表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

月が見ていた夜

 「阿部もいま帰り?」

阿部紗和が素早く振り返ると、白井智輝が大股で歩いてくるところだった。

「ああ、うん。後片付けが手間取っちゃって」

お気に入りのローファーを下駄箱から出しながら返事をした。胸が弾み、急に手が震えだす。同じクラスだし、帰りの下駄箱で一緒になることがないわけじゃないけれど、こんな遅い時間にたった二人というのは、初めてかもしれない。


 「遅れてるって言ってたけど、パネルは間に合ったの?」

白井の問いかけに、紗和は頷く。

「もちろん。明日、楽しみにしてて」

 パネル製作のチーフである紗和は、力強く言った。夏休みを半ば返上して、取り組んだパネル製作だから、かなり思い入れがあった。

「そっちこそ、準備は万端なの? 実行委員長」

「パネルのチーフが大丈夫っていうんだから、後はもう、大丈夫だろう」

「そりゃそうか」


 何となく連れ立って歩き出す。

 校舎を出ると、夜空が広がっていた。雲一つない空には、星がきらめいている。紗和達の高校は、山の上にあるので、星がよく見える。今頃、天文部が屋上でこっそり望遠鏡を覗いているかもしれない。


 紗和は、最寄り駅までバスに乗る。でも、男子は歩く人が多いから、白井君も歩きかな。校門に向かって歩きながら、紗和はそんなことを考えている。


 白井とは、共に体育祭の実行委員になって、話すようになった。それまでは、同じ教室にいながら、話をする機会はほとんどなかった。

 仲良しの陽子によると、白井君は、全てのスポーツ部が弱小の我が校で、唯一、県大会まで進んだ剣道部の主将で、市内の大会なら天下無双の強さを誇る実力者、なのだそうだ。故に彼が剣道場で練習をしていると、下級生の女子が十重二十重と入り口を取り囲むそうで・・・。まぁ、陽子の話だから、少し大げさだとは思うけれど。


 ところで、紗和の高校はまあまあの進学校であるため、三年生ともなると、みんな受験モードに突入する。なので、ほとんどの学生は、体育祭などの行事には消極的になる。しかし最上級生ともなると、行事を引っ張る立場になるわけで、生徒の熱意に反比例するように、仕事も責任も増える。


 つまり三年生にもなって体育祭実行委員を引き受けるのは、学力に余裕があるか、お祭り好きのあんぽんたんかの二つで、学力に余裕のある白井が実行委員長に、クラスで唯一の美術部員だからと言う理由で、あんぽんたんの紗和がパネル制作のチーフに選ばれてしまったのだった。


 白井はともかく、学業においては、いつもギリギリのラインを攻めている紗和にとっては、貧乏くじ以外の何物でもなかったが(実際に膨大な時間とエネルギーを体育祭の準備にとられていた)、しかし、その経験は何にも代えがたい素晴らしい財産になった、と、今の紗和は思っている。その大きな一つが、白井と仲良くなれたことだった。


 紗和は、白井の隣を歩きながら思った。白井君にも随分助けて貰った。一緒にいて、本当に楽しかった。白井の笑顔、考え込む顔、困った顔、ちょっと怒った顔。何度も一緒に笑い転げたなぁ。どれもがかけがえのない思い出だ。でも、それはあくまで紗和だけの思いだ。明日が終われば、こうして一緒に帰ることなんてなくなる。だとしたら、今、並んで歩いているこの一瞬一瞬が愛おしくて、紗和は苦しいくらいだった。


 白井と一緒に歩いていたら、あっという間にバス停に着いてしまった。

「阿部はバスだよね」

「うん、っていうか、この時間になると、ここのバス停、こんなに暗いの?」

 紗和はちょっと驚いて言った。人通りはないし、暗いし、だから田舎の高校はいやなんだ。

「あ~、怖いんだ。お化けがでそうで」

「アホか。変質者の方が怖いわ」

「確かにそうだな」

白井は急に真顔になった。

「よし。優しい白井君が、バスが来るまで一緒にいてやろう」

「え、いいの? 悪いね」

「それとも、駅まで歩く?俺と一緒に」

『俺と一緒に』と言う言葉に、過剰にドキッとしてしまった紗和だが、

「う~ん、そうね。ここにずっと立ってても蚊に刺されそうだし、今日は歩こうかな」

さらっと答えることが出来た。


 駅までの長い長い坂道を、だらだらと下りてゆく。

 頭の上には月がぽっかりと浮かんでいる。ふっくらと、でもまん丸ではない月だ。明日かあさってには満月になるのだろう。


 体育祭が終わったら、と、紗和は考える。実行委員になってから続いていた特別な日常も終わる。魔法みたいな日々が終わる。そして後は受験勉強一色だ。特に自分は、遅れに遅れた勉強をとり戻すために、相当頑張らねばならない。それを思うと、紗和はため息が出そうになった。

 

「阿部さ」

不意に白井が言った。

「ん?」

「明日の体育祭、最後のダンスの後、誰かと予定ある?」

紗和の心臓がドクっとなった。

「いや、特にないけど」

紗和は首を振った。本当は陽子とマックに行く約束していたけど、この際、許して貰おう。

「そうしたらさ、どっか行かない?」

「え? 二人でってこと?」

夢かもしれないので、紗和はこっそり太ももをつねりながら尋ねた。

「そう。二人で。だめ?」

頭の上から、白井の声が降ってくる。思いっきりつねった太ももは、飛び上がるほど痛かった。紗和は、正面の暗闇を見ながら、目をパチパチさせた。これ現実だ。夢じゃないんだ。笑みが浮かぶ。


「いいよ。どこに行く?」

紗和は、白井を見上げて言った。

「晩ご飯、食べに行こう」

白井も笑っている。

「いいね。きっとお腹ペコペコだろうから、一杯食べられるところにしようよ」

「よし。じゃあ、明日までに店を探すよ」

「私も探すから、どっちか良い方にしない?」


 紗和は、そう答えながら、きっと今夜は布団に大ジャンプするだろうな、と思った。それで、布団の上で散々バタ足なんかやって、興奮して今夜は眠れないかもしれない。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