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神釣り ―天を裂く糸―  作者: おかゆフィッシング


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第15話 分岐の音

天空 — 監察局の間


 戻ったとき、エリュシオンの空気はいつもより冷えていた。

雲の結晶が淡く砕け、床に細かい光の粉が落ちる。

 リュシアは足音を忍ばせながら監察局へ向かった。胸の中は重く、言い訳のための言葉は既に用意していなかった。


「リュシア・フェイン、入れ。」


 アーゼル――円卓の主席が静かに命じる。白銀の髪に老成の気配が混ざるその顔は、いつもより厳しかった。

ミラが隣に立ち、黒曜のような瞳でこちらを見つめる。空間には既に全記録のリプレイが浮かんでいる。

 リュシアは自分が地上で見たもの、言ったこと、そして言えなかったことを思い出す。


「報告をせよ。行動の理由を、簡潔に。」


リュシアは深く息を吸い、沈着に話し始める。だが声はいつもの冷静さを保てなかった。


「対象に接触しました。視認と一時的干渉を確認。糸は接触後に一時消失し、対象が危険な接触をしました。私は、彼を逃がすよう指示を出し、現場から撤退しました。」


 アーゼルの指が小さく震えた。ミラが低く唸る。


「『逃がす』とはどういう意味か。お前は命令を破ったのだな?」


「命令は『観察継続』――しかし対象が直接糸に触れ、即時焼却の危険が生じました。私は即時駆除を命じるには早いと判断し、観察不能と報告するよりも――生存の余地を与えたかったのです。」


 無言の時間が重い。

上席たちの顔は、苛立ちや軽蔑で変化していく。アーゼルの唇が硬く結ばれる。


「お前の感情論が作戦を危うくした。

『慈悲』は神界に不要だ。

我々の立場は秩序の維持だ。

混血・特異体が増えれば、下界の不安は加速する。具体的に言えば、お前は何をした。

誰と交信し、何を渡した?」


 リュシアの胸が冷たくなった。交信も渡した物もない。

だが彼女は、あの瞬間レンの目を見てしまった。

何の説明もできない。

代わりに小さな真実を吐いた。


「――私は命令に背き、対象に――警告を与えました。」


その言葉が会議室で落雷のように響いた。

ミラの顔が完全に硬直する。

アーゼルの瞳が冷たい刃のように光った。


「警告、か。許可されぬ行為だ。

だが即座に駆除という手続きを踏まずに済んだのは事実だ。

問題は、なぜお前がその判断を下したかだ。

情状酌量の余地があるのか、あるいは同調か。」


「同調ではありません。

わたしは――わからなかったのです。

あの子の目を見て、何かが、自分の中で動いた。命令以前の『何か』が。」


 アーゼルは静かに立ち上がる。全員の視線が集まる。


「よかろう。判断を下す。

処分は下すが、完全な除名は現時点では適当でない。

お前には監視を付ける。

次回、正当な理由無く命令に背くならば、お前は天界の記録から抹消される。

だが同時に、我々は次手を打つ。

『黒翼』を現場に派遣する。

彼らは迷いを知らぬ狩人だ。

次はお前の救済が効かぬだろう。」


 リュシアは言葉にならない声で頷いた。

胸に冷たい炎が宿る。

彼女は罰を受ける覚悟より、これでレンが守られる保証が皆無になったことが恐ろしかった。


「報告を残す。監察局は今回の記録を精査し、地上側の動向を強化する。

リュシア、貴様は当面“監視下任務”に就け。出撃は許可制とする。」


 監察局の空気が引き締まる。

 リュシアは立ち去るとき、ミラの冷たい一言を聞いた。


「情に流されたか。いいだろう。

そこまでお前が堕ちたのなら、次にどうなるか自分で見届けよ。」


 リュシアは無言で扉を出た。

心の奥で、レンに伝えられなかった言葉が震える。



地上 — 白の塔へ


 リュシアが消えた夜、村はまだ薄暗い。

だがレンたちの中ではもう行動が始まっていた。

 マルタは戸棚から古い地図を取り出し、ランタンの火で境界線をなぞる。


「東の森。白の塔。そこは古い庇護所よ。

わたしのおばあちゃんが言ってた。

外からの目を欺く術が残ってる。」


マルタの声には震えがない。決意がある。


 レンは荷物を背負う。

中には、父の残した5本継ぎのパックロッドとリール、フライが刺さった小さなフェルトの包みと水袋。


 村に仮面のように平常を装う者たちもいるが、助けてくれる余裕など誰にもない。

噂も不安も彼らを束縛する。だからこそ、二人で出るしかない。


「村を出るときは、夜明け直後だ。

人の目が薄い時間に移動する。

白の塔へは、古い獣道を使う。

道中、隠れ場所はいくつも用意した。」


マルタは簡潔に計画を話す。

レンはただ頷く。言葉は少ないが、決意は固い。


 村を離れる前に、二人は小さな儀式をした。マルタが古い布を指先にこすり、レンの手に小さな護符を結びつける。


「これはただの紐じゃない。見えぬ糸に抵抗する結びよ。完全じゃないけど、少しは助けになる」


レンはその紐を握りしめた。


布の匂いは、どこか母の使っていたタオルに似ていた。


「行こう、レン」

「うん」


 二人は影のように村を抜け、東へと向かった。森の縁で、レンはふと空を見上げる。

夜空のどこかに、黒い影が蠢く気配を彼は嗅ぎ取った。


「黒翼……かもしれない。」


マルタは小さく震えながらも、前を向く。

足取りは速い。


 背後、村の屋根の上で一筋の光が短く走る。空の奥で何かが動いた。


二人はそれを知らない。

知らないまま、旅路を進める。



 監察局で流された短い報告の一文が残る。


「対象、未確保。黒翼派遣準備。監視継続。」


それは、天界の動きが加速したことを意味していた。


 レンとマルタの旅は始まった。

だが、その背後で、天界の刃は既に振り下ろされようとしている。


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