第32話 友央
私からキスをしてもいいのかな。
ゆっくりと、確かめるように風見先輩に顔を近づけた。あともう少しで唇が重なる——。
プルルルルルルル。
その時だった。甲高い音が静寂を破った。
「えっ!」
音の鳴った方を見てみると、私のスマホからだった。
画面には『友央』の名前が表示されていた。お兄ちゃんだ。
「は、はい」
思わず、そのまま電話に出た。今思えば、風見先輩に許可を取ってからの方が良かった気がする。
『和央、どこにいる?』
友央の声は低かった。
「きゅ、急に何?」
『今、ホテルにいるんじゃないの?』
図星を突かれてしまった。なんでお兄ちゃんがそんなことを知っているの?
『そのままスマホを離して、顔の前まで持っていって』
突然そんなことを言われた。
私の頭の中は「?」マークでいっぱいだったけど、友央の言う通りにした。
「うわっ!」
『……』
お兄ちゃんは、なんとビデオ通話をかけてきていた。険しい顔をした姿が、はっきりと画面に映し出されていた。
『和央、髪乱れてるけど。今、ベッドの上にいるじゃないの?』
「……」
カメラ越しの友央は、なんでもお見通しのようだった。私はとっさに髪の毛を手櫛で整えた。
『和央は忘れてるかもしれないけど、家族でスマホのアプリにGPS入れてるの覚えてない? 今見たら、光ホテルにいるって出てるんだけど』
しまったぁぁぁ!
そうだった。お母さんとお兄ちゃんと私で、防犯対策でGPSを共有しているんだった。
『お前、彼氏とホテルにいるんだろ?』
友央は追い打ちをかけてくる。
『そんなすぐに連れ込むようなやつ、絶対ロクなやつじゃないだろ。俺が今から——』
「ねぇ。誰?」
風見先輩が私のスマホを覗き込んだ。ま、まずい!
友央が目を丸くした。
『じ、女子?』
予想に反した相手だったからか、すこぶる動揺していた。
風見先輩はというと、時が止まったように画面をじっと見ていた。
——私と友央は顔が似ている。それは周知の事実。
すなわち、サトシくんにも似ているということになるわけで……。
私は前に、ネットカフェで風見先輩に兄がいることを打ち明けようとしたことがあった。結局、未遂に終わったけど。
そんな今日、最悪の形で、二人が出会ってしまった。
『和央、この人は? めちゃくちゃきれいじゃんか』
友央が見惚れているのがわかる。
「風見葉雪……さん。私の2つ上の先輩」
「どうもです!」
風見先輩は友央に向かって、にこやかに挨拶をした。
「……そして、こいつが私のお兄ちゃんです」
『こいつって言うな』
友央がツッコミを入れた。
風見先輩は、うんうんと頷きながら、話を聞いてくれていた。
『——で、なんで風見さんと和央がホテルにいんの?』
「そ、それは」
お兄ちゃんが核心に触れた。
ごもっともな意見だと思う。
きっと普通は、女の先輩後輩関係で、昼間からビジネスホテルになんて行かない。不思議がるのも当然のことだ。
「——わたしの母が光ホテルの優待券を持っていたんです。期限が今週末までだったので、仲の良い後輩の和央ちゃんを誘ってきたんです。心配かけてすいませんでした!」
風見先輩が流暢に説明をしてくれた。いつもよりもしっかりして見えた。
『……そういうことかぁ。ビジネスホテルって昼間からでも入れるんだね』
友央は納得しかけている。
「はい。ここにはデイユースプランがあるので……」
『でいゆーす?』
友央がぽかんと口を開けている。
さっきの私を見ているかのようだった。兄妹でアホ丸出しだ。
風見先輩は丁寧にお兄ちゃんに説明をしてくれた。
「——ということなんです」
『へぇ。そうなんだ。まぁ。風見さんとホテルにいるなら安心か。和央。暗くなる前に帰ってこいよ!』
「わかってるよーだ。もう切るね!」
ブチッ。
もう友央と話すことはない。そう思い、ビデオ通話を唐突に切った。
案の定、折り返しては来なかった。
ホテルの部屋に再び静けさが戻った。
「和央ちゃんのお兄さん——」
風見先輩が私の顔を見た。続きを聞くのが怖かった。
「初めて見た!」
「へっ?」
「一人っ子だと思ってたから驚いたかも! そっかそっか」
——てっきりサトシくんに似ていることを言うと思ってたのに。
風見先輩はベッドの上に足を広げて、リラックスしているかのようだった。
待てど暮らせど、核心には触れてこない。それがもどかしくも感じた。
「あの。風見先輩!」
「んっ?」
「——お兄ちゃん、サトシくんに似てませんでしたか?」
ついに言っちゃった。自分から。
思わず目を閉じた。返答を聞くのが怖かった。
「えっ。そう?」
風見先輩はあっけなく言った。
目を開けたら、彼女はきょとんとした顔をしていた。脱力したとは、こういうことを言うのだろう。
「あの。私とお兄ちゃんは、昔から顔が似てるって言われることが多かったんですよ」
「うんうん」
「風見先輩が言うに、私とサトシくんが似ているなら、兄の友央もサトシくんに似てるはずだと思うんですよ!」
「そっかぁ」
「……」
風見先輩は明らかに興味がなさそうだった。
「言われてみるとそうかもね。でもそれがどうしたの?」
えっと……。
私の考えていた最悪のシナリオは、お兄ちゃんと風見先輩が顔を合わせ、一目惚れしてしまうことだった。
『女の子の和央ちゃんより、男の子の友央さんのほうがいい!』
なんてことを言って、私に関心を持つのをやめると思っていた。
「良かったぁ……」
「どうしたの? 和央ちゃん。そんなにヘナヘナと倒れ込んじゃって」
「風見先輩が、お兄ちゃんに一目惚れしなくて安心したんです」
「ええー!? 何それ」
風見先輩がおかしそうに笑った。私の顔をいたずらそうに覗き込む。
「わたしが好きなのは和央ちゃんだけだよ」
「ほ、本当ですか?」
「うん!」
「お兄ちゃんのこと好きになりませんか?」
「ならないよ。あっ。でも、和央ちゃんのお兄さんだし、嫌いになることはないかな!」
風見先輩はずるい。
そして、同時に友央が憎らしくもなった。ううー。それでも、できることなら引き合わせたくなかったと思うのは、自信のなさの表れだろうか。




