10年後、おじさんになる君へ
結構、暗い感情が漏れ出ているので、注意の上、読んでください。
拝啓、10代の若者へ。
お元気にお過ごしでしょうか。私はなんとか毎日を生きている状態です。
手紙の書きだしというのは、どうしても堅い表現となってしまって、やりにくさを覚えますね。
この手紙の用件というのは、たいして重要なことでもありません。
読むのが大変なのであれば、読み飛ばしてしまっても一向に構いません。
ただ単に、君より10年生き長らえている私から一言、伝えたいことがあるということですから。
それでは簡潔に。
私は、君のことが嫌いです。
若さに満ち溢れている君が嫌いです。
若さに満ち溢れている君が、若い癖に偉業を成し遂げ、大人達を感嘆させたり、驚愕させているところを見ると、反吐が出ます。
人が偉業を成し遂げることは特段何とも思いません。勝手に達成していれば良いと思います。私が嫌悪を覚えるのは、若い、君が、私より、優れているということが、嫌だと言っているのです。
若いというのは、未熟という意味も含んでいると思っていたのに、何故か私よりも中身があるような、そんな気にさせてくる君が、とても直視できません。その癖、若さ特有の行動力や、柔軟な発想力は持ち合わせているのです。こんなのずるいです。不公平です。
君という存在がいると、私はこの世にいても、どうしようもないのではないかという気持ちになるのです。これでは仕事にも手が入りません。
目を逸らしても、君は視界に入ってきます。ニュースサイトに、君の活躍が一面に取り上げられていたこともありました。動画サイトを見ても、君の活躍がそこかしこにあります。
私は本が大好きで、よく読んでいたりするのですが、どこに行っても、ちらほらと。初々しさすらも伺わせる幼い顔の癖に、はにかむ笑顔やら服装やらは、ちゃんと決まっているんですよね。
それを見て大人達は言うのです。「私も年下の彼(彼女)を見習わなければ」とか「私なんかよりよっぽど凄いんだ」だとか……
ゲームの世界に逃げ込んでも、所詮はゲームは子供と一部の、子供好きな大人に向けられたもの。子供が活躍するんです。私よりも年下の存在が、世界を救ったり、国のトップに褒められたりするんです。
単なる嫉妬じゃあないか、と思うでしょう。君の推測は半分当たっています。
どうしようもなく嫉妬しているのは事実です。時間は取り戻せないものですからね。君と私との間には、明確な時間量の差があります(寿命が違うだとか、そういうナンセンスな問答をするつもりはありません)。
運の量だって多分違うのでしょうね。昔は自分を慰める時、「人間の幸福量は誰しもが平等だから、今は不幸でも、それは未来の幸福につながるものだ」なんて言い訳を、せっせと用意していたものです。
でも、いい加減、分かってしまいました。つまるところ、幸福はお金と同じで、人間の内部にあるものではなく、外部にあるものなんです。つまりそれは、移動が出来る……奪うことが出来るものということです。主に、強い人間が弱い人間から。
そして私は今、弱い人間であるので、強い人間である君に、憧れ、つまりは嫉妬を柔らかく言い換えたものを抱いているのは、当たり前の話なんです。
でも、私が君を嫌う理由は、それだけはありません。
実際の話、私がこれから君以上に有名になって、嫉妬の炎こそ消えることになろうとも、私は君を憎み続けるでしょう。
その理由は、とてもとても単純なものです。それは、君が若いからです。禅問答のような答えですね。先程の嫉妬とどう違うんだと思われるかもしれません。
ですが、ここは、明確に「違う」と言い切らなければなりません。
君の存在は、他の誰かを駆り立てさせるのです。どうしようもない、まるで苦行、賽の河原のような努力の沼地へと。
「若さ」に駆り立てられたのは、ちょうど10年前。君と同じ年齢の頃でした。
母校で、青少年の主張なる企画がありました。まあ、スピーチコンテストのようなものです。テレビの番組でも昔、屋上から学生が主張するようなコーナーがありましたね。
