七.跳べ、イカロス!
「いてて」
珍しく痛がる声を出して席に着いた伊賀を、太郎は心配そうに眺めた。
「ったく西本のやつ。無茶苦茶だな。なにが攻略だ、あんなの只の反則だろ」
「いや、そうでもないよ。彼のやっているころはある意味正しい」
「え、そうなの。そういや先生も言ってたな。バッドボーイズとか」
ああ、伊賀は思い出したように声を上げた。
「そうだ。思い出した。バッドボーイズだ。どこかで彼の動きを見た感じがしてたんだ。血が沸き立ち、心躍る。記憶が少しづつ戻ってきたのかもしれない。いや、もっと激しく、熱い戦いが……」
黙り込んだ伊賀に太郎はあのことを話そうか迷った。お前と俺は異世界からきた転生者。俺はお前の師匠。向こうの世界で一緒に戦ってきた……なんてこんな馬鹿な話、恥ずかしくて言えねーよなぁ。
授業中も太郎はぼんやりとあの夢を考えていた。ガルヴァンの放つ「魔力スラッシャー」 あれを俺は打ち返した。あの力があれば俺は伊賀を西本の暴力から救えるかもしれない。ひょっとして危険を救えとはこの事なんだろうか。目をつむって夢の内容を思い返した。
「えーということで、この部分を考慮すると……」
先生の声がだんだんと小さくなってきた。太郎はまどろむ意識の中に沈んでいった。
※
「イカロス先生」
「やあ、太郎。きょうも元気だね。バスケの方は順調かい?」
「先生のように立派なプレイヤーになれるように、一生懸命がんばっています!!」
「そうか、それはよかった。頑張れ」
私は太郎の嬉しそうな表情に思わず笑みがこぼれた。
「イカロスー、みつけたぜー」
「あれは……ガルヴァンとその仲間たち、バッドボーイズだ」
太郎の顔が青ざめた。私は太郎をかばって、ガルヴァンを睨んだ。
「何の用だ。もう試合は終わったはずだ」
「あんな結果はおれは認めねえ。もう一度勝負だ」
大丈夫だ。私は不安な顔をする太郎に微笑んだ。
「いいだろう、何度でも受けて立つ!!」
「先生は1人。それに対して相手は五人、いくら何でも不利すぎだよ」
太郎は泣きそうになってなってつぶやいていた。
「先攻はお前にやらせてやる。さあ、きやがれイカロス!!」
私は力を込めてボールを握って叫んだ。
「エレメンタル・ドラ……」
どん
急に後ろから誰かがぶち当たってきた。なに? 後ろを振り向くと、二人の敵が羽交い絞めにしてきた。
「何をする、はなせ」
「今日はレフリーはいないからな。バッドボーイズの真骨頂を大いに見せてやる。くらえ、魔力 スラッシャーー」
どーん、と閃光を上げてそれは私に衝突した。
「先生!!」
太郎は涙を浮かべていた。
「なくな太郎、私は大丈夫だ」
ふらふらになりながらも私は踏んばり、再び叫んだ。
「エレメンタル・ドラ……」
再び敵が周りを囲んでとびかかってきた。
「こんなのバスケじゃない」
太郎は泣き喚いていた。
「連続 魔力 スラッシャーー」
巨大な豪炎にくるまれた私は意識を失った。
「イカロス……イカロスや」
(誰だ……)
「君は十分に戦った。しばらくの休息を与えよう。人間界。そこで山下太郎として生きるんだ。君の心と体が十分に回復した時、再び戻ってきておくれ」
優しく笑う男の顔が見えた。あれは伝説の……風間シュウ……私の意識が完全に途絶えた。
※
「太郎、太郎ってば!!」
肩を揺らされて僕は目を覚まして、慌てて顔を上げた。
(やべ、また寝ちまった)
「方程式を使って解くことができて……」
先生のいつもの声が聞こえる。よかった、ばれてなかったみたいだ。てへへと苦笑いを伊賀に返して太郎は体をそっと起こした。
(でも、あの夢は一体なんだったんだろう)
太郎と呼んでいた小さな男の子。自分の事を先生と呼んでいた。
(もしかして、あれが転生前の伊賀なのか。そして、俺が師匠のイカロス?)
