『記録の森の白雪姫』罪に記されたわたしと、皮肉な美青年の謎—咎の上に咲く花ー【完結記念】
『罪に記されたわたしと、皮肉な美青年の謎ー咎の上に咲く花ー』の完結記念として、本編では語られなかった“もしも”の物語を、童話のかたちで描きました。
本作の報道官、リシュアンを「白雪姫」に見立てていますが、彼は一筋縄ではいきません。
予定調和的に与えられた“毒林檎”と、“記録”の構造が、ひとつの口づけによって、ほんの少しだけ予定を外れ、 消されかけた名前が──もう一度、世界に受け取られる。
そんなおとぎ話です。
【場面:王宮内・謁見の間、漆黒の鏡の前】
アデルは玉座の間の一角、重厚な緞帳に囲まれた"鏡"の前に立っていた。
鏡面は静かに揺らめき、淡い銀色の光を放っている。
【アデル(継母役)】
「鏡よ鏡。この王国で──誰がいちばん、正しく、美しい?」
しばしの沈黙ののち、鏡の中から静かな声が返ってくる。 どこか神官のような、しかし妙に皮肉めいた響きを持った声だった。
【ルドヴィス(鏡)】
「……昨年までは、あなた様でした」
「ですが、正しさとは記録の如し。移ろうものでもあります」
【アデル】
「……何が言いたい」
【ルドヴィス】
「"いま最も美しく、正しくある者"──それは、森に住まう青年」
「名はリュシアン。彼の声は澄んで、誰よりも深い問いを投げかけています」
「そして、その問いは、国の秩序にすら届く力を持ち始めました」
【アデル】
「……森の、誰だって?」
「そのような記録、見た覚えはないが?」
【ルドヴィス】
「そう。記録には、まだ"記されていない"のです」
「ですが、記されざる者こそが時に構造を揺らすもの。お気をつけて」
アデルの手が、玉座の肘掛をきつく握る。
【アデル】
「……其奴を"消せ"。その名が記録される前に、すべてを消去しろ」
【ルドヴィス】
「では、第一章を始めましょう。これは、記されなかった者たちの記録──」
鏡の奥で、頁が一枚めくれる音がした。
◇
【場面:森の道端・午後、リュシアンが資料整理しているところ】
リュシアンは倒木に腰掛け、帳面を手にしていた。
額に薄っすらと汗が浮かび、時折ペンを持つ手を止めては深く息をついている。
日が傾きかける森の中、小鳥たちがさえずる横で、静かな時間が流れていた。
そのとき──草を踏む音が近づいてくる。
【ナディーラ】
「まあ、こんなところでお会いするなんて。偶然ね」
リュシアンは一瞬だけ顔を上げるが、表情は変えずに帳面を閉じた。
その動作がわずかに緩慢で、普段の彼らしくない。
【リュシアン】
「……用件をどうぞ。偶然を信じるほど、楽天的ではありません」
ナディーラは唇を吊り上げて笑い、籠を持ち上げる。
【ナディーラ】
「随分とお疲れのようね。顔色も優れないし……森で採れた林檎はいかが?」
「甘くて香りもいいし、体力回復にも効果的よ」
リュシアンの目が、林檎へと落ちる。 艶のある赤。だが──光の当たり方が、どこか不自然だった。
【リュシアン】
「……生産者の記録はありますか?」
【ナディーラ】
「……は?」
【リュシアン】
「最近の青果には、出荷記録と産地票が付くのが普通です」
「それがないということは、違法な流通品という解釈になりますが」
ナディーラの口元がひくつく。
【ナディーラ】
「……ふふっ、冗談も上手なのね」
「毒なんて入ってないわ。気になるなら──ほら、私が味見してあげてもいいのよ?」
【リュシアン】
「お気遣いなく。あなたの"味見"ほど、信用ならないものも珍しい」
ナディーラが一歩前に出る。
【ナディーラ】
「まあ……本当に警戒心が強いのね。だからこそ、殿下はあなたを──」
【リュシアン】
「それ以上は。"使者"なら、使命だけ果たしてください」
一触即発の空気が、枝の揺れに溶けていく。
【ルドヴィス(どこからともなく)】
「第二章:林檎の献上失敗。記録完了。次章へ移行する」
◇
ナディーラを冷たくあしらい、扉を閉めた直後。
【リュシアン】
