおめでとう!大成功だね、パレードすっげーキレイだったよ!ついつい走り回っちゃった!…


 …リリィのバカモノ、早く帰れ、カゼひいたらコトだろ!…


 音声伝言アリのマークが点滅している。未央はニヤニヤしながら指物的信号を送った。


 …ピーッ、サイセイシマス…プッ…


「あー、もしもし、未央か?…こちらお父さんです。えっと今、アイスランドからかけてます。元気かな?…何年ぶりかな。思い出せないくらい久し振りでびっくりしてるかな。んん(セキ払い) 、その、こっちは色々あったけどもようやく落ち着いて仕事ができるようになりました。未央も何かいい仕事に就いて毎日頑張っているのかな。…んん、それで(中略、自身の近況について長々) …話が長くなったかな(その通り) …それで今日どうして電話したかというと、大事なことがあったからで(中略、しつこいため) …実はお母さんのことで知らせたいことがあります。落ち着いて聞いてください。…フー(タメ息) …お母さんの病院から連絡がありました。色々経由したんで遅くなって…実は、残念なことだけども、お母さんの具合がよくないということで、うっ、ゲホゲホ…できれば病院に行って顔を見せてやってほしいと思います。お父さんは当分帰れそうになくて(中略、弁解が数分間) …お母さんはもう長くないだろうって医者に言われました。なるべく最期まで一緒にいてやってくれるかな…報道陣を振り切れれば帰りたいと思うんだけど(中略、更なる弁解) …えー、後で弁護士の渡辺から詳細を送ると思うので、たいへんだろうけどお願いします。…それじゃ、んん、後でまた、連絡下さい。」


 …ショウキョシマシタ。メッセージハイジョウデス…


 未央は一生分の歯ギシリをした。想定外の結論はキリキリ舞いを続け、そんなものはないと思いはじめたところで炸裂である。弁護士の必要以上に整理整頓されたあいさつと母の詳細の文字情報は、父の長話より三時間前に送られていた。父はそれだけいかにもハカセ的に逡巡していたのだから仕方がないが、人間の人間的な感情を思いやる習慣のない未央は、淡々シャキシャキとタクシーに乗った。


 …ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、…


 医療機器が延々鳴いている。通常であればたいへん落ち着く旋律のはずだが、未央は困惑していた。すっかり年を取った母が目の前で眠っている。目を覚ましたらどうすべきか。何かそれらしいことを一言わねばならない。薬で眠らされているわけだから、今日のところは心配はいらないはずだが。


 …ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、…


 ふと窓に目をやると、鉄格子の細かさに驚かされる。


 …ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、…


 母の手首には、坂下玲子の名で囚人番号が付けられている。


 …ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、…

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