ちらりと横目で伊賀を見た。
(伊賀の記憶。バッドボーイズとの死闘。命が尽きた俺は、こちらの世界に弟子の名前で転生した。そして、こいつも俺を追って師匠の名前で)
「伊賀ロース、イカ……ロス。まさか……な」
太郎は自分の想像が信じられなくて首を振った。
※
「また、やってるぜ。アイツら」
周りの心配をよそに伊賀と西本はあれから毎日のように激しくやり合った。西本のラフプレーに倒されながらも懸命に応戦する伊賀。
(もう、やめてくれ……)
太郎はいたたまれなくなった。今日は先生がいない。これじゃあ、あいつのやりたい放題だ。バッドボーイズとの死闘。失われた記憶を取り戻すためとはいえ、ここまで身を削る必要があるのか。伊賀が高くジャンプをして、飛び上がった西本を空中でかわした。そのままシュートへ。その瞬間、西本は後ろから伊賀を両手で抱きかかえて床にたたきつけた。
「伊賀ーー!!」
太郎は思わず駆け寄った。伊賀は倒れこんだまま起き上がらない。意識を失っている。この野郎……太郎は拳を震わせて西本を睨んだ。
「許さねえ。お前だけは絶対に……西本ーー!! 俺と勝負しろ」
はぁ? 西本が眉をひそめた。
「寝ぼけてんのか? お前みたいなやつと勝負になるわけねーだろ。さっさとモップをかけろ」
「うるせーいくぜ」
太郎は転がるボールを拾って西本に投げつけた。ふん。西本は鼻で笑ってボールを返した。
「まあいい、身の程を思い知らせてやる」
太郎は体中が熱くなるのを感じた。俺はイカロス。あのイメージを必死に思い出した。信じろ。太郎は心の中で繰り返した。
「俺は伊賀の師匠、あいつを救うために異世界からきた伝説のプレイヤー イカロスだ!!」
「異世界からきた伝説のプレイヤー?」
西本がわずかに眉をひそめた。
「いくぜ、エレメンタル・ドライブ!!」
太郎が右にドリブルを仕掛けた。
(馬鹿が、バレバレだっつーの)
進路をふさごうと動いた西本は足を滑らせてバランスを崩した。
(なんだ、床が濡れている。さっき伊賀が倒れた場所か。まさかこいつ、これを狙ってやがった?)
太郎が叫んだ。
「アルティメット・ダーーーンク!」
「おお!!」
見守っていた全員が声を上げた。ボールをもった太郎が高く飛び上がった。意識を取り戻した伊賀がうっすらと目を開けた。飛び上がる太郎の姿がぼんやりと見えた。まさか、あれは鳥人? 伊賀は飛び跳ねて起き上がった。
「太郎、てめぇ」
西本が後ろから太郎のジャージをつかんだ。態勢を崩した太郎はその場に倒れこんだ。あーあ。全員のため息が響いた。やっぱ、太郎じゃ無理だ。
(こいつ、もしかして……)
西本は倒れこむ太郎を見てニヤリと笑った。
「情けねえな、それで終わりか、イカロス」
「なんだと?」
太郎はびっくりして顔を上げた。今こいつ、俺の事イカロスって呼んだのか。
「伝説の鳥人がなさけねぇなあ。俺の事を忘れたとはいわせねえぞ。受けてみるか、俺の必殺の魔力スラッシャーを」
(魔力スラッシャーだって? まさか、こいつも転生者。もしかして、ガルヴァンか?)
