第17話 堕ちた翼、帰還の光
夜が、崩れ落ちた。
塔の外壁を覆っていた光の層が、まるで紙のように裂けていく。
空の彼方から、黒い羽が雨のように舞い降りていた。
それは夜そのものが生き物になって降りてくるかのようだった。
「来た……!」
カレイドが杖を掲げ、塔の紋章を起動させる。
床から光の輪が広がり、結界が再展開される。
しかし――音を立ててひびが走る。
黒翼たちは、まるで光を喰らうように滑空していた。
「レン、下がって!」
マルタの叫びが響く。
次の瞬間、窓の外が閃光で弾けた。
爆風が塔を貫き、石片が宙を舞う。
レンは吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。
耳鳴り。光の残像。
目の端で、黒い影がいくつも降り立つのが見えた。
翼の根元に金属の装甲。人の形をしているが、瞳には光がない。
「標的、確保対象レン=カミナギ……確認。」
低い声。
冷たい仮面のような兵たちが、塔の内部へ進入してくる。
マルタが護符を放つと、紫の炎が彼らを包んだ。
だが黒翼は怯まず、炎を切り裂いて迫る。
「チッ、こいつら……!」
「マルタ!」
レンが駆け寄ろうとした瞬間、足元に細い“糸”が見えた。
空気の中に、まるで光が縫い込まれたように。
心臓が跳ねる。――見える。
あの日、母を奪った“あの糸”だ。
「……なんで、こんな時に……!」
レンは思わず掴もうとする。
だが触れた瞬間、指先が焼けるような痛みを覚えた。
糸が彼の存在を“捕捉”する。
上空から、無数の光条が降り注いだ――。
バシュッ!!
轟音と共に、塔の天井が吹き飛ぶ。
夜空の裂け目から、まばゆい白光が射した。
その中に、ひとりの影が立っていた。
――リュシア。
彼女の翼は白と黒が混ざり、半ば焦げたように歪んでいた。
その手には神族の剣。だが、その刃先は黒翼たちへと向けられている。
「目標識別――反逆者リュシア・フェイン。拘束対象に追加。」
「ふざけないで。」
リュシアの声が冷たく響いた。
一瞬で距離を詰め、光速の剣閃が走る。
黒翼の一体が真っ二つに裂け、白い火花を散らして消滅した。
レンはその光景に息を呑んだ。
“敵”だと思っていた存在が、自分を庇っていた。
彼女の表情は凛として、しかし苦しげでもあった。
「どうして……来たんだ……?」
「命令に背いた罰なんて、もうどうでもいいわ。」
リュシアは振り返らずに言った。
「次はあなたが糸に囚われる番だった。……そんなの、見たくなかった。」
塔が悲鳴を上げる。
結界が完全に崩壊し、天井の光が渦を巻く。
リュシアはレンの腕を掴み、羽ばたいた。
爆風が背中を押し上げる。
視界が白に染まり、次の瞬間、地上が遠ざかっていく。
「マルタ! カレイド!」
「行け! 少年を連れて――!」
カレイドの声が、崩れゆく塔の中から響く。
マルタは倒れた柱の影でレンたちを見送り、唇を噛みしめた。
――レンを、頼むよ、リュシア。
風が裂ける音の中で、リュシアは必死に翼を動かしていた。
空気が焼け、血の匂いが混じる。
彼女の翼はもう限界だった。
「……降りる、リュシア!」
「黙って。あと少しで、雲の上に出る……!」
光の海を突き抜けた先、朝焼けの空が広がっていた。
太陽の縁が、遠くの山の上から顔を出す。
リュシアの翼が力尽き、二人はゆっくりと落下していく。
レンは腕を伸ばし、
――彼女の手を、しっかりと掴んだ。
「離すな……」
「離さない!」
地面に叩きつけられる寸前、マルタが結んでくれた紐が僅かに光った…。
風が止む。
二人は草の上に転がり、息を荒げた。
頭上では、白い羽が一枚だけ、ふわりと舞い落ちてくる。
それが、まだ壊れていない“希望”の象徴のように見えた。




