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12.黒い翼は舞う

 「その通りです。人間は淘汰されなくてはなりません。さもなくばこの星を滅ぼすのです」

 ドローンと同じ声をした白いスーツの男が静かに歩み出た。右目の義眼が淡く明滅している。


 義眼の男の声は、感情を持たない電子音のようだった。

「わたくしはアルゴス。EOを構成するパーツです。我々は、この星の理なき進化を正すために、調整を行うのです」


「調整? 人類を……絶滅させるのが? 」ラウスが低く唸る。

「必要な犠牲です」アルゴスは微笑む。「美しい世界を取り戻すために」


 ラウスの胸の奥が熱くなった。

「ふざけんな。勝手に神様のフリして、人魚を泡にして、何が理だ!」

 拳を握る。宝珠の光が激しく瞬く。


「青龍の宝珠は、我々の計画に必要です」アルゴスが一歩前に出る。

「渡せば、あなたの大切な人魚は返しましょう」


 ルルが連れてこられた。腕を縛られ、顔は涙で濡れている。

「ラウス……だめ、渡しちゃ……」


「ルル!」ラウスが叫ぶ。

 アルゴスが手を上げる。「交換にして差し上げましょう」


「やってらんねぇ……!」ラウスが吠えた。

「宝珠を何に使うか知らねぇけど、おまえらに渡すわけにはいかねぇ!」


 義眼の光が強くなる。空気が凍りついた。岩尾が身構え、宗田がその眼を開く。


「手がかかりますね。鴉、お仕置きしなさい」

 アルゴスの声が低く響く。神野が眼鏡を外した。


 風が巻いた。黒い羽が宙に舞う。神野の背中から、漆黒の翼が広がった。つやのある美しい黒い羽根にはその髪と同じく銀のメッシュが入り、大天使のように背中に広がる。顔の下半分は黒い嘴のようなもので覆われた。青みがかった瞳が今は真っ赤に変わっている。

 

 「天狗……」宗田が思わず声をもらした。


 羽ばたきが爆風を起こし、床の破片が宙を舞う。

 ラウスが目を見開く。

 「先生……本当に、敵なのかよ!」


 返事はなかった。

 ただ、神野――いや、《鴉》の翼が大きく広がる音だけが響いた。黒い羽が一枚、ふわりと落ちる。その切っ先が床に触れた瞬間、空気が震えた。


 ラウスの心臓が脈打つ。

(やっぱり先生じゃねぇ……)

 怒りと悲しみがごちゃまぜになり、胸の奥が焼ける。


 次の瞬間、風が弾けた。鴉の姿が消え、ラウスの視界の端で黒い影が閃く。床をかすめる爪。髪をかすめる冷気。反射的に後ろへ跳ぶ。

「くっ……!」

 頬に浅い傷。血の匂いが漂う。


「速ぇ……!」岩尾が唸る。「目で追えねぇ!」

「下がって!」宗田の声が鋭く響く。糸のような目が縦に開き、瞳孔が蛇のように細くなる。


 鴉が再び動こうとした瞬間、空気がぴたりと固まった。宗田の視線が貫いた。だが鴉は薄く笑う。

「その程度の力では、私の羽は止められん」


 羽ばたきとともに、拘束が砕ける。黒い風が爆ぜ、宗田がよろめいた。

「宗田!」ラウスが叫ぶ。

「問題ありません……少しだけ、重い風です」宗田が体を支えながら笑った。


 「ラウス!」岩尾が前に出る。「行け! お前しか止められねぇ!」


 ラウスはうなずいた。胸の前で握った拳の下、網袋に入った青龍の宝珠が強く光る。青い輝きが首もとから脈打ち、血潮のように全身をめぐった。骨が軋み、筋肉が隆起する。制服の裂け目から、淡い焦茶の毛が伸びる。指先には黒い爪、牙が覗く。耳がわずかに上がり、瞳の色が琥珀に燃えた。


 ――ヒグマ獣人。人の形を保ちながら、獣の力を宿す。ヒグマと少年の狭間、その均衡が、火花のようにきらめいた。


 床を蹴る音が炸裂する。鴉の赤い瞳と、ラウスの琥珀の瞳がぶつかり合った。


「先生。あんたがどんな理屈を並べても――俺は、人を信じる!」


 咆哮が爆ぜる。風が割れ、翼と拳が激突した。黒と茶の残像が交差し、鉄骨が鳴り、光が散る。


 アルゴスの義眼が淡く明滅した。

「送信、開始。記録対象:ヒグマ獣人。戦闘開始」

 その声はどこまでも冷たく、まるでこの世界そのものを解析しているかのようだった。


 森の上空に雷鳴が走る。


 ラウスは、咆哮とともに拳を振るう。だが――鴉は、風のようにかわした。漆黒の翼が一閃。刃のような羽根が飛び、コンクリートを抉る。すれ違いざま、ラウスの肩を裂いた。鮮血が飛ぶ。


