二.モップとダンク
「うぃーっす」
「おはよございまーっす」
朝は大抵皆、寝ぼけたようにテンションが低い。欠伸をしながら太郎はジャージに着替えてバッシュの紐を結んだ。
どん
いきなり後ろから背中を押された太郎は慌てて振り向いた。
「あれー太郎。今日も遅刻だなぁ。ったく、夜中までまた異世界でも読んでたんじゃねーの」
にやにやと笑う西本が立っていた。
「はあ? そんなの読んでないって」
ドキリとしながらも平然な顔を装って太郎は苦笑いした。
「ったく。とりあえず、さっさとモップかけとけよ」
「おい、西本。さっさと1オン1やろうぜ」
遠くから辻の声がした。
「ああ、すぐ行く。太郎、さっさとやっとけよ」
どんと再び太郎は背中を押された。
(はー)
太郎はため息をつきながら紐を結んだ。中学から始めたバスケットボール。小学校から始めているやつらがレギュラーを占め、遅れて始めたやつらは補欠が確定していた。いやになってやめるやつが多い中、必死に頑張ってきた。その理由は……
「おはよー太郎」
「おう、おはよう、里奈」
山西里奈。幼馴染。小さいころから運動神経がよかった彼女は、中学からバスケットを初めてすぐにその頭角を現した。
「一緒にやろうよ」
誘われてなんとなく入ったバスケ部。どんどん上達する彼女に関心しながら、なんとか自分も頑張ろうと続けていた。カースト上位の彼女に気さくに声をかけられる俺。羨ましがる周りにいい気になっていたのもあった。だが、その結果が。
「おい、里奈。そいつはモップかけっていう重要な仕事があるんだ。ほっといてさっさとウォーミングはじめるぞ」
西本が大きな声を出した。
「わかった、今行く。じゃあ太郎、よろしくね」
「ああ、まかせとけ」
にこやかな笑顔で里奈を見送った後、太郎はため息をついた。
「何がまかせとけだ。情けねぇ」
モップをかけながら太郎は再びため息をついた。
「おい! こっち、ほこりたまってんぞ」
遠くで西本が叫んだ。
「ああ、今行くよ」
「ったく。モップ掛けぐらいきっちりやれよな」
わざと聞こえるような声で西本がつぶやいて去って行った。
「なさけない男だな、君は」
知らない男の声に慌てて太郎が振り返ると見慣れない生徒が立っていた。同じくらいの身長。少し伸ばした金髪。こんがりと焼けた肌。異国風の整った顔立ち。そして、服の上からもわかる絞り込まれた体。誰だこいつ、こんなやついたか?
ピー
集合!! という先生の声に慌てて太郎はモップを片付けに倉庫に向かった。走りながちらりと後ろを振り向いた。あの生徒が中央に向かって歩いていた。
「あー今日は新人を紹介する。伊賀ロース君だ」
ロース? 太郎は首をかしげた。伊賀という名字も聞きなれないが、ロースもまたおかしな名前。もしかしてハーフか?
「伊賀と言います。アメリカから先月こっちに引っ越してきました。母が日本人のために日本語は話せます。よろしくお願いします」
伊賀は深々とお辞儀をした。異国風の顔立ちと、その割に礼儀正しいその態度に皆が呆気に眺めたが、ぱちぱちと拍手が鳴り響いた。
「じゃあ、伊賀。さっそくあれを。みんなをアッと驚かせてやれ」
あれだって? 太郎は眉をひそめて、ボールをもつ伊賀を眺めた。軽くドリブルをした伊賀はポーンとボールをリングに放り投げた。リング付近まで跳ね上がったボールめがけて伊賀が駆け込んだ。
(まさか)
鳥人。夢で見たあの映像が重なった。伊賀はボールを空中でつかんだ後、そのままリングに叩き込んだ。
「まじか、2mはジャンプしたぞ」
「なんだこいつ。ありえねぇ」
西本も呆気に取られている。隣で里奈が目を輝かせていた。
「すごーい。伊賀君だっけ。さっすが本場アメリカだね」
ワーワーキャーキャーと騒ぐ女子に、周りの男子は黙り込んだ。
「ちょといいっすか」
西本が前に出た。
「すごいもん見せてもらってありがたいんすけど。ジャンプ力だけがバスケじゃないんで。1オン1やってもいいっすか」
ああどうぞ。先生は予想してたとばかりにうなずいて後ろに下がった。どうやら伊賀が入る事による化学反応をかなり期待しているようだ。
「じゃあ、俺からいくぜ」
西本はボールをポンと伊賀に投げた。
「いいよ」
伊賀は冷静な顔のまま投げ返した。にらみ合い。西本はボールをもったまま伊賀をじっと見つめた。こいつ……
太郎は二人の様子を手に汗握って見ていた。西本はバスケ部で一番1オン1が強い。巧みなステップとフェイクで敵を惑わし、鋭いドライブで一瞬で抜き去る。そして、下がった相手には有無を言わさずロングシュートを鎮める。だけど何かおかしい。西本は先ほどからピクリとも動かない。伊賀はじっと腰を落としているだけ。
「何してんだ、西本。さっさと抜いちまえ!!」
辻が大きな声で叫んだ。その瞬間、伊賀の手が一瞬動いた。ボールがポーンと空中に飛び上がっていた。
「隙だらけ。そんな持ち方じゃ、取ってくださいって言ってるようなもんだよ」
落ちてくるボールを伊賀が涼し気にキャッチした。唖然とした西本はすぐに首を振って伊賀からボールを取り上げた。
「くそっ。だがバスケはディフェンスじゃねぇ。点をとってなんぼだ。みせてもらうおうか、お前のオフェンスを」
西本が怒りの表情でボールを投げ返した。伊賀がボールをもってゆっくりと上にあげ、ぴたりと止めた。西本は迷った。
(どっちに来る。右か、左か。それとも上か)
ふうーと西本が息を整えた瞬間、わずかに伊賀の体が右に揺れた。右か。その瞬間、伊賀の姿が視界から消えた。
コン、シュッパ
後方から聞こえるレイアップシュートの静かな音に西本は振り返って唖然とした。
「いったい何が起こった?」
伊賀の背を呆然と眺めた。