7.焚火の夜
山の稜線に夕日が沈みかけていた。道は細くなり、木々の影が長く伸びていく。舗装は途切れ、車体が揺れるたび、ルルがシートを握った。
「そろそろ休もう」神野がミラー越しに言う。「この先は峠に入る。暗くなる前に食事を取ろう」
「了解っす!」岩尾が張り切る。
「助かる……もう腹減って限界」ラウスが腹をさすった。
車は小さな広場に停まった。古びた標識とベンチ、枯れ草のにおい。風が枝を揺らし、遠くで梟が一声、ホウと鳴いた。
火を起こすと、焚き火の明かりが全員の顔を照らした。蜂蜜入りの湯が湯気を立て、宗田が手際よくおにぎりを並べる。甘い香りと焼けた海苔の匂いが混ざり、空腹を刺激した。
「……うまっ」
「ね? この組み合わせ、最強でしょ!」ラウスが胸を張る。
「俺はまだ信じらんねぇけど、味は認めるわ」岩尾が笑った。
穏やかな空気が流れたあと、神野が口を開いた。
「それにしても――今日の“犬獣人”だ。あれはただの野生個体じゃない」
「確かに。あんなの、街の近くで見たことねぇっす」岩尾が頷く。
「なぜ現れたのか。偶然とは思えません」宗田の声が低くなる。
ルルが不安げに火を見つめた。
「……もしかして、誰かが操ってるの?」
「その可能性はありますね」神野が静かに答える。「“獣人狩り”を狙いとする組織が本当に存在するなら、彼らが放った個体かもしれない」
「けど、なんでここがわかったんだ?」ラウスが眉をひそめる。
「行き先、話したのって俺たちだけだろ」
岩尾が言う。「あとは人魚たちか」
みんなの視線がルルに集まり、ルルは慌てて首を振った。
「そんなこと、あり得ません!」
「わかってる」神野が優しく言う。その声は焚き火のはぜる音に溶けた。
沈黙。火の粉が宙を舞い、風が枝を揺らした。
遠くで蛙の声がかすかに響き、森の奥から梟の低い鳴き声が返ってくる。
夜気がしっとりと冷たく、焚き火の熱が肌を撫でた。
「……偶然、通りがかったのかもしれません」宗田が穏やかに言った。「この辺りは“人と獣の境界”が薄い土地。かつて多くの亜人が暮らしていたと聞きます」
「境界……」ルルがつぶやく。
「ええ。夜になると、普段見えないものが近づくこともあります」
火の粉が舞い、夜風が枝を揺らした。
「考えても仕方ねぇか。来たら叩きのめすだけだ」岩尾が豪快に笑い、場の空気を少し和ませた。
「それより、明日は峠越えっすね。青龍の湖、どんなとこなんだろ」
「伝承によれば、龍が棲むほどの霊域。人の手が入らぬ湖だ」神野が淡々と答える。
「龍か……会えたら、握手してもいいかな」ラウスが言い、皆が吹き出した。
夜はゆっくりと更けていく。岩尾が火の番を買って出て、ルルは毛布にくるまって眠った。宗田は静かに紅茶をすする。神野はその横でメモ帳を開き、星明かりの下で書きつけをしている。
ラウスは焚き火を見つめながら小さくつぶやいた。
「俺、もっと強くなりたい。ルルも、みんなも、ちゃんと守れるくらいに」
「強さだけでは守れませんよ」宗田がやわらかく言う。「けれど、志のある強さなら、信じるに足ります」
ラウスはうなずき、少し照れたように笑った。
月が雲の間を流れた。峠の風が冷たく、焚き火が小さく揺れる。東の空には、青龍の湖へと続く星の道が、うっすらと光っていた。
そのころ――。
薄暗い部屋に、低い機械音が響いていた。モニターには山中を走る黒いSUVの映像。誰かの手が、静かにスイッチを切る。
「人魚に熊獣人、そして精神干渉系……ずいぶんと珍しい素材がそろったものだ」
声の主は男だった。顔は見えない。闇の奥で煙草の火が一瞬だけ赤く灯る。
「情報が確かなら、全員が同じ車にいるらしい」
「まとめて捕まえられる、ってことか」
「そういうことだ。獣人狩りにとっても、今度こそ“最高の実験素材”だ」
部屋の奥の男がゆっくり笑った。
「いい。獣人、人魚、精神干渉者……。そろいもそろって、世界が望んでいた異種の見本市だ」
煙草の火が灰皿で消える。闇の中に、機械の警告灯が一つ、点滅した。
「準備を急げ。夜明けには峠を越えるらしい。迎えの部隊を出せ」
「了解。やつら今度こそ仕留めると張り切っています」
冷たい電子音が鳴り、画面の隅に小さな灯りが光った。




