第1章
ズキズキと頭が痛い、いや体中が痛い。腕も足も、背中も痛い。守ろうと縮こまったおかげで胸や腹は無事だ。のそりと頭に手をやるとべとりと血が付いた。起き上がれば、枕になっていた岩にも染みが出来ている。正面には沢があり、背後には私の身長の2倍はありそうな崖がある。若干の傾斜はあるものの私はこの崖の斜面を転がり落ちて来た。崖を登る事など出来ないので、沢沿いに下って助けを求めよう。
仲の良い訳ではない両親と兄。稀に家族で登山をする。登山と言っても、富士山を登る様な本格的な物ではなく、半日で往復出来る様な軽い物だ。私は両親と兄の分の荷物を持たされ、3人は見かけだけの軽い荷物を背負って登る。
いつもそうだ。今日だってそうだった。私と違い重い荷物を持ってる訳でもないのに、30分歩いた所で兄が音を上げた。いつもの事だ。私は休憩の為座り込んだ兄の足元に荷物を下ろす。兄は当然の様に荷物をあさり、自分の水筒を引っ張り出した。両親も同じ様に私の荷物から自分の水筒を取り出して飲み始める。そして3人で談笑を始めた。この休憩は長くなる。私は周囲の自然を見渡して時間を潰す事にする。
スマホがあれば写真等を撮るだろうが、家族全員スマホは車に置いて来ている。そういうルールだ。木々の青々と茂る葉、その隙間から漏れて届く暖かな陽光、遠くからは鳥の声も聴こえる。私には最低な家族だが、この趣味だけはありがたい。
ガサッと音が聴こえ、漸く休憩が終わりかと振り向けば、背後ではそれぞれ凶器を手にした両親と兄。状況は解らないが視線は3人共私に向けられ、3人の獲物が自分なのだと解った。私は一目散に山道を駆け上がる。確かこの山から川が流れている。そこへ向かって逃げて、後は隠れながら川を下ろう。行きがけに車から見た川を思いだし、それがあるだろう方向へ向かって山道を外れた。その間も3人は私を追って来ている。3人分の足音が距離を保って追い駆けて来る。とにかく捕まったら殺される。それは確信に近い予感。きっと妹も3人に殺されたのだ。
フッと足元の踏みしめるべき地面が消失した。必死で眼の前が崖だと気が付かなかった。私は身を守ろうと丸くなり、体は斜面に生える木々や付き出す岩にぶつかり、転がり落ちて行く。そして漸く止まった所でガツンと激しく頭をぶつけ気を失った。
気付けばいつの間にか沢から離れた森の中を歩いていた。我に返り周辺を見渡す。とりあえず下りさえすれば良いだろうが、どこを見渡しても平たんで下りも上りも無い。遭難した。あんな状況で両親が捜索を出すわけもないので、自力で脱出しなければ。もしかしたら家族がまだ周辺で私を追っているかもしれない。立ち止まる訳には行かず森の中を歩き回るしかなかった。
ガサガサと音がして身構える。周囲に人の姿は見えない。とりあえず隠れようと屈み周囲を見渡す。
「よっし!この位で良いかな。」
それは女の子の声だった。声の主を探して視線を動かせば。麦わら帽子にワンピースの女の子が茂みの向こうに立ち上がるのが見えた。助かった。私は勢い良く立ち上がり、女の子に向かいながら手を伸ばす。
「助けて。」
ああ、これで助かった。安堵で気が抜け、倒れる様に地面に吸い寄せられた。
「えっ!大丈夫!血が、」
女の子が慌てふためいている。ああ良かった。
病院には見えないな、山小屋みたい。硬いベットから起き上がる。頭に手を当ててみれば、包帯が巻かれている。そして体中から蓬の様な匂いもする。普通アルコールで消毒するでしょ。呆れつつ室内を見渡す。ベットの他にクローゼットがあるだけの殺風景な部屋だ。もしかしなくてもまだ山の中だろう。
「起きたかな?」
部屋の外から先程の女の子の声がする。
「どうだろうな。」
今度は男性の声だ。そして、部屋のドアが開いた。
「良かった。起きてる。大丈夫?」
そう声をかけてきたのは、赤い髪に黄色の虹彩の中学生位の女の子。その後ろには白髪混じりの赤い髪に黒い虹彩の男性がいた。えっ、外人さん、でも流暢に日本語を喋ってる。
「一応、傷には薬を塗っておいたから、出血は止まってると思うけど、これ痛み止め。食事は出来る?」
草色の丸薬と水の入った歪なグラスが差し出される。混乱のせいかそれを素直に受け取ってしまった。痛み止めって錠剤じゃないの、これってただ草を丸めただけじゃない、衛生的に大丈夫なの。
