表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
キとラの間   作者: 海野みうみ
2/7

第二章 キラキラ・1985

序章その②です。

更に過去に戻って、「見えない友だち」がUFOとして玲子の前に現れます。

次章ではようやく近未来の話になりますが、よろしければもう少しお付き合い下さい。


 黒田理紗(クロダリサ)は、新学期も気合い十分だ。何しろ靴は新品のピカピカで、ブラウスのフリフリは規則正しくしつこく重なり、スカートのフワフワはちょうちんを超えている。ご自慢の天然パーマのロングヘアはびよんびよんと跳躍し、この上なく傍若無人な自己主張に成功している。四年二組の女王たるべく、前髪の手入れも怠らない。そこだけは波打たずにアーチを描きたいとのこと。


 …いやーん、すぐつぶれちゃう、もー大変なのー…


 などと、毎日大いに嘆きつつ誇示するのだ。級友の手本となり、洗練された小学校生活を送らんと、脚本、演出、主演モロモロを一手に行う、精力的な子供である。


 理紗の父は、世界各地を転々とする商社マンである。これも天パ娘の大いなる自慢だ。この夏、父の元へはるばる旅した紛れもない証拠を手に、後光を背負った聖母の気分で教室に降臨した理紗である。ハイカラなチョコレート菓子を配りながら、シンガポールを知っているかと級友一人一人に迫っている。自分だけが知る世界に鼻息を荒げ、かの街並みがいかに美しいかと足らぬ言葉で吹いて回るのだ。


 …あっそー、そんなにいいならさぁ、さっさとそっちに引っ越しちゃえばいんじゃないのぉ…


 などと思う友は、奇跡的にいなかった。理紗の脚本通り、感嘆の声を上げてくれるばかりである。有望な脇役には絵葉書を送ってあったが、重ねて写真を見せ、賞賛としての感想をどこまでも絞り出している。


 存分に語った後で友の平凡な夏を聞き、自身がいかに充実した休暇を過ごしたか再確認する流れだったが、シンガポールなど問題にならぬ程、クラスを熱狂させていた一人がいたのだ。この日、土産物の恩恵に与ることのなかった友が、自宅で孤高の療養に耐えることになったいきさつが、担任教師から大まかに語られた。



 自然はいつもそこにあり、正確に季節を刻む。そこにある限り、種毎に定められた団体戦を行い続ける。例えばこの桜並木は、春には花びらを散らせて感動を与え、小学校をぐるりと囲み繁栄する権利を得た。夏には緑の葉を張り巡らせるが、蝉の声に勝利を譲るのがお決まりだ。木々は子供たちに日陰を提供しつつ、無尽蔵に毛虫を降らせ、生命の驚異を教えてくれる。


 フワフワと、毛虫たちが八方に突進する間を縫って、子供たちのビーチサンダルが進んでいる。わざわざ毛虫を踏んで行く者、一切足許を気にしない者、おいたわしいご遺体を避けて、爪先で進む者。高いフェンスに囲われたプールを越えて、子供たちの歓声が、青い空に吸い込まれて行く。お馴染みの入道雲が、相応しい出で立ちで見下ろしている。


 …いち、に、さん、し…。


 目を閉じて数えてみても、夏の光は締め出せない。キラキラとまぶたを貫くまぶしい光は、一体どこから来たのだろう。子供には計り知れない叡智が輝く。


 …ゴーン、ゴン…


 プールの底の孤独に響く、何十という子供たちの足音。騒がしく跳ねる水が、頭上の景色を歪めて見せる。水色の青はカラフルだ。プールを塗ったペンキの青 、水着の紺、水自体、空。ザラザラする壁が、足の裏をくすぐっている。歯をむき出して、息を泡にしてみる。手を振ると、指を抜ける水の抵抗が、重く楽しい。光に誘われ、五感を解放せずにいられない。


 …水になりたい。なれる気がする…


 泳げぬ子供が息を止めていられる時は、短いものだ。新しい空気を吸い込もう。一時の孤独は、それでサヨナラ。


 ざぶーん、ガツン…!