その時の私は、勤勉で、根暗で、理屈屋でした。勉強にしか居所がなかったような、がり勉のイメージをそのまま実体化させたようなものでした。性格は、悲観的だったのだと思います。無理やり良く言えば、堅実……といったところでしたか。
将来に対して、良くも悪くも、何の期待も抱いていませんでした。世間が定義する、ごく普通の人生が送れれば御の字だ。つまらない人生でも上等、だと。もちろん、流行になんて全く乗れていませんでした。趣味もなく、ただただ勉強だけやる機械のような存在だったのです。
そんな私が提出した主張が、何かの間違いか、クラスの代表に選ばれたのです。タイトルは「ルールの存在意義」。ひどく眠気を誘うテーマでした。吐き気のする程の正論の塊。無難な展開。締め。自分で付けた評価は、校長の朝礼……。
今考えてみれば、無難過ぎるが故に、クラス内で安牌(という名のスケープゴート)と判断されたのでしょう。ともかく私はクラスの代表として、生徒の前でスピーチをすることとなったのです。
ルールの存在意義。それは、人間が、国籍や年齢、性別に限定されず、等しく生きていく為に、みんなで話し合って決めた約束事。ルールのあり方が間違っていたら、生類憐みの令のように、犬が人間より重宝された、などということになりかねない。この世界にいる誰もが、ルールを守る義務を持ち、代わりにその恩恵を享受し、そして、そのルールに不備があったら改善するように物申せる権利があるのだ……
私は覚えた文章通りに喋っていました。特段、人前でも変わることはありませんでした。人を見てはいませんでした。ただ、自分に与えられたタスクをこなす、ということだけを考えていました。
先生の受けは、少なくとも表面上は良かったように見えます。まあ、ほめてくださいました。道徳で話すような内容なのですから、けなすわけにもいかないと思ったのでしょう。
私の心は、動いてはいませんでした。「君は勉強してるね」とほめてくれたことなんて、数え切れない程あります。願わくば、それがテストの点数にも反映されていたら、と、その度に複雑な気持ちにさせられたものです。
張り付けた表情のまま、一礼してステージの脇へと移動しました。それで、私の仕事は終わるはずだったのです。
あの時、若さに出会いさえしなければ。
「私は、神だ」
眠りかけていた私の意識が、その一言で引き寄せられました。
その台詞に全校生徒が、どっと、ざわめき立ちました。それは、先生方にすら波紋を呼び起こしました。他のクラス代表も、目を点にしています。
最初、これは夢なのかと思いました。そうでなければ、冗談なのか、と。
結論から言えば、それは限りなく後者に近いものでした。冗談だったのです。少なくとも、当時の私にはとても笑えない類の。
その後も、神を自称する生徒は、持論を繰り広げました。なんの話をしていたのかは、先頭の一言の印象が強すぎて、実は分かっていないのです。ですが、ひどく荒唐無稽で、エネルギーに満ち溢れ、勢いを持った、他人に影響を与える……冗談のような、持論でした。
なぜなのでしょう。なぜ、その、今となっては性別も年齢も分からない生徒は、神を自称したのでしょう。いや、そんなことはさして重要ではありません。どうして私は、その言葉に、ひどく心を揺さぶられたのでしょう。
勝手な推測ではありますが……言葉のインパクトはさることながら、神を宣言した時、その生徒はきっぱりと何のよどみなく、言い切ってのけたことが大きかったように思えます。その言葉には、嘘偽りがないように、思えたのです。演技というなら演技でも構いません。それに魅せられた私にとっては、それは関係のないことだからです。
若い頃の自分は、その時初めて、若さを知りました。
青少年の主張について、その後の記憶はありません。順位がどうなったのか、そもそも順位なんて決められなかったか。
以降、私は無難ながり勉を、心から演じられなくなりました。他者の思うままでも構わない、部品の一つで構わないと考えていた私が、初めて「自意識」という神を知ることになりました。