「……やれやれ。もう来ないといいんですが」
その声が終わらぬうちに、ふらりと身体が傾ぐ。 額に触れた指先は、ほんのり熱を帯びていた。
【リュシアン】
「……っと、これは……しまった」
そのまま、玄関に倒れる。
【ドック(症状の逐次記録係)】
「し、心配ですぞ……! 症状を記録せねば!」
【ハッピー(救急草担当/ポジティブ記録官)】
「誰か、薬草を!」
【グランピー(記録基準の遵守担当)】
「ぬるま湯で額を冷やせ!手順を確認しろ!」
その混乱のさなか、扉がそっとノックされる。
【リア(王子)】
「こんにちは。……通りすがりなんですけど」
「騒ぎ声が聞こえたから」
「ちょうど林檎を、貰って……その、役に立つかなと思って」
【ドック・ハッピー・グランピー】
「救世主きたー!!」
◇
慌てて通されたリアが、持参した林檎で手際よくすりおろしを始める。
一口分をスプーンにすくうリア。そして、ふと躊躇する。
【リア】
「念のため、私が先に味見しよう」
──スプーンを口に入れるリア。
【リア】
「…………」
【ドック】
「……どうです? 効能を記録いたします」
【リア】
「……なんか、甘い……けど、舌の奥が、しびれ──」
バタッ!!
【ハッピー】
「──おい、王子のほうが倒れたぞ!!?」
【グランピー】
「どうすんだよ!!手順が全部狂った!」
【ドック】
「お二人とも落ち着いてください。状況を整理しましょう」
……と、そのとき。 昏睡していたリュシアンの指が、わずかに動く。
【リュシアン】
「……うるさい……なんですか、この騒がしさ」
目を開け、隣で倒れているリアに気づく。
【リュシアン】
「……君、何やってるんですか」
「まったく、僕が倒れる予定だったのに」
ため息をひとつ。
【リュシアン】
「役割が逆じゃないですか」
「なるべく、決められた筋書きを平和的に回避しようと思ってたのに」
少し間をおいて、優しくリアに近づく。
【リュシアン】
「……仕方ないですね。今回は、僕の番です」
そう呟くと、そっと顔を近づけ──
【リュシアン】
「"おとぎ話"なら、ここで目覚めるはずですよ、王子」
唇を重ねたその刹那──
【リア(夢うつつ)】
「……リュ……シアン……?」
薄く目を開けたその瞳に映ったのは、確かに彼の姿だった。
二人とも、しばらく見つめ合ったまま動けない。
リュシアンの頬がほんのり林檎色に染まり、リアも戸惑ったように瞬きを繰り返す。
【リア】
「えっと……今、何を……?」
【リュシアン】
「…………医療行為です」
【リア】
「医療行為?」
【リュシアン】
「……おとぎ話における、標準的な蘇生術です」
「治療として、やむを得ず、ですね」
【ドック】
「記録いたします!『医療行為としての口づけ』!」
【リュシアン】
「記録しなくていいです!!」
そのとき、ふと部屋の隅にある古びた鏡に目が留まる。
光の加減か──鏡の中に、見慣れない男が映っていた。
【ルドヴィス(鏡越し)】
「……なるほど。“記されざる感情”ほど、物語を揺らすものはない」
「構造が微笑む瞬間だ。こういう"例外"を、私は愛してやまない」
「第三章──“予定外の口づけ”。記録、完了」
リュシアンが鏡に近づこうとすると、像はすっと消える。
【リュシアン】
「……鏡まで、皮肉を言うとは」
【リア(まだぼーっとしながら)】
「……助けてくれて、ありがとう」
リアは少し目を伏せて、続けた。
【リア(まだぼーっとしながら)】
「でも、さっきの……ちょっとだけうれしかった」
【リュシアン】
「何がですか?」
【リア】
「……キス。記録には……残さないでくださいね」
【リュシアン】
「……それは困りましたね。記憶に残ってしまったので」
【ドック・ハッピー・グランピー】
「おおおおー!!」
【リュシアン】
「君たち、仕事に戻ってください!!」
──The End.
読了いただきありがとうございました!
来月初旬より別キャラクターの本編公開予定です。
おたのしみに!