 再び目を開けた子供にとって、夢は楽しいものであるはずだった。だが、子供が遊ぶ想像は、ひとりよがり、現実に足を掛けられ、気まぐれのおもちゃ箱へ片付けられて忘れてしまう。


「レーコちゃん!血が出てる!」


 ワー、キャー…。


 目の前の赤により、叫ばれる理由が見えぬ坂下玲子(サカシタレイコ)は、プールの巨大な蛇口に突進、元気に頭を割っていた。ついでに舌に前歯が入った。かつてない痛みと、友人にバケモノ扱いされた衝撃である。先生にも親にも叱られ、学校中の、近所中の噂になる、恥という激痛である。


 そこに蛇口があった。その銀は、輝かずに端にあり、淡々と仕事をしていた。誰も気には留めなかった。それが血を呼ぶなど、校長が体育館ですっこけて以来の大事件だ。その血みどろぶりゆえに、児童たちの語り草は沸いた。母親たちを恐慌させた。教師たちは蛇口を覆った。


 子供が行う愚かしい遊びの独創性は、全く持って予想できない。自然界では、ある個体に独創性があっては命取りにもなり得るが、人間は、不規則な個人戦を遊ぶ異なる種である。単なる強さを戦うものではない。勝敗の鍵は一つではない。そしてまた、出過ぎた杭は打たれることもあるだろう。



 黒田理紗は、耳を尖らせ、戦慄の面持ちだ。理紗には、理紗なりの理由でもって、級友がどう思おうが、このクラスで知らないことなどあってはならない。絶好調に開始された1日故に、この衝擊はかつてない脅威だった。理紗に限って、肉踊る事故現場を目撃できなかった!


 …愕然としつつ、鼻息と髪を整え、モチロン噂は聞いてたワ、と一世一代のアドリブを打った。予測できない独創性を持ち、手に負えない個性をどうすべきか、理紗は本能的に知っていた。取り込んで、飼い慣らすのだ。まずは先手を打つべしと。


 ピンポン…坂下家の玄関を襲撃せんと、脇役二人を従えて、髪をフリフリやって来た理紗。その手には、例の土産菓子と絵葉書、急遽書かせたクラス全員の応援メッセージだ。決意は固い。大人に立ち向かう際の礼儀をわきまえた態度で完全武装だ。


「こんにちは、おばさん、玲子ちゃんのお見舞いに来ました。同じクラスの黒田理紗です。」


「あら、まあ、ありがとう…ごめんなさいね、玲子はあまりお話しができる状態じゃないの…」


「はい、これを渡したらすぐ帰ります。」


 玲子の母には独創性はない。朗らかで嫌味なく、玲子の兄を関心の的としており、子供は自然に育つと、確固たる信念を必要としない母親だ。当然、理紗の舞台至上主義には押しまくられて退場してしまう。


 さて、玲子としては哀れである。脳天を自ら割ったため、包帯やら網やらがぐるぐるとぐろを巻いているのだ。理紗の目には、ダサイやら愉快やらで、大いに吹いて回るべき上ネタと思われた。とりあえずは主演女優の見せ場として、笑いたいところを劇的な同情を込め、激励の台詞を述べることにした。


「玲子ちゃん!だいじょうぶ!?すっごい痛そう!」


「んんんんん!」


 おしゃべりなど以ての外、舌の傷が深いのだ。流動食で療養中の子供に、チョコレートほど残酷な土産はない。理紗にとっては、反撃を受ける心配がなく、好ましいことこの上ない。


「あのね、おみやげ持ってきたのー!今年はシンガポールに行って来たから。知ってる?シンガポールって?」


「んがが」(知らない)


「ほら、これ、ライオンの口から出てくるの、噴水だよ、スゴイでしょ!こっちもキレイだったのー。でね、チョコみんなに買ってきたの。おいしいから後で食べてね、レイコちゃんには特別に一箱あげる!それから、みんなからのメッセージ!一人でさみしいでしょ、いっぱい書いてもらったんだよ!ほら先生からのも!おもしろいから後で読んで!じゃ、ゆっくり休んでネ、また来るからネ!」


 興奮の余り、玲子はその夜、血を吐いた。こっそりチョコを食べ、傷は開いたのである。母は、さすがに恐慌を起こした。父は呆れつつ母を叱りつけ、その八つ当たりの波は玲子を直撃した。明らかに、理紗に流された母の責任であるのだが。


 玲子は涙に濡れながら、理紗の見舞いを受けた自らを誇らしく思っていた。貴重な舶来品はその後、母と兄に消費され、無理をして一つ食べておいたのは正しかったと、玲子なりに結論づけた。