太郎は背筋が凍った。あの恐怖の戦いが脳裏を横切った。魔力スラッシャー。今あの衝撃を受けて、耐えられる自信がない。腰が抜けて立ち上がれない。
「どうした、太郎。もう降参か? じゃあ、また俺は伊賀をいじめてやるとするか」
「まて……」
太郎がゆっくりと立ち上がった。こちらを見て笑う少年を思い出した。俺を追ってこちらの世界にきたかわいい弟子。伊賀を見捨てるわけにはいかねぇ。
「さっきのはファールだ。もう一回、俺の番だ」
太郎はボールを西本から取り上げた。俺を追って現世まで来たガルヴァン。こいつとの因縁に決着をつけてやる!!
「いくぜ、西本」
太郎は再び右に切り込んだ。西本は濡れる床を警戒している。今だ。
「アルティメット・ダーーーンク!」
飛び上がった太郎を西本は驚きをもって眺めた。やっぱりこいつは。
シュコーン
太郎の手を離れたボールがリングに吸い込まれていった。
ワ―――
その場全員が歓声を上げた。やりやがった、太郎が。あいつも、なかなかやるじゃん。呆然とする太郎の周りを大勢が囲んだ。
(俺は、西本に勝ったのか)
こちらを見て微笑む伊賀に気づいた。あいつも勝利を祝福してくれている。
「やっ……た。俺は勝った。俺は西本についに勝ったぞーーー!」
太郎は両手を挙げて雄たけびを上げた。西本がゆっくりと近づいてきた。
「太郎、まけたぜ。お前に免じて俺はラフプレーはやめにする。伊賀にももうちょっかいはださねー」
安心した太郎は思い切って聞いてみた。
「西本、お前。もしかしかして、俺を追ってきた転生者か?」
「はぁ? 何言ってんのお前」
「だってお前、俺の事イカロスって言ってたじゃんか」
「お前が自分でそう言ってたんだろ。それに、そういった方がお前が本気をだすかとおもってな」
(俺が本気を出す?)
意味が解らず太郎は戸惑った。こいつ、いったい何が目的だ? 西本は困ったように頭をかいた。
「太郎、おめーはバスケは下手だ」
「な……まあ、確かに下手だが、それがなんだ?」
「だがな。一つ、誰にもまけねえ武器がある。それはジャンプ力だ」
「ジャンプ力?」
西本はため息をついた。
「やっぱ、気づいてなかったか。伊賀ほどじゃあねぇが、少なくとも俺よりは高く飛べる。他のスキルが上達すれば、レギュラーも狙えるかもな。だが、お前は執念が足りない。絶対に勝利するという執念が」
「もしかしてお前……」
「どうせ異世界ばっか読んでんだろうから、ちょっとカマかけてやったんだよ。案の定、本気を出したお前のジャンプに俺は反応できなかった」
「西本、お前……」
感極まって太郎は西本をうるんだ目でみた。だが……頭を傾げた。
「なんで、魔力スラッシャーを知ってんだ。もしかして、お前も、Dunk of Destinyを読んでんじゃ……」
「……うっせー。んなわけないだろ。あんなミサイルみたいなシュートをうつ話なんて、馬鹿らしくて呼んでられねーよ」
「なんでミサイルみたいなシュートって知ってんだ?」
「う……」
うろたえる西本に太郎を目を細めた。
「そんな目で俺を見るな。うーー俺はお前とは違うんだーーー」
「あきらめろ。お前を正式なジャパニーズオタクとして認めよう」
勝ち誇ったような太郎に西本は唖然として肩を落とした。
「太郎!!」
伊賀が駆け寄ってきた。うなだれて去って行く西本に互いに見合って思わず笑った。
「これで一件落着だ。いや、まだだった。君の記憶……何かもどった?」
「太郎、思い出したんだよ。僕の記憶、すべてを。やっぱり君のおかげた」
大笑いする伊賀を太郎は呆然と見つめた。本当の彼はこんなにも明るい性格なんだな。なぜか伊賀が遠くにいってしまったような気がした。