勉強をするたびに、浮かび上がってくるのです。こんなことでいいのか。あの生徒は、自分を神と言ってのけた。自分は何にもなれなくていいのか。本当に後悔しないのか、と。
そんな私が辿り着いた慰めこそが、創作活動でした。漫画、ゲーム制作、今やっているような文章書き……
ですが、この判断こそが泥沼の始まりでした。
私の頭は学校の授業をこなすために最適化されていました。あらかじめ与えられたタスクをこなすのには向いているが……自分でゼロから何かを創作するのには致命的に向いていませんでした。
そもそも、見せる対象も目標もなく、やりたいことも定まらず、その為の方法もろくに検討できていないのです。それに、なんとなく失敗する未来がぼんやりと見えていたようにも思います。井の中で大海の地図帳を見て、知った気になった蛙は、井から大海を眺め、自分の小ささを知ることとなりました。
けれども、もはや井の中に戻り、以前の生活を、大海を知らなかった頃の生活に戻ることはできませんでした。一度でも意識してしまえば、もはや生活のいたるところに「若さ」というエネルギーがめぐっていることを痛感するのです。
年を越すたびに、理想の自分と現実の自分を見比べて、身が引きちぎれるような思いをしました。自分は一歩も進んではおらず、その先を、理想の自分が走っていくのです。若さに満ち溢れた、ちょっと不敵さも感じられる笑みを浮かべながら。
10年が経ちました。
私は会社に入って数年が経過し、先輩と食堂でワンコインのランチを食べていました。
それは、他愛ない会話でした。確か、新入社員の扱い方がどうするか、という話だったように思います。対応策が煮詰まる中で、先輩がぼそりと呟いたのです。
「俺たちはもう、おじさんなのだから、彼らとは、きっとセンスが違うんだよ」
私は不思議と納得していました。
おじさん。それは、若さを失った大人。
どんなに格好いいセリフを喋ろうと、貫録を身につけようとも、もう、あの独自のエネルギーを持つには至らない。
おじさんが厳密に何歳ごろから呼ばれるか、外見がどうなってくると、呼び方がお兄さんからおじさんに変わるのかなどとは考えません。
少なくとも、私はもうおじさんです。いや、きっと。10年前の時点で、既に……
私は君が嫌いです。
君がいる限り、私は大人で居られないのです。かといって、もう子供のように駄々をこねることはできません。
社会人生活を積み、未来について予想がつくようになりました。そして、過去の自分が抱いた、失敗する未来が徐々に迫っていることを肌身に感じているところです。
君は私を駆り立てます。理想の私は今どこにいるのか、音信不通だというのに。君がいると、不器用な私でも何かが出来るだなんて、思い上がってしまうのです。
「失敗する未来?そんなの、そん時になってみなきゃ、分からないよ!!」
君はエネルギーに満ちた顔で、そんなぶっきら棒な言葉で、私の肩を叩きます。
「神は言っている。ここで死ぬ定めではないと」
10年前の神が、ゲームの台詞を引用して、私を勇気付けます。
やめてください。私をこれ以上、人生の泥沼に引きずり込まないでください。
私は静かに穏やかに、川の流れに身を任せて生きていたいのです。
川の流れに歯向かう岩のような存在だなんて、ごめんです。
そのせいで私は、この忙しい中、失われたものを取り戻すための勉強を、必死にやらなければならなくなるのです。
それに、現実は優しくはありません。10年後、今の君は、おじさんになっているのです。
その時、世間が君を見ているかどうかなんて分からないことです。
君は耐えられるのですか?私だったら、耐えられない。一度得たものを、失うくらいなら。最初から何も得たくはない。
だが、君の輝く姿が、私を強欲にさせる。大人のメッキを剝がしていく……
私は君が嫌いです。
だから最近、私は憂さ晴らしをしています。
君の作品を積極的に周囲のがり勉仲間に広めています。これで私と同じ思いを抱くおじさんがもっと増えるでしょう。
そうです。君が10年後、おじさんの後輩になった時、からかってやる時の為です。
敬具