 …だってレーコのだもん。レーコにいっぱいくれたんだもん。レーコのためにリサちゃんが持ってきてくれたんだもん。…


 玲子は、一人でも寂しくはなかった。一人遊びが得意だった。何しろ他に得意なものはなく、どちらかというと愚鈍な子供だ。その遊びの内容こそが、玲子の真骨頂と言えるのだった。



 ある日の理紗は、前髪の出来に至極満足していた。手鏡を自らに侍らかせ、後ろ毛のポニーテールがいかに重く邪魔な仕上がりを見せているかと、ヤマタのオロチの心持ちで休み時間を過ごしている。


 鼻歌を吐いたその時、両刀の鏡が何かを捉えた。オロチの視界の端で、何かが飛んだと思った。何分教室であり、休み時間だ。すべてが動いていて当然だ。光のいたずらか、虫でも飛んでいるのか、誰かが消しゴムでも投げたのか、当然あっていいはずのもので、何であろうと他人事として気にもされないはずである。しかし、黒田理紗には、知らないことなどあってはならない。


 …え、なにしてるの、ちょっと、なににしゃべってるの…


 オロチを忘れ、鏡越しに視線を合わせてみると、後ろの席で、玲子が「一人遊び」をしてるのだ。理紗には分からなかった。超絶した胸騒ぎを覚えた。独り言でも、思い出し笑いでも、道具があるつもりのゴッコ遊びでもないのだ。何もない、虚空のある一点と、楽しそうに話している。理紗にとって、飼い慣らしたはずの級友を理解できないなど、あってはならない。クラスにとっても良くないことだ。遊びとは、皆で共有できるものであるはずだ。分かり合えない者同士を、友人とは呼べない。


 理紗が、異なるものを見たと思い、追いかけ、確かめたものは、玲子という存在自体だった。通常の脚本では、脇役の級友たちが理秒の髪を称え、あやかりたいと、可愛くなれるよう互いに手直しをしたがる場面である。理紗の舞台で、休み時間に一人の世界にいるなど、以ての外というものだ。


 自慢の髪が、怒れるオロチとしてのたうった。戦慄の静電気が揺るぎない信仰を思い出させ、理紗を奮い立たせる。慈悲を以て、玲子に学ぶ機会を与えるのだ。今ほで良い友人に恵まれず、道理を知らない哀れな子供だっただけだろう。理紗の威光を持ってすれば、正しい道へと導けるはずだ。新たな徳の衣を身に纏い、虚栄と舞い踊ろう。されば、受けて立つべし!


「なにしてるの、レーコちゃんもこっちおいでよ、みつあみしてかわいくしてあげるよ。」


 玲子の反応は曖昧だった。すぐに動かない。理紗は嫌悪感を飲み下し、笑顔を作って自ら足を向けることにした。


「レーコの髪は短いけど、いっぱい編み込んで、私みたいにくるくるにしてあげるー。」


 理紗は、良く耐えた自分を称えながら、勝利を確信していた。得意気に玲子の髪を一房取った瞬間までは。


「わぁー!くすぐったいよ!!」


 大いなる試練が示された。玲子は身をすくめ、ケラケラと笑い出した。この笑いがまた、なかなか止まらない。オロチの首は、公開処刑にかけられた。血の気が失せ、乾き、崩れ落ちんばかりである。しかし理紗は知っている。玲子は、人を侮辱できる程成熟した精神を備えてはいないはずだ。そして理紗の真骨頂は、髪だけではないのである。


「…さっき、何してたの?一人で何か言ってたでしょ?」


「えっ、リサちゃん、ゆーふぉーって知らないの?」


 …キーンコーン、カーンコーン、キーンコーン、カーンコーン…



 鳥籠の中は快適だ。金属の骨組みに守られて、木のぬくもりある巣箱が備えられている。二階建てのモダン建築、天井は高く、飛行に適した空間もある。人間の目線に吊り上げられ、外部を観察しやすく、踏み付けられるような心配はない。肝心の鳥がいないとなると、尚更快適なものである。


 玲子は、文鳥を飼っていた。真っ白の羽に赤いくちばしの、ピーコという。兄が友人から譲り受け、すぐに飽きて玲子に押し付けたのだ。父も母も生き物が好きではなかった。玲子は、ピーコを可愛いと思った。オウムのように話す鳥と思い込み、毎日話しかけた。誰に対するより、何でも話した。もちろん成果は上がらず、玲子の対人交渉力もまるで向上しなかったが、構わずに子供なりの対話を続けた。ピーコとしては、自動餌やり機として玲子を評価はしたが、鳥なりの孤独な人生を受け入れるしかなかった。


