11.コードネーム「鴉」
湖畔に朝霧が漂っていた。
花柄シャツの男はトラックの影に押しつけられ、両手を縛られている。
取り戻した宝珠は、宗田の手で小さな網の袋に入れられ、ラウスの首から下げられている。ラウスがしゃがみ込み、鋭い目を向けた。
「知ってることを全部話せ」
低く、唸るような声。毛がわずかに逆立つ。
「話したって人魚は助かんねぇぞ……!」
花柄シャツが震えながら笑う。
「EOには敵わないんだ」
「EO……」ラウスが襟をつかんだ。「そいつらがルルをさらったのか!?」
「ぐっ……知らねぇって言ってるだろ!」
男の顔がみるみる青ざめていく。
ラウスの握力が無意識に強まった。拳の骨が軋む。
「教えろよ! あいつらどこにいる!」
「坊ちゃま」宗田の静かな声が背後から飛ぶ。
「それでは、何も引き出せません」
ラウスは息を荒くして手を離した。「……なら、どうすりゃいいんだよ」
宗田が一歩前に出る。糸のように閉じていた目が、静かに――開いた。その奥で、黒曜石のような瞳孔がすうっと縦に裂ける。光が差し込み、まるで蛇が朝の光を呑み込んだようだった。
「お手本をお見せしましょう」
空気がひやりと凍る。花柄シャツが怯えて後ずさった。
「な、なんだよ……その目……」
宗田の声は低く、澄んでいた。
「まずは脚」
その一言で、男の膝ががくりと折れた。立とうとしても、足が地面に縫い付けられたように動かない。指がわずかに動く。
「次に手」
花柄シャツの腕がぴたりと止まった。
「ひ、ひぃっ!?」
男の瞳孔が見開かれる。
「口が動かないとお話ができませんね」宗田は淡々と続ける。
「心臓を止めるのは……あとにいたしましょうか」
「ま、待て! わかった! 話す、話すから! 勘弁してくれ!」
花柄シャツが必死に叫んだ。
宗田が微笑んで一歩下がる。「どうぞ」
岩尾が思わず一歩後ずさりながら、ぶるっと体を震わせた。
「……こえええええ」
男は喉を鳴らし、吐き出すように言った。
「やつらは……EOって呼ばれる組織だ。世界中にある“宝珠”を集めてやがる。何のためかは知らねえ。ただ、自分たちでは直接、宝珠を手に入れられねぇらしい」
「おまえたちとの関係は?」宗田が問う。
「俺たちは、おこぼれをもらうだけだ。命令に逆らうと“お仕置き”される。ボスから犬獣人を使わせてもらったが、元はEOかららしい。それもあんたらにやられちまって……」
ラウスは拳を握りしめた。「ルルをさらったのも、そいつらだな」
「たぶん……。本命は、青龍の宝珠だ」
宗田がうなずく。「なるほど。目的は宝珠、手段として獣人を利用する……」
「それで、俺たちも狙われたわけだな」岩尾がぼそりとつぶやいた。
霧の中、宝珠が青く脈動する。ラウスの胸の奥がざらりと焼けた。
「EO……。いったい何者だよ」
*
その瞬間、空から音もなく何かが降りてきた。薄い銀色の円盤――ドローンだった。風を切る音ひとつ立てず、静かに空中に浮かんでいる。
「……なんだあれ。全然音がしねぇ」岩尾が眉をひそめた。
「いつからいた……?」
ドローンの中心部が光り、合成されたような声が流れた。
――“青龍の宝珠を持って来てください。さもなくば、人魚は消えます。”
声は冷たく、機械的な抑揚すらなかった。
「ルルを返せッ!!」
ラウスが叫んだが、返答はない。代わりに、ドローンがふわりと上昇し、ゆっくりと森の奥へ動き出す。
「行けってことか」岩尾が言う。
「誘導されていますね」宗田が淡々と答える。
ラウスは拳を握りしめた。手の中で、青龍の宝珠が淡く脈動している。
