神さまを認識するには
十時過ぎに彼は、自宅から出てきた。
そのまま駅に向かうと、電車を乗り継ぎ、郊外の学習センターにやってきた。
なに?
ここで何か催しでもあるのか?
「ホワイト・サークル」
そう書かれたルームに入っていった。
どうやら、何かのサークル活動らしい。
高原の行動は、ほんと、分からない。普通の若者の範囲じゃない、ていうか……
あたりをキョロキョロ見渡して、誰もいないのを確認すると、そのルームの後ろの戸口に近づいた。かすかにマイクの声が聴こえたから。
「父なる神は、肉体ではなく感情とキリスト・ロゴスを通して初めて理解できるようになります」
「では、普通にこの現世に対するのと同じような精神状態では、神を意識出来ない、ということですか? 」
「はい。だから、正しい知識と内省や瞑想が必要なのです」
僕は、中から聴こえてくる言葉にくぎづけになった。だって、神は普通の精神状態では理解できない、と、ものすごいキーワードを聞いたからだ。
「正しい知識は、このサークルで学んでいきますが、内省や瞑想は、各人の能力というか努力が必要ですね……結構、それが大変です」
「そうですね。でも、最初は、自分が一番困っていることから始めてはいかがでしょう? 体が痛いなら、その痛みは何を訴えているか、を痛みとともにじっと感じてみるのです。最初は分からないかもしれませんが、イメージや原因が浮かび上がってくると思います」
「それが内省ですか? 」
「はい。内省になると思います。これは慣れるほど上手になっていきます」
その時、隣の教室のドアが開いて、中から人がわあわあと出てきた。僕は立ち聞きしているのを見られたくなかったので、ホワイト・サークルの戸口から離れるしかなかった。
しかし、あのサークルはなんだ?
キリスト・ロゴスとか言っていたから、キリストの話しでもあるんだよな。今まで教会で聞いてきた説教と全くアプローチが違うみたい。普通の精神状態では神を認識できない、とか内省は痛みに聞け、とか、かなり具体的というか実践的だ。
うー
気になるぅ
高原がいなければ、あのサークルに今すぐ参加したいくらいだ。
どうしよう……
僕はロビーのソファに座ったまま、じっとしていた。
あのサークルに参加しようと思ったら、高原の後を着けていたことを白状しないといけない。この前の剣道場で会っていなければ、偶然、ここに居た、てことにも出来るけど、もう今となっては、それも無理。
正直に言ったとして、「じゃ、なんでオレの後を着けてるの? 」て聞かれたら、何て答えたらいいんだ。「君の弱みを握るためです」これじゃ犯罪だ。個人情報保護法にひっかかりそう。いや、名誉毀損か。
それに、今は僕、高原の弱みを知りたい訳じゃない。正直なところ、高原のことがもっと知りたい、って思いしかない。だって、高原を知れば知るほど、不思議で魅力的で面白い世界が広がっていくから。けど、これって……ストーカー? いや、まだ高原に恐怖を与えたり、無理につきまとったりしてないから、ストーカーではないか。
はあ。
いずれにせよ。
今日一日だけは、あいつの後を着けてみる……か……
一時すぎに会は終わったようだ。
サークルの人たちと別れた高原は、ひとりの女性と一緒に駅に向かって歩き出した。
そして駅前の喫茶店に入った。
はっ!
ここは由美香が教えてくれた例の喫茶店じゃないか。
とすると、あの女性が恋人なのか? 後ろ姿しか見なかったから、どういう女性なのか分からない。けど、この先、どうやって見よう。双眼鏡は持ってきたけど、彼らが座った席はずいぶんと店の奥で暗い。
うーん。
いっそのこと店に入ってやろうか? 幸い、高原は窓を背にしているから、奥に座らない限りバレないだろ。振り返ることないてないだろうし。そんで、あいつより先に店を出れば分からない。
よし。
「いらっしゃいませ」
店員の声にも高原は反応せず、こっちは見なかった。僕は外から見て決めていた席を目指すと、そこに腰を下ろした。彼らから、窓に向かって三つ目の席だ。
コーヒーだけを注文し、じっと高原の後ろ姿を見つめた。素直な黒い髪と、まっすぐな背筋が目に入った。
その先にあるのは、例の女性だ。こっちを向いて座っているから、顔は見えるけど、さりげなく見なくちゃな。じっと見つめたら不自然だ。メニュー表を広げ、彼女の顔を見た。
「!」
え?
それはよく知っている顔だった。
びっくりした為、彼女と目が合ってしまった。
や、やばい。
やばすぎる!
彼女は思ったとおり、ニッコリ僕に微笑みかけると、高原に何かを言ってから、立ち上がって僕の席に向かってきた。
「こんにちわ。お久しぶり」
「あ、ども」
そんなことより、高原、こっち見てるよ! メニューで顔隠しても、もうバレバレだな。
「ひとり? あ、光喜くんがひとり、ってことないか」
「いえ、あの、ひとりです」
「えー、ほんと? ……このへんよく来るの? 」
「と、時々……僕、散策するのが趣味で」
「まじー? 女の子とデートばっかりしているかと思っていたけど、意外に地味な趣味もあったのね」
「そんなことより、千夏さんこそデートの最中じゃなかったんですか? ほら、連れの人、こっち見てますよ」
そう言うと、千夏さんはふふって笑った。
「暁斗くん、ちょっと待ってね」
奥にいる高原は、例の微笑みを浮かべてうなずいた。
千夏さんは僕に顔を寄せると、色っぽい声で囁いた。
「ね、暁斗くん、着けてきたの? 」
ぎょっ!