 玲子は、学校から帰ると真っ先に鳥籠を覗くのだが、その日もいつものつもりでドアを開けた。しかし、静かだった。ピーコは確かにそこにいたが、何度呼び掛けても反応はない。そのはずなのだ。ピーコは、巣材の網目に足を取られ、宙吊りになったまま身動きが取れず、力尽きていたのだ。わずかに揺れるピーコのぬけがらを、首を傾げて、玲子は見つめた。じっと見ていた。


 娘の後ろ姿を見つけた母は、困惑していた。ピーコが騒がしいと母は実は気づいたのだが、主婦業に忙殺してしまっていた。その罪悪感より、今娘の中で何が起こっているのか、理解しがたいのが気掛かりだ。子供が一人二人できれば人生うまく行くと思っていた母は、娘への違和感に暮れていた。


「…玲子、おやつよ…」


 習慣が異常事態を飲み込んだ。素直に従った娘の目を盗んで、母は事実を隠蔽した。生ゴミとして自治体の手に委ねたのだ。


 空の鳥籠に戻った玲子は、そこに別のものを見た。玲子はUFOと呼んだが、幽霊とする方が正しいと思われる方もおありだろう。他にも、守護霊だとか、幻覚だとか…。いずれにしても、解釈する者次第だ。玲子の素朴な脳は、そこにいるべきものを見たと「思った」。


 どこかで見知った「UFO」という異なる形に関わらず、言葉を理解するようになったピーコと捉えたのだ 。


 「あら、ピーちゃん、大きくなったワねぇ!」と、大人の口調を真似して語りかけた。その日からUFOは、鳥籠を基地として、玲子が必要と思った時にどこへでも出現するようになった。一人遊びに付き合う「見えない友だち」として。



「ねえ、レーコちゃんって、ちょっとヘンじゃない?」


 オロチは敗れ去り、コトダマの魔力が浮遊している。


 …ヘンって?だって見てみなよ…、そう言えば…うん…私も見たことある…ね…、でしょ…?あ…ホントだ…


 理紗の一息が、級友をして、剣と化す。耳から耳へ忍び込み、鍛錬と研磨が重ねられる。振り下ろすべき時は、理紗が決めるのだ。今はまだ、親身な友を装い、残酷な笑みを浮かべている。


「ピーコっていう小鳥なんだよ。ゆーふぉーに乗ってるの。丸くてキラキラしたので飛んで来るんだよ。目がくるくるしててかわいくてね、おしゃべりできるの。お兄ちゃんからもらったんだ。」


「どこにいるの?わたしには見えないんだけど、どういうこと?」


「はずかしがり屋なんだよ、今日は帰っちゃった。」


「知らないの?UFOって、こわい宇宙人が乗ってるのよ。鳥じゃないでしょ。」


「だってそっくりだもん。でもこわくないよ。」


「鳥って飛べるでしょ。なのになんでUFOに乗んなきゃいけないの?」


「ひとりで飛んでてもつかまらないようにだよ。かわいいからみんな欲しがるんだって。すごいいろんなこと知ってるの。リサちゃんとはもうすぐお別れだから、なかよくしてあげてって言ってた。」


「お別れって、何のことよ?」


「リサちゃん、タイムマシンて知らないの?」


「なにそれ?ぜんっぜん関係ない 。UFOはタイムマシンじゃないに決まってるでしょ。」


「でもそうなんだもん。もうすぐリサちゃんはかわいそうになるから、許してあげないといけないんだって。」


「わたしがかわいそうなんて誰も信じない!すっごいヘン、未来が分かるならなんでプールでケガするって教えてくれなかったのよ?そんなの友達じゃないし、鳥のわけもないでしょ!」


 …なんでプールでケガするって教えてくれなかったの…


 コトダマが玲子の原始の脳を擊ち、思考の芽生えは喉を詰まらせる。UFO的対話篇が、バラバラに浮かんで漂う。それを並べ直そうとしてみる。わからない。脳がドロドロに煮詰められる。玲子なりに、疑うことを受け入れようとした。玲子らしく、誰の理解をも超える時間を掛けて。

 


 黒田理紗は、笑顔で遠足の写真を配って回る。壁にもルンルン貼りまくる。級友全員とのツーショットにご満悦だ。いや、玲子以外だ。坂下玲子は熱を出し、何日も欠席している。