「罠でも構わねぇ。ルルがいるなら行く」
その瞳が、朝霧の中で赤く光った。
彼らはドローンを追った。森の奥、岩壁に覆われた一角に、それはゆっくりと降りていった。木々の影に隠れるようにして、黒い鋼の扉がある。扉の前に立つと、ドローンが一瞬光り、低い機械音が鳴った。
――ガコン。
地面がわずかに揺れ、扉が横にスライドして開いた。その奥には、冷たい風とともに下へ続く階段。青白い非常灯が、延々と闇の底へと続いていた。
「地下かよ……」岩尾が息を呑む。
「どうやら、“お招き”のようですね」宗田が皮肉っぽく言った。
「行くぞ」ラウスが短く言う。ラウスの胸で、宝珠が再び強く光った。
*
階段を下りた先、その奥の広間で――神野レイガが待っていた。
黒髪の銀メッシュが光を反射し、白い蛍光灯の下で鈍く輝く。
表情は静か。だが、その瞳の奥にはかつての温かさがない。
「先生……!」
ラウスが駆け寄ろうとした瞬間、宗田が腕をつかんだ。
「落ち着いてください」
「先生は俺たちを裏切ったのか?」ラウスの声が震える。
神野はゆっくりと答えた。
「裏切った? 心外だな。もとからお前たちの仲間ではない」
ラウスと岩尾が目を見開く。
「俺はたしかに“神野レイガ”だが、コードネーム《鴉》という、EOの地上監視員でもある」
「監視……員?」岩尾が眉をひそめる。
「俺たちの味方をしてくれたじゃないか!」ラウスが食い下がる。
神野は、かすかに口の端をゆがめた。
「味方? 違う。観察していただけだ」
白い蛍光灯が彼の眼鏡の奥を冷たく光らせる。
「俺の任務は、人間が分不相応な力を手に入れようとしたとき、それを報告し、止めることだ。たとえば、人魚の血を使って不老を得ようとするような行為だ」
その声は静かだが、奥に熱がある。
「観察を続ければ続けるほど、わかる。人間は愚かだ。救いようがないほどにな」
「でも……でも、先生はルルを守るって言ったじゃないか。一緒に青龍の湖に行くって」
ラウスの声はかすれ、拳が震えていた。
神野はわずかに眉を動かし、低く答えた。
「――ルルが青龍の血をひいていると知って、方針を変えた。青龍の宝珠を手に入れるため。それだけのことだ」
ラウスも岩尾も息をのむ。蛍光灯の白い光が、冷たい刃のように床を照らしていた。
「じゃあ……花柄シャツが言ってたことは、本当なのか?」
ラウスが絞り出すように言った。
「先生が、人魚のマリーを殺して、泡にしたって――」
神野は一瞬、目を伏せ、静かに言った。
「あれは、もう弱っていた。放っておけば、また愚かでしつこい人間どもの手に渡る可能性が高かった。それを防いだだけのことだ」
宗田が一歩前に出た。糸のような目がわずかに開き、冷ややかに光る。
「あなたの中で理は通っているのかもしれません。ですが――坊ちゃまをだまして利用したことに変わりはありません。信じていたのですよ、彼は」
その言葉に、神野の瞳がほんの一瞬だけ揺れた。だが、すぐに押し殺すように口元を歪める。
「……ヒグマ獣人とは、貴重な存在だ。あなたのその眼も。実物をこの目で見られたこと――それは、研究者として興奮したのも確かだ」
ラウスの喉が鳴った。
「……先生」
その声には怒りとも悲しみともつかない震えが混じっていた。
「人間は淘汰されなくてはならない」
神野は自らに言い聞かせるように冷たく告げる。
「その通りです。人間は淘汰されなくてはなりません。さもなくばこの星を滅ぼすのです」
ドローンから聞こえたのと同じ声がした。現れたのは白いスーツに義眼の男だった。




