第27話 断糸
光の奔流が世界を焼き尽くした。
上下の感覚も、音も、熱も、すべてが混ざり合い、ただ白い渦が続いている。
その中で、レンは必死に母の手を掴んでいた。
だが、糸が焼ける匂いがする。
手が震え、糸がひび割れのように光を散らす。
「くそっ……切れるな!」
叫びながら、レンは手首を返す。
ラインテンションを調整するように、腕の角度を変え――
それはまるで、大物とのやり取りのようだった。
――バックに引けば切れる。
――前に出せば、呑まれる。
その“駆け引き”の中で、レンはようやく理解する。
釣りとは、奪うことではなく、“繋がる”ことなのだと。
その瞬間、焼け落ちかけていた糸が、かすかに青く輝いた。
父の声が、遠くで響く。
「合わせるな。導け。――あれはおまえの運命だ」
レンの瞳に、迷いが消えた。
糸を握る。だが、力は抜く。
水面を漂うフライをそっと流すように――
光の糸が、優雅な弧を描いた。
やがて白い渦の中に、ひと筋の黒い影が舞い降りる。
リュシアだった。
彼女の羽は半ば焼け、血が滴っている。
「もう限界よ! このままじゃ〈空〉ごと崩れる!」
「母さんが……あそこにいるんだ! あと少しで届くんだッ!」
リュシアの表情が歪む。
そして、痛みをこらえるように目を閉じた。
「あなたの糸はまだ“導き方”を知らない。
そのまま引けば、母も、あなたも引き裂かれる……!」
彼女が残る羽をひるがえす。
六枚の羽が淡く蒼く光り、周囲の光糸を吸い上げ始めた。
「リュシア、何を――」
「“翼の解放”。
天の結界を、ほんの一瞬だけ、断ち切る……!」
――断糸。
天を覆う“神の糸”が、一瞬で断ち切られた。
眩い閃光。
〈空の向こう〉を支えていた光の網が崩壊し、空が砕ける音が響く。
蒼の光が世界を満たす。
無数の糸が震え、神々の網が歪む。
リュシアは羽を広げたまま、震える声で言った。
「レン、あなたの“糸”を信じて。
――合わせるんじゃない、“導く”のよ」
レンは深く息を吸った。
放たれた光の糸はフライキャストのループのように空を舞い、飛んでいく。
「……届いてくれ……!」
母の姿が手の届く距離に現れた。
だが次の瞬間、神々の光網が再びうねりを上げた。
リュシアが叫ぶ。
「間に合わない――っ!」
爆発のような衝撃。
レンの視界が白く弾ける。
母の手が、あと少しのところで光に飲み込まれた。
「――母さん!!!」
沙耶の姿が霧散し、残されたのは、彼女の髪に絡まった一本の光糸だけ。
〈空の向こう〉が崩壊を始めた。
白い光が空を満たし、すべての糸が弾け飛ぶ。
レンは母の姿を見失いながらも、手を伸ばしていた。
「母さん――!」
その瞬間、強烈な光が弾け、身体が宙へと放り出される。
何も見えない。
ただ、風と光の奔流の中で、誰かの手が彼の腕を掴んだ。
「――離れないで!」
その声に、レンは目を見開く。
リュシアだ。
彼女の翼は千切れ、片方だけがかろうじて残っている。
それでも必死に、彼の手を握っていた。
「リュシア!」
「大丈夫……離さない……!」
その言葉を最後に、二人の体は光の裂け目へと吸い込まれた。
――落下。
耳を裂く風。
意識が遠のく。
だが、レンの指先から放たれた一本の糸が、ふたりの体を包み込んでいた。