「速ぇ……!」

 岩尾が反射的に飛び出す。拳を構え、真正面から突っ込む。


 その瞬間、鴉の赤い瞳がわずかに細められた。黒い翼がひるがえり、空気を切り裂く。低く、冷たい声が響いた。

 「……ケン、ゴー」


 風が爆ぜた。岩尾の体が宙を舞い、壁に叩きつけられる。鈍い音と共に床が震えた。


「ぐっ……なんだよ、俺は犬じゃないって言っただろう……」

 岩尾が崩れ落ち、意識を失った。


 ラウスの目が見開かれる。

 「岩尾……ッ!」

 怒りが胸の底で爆ぜた。ラウスは床を蹴り、鴉に突進する。

 だが、黒い影はふわりと舞い上がった。天井の高い広間に風が渦を巻く。鴉の翼が音もなくはためき、空を切り裂く。


 「飛んだ……!」

 ラウスが見上げる。視界の上、逆光に黒い羽根がきらめく。


 鴉が空中で静止し、嘴の奥で低く笑った。

 「ヒグマに、空は届かん」


 次の瞬間、黒い閃光が落ちた。直下――鋭い脚が襲いかかる。ラウスは地を蹴ってかわす。床が砕け、破片が飛ぶ。風圧だけで頬が裂ける。

 もう一撃。今度は真上から斜めに。羽根の刃が唸りを上げ、石柱を斬り裂いた。避ける。避ける。だが――


 「ぐっ……!」

 わずかに遅れた。鴉の蹴撃が脇腹をとらえ、骨が軋む音がした。息が詰まり、膝が沈む。空気が抜ける音だけが耳に残る。ラウスの視界が一瞬、白く弾けた。

 

 「坊ちゃま!」

 宗田が前へ出た。糸のような目がすうっと縦に開き、瞳孔が細く光る。その視線が鴉を射抜き、空気が凍りつく。


 鴉の動きが一瞬止まる。

 ――しかし、すぐに翼が鳴った。黒い羽根が風を巻き、拘束を砕く。


 「何度やっても同じことだ」

 低く、冷たい声。


 直後、黒い風が炸裂した。宗田の体が宙を舞い、壁に叩きつけられる。硬い音が響き、糸目が一瞬だけ開き、光を失った。


 「宗田ァッ!」ラウスが叫ぶ。

 声が広間に反響し、どこまでも虚しく消えていった。


 目の前が真っ赤に染まった。怒りが思考を焼き尽くす。ラウスは叫び、拳を振るった。鋼のような拳が火花を散らす。


 だが、鴉は軽やかに拳を避け、黒い翼が舞うようにラウスを痛めつける。

 黒い羽が一枚――頬を裂いた。

 もう一枚が脚を抉る。

 そして三枚目が、胸を貫いた。


 衝撃。体が浮き、背中が壁を砕く。血の味が喉を満たす。視界がぐらりと傾く。


 「……先生……っ、ふざけんなよ……! 俺は、まだ――!」

 立ち上がろうとした瞬間、鴉がゆらりと降り立った。


 「まだ抗うか」

 その声には怒りも喜びもなく、ただ深い諦めがあった。

 「ラウス。おまえもこちらへ来ればいい。愚かな人間に縛られる理由などない」


 ラウスが唸る。「……誰が……おまえなんかに……!」


 鴉は視線を伏せ、わずかに息を吐いた。

 「残念だ。――せめて苦しまぬようにしてやろう」


 黒い羽がひらりと舞った。

 次の瞬間、空気が裂けた音とともに、鋭い翼がラウスの背を貫いた。


 熱が走る。呼吸が止まる。胸で宝珠が脈打ち、淡い青光が滲んだ。


 「……ル、ル……」

 言葉にならぬ声が漏れ、ラウスの体がゆっくりと崩れ落ちる。


 黒い羽根が散り、静寂が戻った。鴉は一瞬だけ目を伏せ、そして冷たい声で呟いた。


 「眠れ、ラウス」



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