第3話 熱い視線
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ペアフラット席の第一印象は、「黒い」だった。引き戸を開けたら、テカテカした革素材の床と、2つの背もたれ椅子が目に入った。
机の上にはパソコンが置いてあった。半個室タイプの部屋で、天井は筒抜けになっている。
ここから私たちは小声で話すことになる。
「いやー。空いていて良かったぁ。和央ちゃん、先にどうぞ」
「あ、ありがとうございます」
風見先輩はブースに先に入るのを快く譲ってくれた。靴を脱いで、部屋に上がると、彼女もすぐについてくる。
い、意外と近い。
カバンを置いて、二人並ぶと個室の中はぎゅうぎゅうだった。風見先輩の顔がすぐ近くにある。
朝も思ったけど、エレガントないい匂いがする。これは香水ってやつかな? いやいや柔軟剤かも! そんな雑念が浮かんできた。
「……」
「……」
とつぜん手持ち無沙汰になった。パソコンの画面がチカチカと私たちを照らしていた。隅の方にカツカレーの画像が入った、お食事のご注文ボタンがあった。もしかしてパソコンから注文できるのかな? なんかすごい画期的!
「喉乾いたよね。わたし取ってくる。和央ちゃん何が良い?」
風見先輩は気を利かせてくれた。
「ありがとうございます。何でもいいです」
「ふふっ。りょーかい。ちょっと待っててね」
彼女が軽やかに個室から出ていった。ふー。その間に呼吸を整えておく。
天井を見上げると、換気扇みたいなものが見えた。周りは静かなのに、耳を潜めると、人の気配がするのがわかる。
本当だったら、今頃みなみちゃんと帰っているはずだった。たまに、寄り道をすることもある。
この前は、路地裏にある駄菓子屋さんに行った。商品は全部安くて、物価高の時代にありがたかった。店主のおばあちゃんは、ほのぼのとした雰囲気をしていて、とても癒された。子ども心を取り戻せた日となった。
それなのに今日、風見先輩とネットカフェデビューを果たしてしまった。大人の階段を一気に駆け上がっているみたいで緊張する。
「おまたせー」
「あ、ありがとうございます」
風見先輩が帰ってきた。手には二つのコップを持っていた。中には、黄色の液体が入っていて、泡がぷつぷつと弾けていた。これはオレンジ味の炭酸かな?
早速、受け取り飲んでみると、予想と違う味でびっくりした。何味だ、これ?
顔をしかめていると、
「それ。リアルゴールド!」
と、風見先輩が親指を立てて言った。その後に、自分のジュースを一気飲みする。プハーッと満足げに息を吐いて、幸せそうに顔をほころばせている。
なんだか子どもっぽい一面があるなぁ。と、生意気にも思ってしまった。
私もちびちびとリアルゴールドを飲んだ。うん。最初は戸惑ったけど、悪くない味かも。
きっと風見先輩が美味しそうに飲むから良い影響を受けたのだろう。プラシーボ効果ってやつかな? 違うかな。
「美味しいですね」
「でしょ! ネットカフェに通い詰めているうちに、リアルゴールドの味を知って、ついにはハマっちゃったんだ〜」
「そうなんですね。風見先輩って、結構こういうところに来られているんですね。意外です」
「そう? 静かで、落ち着くよ〜。パソコンも使い放題で漫画も読み放題だしね。飲み物はもちろん、ソフトクリームも食べ放題だしね〜」
「へぇ! ネットカフェって良いところですねっ」
私は単純だった。
そもそも、ネットカフェの存在は知っていたけど、どういうところなのかまでは、詳しくわかっていなかった。
風見先輩の説明を聞く限りでは、夢のようなところだと思った。薄暗い店内も相まって、なんだか秘密基地みたい。
「——で。急に、和央ちゃんを強引に連れ出すような真似をしちゃったね。ごめんね」
空気が変わった。風見先輩は思いつめた様子で、私に向き直った。
「いえ。大丈夫ですよ。暇だったので」
「そっか。教室だったり、一緒に帰っている時に説明しても良かったんだけど……。手っ取り早く、ここに連れてきた方がわかりやすいかなと思ってね」
風見先輩は私にぐいと近づいた。壁に押し当てられたみたいになって戸惑ってしまう。逃げ場はなかった。
彼女とは目が合ったままだ。数秒、時が止まったみたいに、じーっと顔を見合わせる。そ、そんなに見つめられると、どうしていいかわからなくなる。
「か、風見先輩?」
「和央ちゃん……」
風見先輩の目がとろんとしてきた。まるでお酒を飲んだ後みたいだった。顔が赤い。
先ほどまでの、良い先輩像を取り外したように見えた。一体、何事!?
リアルゴールドにアルコールって、含まれていないよね!?
同じものを飲んだけど、至って私はシラフだ。だけど、風見先輩に熱い視線を向けられると、体が火照って、いつのも自分じゃないみたいになる。
ふにっ。
突然、風見先輩が私の頬を掴んだ。えっ。ちょっ。指先が冷たくて心地いいけども。
彼女の目は、まるで好きな人を見るような視線に思えた。
『もしかして、一目惚れされたのかもよ?』
ふと、みなみちゃんが言っていた言葉を思い出す。
風見先輩と私は、廊下で何度もすれ違うものの、目が合うだけで、特に何の共通点もない赤の他人だ。
そんな私をいきなりネットカフェに誘った上に、壁際に押しやっている今の状況は、明らかに普通ではないことがわかる。
まさか、風見先輩は、本当に私のことが好きなの?
そんなこと、あり得ない。
だけど、嬉しいと感じている自分がいた。この気持ちに嘘はつけない。
私は何を思ったのか、ゆっくりと目を閉じた。観念したということだろうか。