「言葉が通じないんじゃないか?」
男性は丸薬を受けたったまま、動けなくなった私を訝しむ。
「え、でも、森で助けてって声をかけられたんだけど。」
女の子は返答すると、丸薬をもう一粒取り出して、水無しで飲んでみせる。
「苦いけど、水で流し込めば大丈夫。」
女の子に笑いかけられて私は渋々丸薬を飲んだ。空になったグラスを回収し、女の子がベットに座る。
「私はデボラ。貴女は?」
やはり日本人ではない様だ。
「双葉灯。」
名乗るとデボラは不思議そうに首を傾げた。
「珍しい名前だね。」
外国人には日本人の名前は分かりづらかっただろうか、いやそもそも言葉が普通に通じる時点で外国人とも違う気がする。
「双葉が姓で、灯が名前。」
そう言うと、デボラはベットを立ち部屋の入り口まで後ずさった。そして跪くと、開け放たれた廊下にいた、男性も同じ様に跪く。
「貴族様だったんですね。申し訳ありません。」
デボラが何を言っているのかサッパリ解らない。
「いや、私は貴族では無くて。」
否定したが、デボラは首を振る。
「姓をお持ちなら貴族様です。お忍び中に事故にでも遭われましたか?」
男性が私の言葉を否定して来る。確かに歴史の授業で昔は姓を持てるのは貴族だけと聞いたが、この人達はいつの時代の話しをしているのだ。
「マルシャット国では、聞かない家名。国外の貴族の方なのですよね?」
女の子は恐る恐る様子を伺ってくる。何マルシャット国って、それどこの国。そんな国知らないんだけど、ちょっとどういう事、状況が全く解からない。
「ちょっと、1人で考えたいので、出て行って下さい。」
私を貴族だと思い込んだデボラは素早く礼をして部屋を出ると、ドアを閉めた。
ここはどこだ。私は家族に追われて崖を落ちて、沢を下っているうちに、森に迷い込んでいた。とりあえず記憶喪失的な設定にして情報を聞き出せば良いのか。そもそも島国の日本からどうやったら徒歩で国外に出れるのか。魔法でも無いとそんな事出来るはずがない。そう思った瞬間眼の前の空中に半透明の画面が現れた。そこには大きな字で「魔法」と書かれ、その下に「転移」と「異世界転移」の2つの項目があった。
「は?」
魔法ってなに、もしかしてここは異世界って事、じゃあもう一回異世界転移ってやつを使ったら元の世界、日本に戻るってことか。私はその思考のまま、半透明の画面の「異世界転移」に触れた。すると、私は夕闇に染まった沢の横にベットに起き上がっていた姿勢のまま座っていた。半透明の画面は消えているが、魔法と思考すると、再び現れた。そこにはやはり「転移」と「異世界転移」の2項目がある。こっちでも使えるということだろう。私はほぼ無意識で家の自分の部屋を意識しながら「転移」に触れていた。
殺風景な自室に戻って来た。部屋のドアに耳を当てて家族の様子を伺う。気配はするので、家族は戻って来ているだろう。部屋を出て様子を伺いたい。私の身に何が起きたのか知りたい。私はもう一度転移を使い廊下に出た。ドアを開けた音で気付かれたくない。それから足音を殺して、人の気配のあるリビングへ向かう。すると、中から母の鼻を啜る音が聞こえた。
「間違いなく山から一緒に帰ってきたんです。疲れたから部屋で休むと言って部屋に向かいました。」
父がそう言う。
「夕食の準備が出来て部屋に行ったらいなくて、スマホもそのまま。灯は勝手に出て行く様な子じゃないんです。それにスマホも持たずに出掛けるなんてありえません。」
兄も涙声だ。これは何の話しだ。
「解りました。」
知らない男性が相槌を打つ。
「大丈夫ですか?」
今度は知らない女性。
「はい。」
母が鼻を啜る。
「では、こちらの服装で周囲に聞き込みを進めます。」
男性がリビングのドアに向かって近付いてくる。私は再び転移で自室に戻った。どう言う事だろうまるで私が返って来て、家から消えたみたい。妹の時ももしかしてそうだったのか。4年前妹が登山から返って来て行方不明になった。後日その登山に行った山で滅多刺しにされた妹が見つかった。私はその登山には体調を崩して行けなかった。しかし確かに思い返せば、帰って来た妹は見なかった。というか、朝4人を見送って、気が付いた時には警察官に起こされて、事情聴取を受けた。家の外から車が走り去るのを聞き、今度はリビングの外の廊下に転移する。
