16.蒼のたまご
――夜が明けていた。
焼け焦げた広間に、朝の光が差しこむ。まだ煙のにおいが残り、空気が重い。瓦礫の隙間から吹き込む風が、灰をさらっていく。
「……終わったん、だよな」
岩尾が呟いた。肩で息をしながら、壁にもたれる。制服の袖は破け、拳には血がにじんでいた。
宗田は周囲を見回す。
「生きてますね。全員。……まあ、なんとか」
ルルはラウスの傷口を押さえながら、安堵の息を吐いた。
「出血は止まった……もう大丈夫」
ラウスは目を閉じたまま、小さくうなずく。
「……なんとか、生き延びたな」
誰もが、言葉を失っていた。あの激戦のあとに残ったのは、瓦礫と息づかいだけ。
その静寂を破ったのは、かすかな靴音だった。
奥の影から、神野レイガ――《鴉》が現れた。黒い羽根は消え、ただ血に濡れた服だけが残っている。顔は蒼白で、唇が乾いていた。
「……立つか」
ラウスがかすかに身を起こす。神野は視線を落とし、淡々と告げた。
「おまえは、完全に獣化できるのだな」
「先生……」ルルが呼びかける。
神野の瞳が、一瞬だけ柔らかく揺れた。
「……教師ではいられなかった」
そう言い残すと、踵を返した。
「待て!」岩尾が立ち上がる。
「先生はなんであんなやつらと組んでるんだ」
神野は出口の前で一度だけ振り返った。その瞳には、感情があった。だがすぐに、それを押し殺すように目を伏せる。
「そのうち、おまえたちのことを研究してやる」
ほんの一瞬、口もとがゆるむ。
「生きていれば、だがな」
そう呟くと、黒い羽根がひらりと散り、彼の姿は朝の光に溶けた。
その後ろから、義眼の光が瞬いた。アルゴスが半壊した身体を引きずりながら立ち上がる。
「……目的、達成……データ、収集済み……」
電子ノイズの混じった声が続く。
「青龍……次は……」
「おまえ、まだ!」岩尾が拳を構える。だが、アルゴスの身体が一瞬にして崩壊した。金属の粉末となり、空気に溶けるように消えていく。
「自己分解……」宗田が呟く。「おそらく、上位機構へデータ転送完了後に自壊しましたね」
静けさが戻った。遠くで鳥の鳴き声が聞こえる。新しい朝が訪れようとしていた。
ルルが立ち上がり、ラウスを支える。
「……行こう。湖へ」
ラウスが頷く。「青龍のところか」
「うん。宝珠を返さないと」
*
湖の真ん中の島にある古い祠。
ルルの手の中では、青龍の宝珠が淡く光を放っていた。それはまるで、朝の湖面のように澄んだ光だった。
と、その光がふっと強くなった。空気が水のように揺らぎ、静かな波が広がる。
水底から水柱がどーんと立つ。その中から、声が響く。
――「よくぞ戻った。そして、久しいな、我が血を継ぐものよ」
全員がはっと息を呑む。目の前に、巨大な龍の姿が現れた。湖のような鱗、夜明けの光を映す眼。その存在だけで、空間が深呼吸する。
「青龍さま……」ルルが膝をつく。宗田と岩尾もルルに倣う。
龍の瞳が優しく細められた。
――「顔を上げなさい。そなたが蒼の宝珠の力を解いたのだな」
ルルは頷いた。「……はい。でも、壊してしまったかもしれません」
――「壊してなどおらぬ。あれは“たまご”だ」
「……たまご?」ルルが目を丸くする。
龍は微笑むようにうなずいた。
――「宝珠は我が子だ。ゆえに、それを持っていなさい。それがお前を守る。好きな場所で生きるがよい」
「え……ってことは、あれ、龍が生まれるってこと!?まじかぁ」岩尾が仰天の声をあげる。
「龍の卵から龍が生まれるのはなんの不思議もございませんね」宗田が返す。
ラウスは「だからなんだか生きてるっぽかったんだな」とラウス。
「でも……そんな、大切なもの……」
ルルの手の中で、宝珠がかすかに震えた。まるで「それでいい」と言っているように。