なんで、分かった!
「だって、さっきから光喜くん暁斗くんから身を隠そう、隠そう、ってしているから」
「そ、そんなことありません」
「そう。じゃあ、暁斗くんここに呼ぶ? 」
「いや、それは」
「ふふ」
ああー もうダメだ。
千夏さんにかかったら僕はてんで子どもになってしまう。彼女は僕の母の通っている教会の信者さん。いわば、同信徒というか。子どもの頃から知っているお姉さんで、面倒見のいい優しい人だ。ただ、頭がよくて口もたつから、僕からしたら「頭上がらない」、って感じなんだ……
「まあ、いいか。じゃ、私、あっちに帰るね」
「待って、あの、……」
立ち上がった千夏さんの手を取った。下から見上げる。
「あの人とどういう関係なんですか? 」
「あん?」
じっと見つめあった。
しばらくして千夏さんは、ニッコリと笑った。
「大事な人よ」
そう言うと千夏さんは、僕の前に腰を降ろした。そして覗きこむように僕に話しかけた。
「光喜くんも、暁斗くんに言いたいことがあるんなら、ハッキリ言いなさい。本当のことをちゃんと話すの。暁斗くんは、光喜くんが着けていたからって、怒るような人じゃないわ。理由が分かればそれでいいだけ。あなたは本当はいい子だもの。その後で、お互いのこともっと話せばいいじゃない」
もう下を向くしかなかった。
千夏さんの言うとおりだ。
このまま高原に何も言わずに、ここから去ることなんて、もう出来ない。
千夏さんが高原を呼んだ。
「あのね、光喜くんがあなたに話したいことがあるんですって」
入れ替わりで千夏さんは奥の席に戻った。
おそる、おそる、顔をあげて高原を見た。
彼は好奇心を持った子どもみたいな目をして僕を見ていた。ちょっと安心。
「あの……」
息を飲んだ…………
「ごめんなさい」
頭を下げた。
「僕、ずっと高原くんの後を着けてました」
「えっ」
「僕、君に学園のミスター盗られて、ずっと悔しくて…… 何か君の欠点がないか探っていたんだ。でも…………君を知っていくほど、君はいい奴で、かっこよくて、何か分からなくて…………もう、ミスターのことなんてどうでもよくなって………………君のことだけが気になって……着けちゃったんだ……」
しばらく無言。
そして、すぐにくすくすくす、て笑う声が聴こえた。
顔をあげると高原が笑っていた。なに、なんか、すっごく可愛いんだけど。
「それで何か分かった? オレの裏の顔とか」
「いや……すごい事がいっぱい分かったよ! 君はものすごく強くてかっこいいとか、本当の神について勉強している、とか、……千夏さんと知り合い……とか」
最後の千夏さんと知り合い、ってのはちょっと声が小さくなった。
彼女との関係は、まだ分からなかったから。
「ふうん。それで、赤池くんはどうしたいの? 」
「えっ? 」
「オレのこと知って、今後、どうしたいの? 」
「えっと、えっと……………………僕と……友達になって欲しい」
だんだん声が小さくなった。自分のホンネにびっくりしながら。
「けど……ダメだよね? 」
「なんで? いいよ友達になっても」
「ほんと? 」
ものすごく嬉しい!
「けど、今後はオレの後つけるんじゃなくて、普通に会ってね」
「も、もちろん! あのね、僕、ホワイト・サークルに入りたいんだ」
「えっ!」
そういえば、今日、日曜なのに千夏さん教会に行ってないじゃん。
「ホワイト・サークルが何するところなのか知らないけど、今日、チラっと聞いた話にとても興味が沸いたんだ。僕は教会で教えてもらう神さまが、どうしても分からない。僕の理解力が乏しいだけかもしれないけど」
「赤池くん、クリスチャンなんだ」
「うん、千夏さんと同じ教会。でも、最近はほとんど行ってない。……神さまが分からなくなっていたから。
とてもいい人が、すごく不幸になったりするのを見ていると神さまって、なんて無慈悲なんだろう、って思ってしまったから。そりゃ、不幸は試練だとか、色々言うのは分かるよ…………けど、僕には理解出来ない。その試練を耐えたら、本当に幸せなのかな、神の国にいけるのかな。……そんなことより、生きている間に、もっとすることがあるんじゃないのかな……」
ちょっと熱く語りすぎたのに恥ずかしくなった。
「とか、色々考えてしまって……」
誤魔化すように笑うと、水の入ったグラスのフチを指で辿った。
「で。さっきのホワイトサークルで『神を認識するのには、普通の精神状態じゃ無理』みたいな事言っているのを聞いて、すごく納得した。人間は神さまと交信できていない、だから、神の声を聞けないから不幸になっていくんだ、って思ったんだ。交信するには、もっと方法があるんだろ?」
「ま、ね」
そう返事すると高原は、千夏さんをこっちのテーブルに呼ぼうとした。けど、奥の席にふたりの昼食がもう来ていたので、僕が席を移ることにした。