第46話 ツナマヨのおにぎり
「……」
あまりの衝撃に何も口が聞けなくなってしまう。
「和央ちゃん!」
風見先輩は、ぱあっと花が咲くような笑顔で応えてくれた。
彼女は、おにぎりが乗ったおぼんをテーブルの上に置いた。豚汁からは湯気が出ていた。
「久しぶり! わたしね、ここでバイトしているんだっ」
「そ、そうだったんですか。知らなかったです……」
当たり前だ。
混乱していて、自分が何を言っているかわからなくなった。
頬に熱が集まる感触がした。
「ふふっ。言ってないからね。わからないのが当然だよね」
風見先輩が、茶目っけたっぷりに笑った。私の目は釘付けになってしまう。
「——わ、私、T大学とK大学のオープンキャンパスのために、今、こっちに来ているんですよ!」
「えっ。うそ! わたしK大学だよ?」
「本当ですか!? わ、私、風見先輩に会いたかったんです!!」
私はテーブルから立ち上がっていた。
カウンターにいるサラリーマンが驚いたように、こっちを見た。
夢の中にいるような気分だった。
「和央ちゃん。あのね。このおにぎり、わたしが作ったの。食べれる?」
「えっ」
「前にね、ホテルに行った時、わたしのおにぎりを食べられなかったことあったでしょ? だから、大丈夫かなって……。心配になっちゃって」
そうだった。私は昔、少し潔癖症なところがあったのだ。
風見先輩がせっかく握ってくれたおにぎりを、その場で食べずに友央に渡してしまった……。
「いただきます」
私は椅子に座り直した後、手を合わせた。おしぼりで手をきれいに拭いた後、ツナマヨのおにぎりを手に取り、大口を開けて食べた。
「和央ちゃん……」
風見先輩はあたたかく見守ってくれていた。
米の旨味とツナマヨの酸味が絶妙にマッチしていて、とても美味しかった。
ノリもパリパリしていて、食感がいい。どんどんと食欲が湧いてくる。
しっかり飲み込んでから、口を開いた。
「——風見先輩のおにぎり美味しいです。えっと。どのくらいかというと……明日も食べたいと思えるくらいです!」
私はすごく緊張していた。おにぎりの美味しさを上手く表現したいあまり、逆にしどろもどろになってしまった。
心の中では、とてつもなく感動しているというのに!
「それってプロポーズ!?」
風見先輩は手と手を合わせて、キラキラした目を私に向けていた。
——違いますよと言わなきゃ。
風見先輩、相変わらずですねって、笑ってみる?
彼女の無垢な瞳は、あの頃と何も変わっていなかった。
「そうです。……プロポーズです!」
もう私を制御するものは何もなかった。
風見先輩は驚いたように目を丸くしていた。口元はマスクで隠れているからわからないけど、でも、多分、すごく喜んでいるように見えた。
「幸せにするねっ」
彼女はそう言った後、人差し指で私のおでこをつんと突いた。ノックアウトされてしまいそうだ。
「わたし今、バイト中だから。そろそろ奥に戻らないと……。でも、今日の21時までなんだ! 和央ちゃんはホテルとかに泊まるのかな? もしよかったら、待っててくれない?」
「はい。もちろん!」
私は即答した。
風見先輩は目を細めて笑った。そして、背中を向けて、厨房の奥へと行ってしまった。
私はしばらく食べかけのおにぎりをじっと見つめていた。
風見先輩。あの頃の私とは違うんです。
こんなに遠くまで一人で来れるようになりました。
あなたが差し出すものなら、なんでも受け取りたいです。
風見先輩のツナマヨのおにぎりは、世界で一番美味しかった。目には涙が溜まっていて、誰にもバレないように、そっと拭った。
◇
「和央ちゃん!」
「風見先輩、お疲れ様です!」
21時10分に、彼女は定食屋から出て来てくれた。私を見るなり、にこやかな笑みを浮かべてくれてキュンとした。帽子とマスクは外されていて、素顔の風見先輩を見ることができた。
「あの、これどうぞ」
「ありがとう〜!」
私は彼女にリアルゴールドを渡した。定食屋近くの自販機で買ったものだった。
あの頃、風見先輩は、このジュースが好きだったと思い立って、自分の分と一緒に買ったものだった。
「ふふっ。ドラマとかでは缶コーヒーを渡す場面を見るけど。リアルゴールドかぁ♪」
「!!」
完全にしくった。よく考えてみれば、お子様みたいな行動だ。
第一、風見先輩の好みは変わっていることもあるだろうに。恥ずかしい。
「暑い夜道にちょうどいいよ♪ 和央ちゃん。ありがとうね」
風見先輩は缶ジュースを頬に当てている。冷たさを存分に味わっているように思えた。私はホッとした。
その姿は爽やかで、さながら女優が清涼飲料水のCMに出ているようだった。
私たちは夜の街をゆっくりと歩くことにした。
「——初めて二人でネットカフェに行った時のことを覚えてる?」
風見先輩が前を向いたまま、ぽつりと言った。
「はい。もちろんです」
「楽しかったなぁ……。ヒロ5の1話を見たよね?」
「はい。由夏先輩がヒロインの回ですよね」
「そうそう! あと、和央ちゃんとソフトクリームの食べさせ合いっ子をしたよね?」
風見先輩は記憶力が良かった。私も急に思い出すことになって、心臓が高鳴る。
「あははっ。顔赤いよ? ……わたしね、今でも和央ちゃんとのことを思い出すことがあるんだ」
そ、それって……。唾をごくりと飲んだ。
私も素直にならなきゃ。ギュッと拳を握りしめた。
「わ、私なんて風見先輩が夢にまで出てきますよ……」
「本当? やったー! 和央ちゃんの意識の中にいられた〜」
彼女は無邪気そうに笑った。それからは二人で取り止めのない思い出話をした。
最初は緊張していたけど、淡々と歩いていると、いつもの調子を取り戻すことができた。夜空に星がきらめいていて、私たちをずっと優しく照らしてくれていた。