龍は少し目を細めた。
――「ただ、ひとつ気になる。なぜお前の“器”はそれほど小さい?」
「え……?」ルルが戸惑う。
龍の声は静かだったが、その響きは湖底まで届くように深かった。
――「お前は無意識に“成長”を拒んでいる。半分が人魚でありながら、人間の生を望んでおるのに。なぜ、体を閉ざした?」
ルルはゆっくり目を伏せた。
胸の奥が、何かに触れられたように痛む。
「……知ってしまって。ハーフマーメイドは、人魚ほど長生きできないって。だから――大人になりたくなかった。成長したら、きっと“終わり”に近づく気がして」
沈黙。
青龍の瞳が、優しく光った。
――「愚かではあるが、愛しい心だ」
ルルが顔を上げる。
「でも、もうこわくない。ラウスがいるから。ラウスが、勇気をくれたから」
宗田がそっと微笑んだ。「坊ちゃまも、少し似ておられますね」
岩尾がうんうんとうなずく。「怖くても前に出るとこ、な」
青龍の長い尾が、ゆるやかに揺れた。
――「よかろう。では、爺からの贈り物だ」
水の鱗のような光が、ルルの体を包む。衣が風に揺れ、髪がふわりと舞い上がった。
光が溶けると――そこに立っていたのは、以前より少し背の高い少女。その足元から、湖の水面に波紋が広がった。彼女の姿は水に映り、まるで新しい命が生まれたようだった。
輪郭は同じなのに、瞳が深く、頬が少しだけ大人びている。髪は波打ち、青い光を宿して揺れていた。
「……ルル?」ラウスが目を丸くする。
「えへへ……どう、かな」
頬を赤らめて笑うルルに、ラウスは固まった。
「……」
「……ラウス?」
見る間にラウスが消え、そこにちょこんとテディベアが座っていた。
「あ、あれっ!? ちょ、待っ――」
次の瞬間、小さな声が響いた。
「あああああ! やっちまったぁぁぁ! 」
叫ぶ声はたしかにラウスの声だがやけに小さい。
「ラウス。ぬいぐるみになるの? かわいいっ!」
ルルがラウスを抱き上げ頬ずりする。
「あーあ。きっとあれじゃあいつまでも復活できないだろうなあ」岩尾が笑う。
宗田がくすりと微笑む。「青春ですね」
ラウスはただあたふたとするばかり。
青龍が小さくため息をついた。
――「おまえは、こんなやつでほんとうにいいのか?」
ルルは笑った。
「うん。こんなやつが、いいんです」
龍の目が細められ、どこか満足そうに光る。
――「ならばよい。この世界にまだ“理”があることを、そなたたちが証したのだ」
岩尾がぽつりと言った。
「“理”って何度も聞いたけど、なんのことなのかいまいちわかんねぇな」
そして、にやりと笑う。
「でも、じいちゃんってのはいいもんだな。俺もかえってじいちゃん孝行するわ」
宗田がその言葉に目を細めた。
「坊ちゃまもですね。――グンザ様に会いに行く時が来たようです」
「……え?」
ルルが見下ろすと、彼女の腕の中のぬいぐるみが、ぴくりと動いた。
ラウス(ぬい)が小さな声で言う。
「ちょ、ちょっと待て、まだ姿が戻ってねぇんだけど!?」
「まぁ、坊ちゃまは坊ちゃまでしたらどんな姿でも結構です」宗田が静かに笑う。
岩尾が肩をすくめる。「旅の荷物、ひとつ増えたな」
ルルがくすっと笑い、ラウス(ぬい)を抱きしめる。
「大丈夫、ちゃんと連れてくよ」
「お、おい抱きしめるなって! 苦しいってば!」
風が静かに吹き抜ける。青龍の姿が薄れていく。その尾が最後に波打ち、光が消えた。ルルとラウスの肩に、青い羽のような光がふわりと落ちる。
朝の光が、完全に差しこんだ。世界は青く、澄みわたっていた。
そして、ルルの腕の中で――ぬいぐるみのヒグマが、ほんの少しだけ照れくさそうに耳を動かした。
ラウス・サーガ、青龍の湖編、これで完結です。