「今回は殺しそこなったが、あそこから落ちて怪我が無い訳無い。その内死体で見付かるだろう。」
父の声は楽し気だ。
「そうね。4年前にやれてれば、大学の費用なんか出さずに済んだのに。」
母は恨めしそうだ。
「まあ、仕方ないじゃん。その代わり、保険も追加したし。今回はその大学費用も取り返せるでしょ。」
兄は笑い声を上げる。
「そうよね。今度は何を買おうかしら。」
母の声と共に紙を捲る音が聞こえる。ああそう言う事か。黒い感情が次々と湧き上がる。
包帯を沢に流し、沢の水で体を洗う。周囲を散策して蓬を見付けておく。沢を下った先はやはり川へ繋がっていた、その川を更に下ると、民家があった。手元の時計は午前2時を回っている。兄はまだ起きているだろうが両親は寝ている時間だ。私は自室に転移し、服を脱ぐと洗濯室に転移して洗濯籠に脱ぎ捨てられた兄の服を着た。そしてキッチンに転移して、包丁を取ると、母の部屋に転移する。両親は数年前から寝室を分けている。そして眠る母の心臓目掛けて包丁を振り下ろした。そこから死んでいるであろう母に何度も包丁を振り下ろし、滅多刺しにしてやる。全身に血を浴びて今度は父の部屋に転移する。父も母と同じ様に滅多刺しにしてやると、血塗れの兄の服を脱いでビニール袋に詰め、そこには包丁も放り込む。そのビニール袋は庭の物置に隠し。兄の寝室の前に行けば兄のイビキが聞こえた。一度行った事のある所には転移出来る様だったので、中学の修学旅行で行った先の薬局から睡眠剤をいくつか持って転移し、兄しか飲まないスポーツドリンクに混ぜておいた。それが効いたか解らないが、これなら部屋に入れる。部屋に入ると、兄はパソコンでAVを鑑賞中で、下半身を丸出しにして机に突っ伏していた。兄の荷物から煙草を取出しライターで火を点けるとそれを足元に置く。そしてキッチンに移動して、ガス栓を開いたまま、ゴムホースを抜く。すぐに鼻先にガスの臭いが突く。部屋でさっきまで着ていたボロボロになった服を着直して、川に戻ると、傷口に蓬を塗って、見付けておいた民家に駆け寄ると、そのドアを激しく叩く。
「助けて下さい。家族に殺される!」
私は何度も叫びながら、家人が出て来るのを待った。そして家人だけでなく、私の声を聞き付けた周囲の家からも人が出て来て、警察を呼んでくれる。
警察に保護され、病院にすぐに運ばれた。頭の傷は数針縫われ、他の傷は消毒されてガーゼで覆われた。病室で休んだ翌朝、警察官が事情聴取に来た。
私は家族と登山に来て、その家族に包丁片手に追い立てられ、崖を落ち。気が付いたら辺りは暗くなっていて、沢沿いに降りて来て民家に助けを求めたと、説明した。
そして、家族を捕まえて欲しい、もしかしたら4年前の妹も家族が殺したのではないかと訴える。取り乱した様子を見せると警察官は看護師と入れ替わり、帰って行った。
そして、その日の昼、今朝の警察官と男女の私服刑事がやって来た。
「体は大丈夫かい?」
男性の刑事の声は昨日の家のリビングで話していた声の1人だった。
「まあ。」
薬のお陰で痛みは無いが、怪我はしているので、大丈夫では無いだろう。男性の刑事は首をかきながら何かを言おうとしているが、言い出せずにいる。すると女性の刑事が溜息を吐く。
「私が変わります。」
この声もリビングに居た。
「未明に貴女の自宅が火事で爆発しました。焼け跡からは3人の遺体が。内2名は火事以前に死亡が確認され、残りの1名は火元の部屋で死亡が確認されました。まだ身元の確認中ですが、恐らく貴女のご両親とお兄さんかと思われます。」
知ってるよ。だって私がやったんだから。しかしこの話しに私はどう反応するのが正解なのだろうか。
「もう殺される心配は無いと喜べば良いですか?それともあんなんでも、家族だったと悲しむべきですか?罪も償わずにと怒ればいいんですか?」
私は2人に怒鳴る様に聞いた。考えておいた台詞ではあったが、目には自然と涙が浮かんだ。そこからは堰を切った様に涙が溢れ呼吸が苦しくなる。泣きながら過呼吸を起こし、また看護師に警察官と刑事達は追い出されて行った。
