13.水が命を生み出すように
血だまりのなかに、ラウスは沈んでいた。
「ラウスーーー!」
ルルの絶叫が、地下の広間に響く。けれどラウスは動かない。胸の上で、青龍の宝珠が鈍く光り、やがてその光も消えた。
アルゴスがゆっくりと近づく。白い靴音が血を踏み、義眼が淡く明滅する。冷たい金属の指がラウスの胸もとに伸びた。
「鴉。ご苦労様」
ラウスの胸から網袋を取り上げ、掌に乗せる。宝珠が淡く青光を放つ。
「これが……青龍の宝珠。美しいですね。――これで、調整への第一歩です」
アルゴスの義眼が静かに光り、どこか遠くへ映像を送信していた。淡いノイズが空気を満たす。
「このハーフマーメイドは、まだ生かしておきましょう。青龍への切り札に使えそうです」
そう言ってルルの腕をつかむ。
「やめて!」ルルが必死に振りほどこうとするが、ルルの力では逃れることはできなかった。
「おとなしくしていなさい。あれらのようにはなりたくないでしょう? 」
アルゴスが倒れ伏すラウスたちを一瞥する。
鴉はすでに天狗の姿を解き、神野の形に戻っていた。血に染まった床の上で倒れるラウスたちを見下ろす。その目に、もはや感情の色はなかった。
――だが、次の瞬間。
ルルがアルゴスの手から宝珠を奪った。
「おとなしくしてたら、ラウスたちが死んじゃうじゃない! 」
小さな体から必死に大きな声を出し、宝珠を両手に握りこむ。
「離しなさい!」アルゴスが怒鳴り、宝珠を持つ手をつかもうとする。
だが、その手は目測を誤ったかのように、ルルの髪先をかすめただけだった。
「なぜ」
義眼が激しく点滅する。
「青龍ノ血ヲヒク者カラ宝珠ハ奪エナイ……そういうことですか」
アルゴスの声が電子ノイズ混じりに震えた。
「だからほかの者たちに、宝珠をとって来させる必要があったのですね。青龍が自らの意志で渡すように」
ルルは振り返らずに走る。
「ラウス……お願い、死なないで!」
血の跡をたどって、ラウスのもとへ駆け寄る。倒れた体を抱きかかえ、震える手で頬を撫でる。
「ねえ、起きて……」
背後で、アルゴスが追いかけてくる。
だがその瞬間、
「おせぇんだよ!」
岩尾の声。気絶していたはずの岩尾が立ち上がり、全身の力で拳を振り抜いた。
ごん、と鈍い音。アルゴスの顔が傾き、義眼がちらつく。
「この……人間が……!」
「およ? 弱っちいんだな、こいつ」
アルゴスが鴉に助けを求めるように振り向く。
「鴉、拘束を――」
しかし、すかさず宗田が顔を上げた。血を流しながらも、その糸のような目を強く開く。
「三度目の正直です」
縦長の瞳孔が閃いた。鴉――神野の足がピクリとも動かなくなる。
「……効いた、だと?」神野が低く呻く。
宗田が小さく笑った。「天狗の羽がない今なら、負けません」
「鴉! 」叫ぶアルゴスをもう一度ごちんと殴って気絶させる岩尾。
「なんかその眼がいけ好かないんだよ。おやすみー」
ルルはラウスの胸の上に耳を当てる。でも鼓動が聞こえない。
「ラウス! 」
震える手に宝珠を押しあてた。
「お願い……力を貸して……!」
宝珠は何の反応も示さない。涙が頬をつたう。頬の血と涙が混じり、掌を濡らす。
「お願い……このひとを……わたしの大切な人を、連れていかないで……」
嗚咽にまじって、祈りのような声が漏れた。
その瞬間――宝珠の奥で、青い光がぱちりと瞬いた。
淡い光がルルの指の隙間からこぼれ出す。まるで湖面の月明かりが溶け出したように、静かに、優しく。光はやがて流れとなってラウスの胸に染みこみ、広間全体を包みこんだ。
空気が、水になった。冷たく澄んだ青が床を満たし、壁を流れ、すべての音が遠のいていく。ルルの髪がゆっくりと揺れる。涙の粒が宙に漂い、まるで泡のように宝珠の周囲で弾けた。その泡のひとつひとつが光を宿し、ラウスの傷口へと吸い込まれていく。水が命を生み出すように。
裂けた皮膚が閉じ、血の色が薄れていく。胸の奥で、微かな音がした。
――とくん。
ルルは息を呑む。その音は、もう一度、確かに響いた。
――とくん。
「……ラウス?」
彼の指先がわずかに動いた。冷たかった手が、ほんのりと温もりを帯びる。青い光が一度だけ明滅し、宝珠が穏やかに脈動する。まるで、彼の心臓と同じリズムで。
「……!」
ルルの吐息が震えた。頬を流れる涙が笑みに変わる。
その光景を見つめながら、宗田が息をのんで呟いた。
「人魚の癒し……」
水のような静寂の中で、ラウスの胸がゆっくりと上下をはじめた。