 「ヘン」は皆の知るところとなり、理紗は、玲子の存在自体を無視することで、不吉な予言を振り払おうとした。学ぶ機会は与えたのだ。それでも道理を解せぬ野蛮人は、取り除かねばならない。共同体からの追放だ。玲子の不在に、コトダマは熟成された。理紗は、勝利のミュージカルを演出する。楽しげで残酷なテーマソングが、コーラスを重ねて舞い踊り、それはついに、担任教師の耳に辿り着く。


 …一度診てもらってはどうですか…


 呼び出された玲子の母は、激怒していた。娘の「ヘン」に感づいてはいながらも、実態を聞かされたところで、簡単には認められない。母の感情表現は控え目すぎて、若き担任には微塵も読み取れないものである。そして母は、行動した。それはそれは、大変な努力を要した。


 …熱があるんだから学校は休ませなきゃいけないわ…


 →熱が出るのはカゼだからでしょ、内科の先生で十分なはずよ…


 →→何ヵ月も熱が続くわけないわ、そろそろ治るわよ…


 →→→ウチには鳥なんていないわ、だってどこにも何もないじゃない、一体何のことかしら…


 → → → →ねえ…


 以上である。母は安堵し、そそくさと何事もない日常に戻った。


 次の日、玲子が目を覚ますと、鳥籠はなくなっていた。思考がまとまらないまま、疲労困憊の脳神経は、諦めの技術を獲得した。例の「見えない友だち」は、無視され、怒って引っ越したのだと、玲子は受け止めたのだ。



 次々平熱を記録した玲子は、ランドセルの重みを思い出した。すっかり寒くなった通学路を堪能した。どんな友のことも思いわずらわず、生命力の跳躍がキラキラするのを見ていた。


 何やら虚勢を張った車がやって来る。ヘンな車!と玲子は笑ったが、車中の怒れるゴルゴンに、キラキラは固まった。見誤るはずもない、泣きはらした目で玲子をにらむ理紗だった。引っ越しトラックを何台も引き連れて、ドンチャン騒ぎに、大通りへ消えて行く。妙に楽しい見世物である。排気ガスをたっぷりご馳走され、晴れ晴れとした気分で玲子は進んだ。


 何事だ。彼の地では、時が満ちていたのだ。理紗憧れの地シンガポールは、父にとっては決断の地となった。航空機をタクシーとして飛び回る華々しさの重圧を、家族は見ていなかった。単身赴任の父は、そばにいてくれる別の女性を見ていた。そして、誕生の奇蹟である。玉のようなエネルギーは母の逆鱗に触れ、闘争と破綻を呼んだ。


 この期に及んで玲子に会うとは!歯を食いしばれ、黒田理紗は、決して敗北を認めてはならない。涙などは役者魂に喰わせてしまえ。母親の田舎という異文化に放り込まれても、時代の最先端である両親の離婚を悲劇的に自慢するのだ。華麗なる天パ娘理紗は、たくましく、舞台を降りない決意を新たにしたのだった。


 思い出は遠ざかる。父の栄転が告げられ、トラックは、理紗と別の方向へ玲子を運んだ。理紗から学び、「見えない友だち」を封印した玲子は、花形への道を行く。


 一方、未確認飛行物体としての身に於いては、友に別れを告げることはない。正面から私を見てくれた、かけがえのない玲子。プールの底で手を振る姿は忘れられない。私はどこにでも在り、すべてを見る。玲子より先に在り、共に在り、後にも在る。私にできることは、他にない。



 キラキラがキレイと思えた頃の景色は、キとラの間に浮かんで消えた。別の夏に照らされる玲子が目を覚まし、かつての夏は、再び封印されてしまった。大学生となったかつての子供は、涼しい電車内で、うたた寝に呆けていた。


 夢を見たとは思わなかった。何をすべきか考えようとしたが、わからない。窓の外は暑そうだが、降りるべき駅に降り、歩くべきところなのだ。救いがあるとしたら、大学の先だろう。しかし結界が張られているようで、近づけない。


 夏のキラキラを楽しんだ子供は今、その下に立つことすらできない。大都会の照り返しは、かつての光ではもうないのだ。


 人間は、自分一人で決断をして生きなければならない。それがどんな結果でも、生きるための行為となるはずなのだ。そう、生きるためのはず…。別の友を突然失ってから半年が過ぎ、取り返しのつかない虚空が玲子を包む。


 今はただ、たまらなく倫子に会いたい。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