見付かった3人は両親と兄だと判断された。更には物置から血塗れの服と包丁が見付かり、兄が両親を殺害し、両親が兄に睡眠薬を盛っていた為に兄が喫煙中に寝てしまいそれが原因で火事になり、運悪くガスが漏れていた為に爆発したのだと判明した。
私を殺そうとした件は、私の証言に加え。登山に行く道中のコンビニの防犯カメラの映像から私が帰りの車に乗車していなかった事が解り、認められ。妹の事件も再捜査をしてもらえる事になった。しかしもう3人は死んだので、被疑者死亡という事で、再捜査はすぐに打ち切られた。
私は火事で家が無くなったので、アパートを借りた。両親と兄はお互いにも多額の保険を掛け合い。家や、父がコレクションしていたという絵画類にも保険を掛けていた為に、私1人なら10年程は生きて行けるだけのお金が手に入った。
大学は卒業したので、本来は就職するはずだったが、家族の不幸を理由に入社を辞退し今は毎日のんびり暮らしている。転移という魔法を得たお陰で家族に復讐も出来て、暫く生活に困らないだけのお金も手に入れた。今後はどうしようか。
退屈な日々を抜け出すべく私は異世界へやって来た。幸いあの時のベットルームには誰もいなかったので、窓から抜け出し。その家の正面から玄関を叩く。山小屋よりも立派な家ではあったが、現代日本からすれば、時代遅れなボロ屋だ。
「はい。」
出て来たのはデボラだった。デボラは私を見て驚き後ずさる。
「デボラ。あの時は急に消えてごめんなさい。助けてくれたのに、私混乱していて。今日はお礼をしに来たの。」
私はすかさず頭を下げる。するとデボラは慌てて、反応に困っている。
「私祖国を追われて。本当にもう貴族ではないのよ。東の国からここまで来たの。これ受け取って。」
半透明の画面をいじっている時に、「魔法」の画面の左上に左向きの矢印があるのに気が付き、それを触ってみたら、「ステータス」が表示されそこには「マジックバック」という「スキル」があった。これには色々収納出来て、そこからまっさらな包帯と、痛み止めの入った瓶を取出し差しだした。デボラに近付きその手を取って、包帯と瓶を押し付ける。
「ここを抜け出した後、また迷っちゃってここまで戻るのに時間がかかったけれど、貴女にはすごく感謝しているのよ。」
私はデボラに抱き付いた。この世界での設定はもう決めてある。まずはデボラ達からこの世界の事を聞き出さないと。
日本での生活には飽きてしまった。就職してみたけれども、先輩がクズですぐに仕事は辞めた。もちろん先輩にはしっかり報復したが。他にも転移を使って色々とやってみたが、それらに飽きて異世界の事を思い出した。文化的には生活するには不便だが、金儲けには持って来いだと気付いたのだ、まともな医薬品も無いのなら、それらを日本で買って、異世界の貴族に高額で売り付け、それで金を買って、日本で換金すれば、簡単に大金が手に入る。これで最悪な家族が残してくれたお金が尽きても困ることは無い。金を換金するには日本では出来ない事なので、海外旅行をするフリをして、換金出来そうな所を見付けて、海外の口座も用意して来たので、後はマーケティングをして、売れそうなものを仕入れるだけで良い。
あれよあれよとマルシャット国の王都に店を構える事が出来た。デボラとその父親のニックがあの地域の貴族に私を紹介してくれて、その貴族にも色々と売り付け、王都への案内と出店資金を得た。そして王都で店舗兼住居となる家を買い。雑貨店を始めた。基本的な商品は100円ショップから仕入れ、雑貨やレトルトの商品を扱った。そうやっているうちに、貴族の奥方に化粧品が気に入られて、王族にまで紹介して頂いた。日本では100円の商品が大銀貨や金貨で売れて行く。店が忙しいと換金屋が店に来るので、溜まった小銭は金貨に変えてもらう。そうすればわざわざ金を買わずに済むので、溜まった金貨を郊外の無人の山小屋で溶かして、日本の存在する世界で売ってお金に変える。山小屋ではソーラーを設置し、溶解炉を動かしている。仕入れ値の何倍もの売り値になるので、無限に増え続ける。お陰でそれが楽しくて仕方ない。
次話は明日の20時に更新します。